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2016年4月 主題 「哲学カフェ」

投稿日:2016/11/15

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2015年 3月哲学討論           担当:高津 智文
『哲学カフェ』(小川仁著)という本を題材に進めた討論内容のまとめ。テーマごとにそれぞれが自分の考えをまとめてきて、それをもとに討論を実施した。今月は3章の「暴力について」も討論をしたが、ここでは章ごとにまとめて報告させて頂く。今回は1章「人間関係を哲学する」(テーマ123)第2章「愛を哲学する」(テーマ7)のまとめとなる。
 
1章「人間関係を哲学する」
テーマ1 男と女は区別すべきか?
まず、これは本書の中にも出てくるのだが、司会者側の聞いてみたかった質問ということでみんなに聞いてみた。「あなたは男に産まれて良かったですか?女に産まれて良かったですか?」
人間に産まれたこと自体がちょっと…といった意見もあったが、ほぼ全員が自分の性別に満足しているという回答だった。他にも話はどんどん膨らんでいき以下のような様々な意見が出た。
 
・化粧をしなくていいから男で良かった。(化粧していない女性は気になる)
・男性によって作られた女性像があるのでは。ボーヴォワールが「女として産まれるのではなく、女にされるのだ」と言っていたように。
・色など気づかない間に女性らしい色を選んでいる自分がいた。(女性はこう、といった先入観を知らず知らずのうちに培われていたのかも)
・男性が女子力高くても気にならないが、女性が女子力が高いとライバル心が沸く。性差が違うということで、男性相手には気にならないのかも。
・男の方が力が強いのが悔しい。努力しても超えられない性差というものが存在する。
・男子がいると女子は女子になる。(男子を気にする)反対に女子がいると男子は男子になる。
・男子がいなければ女子の中で男性っぽい役割の人が出てくる。
・人間はカテゴライズして物事を考える傾向にある。例えば老人、子ども、男性、女性…というように。男性でも女性でもない人を見て一瞬イラッとしたことがある。それもこの人間の認識の仕方によるのではないか。
・歴史というのは力のある男性が中心にまわってきた。女性はその中で虐げられてきた。
 
●内面の男女の違いとは何か?
・男らしさ(強さ)
・女々しいは差別用語。男まさりという言葉はあるがそんなに悪い意味に聞こえない。
・歴史は力のある男性が中心で、女性は虐げられてきた。
 
●男と女は区別すべきか?するとすればどこで区別すべきか?
区分とは…基準を定める 区別…種類で分ける 差別…違いにより不当に低く取り扱うこと。
・身体的な違い
・能力の違い(例えば繁殖できる機能が女性にはある。それを選択するのは個人の自由)
・人間には本能以上の理性がある。
・ラインをひくのは難しい
・第三の性の話にもあったように、両性具有の人や性同一性障がいの人など身体的、心理的な違いによって区別することも難しい場合も出てくるのではないか。
 
<まとめ>
本書の中にも出てきたように、お互いの違いを認め合うという「多文化共生」の考え方が大事である。そのためにはある程度の区別は必要である。優位な立場の人が同じ地平にまで降りていく。差異はあるが同じ人間という認識の確認をすることが大事。そして、1人1人が自己実現できる社会を作ることが大切である。
 
テーマ2 なぜ他人と違う事をすると嫌われるのか?
●アメリカの「グレイト!」が、日本では「こらっ」
・日本特有のもの「出る杭はうたれる」
・逆に個性がないと嫌われる場合もある
・人と違うと目立つ
・協調性(和)を大切にする国であるから和を乱すものが打たれる。
・違う人への嫉妬
・一緒である安心感
・多数に集まる
・個性と協調性の狭間で揺れる
・時代によって変わり得るもの。個性を求める時代とそうでない時代が繰り返されている。(螺旋的発展をしているかもしれないが)例えばルネサンスは個性を重視された時代。逆に中世はキリスト教に支配されある意味協調性を強いられた時代だった。戦争中の日本も同じ。現代が個性を重視するのも時代が求めなくなったからでは。個性を大事にしろ、協調性を大事にしろ、という価値観は時代によって自分達が思わされているだけなのかもしれない。
 
●「滅私奉公」から、「活私開公」へ
滅私奉公:私利私欲を捨てて、主人や公のために忠誠を尽くすこと。「滅私」は私利私欲を捨てること。「奉公」は国や社会などの公、または、主人や主君・上位の者などに自分の身をささげて尽くすこと。→行き過ぎると全体主義につながる思想。
活私開公:一人ひとりの個人の生き方を尊重し、「私」(個性)を活かしながら、共に分かち合い、共に手を携えて豊かに生きる地域・社会を創る(「開花させる」)精神。自分を活かしながら社会に対して開かれた存在となること。それには自分自身が主体的に考え、行動することが大切。現代はこの「活私開公」が求められている。マトリックス組織はまさに活私開公?
※両方必要になる。環境によって判断が必要なのでは。
 
●「顔」が大事!?他人とはなにか?
・レヴィナスの他者論。他者との違いに焦点を当てて他者を捉えた。「私と他者は絶対的に別の存在であり、絶対的な差異の関係」にあるとした。(同じ顔の人間がいないように)他人がいるから自分を認識できる。顔が大事、特に目。目は口ほどに物を言う。
 
<まとめ>
私とは全く違う存在として他者が存在する。他人と違うことをする。それは時代によっては個性と捉えられ、または逆に異端、協調性のなさと捉えられることもある。それはどこまでも相対的であり、螺旋的に捉える必要があるのかもしれない。個性をどう捉えるか。活私開公の姿勢が今求められているのかもしれない。大宮店においても、それぞれの個性を活かしながら自らが主体的に考え行動するマトリックス組織の中で、日々撮影や学習、CSR活動等に取り組んでいる。全体のために自らを犠牲にするといった視点ではなく、個性を活かし全体がより良くなるために自らができることをしていく。私たちの日常に落とし入れて考えられる良い機会となった。
 
テーマ3 いじめはなくすことができるか?
●なぜ人はいじめるのか?
・スケープゴート(生け贄、身代わり)天災や災いなどを誰かのせいにして安心を求める。魔女狩り。
・優越感を得るため。
・ストレス発散。
・快楽。娯楽。
・相手の違いを認められない。自分を認められない不安。周りの不幸を確認することで安心する。
・他人と比較。自尊心がない。
・功利主義。多数の幸福のために少数を犠牲にする。
・報復への不安。理由の分からないもの。
・コンプレックス。相手に現れている自分の無意識のコンプレックスに気づく。あの子は可愛い、私はモテない、だからいじめる。
・格差。カースト。金持ちと貧乏。自分を優位に立たせることで強さを実感。
・テレビ番組で若者の討論番組では「普通と違うから」「暇つぶし」「いじめにあう理由に共感したから」が理由に有った。
・打ち込めるモノがない。熱中するものがない。
・全く対象にならない相手より、同じフィールドにいる感覚にいるといじめの対象になる。(明らかに障がいがある子に対してはいじめないが、発達障がいなど見た目で分からない場合はいじめの対象になりやすい)
・人間社会で生きていく為には一人では生きていけない。自分だけ孤立しない為に周りに合わせる。
・みんなと同じ。その安心感が団結力に。(間違った協調性)
・動物的本能。人間には弱いものを攻撃する本能が備わっている。
・公共の敵を作ることで(相対的に低いものを設定して)優越感を得て安心する。(相対的敵)
・思いやりが持てない。同じ人間なんだと思う。想像力の欠如が原因。
 
●いじめはなくすことができるか?その方法とは。
・思いやりを育てる教育が大切。
・他人と共存する為の理性が必要。
・人間はみな同じであると思う事。他の立場に立てる想像力を持つこと。
・何か打ち込めることを見つけること。
 
<まとめ>
いじめの原因は複雑に絡み合っていて、これといって解決策を見出すことは難しい。だからといってあきらめてしまうのではなく、今回の討論の場のように絶えず考えていくことが大事なのではないか。
 他人にやられて嫌なことは自分もしてはいけないという「他者危害原則」や、お互いの存在を認め合う「相互承認」、感情や欲求に流されることなく、きちんとした自らの考えや判断にのっとって行動する「理性」を持つこと。「考える」こともまたいじめをなくしていくための一つの手段になり得ることが分かった。
 1章「人間関係を哲学する」において、
 
2章「愛を哲学する」
テーマ4 ミス・ユニバースは本当に美しいか?
●美とは何か?
<哲学者たちの美の定義>
・プラトンの美…超越美 精神美 美のイデア
・トマス・アクィナスの美…「美しいものとは、見て喜ばしいものを言う」
美の要素として①十全性若しくは完全性②然るべき対比若しくは調和③輝かしさ等を挙げている
 ※プラトンもトマスも美の存在は、事物や事象が備える固有の性質であるとする「存在論的把握」(そのものが元々持っている美)
・カントの趣味判断(美的判断)
趣味判断とは主観的なもので、快・不快に関わる。快・不快というのは基本的には人それぞれなもので、感覚に訴えかけてくるもの。しかし、それだけではまだ「趣味判断」とはいえない。趣味判断は、普遍妥当性を求める、反省的な判断。つまり、人それぞれの快・不快というものから一歩進んで、自分以外にも「これって美だよね」と言いうるようなもの。それが「共通感覚」。認識にも拘わらないし道徳的な命令を行うわけでもない、主観的なものにすぎないけれど、それでも普遍妥当性をもっていて、ア・プリオリな判断だから重要なものであるとした。
 ※美の存在は事物に帰属するのではなく、それを知覚し、認識する人間主観が、事物や事象に付与する性質であるとする「認識論的把握」
 
<みんなの意見>
・美は何ものにも宿る。時代によって取り出し方が違う。(プラトン的考え方)
・美とは完全性である。(トマス的)
・美とは心地よさである。癒し。
育った環境が違うのと同様、美しいと感じるポイントも違う。それぞれの感覚。
・視覚的美。心理的美。
・知れば知るほど魅力を感じ、美しいと感じる。
・世界共通の美がある。地域、環境、天気などで変わるが、根本的な美が存在する。(カント的)
 
●美を追求してしまうのはなぜか?
・人間は美を追求してしまう生き物。美は共通して人が幸せと感じるもの。
・肯定するもの。追求するもの。惹かれるもの。幸せになるもの。
●ユニバースは本当に美しいのか?
・美にランキングしなくていいのでは?みんな違ってみんないい。
・比較対象があるから、美が生まれる。
・美の基準が様々であり、そのための努力や人柄なども審査の基準に入る。
 外見だけではない。
・世界平和につながる
 
<まとめ>
哲学の大きなテーマの一つでもある「美」。様々な哲学者たちが美について考えてきたように、人は美を追求し、絶えず求め生きていく生き物なのだろう。私たちの生活のあらゆることに美は関係している。私たちが毎日撮影している行為も、美を追求している行為といえる。美の定義も種類も、決定づけることはできないが(その必要もないのかも知れないが)、誰もが求める美について討論し、確認し合う行為自体が、様々な人の違いを認め合うということにつながるとするなら、本書のようにミス・ユニバースというものが世界平和につながる行為だといえるのかもしれない。
 

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