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2016年6月 主題 「哲学カフェ」

投稿日:2016/11/17

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2016年6月 哲学      担当:高津 智文
『哲学カフェ』(小川仁著)という本を題材に進めた討論内容のまとめ。テーマごとにそれぞれが自分の考えをまとめてきて、それをもとに討論を実施。今月は5章「幸福を哲学する」のまとめとなる。

5章「幸福を哲学する」
テーマ13 なぜ、人によって幸福の基準は違うのか?
●幸福を感じるときとは?
・布団に入る時
・ご飯がおいしい時
・動物、赤ちゃんに触った時
・好きなことをしてる時
・ふとした瞬間「有り難い」と感じる時
・人との素敵な出会い
・朝起きた時、生きていることを実感する。幸福の実感。
・贅沢に時間を過ごしている時、だらだらできること、2度寝。
・小さいことでも感動。瞬間瞬間で幸福を感じていたい。
・幸せレーダーが敏感な人が一番幸せな人のように思う。
・子どもの寝顔
●なぜ人によって幸せの基準が違う?
・歩んできた人生が違うから、幸福の基準が違う。幸福の相対性。
・環境の違い (家庭、国、兄弟)
・幸せの基準は作られていくのではないか。
・幸福の最低限(命の保障、生活の保障)の基準はあるのでは?映画「ハッピー」を見るとその基準すらあいまいになってくる。結局はその人自身の心持ち次第。
・「幸せになる条件が揃っていて恵まれてる = 幸せ」ではない。
●幸福の基準とは?
・不安がないこと。
・なりたい自分の姿が基準となる。他人と比較すると、自分の幸せがぶれる。
・使命感が幸せの基準。使命感が幸せになるためのきっかけ。
・自由であること。束縛されていない。心理的にも。それが幸福の条件。
・今の自分を受け入れられていること。今の自分自身に満足できない思い。こうだったらよかったのに、これが 足りないからだ→幸福を感じられない。幸福は追い求めるものではなく、自分の気分次第。(アラン)
・幸福を感じれば感じるほど、失う恐怖が湧いてくる。考えなくていい事柄まで心配して悩む。
・幸せと感じとれる感性。山登りと幸せの性質は似ている。登るときはしんどいがその中でも幸せと感じられる一輪の花。
・相対的喪失感。周りと比べて、自分自身の幸福をはかり、不幸だと感じること。
・幸せの基準は自分の心が決める。
・自分にとっての幸せを理解しておくことが大切。
〜大宮店での幸福の定義〜2015年度~
・自分が必要とされること
・為に生きること
・自分が出来ることを通して、より大切な価値を作る為に努力すること
・幸福は人生の目的ではなく、よりよい価値を見いだす為の人生の結果物
<まとめ>
 幸福の基準は相対的であり、いってみれば人それぞれである。そしてそれは自分自身が決めることである。討論を通して、幸福になるためには自分自身が一人の人間として「自立」していることもまた幸福の条件であるという結論に至った。周りと比較しての基準ではいつまでたっても幸福にはなり得ない。幸福とはどこまでも自立した各々が自分自身の中で決定づけ、自らが作り出していくものなのかもしれない。
 
テーマ14「人間は孤独に耐えられないか?」
●人間とは何か
・マルクス…人間は「類的存在」自己と他者との関係性の中で生きる集団的な生き物。
・和辻哲郎…「間柄的存在」誰かと誰かの間で存在する間主観的な存在。
●人間は本当に弱い存在か?
・群れを作る動物はコミュニケーション能力が高い。それが発揮できる環境でないと逆に孤独を感じやすい。
・入院中、上京したての時は人とコミュニケーションがとれず、苦しさのあまり、テレビを付けたり、知らない人 に話しかけたり、人形に話しかけたりした。
・人ごみにいると落ち着く、できれば話し相手が欲しい。
・精神的に病んでいるときは、人との関わりをシャットダウンする→戻れる場所があるから出来る。
・無意識に他人との関わりを持とうとする。
・誰かの為に…が生きる根源にあるから、それが無くなると辛くなる。
・人は他者を通して自分を認識する。関係を前提として人はいる。
●自分の孤独 他人の孤独
・フッサール…「等根源性」他者と自分はもとは同じ存在であるとした。だからこそ他人の孤独も耐えられない。
・レヴィナス…他人はどこまでも自分とは全く異なる存在として位置づけ、だからこそ互いに認め合い、尊重し歩み寄ることが大事であるとした。
※この二つの考え方は表裏一体。見方が違うだけで、結局は同じこと。どちらも他人を認識し、理解しようとする姿勢は変わらない。より普遍的な自他一体。同じ存在でありつつも、それぞれが持つ特殊性を尊重し合うことが大事である。
●無縁社会(単身世帯が増え、人と人との関係が希薄となりつつある日本の社会の一面を言いあらわしたもの)は?
・個人主義 ≠ 孤独
・押しつけはよくないが、心に寄り添うことは大切。一人が楽しいと感じその人にとっては大切な時間なのかも。
・都市部によくある隣人が誰か分からない。この家にはどんな子どもがいるなど、人との関係が希薄となりつつあることが恐い。
・逆に田舎だとうわさ話まで広がる濃すぎる関係性。困ることもある。
・孤独死(死後4日以上)が無縁社会の結果。孤独死が問題になる社会自体が他人を放っておけない現れ。
・地域社会との密接な関係性がよく出ている「サザエさん」の世界観が理想。
<まとめ>
人間は孤独に耐えられないか?この問いに対しては「耐えられない」と結論づけた。また、討論を通して、人間は他者との関係性の中で生きていく生き物であるとし、「普遍的な自他一体の中で各々の特殊性を尊重していくことが大切」であるという一つの結論も導き出せた。自己の孤独に耐えられないように、人は他者の孤独もまた耐えられない生き物である。
 
テーマ15「人間はどうやって死を受け入れるか?」
●死とは何か?
<死の認識>
・自分の死
・あなたの死 (より身近な人の死)
・第三者の死
自分の死は誰にも認識できない。他人の死を認識して初めて認識できるものである。
 
●死のイメージは?死後の世界はある?
・無になる。消える。
・審判の日、終わりないもの。
・悲しい。
・始まりの日。
・生きてる時には出来ないことができるようになる。空が飛べるなど。明るい楽しい世界。(子供のころ)
・吉田松陰、アナンダ、ルーシェルなど歴史上の人物に会えるのが楽しみ。
・死のイメージが暗いものと、明るいものがある。
・観念論的には死後の世界を想定。唯物論的にはあるものがただ無くなる。
●身近な人の死の経験はある?
・高校の同級生が癌で無くなったと聞いた。自分自身はまだ想像できない。
・幼い頃のおじいちゃんの死。幼すぎて実感はなかった。
・車で死にかけたとき、人間は簡単に死ぬんだと実感した。
・生きている時にこうしておけばよかったと感じることは、生きて残る人たちの心の整理の問題。無くなった人は何も感じていないのではないか。
・死を受け入れるのは生きている人の課題。
●余命宣告を受けたら…
・体の状態によって変わるのかも。
・明日死んだらと想像すると日々感謝しようと思う。
・吉田松陰やソクラテスのように常に死を意識して生きる生き方。
・ハイデガー「有限な時間を意識することではじめて、人間は本来的な生き方ができる」
死を意識する→生きることにつながる。
・旅行に行くときは家の掃除をして出ていく。旅行先で死んでしまうと、誰かが家の片づけをする事になった時 のためのもの。死を意識して生きる事で、いろんな選択をするとき後悔しないようにと考えられる。
・心と体。見えなくてあるもの「心」はあるのではないか。体は無くなるが、心は消えないと思う。
・体は自然に戻り、魂は一つの固まりにかえる。
●どうせ死ぬのに生きるわけ
・死ぬのが怖いから。虚無主義(この世界に本質的な価値などがないと主張する考え)になりやすい。
・極端に悪い考えにはならないが、生まれてしまったから生きる。
・どうせ生きるなら、世間体を考えてより良い状態で生きたい。
・使命をもって生まれてきたと思っているから。その使命は明かされないものだから、今を精一杯生きる。
・何のために生まれてきたのかと考え続けるのではなく、生まれてしまったのだから、その命をどう生きていく かに集中して生きていく。生きている意味を問わなくなったことで楽になった。
・自分の生きている意味に納得していればいいのではないか。
・生きる理由は自分が見つけていくこと。
・死ぬために生まれてきた。カッコよく、笑顔で死ぬために一生懸命生きる。
・あらがえない生と死だから、妄想でもいいから楽しい設定で生きていきたい。
・人から恨まれない、人を恨まない生き方をしたい。
・死を考えず、生を一生懸命生きる。
<まとめ>
 人間は自分自身の死を認識することはできない。認識することができないからこそ、死後の世界を想定したり、他人の死を経験することで死を理解しようとしてきた。結局のところ、死を思考することは生を思考することにつながる。死を意識するからこそ、今の生に集中することができるのだ。人間は死に向かって生きている。これもまた真実である。生まれてきた意味を問うのではなく、どう生きるかに集中していく。そして、生まれてきた意味も生きる意味も、自分自身で見出していけば良いのかもしれない。
 
テーマ16「神は存在するか?」
●神とは?
・自分自身の心の中にいる。良心。
・人間でははかることのできない宇宙の力。
・絶対者。大いなる存在。揺るぎない無限の存在。
・幻想。人間が作り出したもの。
・認識できないもの。
・始まり。創造主。
・文化、歴史、環境によって神の捉え方が違う。
・付喪神。物に神が宿る。汎神論(神と宇宙、または神と自然とは同一であるとみなす哲学的・宗教的立場)
・西洋…虐げられた状態からの救済を求めて神が出来た。万能の神。無からの創造。
・東洋…自然の闘いの中で、すべてに神が宿り、その神を怒らせないようにしないと、自然の猛威が襲いか 
 かるという発想。
・神の存在論的証明 = 宇宙論的証明
 神がいるのかという問いは、無限はあるのかという話になる。例え無限であっても存在とつく限りは、存在す るはずだと考える。
●神は必要か?
・宗教の神は、人間が必要として作られた神。
・元々の神というものを、人間が都合のいいように神様像を作り上げた。
・はっきり証明出来ないから、いまだに考え続けている。
・説明できないものを説明したい、理不尽なことを神様の怒りだと置き換えることで納得しようとしてきた。
・安心感。
・正しいことを求めたい人間は、神という存在が必要なのではなく、自分達を認識したい為に神を考える。
 神とは……
・人よりも地位が高いもの
・死や災害など認識不可能なものを神とよびがち
・説明できないもの
・全てを神の仕業と考えるのは怖い。妄信は危険。
・死後の世界の管理者は神様!?
※宗教は信じること、哲学は疑うこと
<まとめ>
 西洋的な神(一神論)と東洋的な神(汎神論)が違うように、文化、歴史、環境によって神の捉え方は様々である。人の数だけ神が存在するというのもまたある意味正しいだろう。また、宇宙の始まりや宇宙の謎、大いなる力の存在を神と呼ぶ人もいるだろう。人間は説明できないものを説明したい生き物であるし、不完全であるからこそ完全なる存在というものを求める。人間が神を求めるのは、必然なのかもしれない。人間が必要としているから神が存在するのか、それともそもそも人間には認識できない存在であるのが神なのか。どちらにしても、哲学の立場としては、神を信じるかどうかは別として、どこまでも神の存在というものを問い続けていく立場なのだと思う。
 
テーマ17「人間とは何か?」
●人間とはなにか?
・かけがえのない愚かなもの
・人間とはなにかは人間が決める。いかようにも変われるもの。(ヴィクトール・フランクル)
・選択する生き物。選択によって変わる
・相対するモノを内在した矛盾した生き物。(単純で複雑、弱い強い、善と悪、弱くて強いなど)
・愚かであり賢い
・祈れる存在
・話す、想像する、思考する
・無駄なものを作る
・欲望(自己実現、精神的欲求) 理想を持つ
・説明、理解、定義したがる生き物
・煩悩
・文化を作る
 
●人間とは心と身体を持つ存在である
・デカルト…心と身体は別の種類のものであるとした。(二元論)
・メルロ・ポンティ… 身体(肉)が世界と私をつな媒体であるとした。人間とは心だけでなく、同じくらい身体も大 事であるとした。
・心と身体は繋がっている。緊張→心拍数があがる。
・植物や動物も感情を受け取って美味しく、元気に育ったりする。
・病は気から
・心と身体があって人間であるといえるのではないか。
 心はどこにあるのか?心臓?脳?死んだらなくなるのか?
 はっきりとはわからないが、心は見えないからといって、ないわけではない。
 
●人間の定義
・ホモ・サピエンス = 賢い人 パスカル「人間は考える葦である」※1
・ホモ・レリギオス = 信じる人 人間だけが宗教を信じる
・ホモ・ルーデンス = 遊ぶ人 創意工夫をする
・ホモ・ファーベル = 工作する人 ものづくり
・ホモ・シンボリクス = 記号を操る人
・パスカル 「人間とは考える葦である」
※ 葦…自然界のなかでたいへん弱く簡単に風にしなるが、柔軟性があり、運命にも暴威にも屈しない
 
●人間だからできること
・感情と理性を持つ存在。考えることができるので人間にしか出来ない事がある。
・自分達以外の種族のことも考えられる。
・他を愛することができるのが人間。自己犠牲の愛。
・共感力がある。他を思いやれる。他を想像することができる。
・ヒューム 「利己的であり利他的であるのが人間である」
 
★人間とは、哲学をする生き物である。
 
<まとめ>
 今回の討論を通して、「人間とは何か」について私たちなりに定義づけてみた。
 
 『人間とは哲学をする(人間とは何かを考える)生き物である』
 
 人間だけが、人間とは何か、自分とは何かを哲学する生き物である。つまり、人間とは哲学をすることで自分自身の存在やこの世界を理解しようとしてきたし、これからも考え続ける生き物だといえるのではないか。本書の筆者が毎回テーマの終わりに述べている言葉にあるように、「哲学に終わりはない」のである。人間が人間でいる限り、哲学し続けていく生き物なのだろう。
 
 4月から6月までの3か月の間、本書の内容から13のテーマをピックアップし、哲学討論をしてきた。本書のタイトルにあるように、哲学の討論の時間はまさに「哲学カフェ」であったように思う。いじめなどの身近なテーマから、戦争や正義、最終的には死や神、人間の存在とは何かといった哲学の本質的な問いに至るまで、まずは自分自身で考え、討論という場で共有してきた。この討論の時間そのものが意義ある時間であったように思う。テーマごとに明確な答えは出なかったかもしれないが、(そもそも答えなどないのかもしれないが)まずは考える機会を得たということそれ自体に意味があったと思う。
 私という存在と、あなたという存在、そして社会について、私たちはこれからも考え続けていかなければいけない。本書の言葉をまた借りると、哲学に終わりはないのだから…。
 

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