Monthly photogenic
写真に対する想い・工夫・情熱を言葉にした“Photogenic“の中から
月間の“Monthly photogenic”を選出しています。
私たちがお客様と一緒に作り上げていく写真についての話は続いていきます・・・

 
2018年1月のフォトジェニックコメント:0hit:28
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「違い」よりも「深く」

Tokorozawa Photo
Photographer: Satsuki Kudo
Coordinator: volvo

 
 
写真で私は何を成すことができるのでしょうか。
ライフスタジオに入社して6年が経ち7年目を迎える今も、私はこのことをずっと考えています。
今まで何かしらの価値を写真で成してきたと思っていても、
それは全くの勘違いで、本当は何も成していないのかもしれません。
まだ何もわかっていなかったのかもしれません。
ただ、毎日写真を撮る日々の中の、1件1件の撮影の、1枚1枚の写真の、
一秒一秒の瞬間に、私は意味を付けて生きてきたのか…。
そう振り返ると、いたずらに時を過ごしてきたことのほうが多かったのかもしれません。



 
私は所沢店のメンバーとともに「写真人文学」という学習を継続的に行っています。
その中に、“芸術の価値とは何か”という問いがあります。
そこには、歴史的な芸術の発展の過程で、“普遍的な美の基準の確立”と“古い因習の踏破”が同時に成されることが、芸術の価値につながるという意味のことが述べてあります。
つまり芸術は、“いつの世も誰の目から見ても美しいと思えること”と“新しく広い世界への美しさの模索”という2つの面があるということです。
芸術の価値にはいつもこの2つの相反する面が作用していきます。
今まで在る基準は非常に重要ですが、この先に進むには広く新しい視点も非常に重要です。
これら2つを切り離すことはできません。
 
この観点をライフスタジオの写真へと向けてみましょう。
ライフスタジオの写真は、“芸術”なのか“商業写真という道具”なのかという問いにおいては、“限りなく芸術作品を目指した商業写真である”と言えます。
使用目的のある“道具”という面は商業的な活動をしている以上切り離せませんが、被写体である“家族”や“人”の真実や真理を表現しようとしている以上は撮影者の意図は限りなく芸術的です。
そういった規定がされたときに、「いつ誰が見ても美しいもの」と「新しく広い視点」はライフスタジオの過去と今を繋ぎ未来への扉を開くカギとなります。
それを提示する場所がフォトジェニックの場だと私は思います。
そして、実際マンスリーフォトジェニックで選ばれる写真も、堅実で論理的な美の基準を持つものもあれば、真新しい何かを追い求めているものもあります。
 
そして今もここフォトジェニックの場では、各店舗の撮影者が思い思いのライフスタジオの写真を提示する場となっています。
 
真新しいものはライフスタジオの写真の未来において非常に重要ですし、それがなくては発展がありません。
実際に、人の目というものは“見慣れたもの”よりは“真新しいもの”や“物珍しいもの”に行きやすいのだと思います。
誰しも、どんなに美しいものだとしてもいつもそばにあり見慣れてしまえばその美しさに気付きづらくなるように、ライフスタジオの写真も美しく真理を得ているものでも見慣れればその良さを発見することは無くなります。
その中で、“真新しく”“物珍しい”物は魅力的に映るかもしれません。もしかしたらその発想力に憧れの念すら抱くかもしれません。
そういった風潮が広がると、人は誰かと違うことや個性的であることに価値を見出すことになるのかもしれません。
 
自分という存在の表現や、自分の視点を信じて表現をするということは、決められたように見える世界からの脱出かしれませんし、自分という存在を自律させる第一歩になります。
だから、自分の言葉で表現し、自分の視点で写真を撮ることはライフスタジオで許されている撮影者の自由であるといえると思います。
 
でもときどき、私は私自身に問いかけることがあります。
「私はただ違いばかりを求めているのではないか」と。
誰かと違うことに固執しすぎて、本当に写真で表したいものに誠実になっているのかと。
 
そして空しい気持ちになることもあります。
外面だけ繕った写真で、果たしてこの中身に在るものはなんなのか。
その写真で写したかったものはその被写体自身なのかと。
 
そこでライフスタジオの写真の価値とは何かを考えてみることにします。
常々、フォトジェニックで言っているようにライフスタジオの写真とはどのような方法であれ、「被写体の存在の美しさを表現する」という目的に向かっていくべきものであると考えます。
なぜならば、ライフスタジオのすべての基準が「人」であるからです。
つまり、写真の基準も「人」であり、目的も「人」です。
だから、その写真はどんな表現方法であれ「人」を表すものであるといえなければならないと思うのです。
 
つまり、先ほど言った「差異」とは方法であり、「意味」とは内容であり目的になります。
ライフスタジオの写真は、この「差異」と「意味」が両立されているものであると言えるのです。
「差異」だけあっても「意味」がないと価値とは言えないのです。
反対に「意味」を考えられた写真には、そのように形作られていきます。
 
今回、フォトジェニックに上げさせていただいた写真は、一見平凡に見えるミドルアップの写真かもしれません。
ここで私が表したかったものは、紛れもなくこの被写体自身であり、被写体の持つ美しさと被写体の存在の真実でした。
この被写体自身は、小学2年生の男の子で爽やかな笑顔と力強い視線と自分の存在への信頼感が印象的な子でした。
撮影風景を両親に見られると恥ずかしがっていましたが、大人への受け答えもしっかりしており、言われたことは忠実にこなし、私たちとの会話も変な違和感もなく、人前でもごく自然な立ち振る舞いができる子でした。
 
そんな彼を表現するには、誰かがこの写真を見た時に彼の自然な存在感で魅了できるような写真を撮ることでした。
そのために、私はスマートフォンとイヤフォンを渡し音楽を聴かせました。音楽を聴かせることで撮影の世界観に集中させる狙いもあったのですが、スマートフォンとイヤフォンを用いることで現代の子どもらしさと何かをしてもらうことで自然な動きを引き出せるようにするためでした。
音楽を聴きながら、いくつか指示を出しこちらに目線をもらう瞬間に、印象的な瞳を力強く写そうとしましたが、敢えてミドルアップの画角に動きを出すようにウインクをしてもらうようにしました。
これは一緒に入ったvolvoさんの発案でしたが、これが1枚の写真で彼の魅力を端的に表現するための最後のパズルの1ピースになりました。
このウインクに合わせて、斜めに動きを出すように金属の前ぼかしを入れます。
この前ぼかしによってこの絵の何か抜け落ちたような空間の欠落を補い、この被写体の魅力を表すスパイスにしました。
レンズは85mm。
後ろの背景を溶かし、前ぼかしの質感を損なわずに、目に集中させるレンズ。
これは、彼という存在を表すため目にフォーカスすると決めて予め装着していたレンズです。
光は半逆光。
サイド光でも逆光でもなく半逆光を選んだのには、被写体の輪郭を際立たせ、露出を少し落とすことにより瞳に目が行くようにしたかったから。
こうして、構図・ポーズ・表情・レンズ・光に「被写体を表現するという」意味を持たせること。
 
この「意味」があって初めて写真に深みが出ます。
この深みを知った時に、写真は「差異」よりも動かされる何かを得ることができるのではないかと思います。
そして目指すべき写真は、「意味」のある写真であり、その方法は「意味」があって初めて決まるものなのです。
哲学エッセイに「内容」と「形式」という言葉があります。
「内容」は「形式」に先行するということですが、要するに事物は「内容」にあった「形式」になるということなのです。
だから「形式」ばかりを追い求めても「内容」が空洞になってしまうし、「内容」があるなら「形式」になるということです。
ライフスタジオの追い求めている写真も、「内容」である「意味」と「形式」である「表現」その両方があって初めて価値のある写真と言えると考えています。
 
もちろん、「意味」を追求していけば「表現」も発展していきます。
しかし、「意味」の追求を止めてしまったら、「表現」は既存の伝統的な表現に留まってしまいます。
 
その両立を常に追い求めていくこと。
そういった価値のある写真を、私は追い求めていきたいのです。
そして肝に銘じておかなければいけないと常々感じるのです…。


 
2017年12月のフォトジェニックコメント:0hit:194
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tokorozawa photo
photo by volvo

Title :  色〜モノクロを使う理由〜

この一枚に至るまでの撮影の時間で現れたあなたの姿は
きっとあなたが撮影前に想像していたような
理想的な自分の姿ではなかったのではないかなと感じました

そんなあなたの「色」を写真で表現するには
物理的な「色」が無い方がいいのかもしれないと思って
原本データの中に一枚だけ、そっとこの写真を入れることにしました

 

撮られるのは好きだけど恥ずかしさを紛らわそうとしてついふざけてしまうというのは子供達のよくある行動のひとつです。
その行動自体を「彼女そのもの」として規定し撮影する事はいたって普通の流れですし、笑っている姿が見えればそれでよしとする事も普通です。
そうした彼女も本当の彼女であり、決して間違いではなく、普通だと思います。


でも、なんだかもう一歩踏み込みたい気持ちが私の中にありました。
そう思うのには理由があって、撮影中10回に1回ほど私たちの声掛けに対して急にラジオのチューニングがあったかのように
しっかりと受け止めて動いてくれる彼女がいたからです。

9回は違う方向を向いたり動いてごまかそうとする姿を見ながらその一回を逃さないようにして
どっちが本当の彼女なのかを見定める力が必要でしたが、ドレスのシーンになり
その答えを彼女の方から教えてくれる事になります。

 

撮影の合間、私が分類を終えて部屋に行くとドレスを着た彼女は自分の中の撮られたいという気持ちを
隠さず、照れを消し、堂々とした姿で私からの指示を待っているようでした。
それはひとつ前のシーンで見せた照れ隠しの表情はまるで存在していませんでした。

これは私の中に引っかかっていた彼女の本質を隠す何かを拭いされるかもしれないと思い
声掛けを続けましたが、どうにもせっかく彼女が自分の殻を破って出てきたのにその「彼女の色」を
写真で表現してあげる事ができないでいるような気がしながらシャッターを押し続けることに違和感を拭えないでいました。

恐らくは、照れを脱却した彼女からは撮ってほしいという本心に近い気持ちが現れたけれど
今度は「撮られる」という意識が彼女の身体中に駆け巡り、指先から目力までを作り上げてしまっているのが
原因ではないかとその時に直感的に感じました。

ファインダーをのぞきながら違和感としてふと私の前に主張してきたのは「物理的な色」と「わざとらしさ」でした。
物理的な色をもってわかりやすく彼女を表現する事は、どうしても彼女の内面に届かない何かが
つきまとう状態を作り上げ、そこから抜け出せませないまま時間を経過させました。
例えばモノクロで撮られた坂本龍馬を現代の技術でカラーにしてみたら奇抜な色の着物を着ていた
事がわかったように、「物理的な色」は写真により多くの意味付与をします。
うまく使えばその写真から伝えたい事を分かりやすく伝える事ができますが、
反対にうまく使わなければその要素を強く増幅させ、本当に伝えたい事が曖昧になったりもします。

私の中でモノクロを選択する一番の理由は「伝えたいものを色が邪魔しないように」する為です。
だからモノクロを選択はしましたが、彼女に似合うのは濃淡の少ない薄いモノクロです。
今は「撮られる喜び」が目に表れている。喜びを表すに濃淡の強い要素は違うと思い、
彼女にはライドボックスをできるだけ近くに背負ってもらいました。
 

輪郭を飛ばすほどの強さで光を当てる事は、女性を下から撮影するならば当たり前の方法であり、
写真右よりも左から光が回ってくるように位置付いてもらい、顔よりも頭が少し
暗い程度の明暗差になるようにする事は全体的な面積を減らす為です。

「わざとらしさ」を無くす為にはシャッターを押すタイミングを変える必要がありました。
前のシーンでは照れもあったためシャッターは声掛けと同時でした。
ドレスのシーンでは「撮られたい気持ち」が「わざとらしさ」を生む為、彼女を何らかのオーラが包み込みます。
そのオーラが消えるのは、声掛けをしてシャッター音がした2秒後。

その時にもう一度シャッターを切りました。

ドレスを着たプリンセスとしての彼女ではなく
撮られる事に対する内面的な喜びだけが撮れればいい。
「意思」が現れるのは「目」です。
だから目だけにフォーカスが当たれば良いと思ってクローズアップを選択し
それもできる限り余分を排除したセオリー通りのフレーミングで・・・。


写真分析を書く時に「感覚(感情的)な部分と技術的な部分のどちらかに偏ってしまう」という声をよく聞きます。
私も100枚以上の写真分析を書きながら未だにはっきりとした答えは持てていませんが、これだけはと思っているのは
「どちらが欠けても写真分析にはならない」という事です。

例えばモノクロ設定の事や光の事だけを詳しく述べたとしても「なぜそうしたのか?」に対する根拠が
技術だけでは説明する事ができませんし、反対に撮影過程や彼女の性格についてどんなに深く知ったとしても
「それをどう表現する?」という説明がなければ説得力がありません。

感情と技術は、写真を撮る為の目的と手段であり、写真に写す根拠と表現力です。
 

良い写真とは何か?

という問いに対して考察しながらもう何年も経ちます。
なかなか結論が出せずに苦しんでいますし、もしかしたら結論なんてないのかもしれません。
でも、この写真がモニターで出た時に喜んでくれたという事実は私たち撮影者とお客様の間に
ひとつの「答え合わせ」ができた事だと思っています。

こちらの主張がお客様にとって望むものとなるならば
それはひとつの「真理」と言えると思いますし
それが現れる事が「良い写真」なのかななんて思ったりもしている今日この頃です。

 

「彼女の色」を表現するには
「物理的な色」を無くして
「私の色」を入れる・・・

写真とは、私とあなたの人生の交差点を記録した「過去の一瞬を見せ続ける」時間旅行のようなものだと思っています

2017年11月のフォトジェニックコメント:0hit:233
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Shinyokohama Photo
Photo by Ouchi


Title :『とくに意識せずに…』


人に写真に自分自身に深く入っていきたい
 
 
私達が本当に映し出したいものは何か?
最近改めて考えるきっかけがありました。
それは、Yukiちゃんのコーディネーター教育を務めさせて頂いてる中でのことでした。
 
ライフスタジオのコーディネーターに必要なことは大きく分けて二つあります。
技術とマインド。この二つです。
なぜ、この二つが必要なのかというと家族みんなの心の扉を開いてあげるためです。

お客様がスタジオに入り靴を脱いでスリッパに履き替えた瞬間から
まず最初に解決されなければいけない部分が心の扉を開放するという事です。
そして、撮影が始まってから家族みんなが自ら自由に動けるようにしてあげることです。

キレイな四角をつくることは誰でもできることですが
ライフスタジオのスタッフがするべきことは
人の心と体を自然に動けるようにしてあげることです。
 
もし写真館でこなすように撮影を進めているのなら良い写真など決して残すことはできないと考えます。
 
専門のモデルを撮影すると彼女たちのポーズはすべて自分たちで積極的に自然に出てくるものですが
一般のご家庭の皆さんをモデルのように撮影するには基本的に心と体の扉を開いてあげて
積極的に撮影に参加できるようにしてあげることが必要です。

だから、ライフスタジオのスタッフは人生の勉強を優先することになったのです。
カメラ技術にあたる露出、照明、インテリアなど・・・よりも
もっと重要な勉強が心理学、リーダーシップ、人間関係、哲学、文学、時事などが
撮影や人間関係作りに必要だと考えます。

よってライフスタジオでは、学習を通じて人間的成長をしていくことが日常化できるように努力をしています。 

また、ライフスタジオは関係設定に対して執拗さを持っています。
スタッフ同士がお互いに心を開いて接することができなければ
お客様とどのようにしてフレンドリーに接することができるのでしょうか?
 
だから、いつも私自身大切にしていることがあります。
人に写真に自分自身に深く入っていくことです。
この部分が本当に難しいので今でもまだまだ学びが必要だと感じています。
だからこうして、自分の考えを整理して文章を書き続けているのかもしれません。
 
7歳以下の子供や赤ちゃんの撮影の場合、2人一組の息が合っていることが重要です。
現在日本の写真館でアシスタントの役割は着物の線に問題ないかどうかのチェックや
カメラマンの身の回りのことをこなす程度の場合がほとんどですがそれでは
いい写真が撮れるはずがないと思います。

心と体の扉を開かせるということは、スタッフ間の心が通じていることが必須です。
韓国のベビースタジオではスタッフのデニムが3ヶ月で破けてしまうという話を社長から聞いたことがあります。
1日中子供の心を開くために床をはいつくばっているからです。

緊張で固まってしまっている子供に春の雪解けのように心と体を自由にほぐすことのできる
2人1組のすばらしいコンビが良い写真のための魔法だといえます。

なのでYukiちゃんと撮影に入るときは、特に意識的に私達たちの向き合っている家族一人一人が
どんな人か細かく観察をしてその都度共有してどのように向き合うのかを話しています。
その積み重ねが、人を知ることに繋がりますしお互いのコンビネーションも高まっていくと考えるからです。


今回の写真の核心は先ほど話した観察が細部まで行き届いている所です。

具体的には、被写体の左足の指先の一瞬の仕草から読み取ることが出来ます。
この仕草は彼女が無意識にしていることでした。
しかも、この仕草は撮影前にしていたのを確認していて、あぁぁ~いいなぁと思いながら
また、撮影中にもあの仕草してくれないかなと心の中で思っていました。

だから撮影が始まるよ!!という空気をあえて作らないよう自分の存在感をなるべく消すように
心がけ静かにシャッターを切り始めました。

そして、この一枚の写真が生まれました。
この写真を残せたとき、彼女の心と体を自由に開放させてあげることが
少しは出来たのではないかと確認することが出来ました。
 
なぜならば、無意識から生まれる人の美しさに勝るものはありません。

誰かを意識した美しさはどこか人工的な匂いがします。

被写体が自分自身に向き合い自分の美しさと対面する空間こそ私たちが提供したい空間です。

冒頭に話したように、私たちが本当に映しだしたい『自然な写真』は
今まで話したような過程があってこその結果だと思います。

Yukiちゃん、少し長くなりましたが人に写真に自分自身にこれからも深く入っていきましょう^^

~技術解説~

・小物の設定の意味
写真のイメージが、片付けがあまりされていな自分の部屋のような雰囲気を演出したく
洋服、靴、楽器など無造作にかつ計算的に配置しました。
一枚の資格を見たときに、被写体の重さと一番手前位にあるびわのようなカタチをした楽器を
リンクさせ、写真の左下と右下両方に重さを持ってくることで大胆なトリミングに違和感を感じさせないよう
バランスをもたせることができました。

・コーディネートの意味
透明感のある写真を個人的には好みです。
最近は、被写体の肌の色に馴染みやすいベージュを使ったコーディーネートが一押しで
今回のお子様にはオーバーサイズのタンクトップをさらっと着てもらい
ゆるい感じのルームウェアー的なコンセプトで提案をしました。

・イメージカットの意味
イメージカットの場合、伝えたいたいものが何かをメインに考えます。
ですので、背景をぼかしたり余計な物を写さないようにします。
よって写す前に、整える事が大事になります。
今回の場合背景や小物をぼかすことで被写体の仕草がより引き立って見えるようになりました。 

・トリミングの意味
75CUTにはストーリーが大切だといつも心がけています。
その中でこのようなイメージカットが原本に1枚2枚入ることによって
全体的な質が高まる効果を齎すことができます。
今回の写真は被写体の表情を四角の中に取り込まず
肩の部分で思いっきりトリミングをしました。
なぜならば、被写体の無意識な仕草をより美しく表現したかったからです。

・光の意味
新横浜店の光源は限られた窓から入る自然光によって写真の表現が左右されます。
大体午前中はホリゾントの手前の窓から光が入ります。
また、床が白いので反射板の役割を果たし椅子に座った被写体にも全身光が綺麗に当ります。
しかし、午後は逆にここからの光は入らずに化粧台の前から光が入ります。
ですのでこの写真はあの時間帯だったから撮れる写真です。
ここに椅子を置いた意図、この向きで被写体を座らせた意図、
カメラマンがどこから撮るか位置を考えた意図
全てこの光を美しく表現するために考えました。

技術解説を読んでいただくと分かるように題名とは矛盾した計算的な写真分析になります。
題名では、『とくに意識せずに…』ですが
文章では、『かなり分析して意識的に…』が似合います。

それだからいいのだと思います。

被写体にカメラマンの指示が命令的に伝わったら自然な写真は撮れません。
だから、私達は相手に話しかけるようにシャッターボタンに触れなければいけません。
 
2017年10月のフォトジェニックコメント:0hit:206
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Title : 好きだ。
Photo by Yatsu    Coordi by Kai


ライフスタジオから教わりました。
型にはまらず、ありのままをどのように私たちが受け入れていくかということ。
悩み、考え、行動すること。
間違えても恐れずに進んでいくこと。
時々は振り返ること。
挫けそうでも真っ直ぐ前を向いていくこと。
隣の人の顔をちゃんと覚えること。
その人の心の中を見ようとすること。
疲れているときは一緒に食事をして、酒を呑むこと。
人の可能性を諦めないこと。
固定概念にとらわれないこと。
世界を真っ直ぐに見ること。
世界と自分を繋ぐこと。
この世の中のことは自分事であること。


人と人の間にある、関係という見えない何かが、人を美しくさせているということなのかもしれません。
だから、人は美しいのです。

美しいものを、様々な構成要素を整理整頓することで、表現に変えます。
見えにくいその関係性を、私たちが浮かび上がらせることで、
被写体の関係性を視覚的に確認することができるのです。


私の正面にいるあなた。
私の隣にいるあなた。
私の後ろにいるあなた。
お客様も、スタッフも、インテリアも、寫眞も、すべてのものが関連しているその関係という何かを、
ライフスタジオは全力で表現する努力を続けている場所だと思っています。


それを記録する側と、記録される側が同じものを見ようとしたとき、
カメラマンは、様々な柵から開放されるんだと思います。


寫眞は、よく晴れた日の草加店です。
前ボケを入れなくてもいいほどに、眩しい日差しでした。
両側はカーテンで飛ばし、左にはソファーを置き、子どもたちが登るインテリアの線と線対称になるように空間を作りました。
地面にひし形の線が描かれます。
そうすることで、自然と奥にある空間が作られ、前ボケを入れなくても奥行きを感じられるようにしました。

生い茂る緑と、子どもたちのアースカラーの衣装と、
ひとりは靴を履いて、もうひとりは裸足であることも、
この2人の自由な姿を映し出しています。


自由という状態は、自然でもあり不自然でもあります。
大切なのは、それをどう受け入れるかという私たちの哲学にあります。

私の寫眞は、自由だ。

その答えをくれたのは、ライフスタジオでした。

いままでありがとうございました。
 
 
 
 
2017年9月のフォトジェニックコメント:0hit:256
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“Bon Voyage!”

No.24 Lifestudio Shonan
Photo by Hisho Morohoshi
Coordi by Mayuko Hara

 
Tennis shoes to soar in the sky, one slingshot to fell the dragon.
Surely marbles at the bottom of your pocket are the eyes of dragons.
 
空を駆けるためのテニスシューズ,ドラゴンを倒すためのパチンコひとつ
ポケットの底のビー玉はきっと,退治したドラゴンの目玉なんだろう

〜『The November Sanatorium』より〜

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台風一過の爽やかな秋晴れ。
そのファミリーと出会ったのは、光溢れる穏やかな昼下がりでした。

玄関には、両親の陰に隠れる今日の主役の幼い少女。そして隣でそれを優しく諭す頼もしい兄。
パパさんママさんはそんな二人を優しく見守る様子で、その後も少女が最近よく見ているというアニメの話で一緒に盛り上がったり、お気に入りの英語の歌をみんなで歌ったりして、スタジオが一体となって撮影が進んだのを覚えています。
 
私もそうだったのですが、兄弟において兄の方はその責任の多さもあってか、(家族からも、私達のような第三者からも)ついつい名前ではなく「お兄ちゃん」と呼ばれがちです。
今回の少年もやはり例外ではなく、妹の撮影を時には暖かくそして驚くほど綺麗な瞳で見守り、時にはカメラマンの私やコーディネーターのまゆちゃんと一緒に楽しく撮影を盛り上げてくれたりと、その「お兄ちゃん」ぶりをたくさん発揮してくれました。

撮影も中盤に差し掛かった頃、ふと私達が「お兄ちゃん」の存在にとても助けられている事に気が付きます。周りから自然と頼られている事に、本人が負担に感じている様子はありません。でもだからこそ、「お兄ちゃん」ではない本来の、そして固有の彼自身を知りたいという気持ちが次第に高まり、もっと深く彼と向き合ってみたいと私はこの時決めたのでした。


今回撮影の舞台にスクールバスを選んだのには、作戦がありました。
一つはシンプルに、彼が乗り物好きであるという事。
そしてもう一つは、少年という「時代」 、その生き物の本質にあります。

バスに乗り込むとまもなく、コーディネーターのまゆちゃんがその場から離れ、私と彼の二人きりの空間となりました。
予期せず彼が閉めてくれたドアはバスという密室空間を一切の喧騒から遮断し、僅かに開いた窓からはどこかのお家の金木犀の香りが流れてきます。
私は一旦カメラを置いてさっきまでの兄妹撮影の空気をリセットし、そして同じ男として彼と向き合った、彼自身にフォーカスを当てたお話をしてみます。初めは「少年」と「お店のお兄さん」だった関係が、みるみる少年同士のようになっていくのを感じました。

ほどなくして少年は堰を切ったように沢山の話をしてくれました。
将来の夢や、大好きな映画の話。
彼の愛する恐竜やサメ、宇宙や宝探しの冒険について。
家族みんなで行った旅行と、やっぱり、大切な妹。
そして今年の4月から入学した、小学校という新天地に対する希望や不安の数々。

そうだ、自分にもまったく同じ時期があったーー
恐竜の図鑑に齧り付いて、もう二度と見る事のできない世界に思いを馳せた日々。
天体望遠鏡を持っているとクラスのヒーロー。友達と代わり代わり覗いた。
裏の林をみんなで冒険して、秘密の地図を作った。
学校からの帰り道はいつだってサメの海だったし、箒を持てばメジャーリーガーになれた。
あの時の私達はたしかに、「大人」とは別の世界線を生きていた。

そしてー
私がLifestudioに入ったのも、同じ今年の4月。
道は違いますが、同じ日に同じく新しいスタートを切った者同士、お互い大きな大きな夢を持っています。
彼の前へ前へと進む姿から私もまた勇気をもらいます。

彼がキラキラとした瞳で沢山のお話をしてくれたその時その一瞬、
初めて、彼は「お兄ちゃん」ではなく一人の「少年」として私の前で笑い、
私はそれをつい見惚れそうになるのを堪えて、ようやくシャッターを切りました。

いくつかのキーワードが、その時たしかに、二人の世界線をつなげました。
永遠にも、ほんの一瞬にも感じる午後のひと時。
こうして二人の少年を乗せたバスという密室空間は、たちまち二人だけの秘密基地となっていったのでした。


 
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写真とその考察について

■構図
少年の表情をストレートに表現できるよう、主役は日の丸に配置。
少年の頭上にはイマジネーションの余裕を、目線の先には進むべき未来の空間を空けました。
 
■光
フロントガラスから差し込む光が、少年のイキイキとした表情を際立たせます。
木漏れ日の玉ボケが画面に爽やかな印象と奥行きを生み、被写体との間に挟んだ窓が午後の光を和らげました。
 
■色
紅潮した少年の表情、バスの車体の黄色、街路樹の緑、ミラーや窓ガラスのコーティングの青。
少年の夢中な空間を表現する沢山の色で画面が賑わう中、衣装の色がシンプルである事でバランスが取れています。
 
■moment
湘南店では現在『movement』と題して、如何に被写体の『動き』を収めるかを課題に奮闘しています。
今回は少年の内面にある心の『動き』を収める為、先述の空間作りと、それが肉体に顕在化された時に最も活きるタイミングを探す事に特に神経を注ぎました。

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湘南店の黄色いバスは、子供達の行きたいところへ、どこへでも連れて行ってくれます。
それは時には湘南の子供達の定番スポット「えのしま」であり、夏休みに新幹線で行った「おじいちゃんち」であり、「動物園」も「水族館」も、どんなに楽しい遊園地も、どんなに美味しいケーキ屋さんも、海の向こうの知らない国も、空の上の見た事のない世界だって、子供達のイマジネーションのままにほんの数秒で着いてしまいます。
運転手によって目的地は変わりますが、一つだけみんなに共通している行き先があります。
それは、他でもない彼ら自身の「未来」です。 



運転席の前。舵取りの仕方を教えようとする私に、彼は言います。
「大丈夫、一人で出来るよ!」
私は頷き、彼の横顔を見守ります。
「しゅっぱつ!」
昨夜の忘れ形見の一陣の風が街路樹を鳴らし、新たな門出を祝うように麗らかな陽の光が射し込んできました。
視界良好。燃料は満タン。
彼の冒険はまだ、始まったばかりなのです。
2017年8月のフォトジェニックコメント:0hit:110
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Shinyokohama Photo

Photography by oikawa
Coodi by Kanasugi

Title : 『Answer』

Life StudioのHPの中で、 Life Studioは写真館の定義を、美しさを表現し思い出を記録する楽しみの空間だと述べています。
対象が被写体だからこそ、被写体がメインになった写真が多くなってしまいがちですが、被写体メインの瞬間だけを収めた瞬間以外にも目を向けるべきなのです。
インテリアがわかる写真と被写体との融合があってこそ、LIFE STUDIOらしい写真であると私は考えます。
 
白と黒が織りなす世界
写真を撮影する際、光はとても重要です、光がなければ、色は生み出されません.
それは、色をなくした世界でも同じです。
光があるからこそ、白と黒の世界であっても、”色の濃さ“や”柄“として表現することができます。
白と黒で織りなす世界は、被写体をメインとするのではなく、ひとつのシルエットとして表現することもできます。
逆に空間を主体として表現することも可能となるのです。
あえて色を消すことで、色の濃さを強調することが出来る世界があり、それは“被写体”と“副主体”の壁を壊すことが出来る、ひとつの手段でもあります。
私が目指しているものは“インテリアのわかる写真”と“被写体”との“融合”です。
“融合”という言葉を“統一感”という言葉で表現することも出来ます。
 
統一感を出すために
統一感を出すために、ただモノクロで撮影したわけではありません。
今回は、被写体を一つのシルエットとして考えてみているからこそ、モノクロの撮影を選びました。
モノクロで設定し撮影をするだけだと、ただの被写体とインテリアのモノクロ写真になってしまいます。
インテリアと被写体を融合させるために、“前ぼかし”の方法を用いることにしました。
前ぼかしは色々な役割持っているからです。
前ぼかしの役割として、被写体との距離や奥行きを出す、いらないものを消し被写体に目線が行くようにする、その他“柄”を作りだし、写真を演出することが出来ます。
今回は、被写体をひとつの“シルエット”として考えていたからこそ、被写体の上に”柄“としてプラスし写真を演出しました。
撮影した場所は、廊下に設置してある棚のゾーンで、廊下の境目のドアの“窓”を前ぼかしとして使用しています。
ドアを前ぼかしとして使用する際、ドアの角度を少しずつ変える度、窓に光が反射して”鏡“のようになり、もう一つの部屋のインテリアが反射して窓に写っていました。
ドアの窓に反射しているインテリアの窓際のライトが、十字のように浮かび上がって、その線が”被写体とインテリアを融合させるための“つなぎ”の役割をしています。お子様をシルエットとして見ているからこそ、十字の”柄“をプラスしました。
それは、被写体とインテリアを融合させるためにあえてのせています。
この背景のインテリアがタテの線とヨコの線で構成されているからこそ、気を付けた部分がありました。
この窓のガラスが反射している線を、変な角度で前ぼかしとして使うと、バランスが失われ写真に統一感がなくなってしまうことです。
縦横のインテリアの線と被写体の立っている位置を気をつけながら、前ぼかしの線をその線が交差する被写体のシルエットとなり強調される部分の前ぼかしとして、この十字を置いています。
 
 
被写体とコーディネート
この被写体の男の子と会った時、とても恥ずかしがり屋なところが見えていました。
ママの後ろに隠れたり、ママの膝の上に座ったり、まだ可愛さが残る男の子。
でもそれはその男の子の一部分であって、色々な表情をどうやって表現しようかなと考えていました。
被写体をどうやって表現しようか、その“ヒント”としてコーディネーターが選んだ“服”がありました。
さきほどの男の子のかわいい部分を見ていたコーディネーターが持ってきた服の中で、ママたちが選んだ服は“かっこいい服”だったことです。
そこで“服”が与える印象をくみ取り、服、被写体の雰囲気にあうインテリアを選び、撮影をしました。
そしてあえてかっこいい世界観を引き立てるために、表情が見えないようサングラスもかけてもらいました。
サングラスをかけ、あえて表情が見えないようにしても被写体から、“恥ずかしさ”が写真から見えるのはその為です。
コーディネーターが被写体を見たときに感じた“雰囲気”を“服”で表現し、その雰囲気を感じ取ってカメラマンが世界観を写真で表現している結果であり、それがつながっている写真が統一感をより一層引き立てています。
 
最後に、モニターが終わりスタッフルームに帰って、データを作っている際、モニタールームから聞こえてきた声。
それはパパの声で、「ジャケット写真みたいでかっこいい!!!」という一言が、被写体、インテリア、すべてが統一され、それが見る側に“世界観”が伝わったことを物語っていた言葉だと感じました。
 
私がずっと目指している写真は、被写体とインテリアが融合した写真であり、それが私の“答え”だと感じています。
そしてこれからも私は“被写体とインテリアの融合”する世界を追い求めていくのだと思います。
 


 
2017年7月のフォトジェニックコメント:0hit:203
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Shinyokohama Photo

Photography by ouchi akane
Coordi by kinoshita Kaori
 
Title : 『悩む力』
 

人に写真に自分自身に深く向き合っていきたい
 

201773日新横浜店のインテリアが新しく生まれ変わりました。

リニューアルしてきた過程はHPやインスタグラムで皆さん周知して頂いているかと思いますが
改めてこの場をお借りしてインテリア工事完成の為にお忙しい時間を割いてくださった
Lee社長
オーナーの皆様、そしてスタッフの皆様、お昼ご飯を差し入れしてくださった喜多さん
工事に携わってくださった企業の方々本当に皆さん一人一人のお力で完成することが出来ました。
新横浜店スタッフ一同心から感謝の気持ちで一杯です。

この感謝の気持ちを会社と皆様に返していけるよう
 

1.美しい写真
2.新しい出会いと持続的な関係
3.楽しく働く姿
で返していきたいと思います。

 

今回は上記でお話しした1.美しい写真を提供することの意味で行っていきたいと思います。

今回の写真のポイントは写真の深さです。

深さとは何を意味しているのでしょか?

わたしはこう考えます。その写真を表現するうえで欠かせない世界観のことです。

世界観は観念的なことなのでそれを技術で表現するために自分自身で「なぜ」を思考し

それを自ら定義し説明していくことが写真分析を行う理由であり、その蓄積が写真哲学に繋がると考えます。
 

私は写真を何枚もの層が重なり合うように構成しようと心がけています。
それはただ単に被写体の前後に前ボケを使い奥行きを出すだけではなく、
目に映りこむ全ての構成要素を四角いレンズにどのように入れ、どのような手順で層を重ね、
何を表現したいのか伝わりやすく整理するという事が結果として写真に深みがでると考えます。

 

整理すると、写真の深さ=写真哲学。

写真の深さを表現するための方法として、

1、写真構成要素を整理し、映り込む順番を予測する

21で把握した構成要素を適切なポージングとトリミングと露出で覆う

312で整理された内容の核心を定義し最後にシャッターを押す
 

今回の写真の場合、1の写真構成要素を整理し、映り込む順番を予測するというのが
何にあたるかという事をこの写真の構成要素を紐解きながら挙げていきます。(一番奥から)

 

➀右奥にある蛍光灯(電気はつけていない)

②左奥にある白いレンガの壁

③左奥レンガの中にある窓枠と窓から入る逆光の光

④写真上に映り込む白樺の木

⑤写真右上から吊るされている白の天蓋カーテン

⑥被写体である少女と少女が座るベットやラグ

⑦写真右側面にあるもう一本の白樺の木

⑧写真左斜めにあるグレーとベージュが混ざった色味になっている前ぼかし

⑨③でいった窓枠の真ん中ぐらいに映り込む白くて四角い前ぼかし(窓ガラスの反射)

⑩被写体の頭に映り込む透明グラデーションのように写し出された前ぼかし(窓ガラスの反射)

⑪写真全体をほのかにぼかす一番手前に置いた窓ガラス

このようにこの写真を表現しようとしたとき、もともとあったインテリアは➀.....⑦であり、
⑥の被写体はインテリアとの調和を考えどこに座ってもらいどんなポーズ仕草が適切なのか予測し被写体に声かけをしました。

 

 次に2で話した適切なポージングとトリミングと露出で覆うということがどの部分にあたるのかを説明します。
この写真は望遠レンズを使い、インテリアと被写体から最大限離れて撮影をしています。
その理由はカメラマンの存在を消し、被写体がこの空間に身をゆだねることが出来るよう考えた配慮です。
そして、結果この表情が出たと思います。少女の物思いにふける自分の素が表れている表情です。
そしてトリミングとしては白樺の木をどこからどのように映り込ませ被写体と馴染ませるかがキーポイントでした。
白樺の木のやぐらは長方形なので
全体を入れようとすると無理矢理感がどうしても出てしまうので、
縦の木を一面と横の木を一面入れて複数の前ぼかしで色味と素材感を馴染ませ、
結果として被写体の次に主張される副主体的な存在になりました。
もちろん一般的な主体と副主体の関係でいうと、被写体
(主体)と右奥に映り込むクリーム色の窓枠(副主体)になりますが、
その次にあたる副副主体がこの白樺の木になります。
このようなに写真のバランスを考えると白樺の木を木として写すのではなく
この写真のように切り取り、横写真ではなく縦写真にすることによりやぐらの構成が残るので
程よい存在感を引き出すことが出来ました。
また、露出はあえて蛍光灯の存在感が残るよう後ろをぼかし過ぎず、主張すぎなよう映り込ませ
ポイントは被写体の鼻筋にかすかに映る光のラインが綺麗に映るように露出のポイントはここに合わせました。

 

最後に3で話されていた核心を定義し最後にシャッターを押すという部分の話をしたいと思います。
今回の写真の核心は、少女の頭のあたりに映り込む半透明なグラデーションです。
これは新横浜の真骨頂である、効果的な空間の仕切りで生まれた産物です。

これというのは、新横浜はもともと1フロワーで構成され壁面ごとにインテリアが配置されていました。
長所としては伸び伸びと撮影することができ、そこで過ごす人たちは開放的な気持ちで撮影することが出来ました。
そして今回大掛かりなインテリア工事の中でもっとも核心的で斬新だったのが
もともと1フロワーだった空間に、廊下とメインルーム
2つと衣装室1つの計4ヶ所の空間を
仕切ることで実現することが出来ました。

 

今回の撮影場所は一番奥の部屋にあるプライベートリゾートというメインルームです。

その入り口には本部長お手製のガラスドアが取り付けられ、
その扉を開けて進むと写真の様な世界観が広がっています。

このように、空間の始まりである扉(ガラス窓)という存在とそれが創られた過程と
なぜそれを創ったのかという理由を知っているからこそ実現できた
スパイス的な前ぼかしが実現できたのではないかと思います。
この前ぼかしがあることにより、彼女の存在に靄がかかっているように見えより
妖艶な雰囲気を引き出すことが出来ました。

 

そして、今回この写真の世界観は『悩む力』です。
 

以下の文章は、Lee社長の20097月に書かれたブログの一文を抜粋したものです。
 

ライフスタジオは、多くの関係をもっている。

顧客とスタジオ、満足度と支払い、信頼と紹介、本社と加盟店、社長とスタッフ、男性と女性、
韓国と日本、カメラマンとアシスタント、利益と時間、売上と客単価などなど・・・・・・

何か一つでも、簡単に解けることはない。あるいは、永遠の緊張をもたらす矛盾だらけの主体なのである。

何をもって、どんな論理で、どんな主題で、形式でそれを解いていくのか?

中教授が言っている悩む力ということが、生きていくことなのであり、悩む力が生きる力だという主張に、

もう一度必死で悩みながら生きていく力を得た。

https://www.lifestudio.jp/?run_id=staf_blog&bs=staff_blog&po_u_seq=4&page_no=14&po_seq=85840

 

 

今回の新横浜のインテリアを通じて多くの人が悩み考えました。

自分の話になってしまいますが私自身、知らないことに対する怖さから何度もくじけそうになりました。

また、求められていることに対応することで精一杯で目的を見失うこともありました。

そんな姿を良く知る身近な皆には沢山の苦労と心配をかけてしまいました。

しかし、それも含めてインテリア工事で悩み考えた皆のエネルギーが、
動けない自分を突き動かしてくれたのは確かです。

そんな経験が全て染みこんだこの空間で何を表現したいのかというのは
この一言に集約させることが出来ると思います・・・

 

それは新横浜店の写真主題である『生命力』です。

 

人間にとって生命力というのは何も前向きで肯定的な事だけではありません。

時として否定的で後ろ向きなこともあります。
それが『悩む』という人間らしい美しい姿であるということを私は伝えたかったのです。

 

新しい空間で始まった撮影は常にこの悩む力がフル回転します。

その度に、分析、修正、実践を繰り返し常に真の美しさを追求していきたいです・・・。

2017年6月のフォトジェニックコメント:1hit:286
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Jiyugaoka Photo

Photo by Ren
Coordi by Toda
 
Title : 『やわらかさとは』

自分の中で「やわらかい」と言うと、
白っぽい、暖かい光、リラックスした空間。
この3つが浮かび上がる。

これは自分が直感的に思った事であって、この言葉についてもっと深く考える為に辞書的な意味も調べる必要があると思った。
しかし、その時フッと気になったことがある。
“逆にやわらかくないって何だろう“と思い始めたのだ。


やわらか・い〔やはらかい〕【柔らかい/軟らかい】

1.ふっくらとして堅くない。また、しなやかである。⇔かたい
2.おだやかである。柔和である。
3.堅苦しくない。融通がきく。⇔かたい

かた・い【堅い/硬い/固い】

1.いかめしかったり、こわばったりしていて、すなおに人の気持ちに入ってこない。
2.緊張から、気持ちにゆとりがなくなる。
などを意味する。


まず、「やわらかい」の条件を満たすにはリラックスした空間づくり。
その場を通して被写体と自分が共感する事が一番大事だと思った。
リラックスした空間づくりの為には、被写体とカメラマンだけではなくコーディネート、ご両親。
その場にいる全員が一つになり共感できる関係性づくりも必要である。
そういった場づくりができていないと、
自分が作りあげた空間でせっかくリラックスし素直になれた被写体、
そして自分が持っているイメージが一致しなくなる。
それは自分が目指した「やわらかい」の意味とは遠ざかってしまう。


この日出会った彼女は、7才の七五三撮影で遊びに来てくれた女の子。
最初は着物と日本髪姿でお淑やかなお姉さんになりきっていたが、
着物を脱いだ途端、リラックスした顔でお喋りを始める。
まさに、「かたい」から「やわらかい」になる瞬間だった。
そしてドレスをまとった彼女の姿は、まさに「やわらかい」雰囲気で溢れていた。
そんな彼女を見て微笑むお母さんの顔も見えた。

リラックスしてくれた彼女とお母さんの笑顔。
その風景を見ていると自分も安心したと言うか、同じく暖かい気持ちになれた気がした。
そしてその時に思った。
この場の雰囲気、自分が感じているこの気持ち、彼女の表情が
全て自分の「やわらかい」と一致していると感じた。

撮影にだいぶなれてきてくれた彼女を窓に向かわせ後向きに立たせた。
そして名前を呼んでみた。



”自分のイメージを十分に再現するには技術も大事だと思うが、一瞬のヒラメキや偶然が入る事も可能だと思う。
リラックスした空間で自然に出てくる被写体の表情、仕草、雰囲気。
それはその人だけのモノであり、成長でもある。”



 
2017年5月のフォトジェニックコメント:0hit:201
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Tokorozawa Photo
Photo: Satsuki Kudo
Coordinate: Yoko Moriya

 
Title : Index
20歳×過去と未来をつなぐ想起
 
先は未知。
しかし前へと道は続く。
その路を自分の足で踏みしめて歩き、背中を見せる。
その背中を見ていると、いつかの私の記憶を呼び起こさせるようで。
その記憶を辿ると、見えてくる今の私の根幹。
あぁ、そうか。私という人間は、あのときこんな風に人生という旅を見ていたのか。
晴れやかで、凛としたあなたの姿は、忘れていた記憶を、心もとない気持ちを、
それでも明るく前に進むあのときの私を、思い起こさせるもの。
 
 
赤いドアを開けて、家族と一緒にこのスタジオの中へ入ってきたあなた。見るからに晴れやかな振袖。
紺地に、古典だけどモダンな柄を着ているあたり、今どきのセンスを感じる。
凛として、堂々と、少しの違和感も感じずにそこにいる。その『自然』な佇まいを見ていると、思い起こされるのは私の20歳の頃。
少なくとも私が20歳の頃は、写真を撮られるということ自体に緊張をしてしまって、今見ると恥ずかしい思いを想起されるものしか写真が残っていないような気がする。
 
見事に中学生から25歳くらいまでの写真が残っていない。いや、そもそも撮っていないのか。写真に撮られることに興味がないのではなく、写真として見る自分の姿が嫌いだった。
もちろん、思春期特有のコンプレックスだったのだと今では思う。写真に写った自分の姿は、うねりが強いくせ毛に腫れぼったい一重の小さい目、そして丸い顔。
どうしようもない物理的な造形にコンプレックスを抱いていた十代の頃は、プリクラだろうと自分の姿を残すのが嫌だった。
20歳になって髪を染めた。明るめの茶髪に、少しメイクも覚えた。
それでも自分に何が合うのかわからないまま、成人式の写真を撮りに行った。自分に何が合うのかわからないので、着物は着付け師さんに選んでもらった。
ピンク地に黄色い花柄。染めたての茶髪には、白い花の飾り。鏡で自分の姿を見た私はその似合わなさに絶望し、写真に残ったときの引きつった表情に、その日二度目の絶望を覚えた。後日、写真が届いたが一度も見ることもなく実家の倉庫に封印している。
そんな苦く切なく恥ずかしい十代から20歳までの記憶が蘇るからか、本当に若いころの写真が少ない。もし今、その写真が残っていたとしても見返す勇気が出るのは40代を過ぎてからになると思う。
そのくらい、思い出したくないほどのコンプレックスの塊だったのだなと30代の自分が自覚する。
 
そのくらい、写真は過去の記憶を思い起こさせるものであると、落ち着いて考えられるようになったのはライフスタジオに来てからかもしれない。
 
「写真をツールとして人と繋がる」この仕事で出会う人たちは、何のために写真を撮るのだろうと考えれば、流れゆく記憶をまるで宝箱に宝石を入れるように留めておきたいからである。
多くは子どもの撮影のため、その欲求を持っているのは、大人の方だ。過ぎゆく時間と日々は、本当にとめどなくて、いつの間にか10年経っていることなんてざらである。その時のとめどなさを知っている大人たちは、我が子の過ぎて流れゆく「今」を写真という形に残しておきたい。それはただ、「今の姿」を残しておきたいというよりも、何年後、何十年後か、「今」がはるかに過ぎ去ったときに、「今」を思い起こさせるインデックスにしたいから。「今」が美しいということを、流れていく「過去」が温かく感じられることを、噛みしめるときが訪れるということを知っているから。
 
ただ時間を記録するのは、ビデオでもいいかもしれない。なんていったって、被写体が生き生きとした姿で動いて喋っているわけだし。
でも写真を撮るということが意外と廃れないのは、写真独特の「味」になるのかもしれない。静止しているから、事実ではないからこそ、人の記憶を呼び起こさせることを働かせ、人の主観によって思い起こさせる感覚や感情の質が違う。
例えば、愛する人が亡くなったときにその人の写真を見ると、自分がその人とどんな時を過ごし、どんな想いがあり、どんな存在として認識していたかを写真は語る。動画だと、その精密な姿によって制限されてしまう人の認識能力を敏感に活動させ、事実ではなくその被写体の存在の真実を記憶に残すことができる。
また、自分の過去の姿を写真で見ることで、その時の経験が連想され心境や価値観が呼び起こされ、自分の根拠を確認することができる。
写真とはただの静止画ではなく、人の認識に大きく作用するものが本質ではないか、と個人的には思う。
 
さて、難しい話はこのくらいにして、今回の撮影の話に戻る。
20歳の頃の私よりは、美しく輝かしく見える彼女。着物を選ぶセンスもよく、家族に愛され、彼女の存在の根拠ははっきりと見える。紛れもなく、今の彼女の姿は煌びやかで美しい。
その「今」の美しさを、例えば彼女が30歳になったときにも伝えられたら、40歳の彼女にも、50歳になっても…なんて考えていた。横顔が美しく、抜き襟からのぞくうなじの細さは、日本人女性ならではの美しさで息をのむほどだった。
 
でも、なんかそれだけじゃない。
なんか見えているものが、感じているものが、うまく表現できない。そんな感覚を覚える。
彼女はそれだけじゃないんだけど、私の中の何かが邪魔をする。
それは、見るからに美しい彼女の見かけに規定されていたからか、着物とはこういう撮り方で、彼女の美しさとは横顔で…なんて固定概念的な理屈に縛られているからか。
原点に戻ろう。私は何を撮りたいのか。それは、その人にしかないものじゃないのか。
誰でもいい写真じゃなくて、その人と私じゃないと撮れない写真。
それには、いったん成人式の堅さを崩す柔らかさを。動きを出すことを。ポイントを決めることを、しよう。
 
成人写真は、慣れないとぎこちなく撮影が進む。ぎこちない撮影は、被写体の動きを堅くさせる。
だから、ある程度美しいものという基準がないと迷いが生じるし、迷いながら動かす箇所が多ければ多いほど違和感のあるポージングになりがちだ。
だから、被写体の特徴を見て、的確に迷いなくポージングの指示をし、ぴたっと決まる完成形を掴まなくてはならない。見る箇所も気にする個所も多い。
だから難しさを感じるという声も理解できる。
 
しかし、こどもでも大人でも、基本は同じだと私は考える。
目的の中で、ポイントを踏んで表現をすること。これが必要だ。
まずは撮影をしている時の目的は「被写体を美しく撮ること」と「その人らしさ・自然な姿を撮ること」だと考える。
そのためには、空間づくりや声掛けが非常に重要だ。成人ではなくbaby撮影だと自然にそれを行っているだろう。Babyに威圧感を与えないように目線を低くし、声もワントーン高めの声で話しかける。
彼女は成人なので、できるだけ撮影者との敷居を低くすることが重要で、話す話も私の等身大のスタンスで、でも最近の大学生事情を聞きながら撮影を進めていく。
言葉を交わせばかわすほど、その場にいた家族ともなじみ、私の声も彼女に届きやすくなってくる。こういったときに、ポイントを踏みやすくなっていく。

ポイントは、「動きのバランスを崩すこと」。きっちり美しい形を撮影している中に、そんなことを気にしないカットを作りはさむこと。
このときは、私は彼女を椅子に座らせて、少し力を抜いてもらった。
やや左側に傾く身体に合わせるように左手で髪を触ってもらう。着物の撮影だけど、力を抜く瞬間。そのバランスを崩した瞬間に、「その人らしい」動きが出る。
この瞬間のポイントは体の傾きと指先。
その意味は、ポーズをせず着飾らない等身大の彼女。それが彼女の自然な瞬間だと思った。その自然な瞬間、光にも意味づけをしておく。溢れんばかりの逆光は彼女が大人になって抱く希望のように。
下に入れた前ぼかしは、その強い光を強調するために。
 
私の苦い記憶のインデックスからか、kidsでも大人でも写真に残すからには「今の自分」を最大限愛せるように「その人ならではの美しさ」を表現するようにしている。
それは、一般的に決まっている美しさよりも、外的にはまらないことを優先している。一見、普通に見えても、被写体によって様々な要素を変化させて撮影することが重要だし、普通を美しく撮るには、人の特殊性を認識することが重要だとも思う。
 
よく、人には「特殊性」と「普遍性」があり、「特殊性」があるから人それぞれの美しさがあるし、
「普遍性」があるからその美しさを共有したり共感できると言う。
私が、彼女をこのように撮ると決めたのは「特殊性」を認識しているからだし、
その「美しさ」を共感できるのは「普遍性」があるから。
そして、彼女を見て自分の20歳の頃を想起するのは、経験的な「普遍性」があり、
自分の苦い記憶が蘇るのは「特殊性」からか…。
 
いずれにせよ、写真の本質というものはそういった想起をさせる。
その想起が美しいものであるように、その画角の中に存在するものに意味を付け、美しく写真を残し、形のあるものの様々な掛け合わせから、
その時にしか現れない言いも言われえぬその当人にしかわからない感情や感性を生むことが、できたらいいなと思って毎日シャッターを切っている。
2017年4月のフォトジェニックコメント:0hit:970
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Shimonoseki Photo
Photo by Kawano yoh

17歳。
あの頃、なにがそんなにおもしろかったのか訳が分からないくらいに、
毎日笑っていたような気がします。
小学生、中学生という段階を経て、思春期にもぶち当たりながら
だんだん自分という人間性が自分でもなんとなく受け入れられて分かってきたくらいの高校時代。
各地からバラバラと集ってきた高校には、やっぱりどこか似たもの同士のような仲間がいたり、
今まで全然関わってこなかったような仲間もできたり、不思議な空間でした。
男子がいない女だらけの環境というのもあったせいか、
体育祭はみんな男かってくらいに激しくて、
文化祭はわいのわいの拍車がかかって、
普段も普段で廊下で笑い転げている人もいれば、
休み時間もみんなよく喋りよく食べる(想像以上に!)という、
何をするにも勢いが有り余っている女子高生ばかりでした。
この7人も、かつてはそんな17歳。
高校3年生当時、わたしの隣のクラスにいたメンバーです。
ほとんどの人と同じクラスになったことはないけど、
毎日グランドを走っている姿だったり、
ユニフォーム姿で体育館にいる姿だったり、
ローファーを履いていたり、デカめのバッシュを履いていたり、
やたらと髪が短かったり、ダンスに打ち込んでいたり、そんなひとりひとりの姿と、
この7人で教室のどこかに集まって話をしているだろう笑い声と7人一緒の制服姿を今でも覚えています。
卒業後はそれぞれ進学をしたり、留学をしたりでバラバラになりましたが、
お互い疎遠になるどころか全くもって逆で、離れても環境が変わっても、
13年経った今でもあの頃の勢いそのまま、変わらない7人の姿がスタジオにありました。
 
事の発端は、3月に行った写真展に訪れてくれた時に、展示していた成人式6人組の写真を見ながら
「いいねー、成人式でもみんなで撮りたかったよね。でもあの時はみんなでスタジオとか考えつかんかったよね。
でもさ。別に今でもいいよね。ね。ちょうど30歳やし!春にみんな揃うし!三十路写真!!!!!」
とそんな話が出て…それから1か月で撮影が実現しました!この行動力!!
「今日はこどもやなくて、わたしたちが主人公やけね!しっかり準備しよっ!」
っと、撮影前に鏡に向かう姿をとても嬉しく思いながらわたしも準備しました。
今日は、自分自身の写真。
自分が出会ってきた友達との写真。
30歳の自分。30歳のそれぞれの姿。
なんかいいなぁと、撮影前からしみじみ。
撮影前に色々と考えながら、それぞれの被写体をバラバラに配置して、
それぞれの雰囲気を出すようなものもイメージしたりもしましたが、
やっぱりいざ撮影になったら変わりました。
7人がこの7人でいるからこその写真。
ならどう撮ろう?
即決。あの頃のように、ただ、喋ってみてから撮り始めようと考えました。
最初は7人の雰囲気が見たかったので「適当に喋ってていいよー」って声をかけたのですが、
「「「「「「「………!!!!!あんさー、この前のあれが、どねーの、こねーの×7」」」」」」」
文字になりませんが、一瞬で会話がドッカーンです。
わたし、この勢いに笑いが出てカメラが震えてしばらく写真撮れませんでした。
アシストしてくれた手塚さんはすかさずiPhoneを取りに行って、
この様子を思わずムービーで収めていました。それくらいの記録的なドッカーンでした。
この瞬間に思いました。
成人式6人の撮影の時と、威力が全く違うぞ。。。。っと…。
20歳6人組は大学で出会ったから友達になって2年ですが、
この三十路7人組はもう10年を優に越してずっと繋がっている仲。
会話の途中にひとりが大切な報告をした時も、さらなるドッカーン。
7人に垣間見えるそれぞれの驚きと、把握しきれずに数秒後に驚くだろう顔と、喜び!!!
突然の瞬間でしたが、ここはブレちゃだめだ!!と気合いを入れて撮りました。
全力で話す。全力で驚く。全力で喜ぶ。
友達ってすごい。ただただ圧倒されました。
おめでとう、ありがとうの連鎖だけではおさまらないこの感じが、大切な人の喜びが、友達という存在が、
きっとそれぞれの心強さになるんだろうなぁと感じました。
大事なことを、改めて考えました。
自分として生きていく中で、信頼し合える仲を築くということ。
人間性を受け入れること。
 
ライフスタジオでは友達同士の撮影は小学生以上でお願いしています。
きっとそれは「友達」とお互いに意識しながら撮影が出来るのがそれくらいの年頃だからだと考えています。
生まれた時から一緒、幼馴染として普段一緒に遊んでいるというのもあるかと思いますが、
スタジオといういつもとは違う空間で撮影となるとその時々の機嫌や、
自分の思うように遊びたい気持ちが強くなったり、
集中力がなくなったりで撮影どころではなくなることが多くあるので、
小学生未満の友達同士の撮影はそれぞれの家族で1枠ずつ連続で予約を取っていただくなど
店舗ごとに取り組みがあるかと思うのですが、
そんな幼馴染の時代や、それぞれ幼稚園などを共に過ごした時間を経て、
小学生になってから、また中学生や高校生、大学生になってから、
そして大人になってからでも、「友達」との関係性を撮影することによって
「家族の中での自分」とはまた違った「自分」を発見できる機会になるように思います。
(友達同士の撮影は念のため予約前に各店舗にお問い合わせください。)
わたしは元々この場所がこども写真館だとは思ってもなければそう言ってもいません。
大切な人と過ごす場所のひとつとしてあればいい。
大切だと思う人と写真を撮るというきっかけを作る中で、自分の人生を振り返り感じながら、
写真を見てまた笑えれば、ちょっとでも救われるような気持ちになったら、と思います。
そしてまた、大切なものをより大切に。
 
 
しかしながら、本当にみんな変わらなすぎてこの写真たちを見るたびいろんな記憶が蘇ります。
でも間違いなく、あの頃よりもみんないい女だと確信してます。
まだまだこれから。
10年後も、20年後も、もっと先も。
変わらない勢いで。
 
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