Monthly photogenic
写真に対する想い・工夫・情熱を言葉にした“Photogenic“の中から
月間の“Monthly photogenic”を選出しています。
私たちがお客様と一緒に作り上げていく写真についての話は続いていきます・・・

 
2017年9月のフォトジェニックコメント:0hit:119
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“Bon Voyage!”

No.24 Lifestudio Shonan
Photo by Hisho Morohoshi
Coordi by Mayuko Hara

 
Tennis shoes to soar in the sky, one slingshot to fell the dragon.
Surely marbles at the bottom of your pocket are the eyes of dragons.
 
空を駆けるためのテニスシューズ,ドラゴンを倒すためのパチンコひとつ
ポケットの底のビー玉はきっと,退治したドラゴンの目玉なんだろう

〜『The November Sanatorium』より〜

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台風一過の爽やかな秋晴れ。
そのファミリーと出会ったのは、光溢れる穏やかな昼下がりでした。

玄関には、両親の陰に隠れる今日の主役の幼い少女。そして隣でそれを優しく諭す頼もしい兄。
パパさんママさんはそんな二人を優しく見守る様子で、その後も少女が最近よく見ているというアニメの話で一緒に盛り上がったり、お気に入りの英語の歌をみんなで歌ったりして、スタジオが一体となって撮影が進んだのを覚えています。
 
私もそうだったのですが、兄弟において兄の方はその責任の多さもあってか、(家族からも、私達のような第三者からも)ついつい名前ではなく「お兄ちゃん」と呼ばれがちです。
今回の少年もやはり例外ではなく、妹の撮影を時には暖かくそして驚くほど綺麗な瞳で見守り、時にはカメラマンの私やコーディネーターのまゆちゃんと一緒に楽しく撮影を盛り上げてくれたりと、その「お兄ちゃん」ぶりをたくさん発揮してくれました。

撮影も中盤に差し掛かった頃、ふと私達が「お兄ちゃん」の存在にとても助けられている事に気が付きます。周りから自然と頼られている事に、本人が負担に感じている様子はありません。でもだからこそ、「お兄ちゃん」ではない本来の、そして固有の彼自身を知りたいという気持ちが次第に高まり、もっと深く彼と向き合ってみたいと私はこの時決めたのでした。


今回撮影の舞台にスクールバスを選んだのには、作戦がありました。
一つはシンプルに、彼が乗り物好きであるという事。
そしてもう一つは、少年という「時代」 、その生き物の本質にあります。

バスに乗り込むとまもなく、コーディネーターのまゆちゃんがその場から離れ、私と彼の二人きりの空間となりました。
予期せず彼が閉めてくれたドアはバスという密室空間を一切の喧騒から遮断し、僅かに開いた窓からはどこかのお家の金木犀の香りが流れてきます。
私は一旦カメラを置いてさっきまでの兄妹撮影の空気をリセットし、そして同じ男として彼と向き合った、彼自身にフォーカスを当てたお話をしてみます。初めは「少年」と「お店のお兄さん」だった関係が、みるみる少年同士のようになっていくのを感じました。

ほどなくして少年は堰を切ったように沢山の話をしてくれました。
将来の夢や、大好きな映画の話。
彼の愛する恐竜やサメ、宇宙や宝探しの冒険について。
家族みんなで行った旅行と、やっぱり、大切な妹。
そして今年の4月から入学した、小学校という新天地に対する希望や不安の数々。

そうだ、自分にもまったく同じ時期があったーー
恐竜の図鑑に齧り付いて、もう二度と見る事のできない世界に思いを馳せた日々。
天体望遠鏡を持っているとクラスのヒーロー。友達と代わり代わり覗いた。
裏の林をみんなで冒険して、秘密の地図を作った。
学校からの帰り道はいつだってサメの海だったし、箒を持てばメジャーリーガーになれた。
あの時の私達はたしかに、「大人」とは別の世界線を生きていた。

そしてー
私がLifestudioに入ったのも、同じ今年の4月。
道は違いますが、同じ日に同じく新しいスタートを切った者同士、お互い大きな大きな夢を持っています。
彼の前へ前へと進む姿から私もまた勇気をもらいます。

彼がキラキラとした瞳で沢山のお話をしてくれたその時その一瞬、
初めて、彼は「お兄ちゃん」ではなく一人の「少年」として私の前で笑い、
私はそれをつい見惚れそうになるのを堪えて、ようやくシャッターを切りました。

いくつかのキーワードが、その時たしかに、二人の世界線をつなげました。
永遠にも、ほんの一瞬にも感じる午後のひと時。
こうして二人の少年を乗せたバスという密室空間は、たちまち二人だけの秘密基地となっていったのでした。


 
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写真とその考察について

■構図
少年の表情をストレートに表現できるよう、主役は日の丸に配置。
少年の頭上にはイマジネーションの余裕を、目線の先には進むべき未来の空間を空けました。
 
■光
フロントガラスから差し込む光が、少年のイキイキとした表情を際立たせます。
木漏れ日の玉ボケが画面に爽やかな印象と奥行きを生み、被写体との間に挟んだ窓が午後の光を和らげました。
 
■色
紅潮した少年の表情、バスの車体の黄色、街路樹の緑、ミラーや窓ガラスのコーティングの青。
少年の夢中な空間を表現する沢山の色で画面が賑わう中、衣装の色がシンプルである事でバランスが取れています。
 
■moment
湘南店では現在『movement』と題して、如何に被写体の『動き』を収めるかを課題に奮闘しています。
今回は少年の内面にある心の『動き』を収める為、先述の空間作りと、それが肉体に顕在化された時に最も活きるタイミングを探す事に特に神経を注ぎました。

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湘南店の黄色いバスは、子供達の行きたいところへ、どこへでも連れて行ってくれます。
それは時には湘南の子供達の定番スポット「えのしま」であり、夏休みに新幹線で行った「おじいちゃんち」であり、「動物園」も「水族館」も、どんなに楽しい遊園地も、どんなに美味しいケーキ屋さんも、海の向こうの知らない国も、空の上の見た事のない世界だって、子供達のイマジネーションのままにほんの数秒で着いてしまいます。
運転手によって目的地は変わりますが、一つだけみんなに共通している行き先があります。
それは、他でもない彼ら自身の「未来」です。 



運転席の前。舵取りの仕方を教えようとする私に、彼は言います。
「大丈夫、一人で出来るよ!」
私は頷き、彼の横顔を見守ります。
「しゅっぱつ!」
昨夜の忘れ形見の一陣の風が街路樹を鳴らし、新たな門出を祝うように麗らかな陽の光が射し込んできました。
視界良好。燃料は満タン。
彼の冒険はまだ、始まったばかりなのです。
2017年8月のフォトジェニックコメント:0hit:65
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Shinyokohama Photo

Photography by oikawa
Coodi by Kanasugi

Title : 『Answer』

Life StudioのHPの中で、 Life Studioは写真館の定義を、美しさを表現し思い出を記録する楽しみの空間だと述べています。
対象が被写体だからこそ、被写体がメインになった写真が多くなってしまいがちですが、被写体メインの瞬間だけを収めた瞬間以外にも目を向けるべきなのです。
インテリアがわかる写真と被写体との融合があってこそ、LIFE STUDIOらしい写真であると私は考えます。
 
白と黒が織りなす世界
写真を撮影する際、光はとても重要です、光がなければ、色は生み出されません.
それは、色をなくした世界でも同じです。
光があるからこそ、白と黒の世界であっても、”色の濃さ“や”柄“として表現することができます。
白と黒で織りなす世界は、被写体をメインとするのではなく、ひとつのシルエットとして表現することもできます。
逆に空間を主体として表現することも可能となるのです。
あえて色を消すことで、色の濃さを強調することが出来る世界があり、それは“被写体”と“副主体”の壁を壊すことが出来る、ひとつの手段でもあります。
私が目指しているものは“インテリアのわかる写真”と“被写体”との“融合”です。
“融合”という言葉を“統一感”という言葉で表現することも出来ます。
 
統一感を出すために
統一感を出すために、ただモノクロで撮影したわけではありません。
今回は、被写体を一つのシルエットとして考えてみているからこそ、モノクロの撮影を選びました。
モノクロで設定し撮影をするだけだと、ただの被写体とインテリアのモノクロ写真になってしまいます。
インテリアと被写体を融合させるために、“前ぼかし”の方法を用いることにしました。
前ぼかしは色々な役割持っているからです。
前ぼかしの役割として、被写体との距離や奥行きを出す、いらないものを消し被写体に目線が行くようにする、その他“柄”を作りだし、写真を演出することが出来ます。
今回は、被写体をひとつの“シルエット”として考えていたからこそ、被写体の上に”柄“としてプラスし写真を演出しました。
撮影した場所は、廊下に設置してある棚のゾーンで、廊下の境目のドアの“窓”を前ぼかしとして使用しています。
ドアを前ぼかしとして使用する際、ドアの角度を少しずつ変える度、窓に光が反射して”鏡“のようになり、もう一つの部屋のインテリアが反射して窓に写っていました。
ドアの窓に反射しているインテリアの窓際のライトが、十字のように浮かび上がって、その線が”被写体とインテリアを融合させるための“つなぎ”の役割をしています。お子様をシルエットとして見ているからこそ、十字の”柄“をプラスしました。
それは、被写体とインテリアを融合させるためにあえてのせています。
この背景のインテリアがタテの線とヨコの線で構成されているからこそ、気を付けた部分がありました。
この窓のガラスが反射している線を、変な角度で前ぼかしとして使うと、バランスが失われ写真に統一感がなくなってしまうことです。
縦横のインテリアの線と被写体の立っている位置を気をつけながら、前ぼかしの線をその線が交差する被写体のシルエットとなり強調される部分の前ぼかしとして、この十字を置いています。
 
 
被写体とコーディネート
この被写体の男の子と会った時、とても恥ずかしがり屋なところが見えていました。
ママの後ろに隠れたり、ママの膝の上に座ったり、まだ可愛さが残る男の子。
でもそれはその男の子の一部分であって、色々な表情をどうやって表現しようかなと考えていました。
被写体をどうやって表現しようか、その“ヒント”としてコーディネーターが選んだ“服”がありました。
さきほどの男の子のかわいい部分を見ていたコーディネーターが持ってきた服の中で、ママたちが選んだ服は“かっこいい服”だったことです。
そこで“服”が与える印象をくみ取り、服、被写体の雰囲気にあうインテリアを選び、撮影をしました。
そしてあえてかっこいい世界観を引き立てるために、表情が見えないようサングラスもかけてもらいました。
サングラスをかけ、あえて表情が見えないようにしても被写体から、“恥ずかしさ”が写真から見えるのはその為です。
コーディネーターが被写体を見たときに感じた“雰囲気”を“服”で表現し、その雰囲気を感じ取ってカメラマンが世界観を写真で表現している結果であり、それがつながっている写真が統一感をより一層引き立てています。
 
最後に、モニターが終わりスタッフルームに帰って、データを作っている際、モニタールームから聞こえてきた声。
それはパパの声で、「ジャケット写真みたいでかっこいい!!!」という一言が、被写体、インテリア、すべてが統一され、それが見る側に“世界観”が伝わったことを物語っていた言葉だと感じました。
 
私がずっと目指している写真は、被写体とインテリアが融合した写真であり、それが私の“答え”だと感じています。
そしてこれからも私は“被写体とインテリアの融合”する世界を追い求めていくのだと思います。
 


 
2017年7月のフォトジェニックコメント:0hit:160
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Shinyokohama Photo

Photography by ouchi akane
Coordi by kinoshita Kaori
 
Title : 『悩む力』
 

人に写真に自分自身に深く向き合っていきたい
 

201773日新横浜店のインテリアが新しく生まれ変わりました。

リニューアルしてきた過程はHPやインスタグラムで皆さん周知して頂いているかと思いますが
改めてこの場をお借りしてインテリア工事完成の為にお忙しい時間を割いてくださった
Lee社長
オーナーの皆様、そしてスタッフの皆様、お昼ご飯を差し入れしてくださった喜多さん
工事に携わってくださった企業の方々本当に皆さん一人一人のお力で完成することが出来ました。
新横浜店スタッフ一同心から感謝の気持ちで一杯です。

この感謝の気持ちを会社と皆様に返していけるよう
 

1.美しい写真
2.新しい出会いと持続的な関係
3.楽しく働く姿
で返していきたいと思います。

 

今回は上記でお話しした1.美しい写真を提供することの意味で行っていきたいと思います。

今回の写真のポイントは写真の深さです。

深さとは何を意味しているのでしょか?

わたしはこう考えます。その写真を表現するうえで欠かせない世界観のことです。

世界観は観念的なことなのでそれを技術で表現するために自分自身で「なぜ」を思考し

それを自ら定義し説明していくことが写真分析を行う理由であり、その蓄積が写真哲学に繋がると考えます。
 

私は写真を何枚もの層が重なり合うように構成しようと心がけています。
それはただ単に被写体の前後に前ボケを使い奥行きを出すだけではなく、
目に映りこむ全ての構成要素を四角いレンズにどのように入れ、どのような手順で層を重ね、
何を表現したいのか伝わりやすく整理するという事が結果として写真に深みがでると考えます。

 

整理すると、写真の深さ=写真哲学。

写真の深さを表現するための方法として、

1、写真構成要素を整理し、映り込む順番を予測する

21で把握した構成要素を適切なポージングとトリミングと露出で覆う

312で整理された内容の核心を定義し最後にシャッターを押す
 

今回の写真の場合、1の写真構成要素を整理し、映り込む順番を予測するというのが
何にあたるかという事をこの写真の構成要素を紐解きながら挙げていきます。(一番奥から)

 

➀右奥にある蛍光灯(電気はつけていない)

②左奥にある白いレンガの壁

③左奥レンガの中にある窓枠と窓から入る逆光の光

④写真上に映り込む白樺の木

⑤写真右上から吊るされている白の天蓋カーテン

⑥被写体である少女と少女が座るベットやラグ

⑦写真右側面にあるもう一本の白樺の木

⑧写真左斜めにあるグレーとベージュが混ざった色味になっている前ぼかし

⑨③でいった窓枠の真ん中ぐらいに映り込む白くて四角い前ぼかし(窓ガラスの反射)

⑩被写体の頭に映り込む透明グラデーションのように写し出された前ぼかし(窓ガラスの反射)

⑪写真全体をほのかにぼかす一番手前に置いた窓ガラス

このようにこの写真を表現しようとしたとき、もともとあったインテリアは➀.....⑦であり、
⑥の被写体はインテリアとの調和を考えどこに座ってもらいどんなポーズ仕草が適切なのか予測し被写体に声かけをしました。

 

 次に2で話した適切なポージングとトリミングと露出で覆うということがどの部分にあたるのかを説明します。
この写真は望遠レンズを使い、インテリアと被写体から最大限離れて撮影をしています。
その理由はカメラマンの存在を消し、被写体がこの空間に身をゆだねることが出来るよう考えた配慮です。
そして、結果この表情が出たと思います。少女の物思いにふける自分の素が表れている表情です。
そしてトリミングとしては白樺の木をどこからどのように映り込ませ被写体と馴染ませるかがキーポイントでした。
白樺の木のやぐらは長方形なので
全体を入れようとすると無理矢理感がどうしても出てしまうので、
縦の木を一面と横の木を一面入れて複数の前ぼかしで色味と素材感を馴染ませ、
結果として被写体の次に主張される副主体的な存在になりました。
もちろん一般的な主体と副主体の関係でいうと、被写体
(主体)と右奥に映り込むクリーム色の窓枠(副主体)になりますが、
その次にあたる副副主体がこの白樺の木になります。
このようなに写真のバランスを考えると白樺の木を木として写すのではなく
この写真のように切り取り、横写真ではなく縦写真にすることによりやぐらの構成が残るので
程よい存在感を引き出すことが出来ました。
また、露出はあえて蛍光灯の存在感が残るよう後ろをぼかし過ぎず、主張すぎなよう映り込ませ
ポイントは被写体の鼻筋にかすかに映る光のラインが綺麗に映るように露出のポイントはここに合わせました。

 

最後に3で話されていた核心を定義し最後にシャッターを押すという部分の話をしたいと思います。
今回の写真の核心は、少女の頭のあたりに映り込む半透明なグラデーションです。
これは新横浜の真骨頂である、効果的な空間の仕切りで生まれた産物です。

これというのは、新横浜はもともと1フロワーで構成され壁面ごとにインテリアが配置されていました。
長所としては伸び伸びと撮影することができ、そこで過ごす人たちは開放的な気持ちで撮影することが出来ました。
そして今回大掛かりなインテリア工事の中でもっとも核心的で斬新だったのが
もともと1フロワーだった空間に、廊下とメインルーム
2つと衣装室1つの計4ヶ所の空間を
仕切ることで実現することが出来ました。

 

今回の撮影場所は一番奥の部屋にあるプライベートリゾートというメインルームです。

その入り口には本部長お手製のガラスドアが取り付けられ、
その扉を開けて進むと写真の様な世界観が広がっています。

このように、空間の始まりである扉(ガラス窓)という存在とそれが創られた過程と
なぜそれを創ったのかという理由を知っているからこそ実現できた
スパイス的な前ぼかしが実現できたのではないかと思います。
この前ぼかしがあることにより、彼女の存在に靄がかかっているように見えより
妖艶な雰囲気を引き出すことが出来ました。

 

そして、今回この写真の世界観は『悩む力』です。
 

以下の文章は、Lee社長の20097月に書かれたブログの一文を抜粋したものです。
 

ライフスタジオは、多くの関係をもっている。

顧客とスタジオ、満足度と支払い、信頼と紹介、本社と加盟店、社長とスタッフ、男性と女性、
韓国と日本、カメラマンとアシスタント、利益と時間、売上と客単価などなど・・・・・・

何か一つでも、簡単に解けることはない。あるいは、永遠の緊張をもたらす矛盾だらけの主体なのである。

何をもって、どんな論理で、どんな主題で、形式でそれを解いていくのか?

中教授が言っている悩む力ということが、生きていくことなのであり、悩む力が生きる力だという主張に、

もう一度必死で悩みながら生きていく力を得た。

https://www.lifestudio.jp/?run_id=staf_blog&bs=staff_blog&po_u_seq=4&page_no=14&po_seq=85840

 

 

今回の新横浜のインテリアを通じて多くの人が悩み考えました。

自分の話になってしまいますが私自身、知らないことに対する怖さから何度もくじけそうになりました。

また、求められていることに対応することで精一杯で目的を見失うこともありました。

そんな姿を良く知る身近な皆には沢山の苦労と心配をかけてしまいました。

しかし、それも含めてインテリア工事で悩み考えた皆のエネルギーが、
動けない自分を突き動かしてくれたのは確かです。

そんな経験が全て染みこんだこの空間で何を表現したいのかというのは
この一言に集約させることが出来ると思います・・・

 

それは新横浜店の写真主題である『生命力』です。

 

人間にとって生命力というのは何も前向きで肯定的な事だけではありません。

時として否定的で後ろ向きなこともあります。
それが『悩む』という人間らしい美しい姿であるということを私は伝えたかったのです。

 

新しい空間で始まった撮影は常にこの悩む力がフル回転します。

その度に、分析、修正、実践を繰り返し常に真の美しさを追求していきたいです・・・。

2017年6月のフォトジェニックコメント:1hit:239
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Jiyugaoka Photo

Photo by Ren
Coordi by Toda
 
Title : 『やわらかさとは』

自分の中で「やわらかい」と言うと、
白っぽい、暖かい光、リラックスした空間。
この3つが浮かび上がる。

これは自分が直感的に思った事であって、この言葉についてもっと深く考える為に辞書的な意味も調べる必要があると思った。
しかし、その時フッと気になったことがある。
“逆にやわらかくないって何だろう“と思い始めたのだ。


やわらか・い〔やはらかい〕【柔らかい/軟らかい】

1.ふっくらとして堅くない。また、しなやかである。⇔かたい
2.おだやかである。柔和である。
3.堅苦しくない。融通がきく。⇔かたい

かた・い【堅い/硬い/固い】

1.いかめしかったり、こわばったりしていて、すなおに人の気持ちに入ってこない。
2.緊張から、気持ちにゆとりがなくなる。
などを意味する。


まず、「やわらかい」の条件を満たすにはリラックスした空間づくり。
その場を通して被写体と自分が共感する事が一番大事だと思った。
リラックスした空間づくりの為には、被写体とカメラマンだけではなくコーディネート、ご両親。
その場にいる全員が一つになり共感できる関係性づくりも必要である。
そういった場づくりができていないと、
自分が作りあげた空間でせっかくリラックスし素直になれた被写体、
そして自分が持っているイメージが一致しなくなる。
それは自分が目指した「やわらかい」の意味とは遠ざかってしまう。


この日出会った彼女は、7才の七五三撮影で遊びに来てくれた女の子。
最初は着物と日本髪姿でお淑やかなお姉さんになりきっていたが、
着物を脱いだ途端、リラックスした顔でお喋りを始める。
まさに、「かたい」から「やわらかい」になる瞬間だった。
そしてドレスをまとった彼女の姿は、まさに「やわらかい」雰囲気で溢れていた。
そんな彼女を見て微笑むお母さんの顔も見えた。

リラックスしてくれた彼女とお母さんの笑顔。
その風景を見ていると自分も安心したと言うか、同じく暖かい気持ちになれた気がした。
そしてその時に思った。
この場の雰囲気、自分が感じているこの気持ち、彼女の表情が
全て自分の「やわらかい」と一致していると感じた。

撮影にだいぶなれてきてくれた彼女を窓に向かわせ後向きに立たせた。
そして名前を呼んでみた。



”自分のイメージを十分に再現するには技術も大事だと思うが、一瞬のヒラメキや偶然が入る事も可能だと思う。
リラックスした空間で自然に出てくる被写体の表情、仕草、雰囲気。
それはその人だけのモノであり、成長でもある。”



 
2017年5月のフォトジェニックコメント:0hit:175
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Tokorozawa Photo
Photo: Satsuki Kudo
Coordinate: Yoko Moriya

 
Title : Index
20歳×過去と未来をつなぐ想起
 
先は未知。
しかし前へと道は続く。
その路を自分の足で踏みしめて歩き、背中を見せる。
その背中を見ていると、いつかの私の記憶を呼び起こさせるようで。
その記憶を辿ると、見えてくる今の私の根幹。
あぁ、そうか。私という人間は、あのときこんな風に人生という旅を見ていたのか。
晴れやかで、凛としたあなたの姿は、忘れていた記憶を、心もとない気持ちを、
それでも明るく前に進むあのときの私を、思い起こさせるもの。
 
 
赤いドアを開けて、家族と一緒にこのスタジオの中へ入ってきたあなた。見るからに晴れやかな振袖。
紺地に、古典だけどモダンな柄を着ているあたり、今どきのセンスを感じる。
凛として、堂々と、少しの違和感も感じずにそこにいる。その『自然』な佇まいを見ていると、思い起こされるのは私の20歳の頃。
少なくとも私が20歳の頃は、写真を撮られるということ自体に緊張をしてしまって、今見ると恥ずかしい思いを想起されるものしか写真が残っていないような気がする。
 
見事に中学生から25歳くらいまでの写真が残っていない。いや、そもそも撮っていないのか。写真に撮られることに興味がないのではなく、写真として見る自分の姿が嫌いだった。
もちろん、思春期特有のコンプレックスだったのだと今では思う。写真に写った自分の姿は、うねりが強いくせ毛に腫れぼったい一重の小さい目、そして丸い顔。
どうしようもない物理的な造形にコンプレックスを抱いていた十代の頃は、プリクラだろうと自分の姿を残すのが嫌だった。
20歳になって髪を染めた。明るめの茶髪に、少しメイクも覚えた。
それでも自分に何が合うのかわからないまま、成人式の写真を撮りに行った。自分に何が合うのかわからないので、着物は着付け師さんに選んでもらった。
ピンク地に黄色い花柄。染めたての茶髪には、白い花の飾り。鏡で自分の姿を見た私はその似合わなさに絶望し、写真に残ったときの引きつった表情に、その日二度目の絶望を覚えた。後日、写真が届いたが一度も見ることもなく実家の倉庫に封印している。
そんな苦く切なく恥ずかしい十代から20歳までの記憶が蘇るからか、本当に若いころの写真が少ない。もし今、その写真が残っていたとしても見返す勇気が出るのは40代を過ぎてからになると思う。
そのくらい、思い出したくないほどのコンプレックスの塊だったのだなと30代の自分が自覚する。
 
そのくらい、写真は過去の記憶を思い起こさせるものであると、落ち着いて考えられるようになったのはライフスタジオに来てからかもしれない。
 
「写真をツールとして人と繋がる」この仕事で出会う人たちは、何のために写真を撮るのだろうと考えれば、流れゆく記憶をまるで宝箱に宝石を入れるように留めておきたいからである。
多くは子どもの撮影のため、その欲求を持っているのは、大人の方だ。過ぎゆく時間と日々は、本当にとめどなくて、いつの間にか10年経っていることなんてざらである。その時のとめどなさを知っている大人たちは、我が子の過ぎて流れゆく「今」を写真という形に残しておきたい。それはただ、「今の姿」を残しておきたいというよりも、何年後、何十年後か、「今」がはるかに過ぎ去ったときに、「今」を思い起こさせるインデックスにしたいから。「今」が美しいということを、流れていく「過去」が温かく感じられることを、噛みしめるときが訪れるということを知っているから。
 
ただ時間を記録するのは、ビデオでもいいかもしれない。なんていったって、被写体が生き生きとした姿で動いて喋っているわけだし。
でも写真を撮るということが意外と廃れないのは、写真独特の「味」になるのかもしれない。静止しているから、事実ではないからこそ、人の記憶を呼び起こさせることを働かせ、人の主観によって思い起こさせる感覚や感情の質が違う。
例えば、愛する人が亡くなったときにその人の写真を見ると、自分がその人とどんな時を過ごし、どんな想いがあり、どんな存在として認識していたかを写真は語る。動画だと、その精密な姿によって制限されてしまう人の認識能力を敏感に活動させ、事実ではなくその被写体の存在の真実を記憶に残すことができる。
また、自分の過去の姿を写真で見ることで、その時の経験が連想され心境や価値観が呼び起こされ、自分の根拠を確認することができる。
写真とはただの静止画ではなく、人の認識に大きく作用するものが本質ではないか、と個人的には思う。
 
さて、難しい話はこのくらいにして、今回の撮影の話に戻る。
20歳の頃の私よりは、美しく輝かしく見える彼女。着物を選ぶセンスもよく、家族に愛され、彼女の存在の根拠ははっきりと見える。紛れもなく、今の彼女の姿は煌びやかで美しい。
その「今」の美しさを、例えば彼女が30歳になったときにも伝えられたら、40歳の彼女にも、50歳になっても…なんて考えていた。横顔が美しく、抜き襟からのぞくうなじの細さは、日本人女性ならではの美しさで息をのむほどだった。
 
でも、なんかそれだけじゃない。
なんか見えているものが、感じているものが、うまく表現できない。そんな感覚を覚える。
彼女はそれだけじゃないんだけど、私の中の何かが邪魔をする。
それは、見るからに美しい彼女の見かけに規定されていたからか、着物とはこういう撮り方で、彼女の美しさとは横顔で…なんて固定概念的な理屈に縛られているからか。
原点に戻ろう。私は何を撮りたいのか。それは、その人にしかないものじゃないのか。
誰でもいい写真じゃなくて、その人と私じゃないと撮れない写真。
それには、いったん成人式の堅さを崩す柔らかさを。動きを出すことを。ポイントを決めることを、しよう。
 
成人写真は、慣れないとぎこちなく撮影が進む。ぎこちない撮影は、被写体の動きを堅くさせる。
だから、ある程度美しいものという基準がないと迷いが生じるし、迷いながら動かす箇所が多ければ多いほど違和感のあるポージングになりがちだ。
だから、被写体の特徴を見て、的確に迷いなくポージングの指示をし、ぴたっと決まる完成形を掴まなくてはならない。見る箇所も気にする個所も多い。
だから難しさを感じるという声も理解できる。
 
しかし、こどもでも大人でも、基本は同じだと私は考える。
目的の中で、ポイントを踏んで表現をすること。これが必要だ。
まずは撮影をしている時の目的は「被写体を美しく撮ること」と「その人らしさ・自然な姿を撮ること」だと考える。
そのためには、空間づくりや声掛けが非常に重要だ。成人ではなくbaby撮影だと自然にそれを行っているだろう。Babyに威圧感を与えないように目線を低くし、声もワントーン高めの声で話しかける。
彼女は成人なので、できるだけ撮影者との敷居を低くすることが重要で、話す話も私の等身大のスタンスで、でも最近の大学生事情を聞きながら撮影を進めていく。
言葉を交わせばかわすほど、その場にいた家族ともなじみ、私の声も彼女に届きやすくなってくる。こういったときに、ポイントを踏みやすくなっていく。

ポイントは、「動きのバランスを崩すこと」。きっちり美しい形を撮影している中に、そんなことを気にしないカットを作りはさむこと。
このときは、私は彼女を椅子に座らせて、少し力を抜いてもらった。
やや左側に傾く身体に合わせるように左手で髪を触ってもらう。着物の撮影だけど、力を抜く瞬間。そのバランスを崩した瞬間に、「その人らしい」動きが出る。
この瞬間のポイントは体の傾きと指先。
その意味は、ポーズをせず着飾らない等身大の彼女。それが彼女の自然な瞬間だと思った。その自然な瞬間、光にも意味づけをしておく。溢れんばかりの逆光は彼女が大人になって抱く希望のように。
下に入れた前ぼかしは、その強い光を強調するために。
 
私の苦い記憶のインデックスからか、kidsでも大人でも写真に残すからには「今の自分」を最大限愛せるように「その人ならではの美しさ」を表現するようにしている。
それは、一般的に決まっている美しさよりも、外的にはまらないことを優先している。一見、普通に見えても、被写体によって様々な要素を変化させて撮影することが重要だし、普通を美しく撮るには、人の特殊性を認識することが重要だとも思う。
 
よく、人には「特殊性」と「普遍性」があり、「特殊性」があるから人それぞれの美しさがあるし、
「普遍性」があるからその美しさを共有したり共感できると言う。
私が、彼女をこのように撮ると決めたのは「特殊性」を認識しているからだし、
その「美しさ」を共感できるのは「普遍性」があるから。
そして、彼女を見て自分の20歳の頃を想起するのは、経験的な「普遍性」があり、
自分の苦い記憶が蘇るのは「特殊性」からか…。
 
いずれにせよ、写真の本質というものはそういった想起をさせる。
その想起が美しいものであるように、その画角の中に存在するものに意味を付け、美しく写真を残し、形のあるものの様々な掛け合わせから、
その時にしか現れない言いも言われえぬその当人にしかわからない感情や感性を生むことが、できたらいいなと思って毎日シャッターを切っている。
2017年4月のフォトジェニックコメント:0hit:743
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Shimonoseki Photo
Photo by Kawano yoh

17歳。
あの頃、なにがそんなにおもしろかったのか訳が分からないくらいに、
毎日笑っていたような気がします。
小学生、中学生という段階を経て、思春期にもぶち当たりながら
だんだん自分という人間性が自分でもなんとなく受け入れられて分かってきたくらいの高校時代。
各地からバラバラと集ってきた高校には、やっぱりどこか似たもの同士のような仲間がいたり、
今まで全然関わってこなかったような仲間もできたり、不思議な空間でした。
男子がいない女だらけの環境というのもあったせいか、
体育祭はみんな男かってくらいに激しくて、
文化祭はわいのわいの拍車がかかって、
普段も普段で廊下で笑い転げている人もいれば、
休み時間もみんなよく喋りよく食べる(想像以上に!)という、
何をするにも勢いが有り余っている女子高生ばかりでした。
この7人も、かつてはそんな17歳。
高校3年生当時、わたしの隣のクラスにいたメンバーです。
ほとんどの人と同じクラスになったことはないけど、
毎日グランドを走っている姿だったり、
ユニフォーム姿で体育館にいる姿だったり、
ローファーを履いていたり、デカめのバッシュを履いていたり、
やたらと髪が短かったり、ダンスに打ち込んでいたり、そんなひとりひとりの姿と、
この7人で教室のどこかに集まって話をしているだろう笑い声と7人一緒の制服姿を今でも覚えています。
卒業後はそれぞれ進学をしたり、留学をしたりでバラバラになりましたが、
お互い疎遠になるどころか全くもって逆で、離れても環境が変わっても、
13年経った今でもあの頃の勢いそのまま、変わらない7人の姿がスタジオにありました。
 
事の発端は、3月に行った写真展に訪れてくれた時に、展示していた成人式6人組の写真を見ながら
「いいねー、成人式でもみんなで撮りたかったよね。でもあの時はみんなでスタジオとか考えつかんかったよね。
でもさ。別に今でもいいよね。ね。ちょうど30歳やし!春にみんな揃うし!三十路写真!!!!!」
とそんな話が出て…それから1か月で撮影が実現しました!この行動力!!
「今日はこどもやなくて、わたしたちが主人公やけね!しっかり準備しよっ!」
っと、撮影前に鏡に向かう姿をとても嬉しく思いながらわたしも準備しました。
今日は、自分自身の写真。
自分が出会ってきた友達との写真。
30歳の自分。30歳のそれぞれの姿。
なんかいいなぁと、撮影前からしみじみ。
撮影前に色々と考えながら、それぞれの被写体をバラバラに配置して、
それぞれの雰囲気を出すようなものもイメージしたりもしましたが、
やっぱりいざ撮影になったら変わりました。
7人がこの7人でいるからこその写真。
ならどう撮ろう?
即決。あの頃のように、ただ、喋ってみてから撮り始めようと考えました。
最初は7人の雰囲気が見たかったので「適当に喋ってていいよー」って声をかけたのですが、
「「「「「「「………!!!!!あんさー、この前のあれが、どねーの、こねーの×7」」」」」」」
文字になりませんが、一瞬で会話がドッカーンです。
わたし、この勢いに笑いが出てカメラが震えてしばらく写真撮れませんでした。
アシストしてくれた手塚さんはすかさずiPhoneを取りに行って、
この様子を思わずムービーで収めていました。それくらいの記録的なドッカーンでした。
この瞬間に思いました。
成人式6人の撮影の時と、威力が全く違うぞ。。。。っと…。
20歳6人組は大学で出会ったから友達になって2年ですが、
この三十路7人組はもう10年を優に越してずっと繋がっている仲。
会話の途中にひとりが大切な報告をした時も、さらなるドッカーン。
7人に垣間見えるそれぞれの驚きと、把握しきれずに数秒後に驚くだろう顔と、喜び!!!
突然の瞬間でしたが、ここはブレちゃだめだ!!と気合いを入れて撮りました。
全力で話す。全力で驚く。全力で喜ぶ。
友達ってすごい。ただただ圧倒されました。
おめでとう、ありがとうの連鎖だけではおさまらないこの感じが、大切な人の喜びが、友達という存在が、
きっとそれぞれの心強さになるんだろうなぁと感じました。
大事なことを、改めて考えました。
自分として生きていく中で、信頼し合える仲を築くということ。
人間性を受け入れること。
 
ライフスタジオでは友達同士の撮影は小学生以上でお願いしています。
きっとそれは「友達」とお互いに意識しながら撮影が出来るのがそれくらいの年頃だからだと考えています。
生まれた時から一緒、幼馴染として普段一緒に遊んでいるというのもあるかと思いますが、
スタジオといういつもとは違う空間で撮影となるとその時々の機嫌や、
自分の思うように遊びたい気持ちが強くなったり、
集中力がなくなったりで撮影どころではなくなることが多くあるので、
小学生未満の友達同士の撮影はそれぞれの家族で1枠ずつ連続で予約を取っていただくなど
店舗ごとに取り組みがあるかと思うのですが、
そんな幼馴染の時代や、それぞれ幼稚園などを共に過ごした時間を経て、
小学生になってから、また中学生や高校生、大学生になってから、
そして大人になってからでも、「友達」との関係性を撮影することによって
「家族の中での自分」とはまた違った「自分」を発見できる機会になるように思います。
(友達同士の撮影は念のため予約前に各店舗にお問い合わせください。)
わたしは元々この場所がこども写真館だとは思ってもなければそう言ってもいません。
大切な人と過ごす場所のひとつとしてあればいい。
大切だと思う人と写真を撮るというきっかけを作る中で、自分の人生を振り返り感じながら、
写真を見てまた笑えれば、ちょっとでも救われるような気持ちになったら、と思います。
そしてまた、大切なものをより大切に。
 
 
しかしながら、本当にみんな変わらなすぎてこの写真たちを見るたびいろんな記憶が蘇ります。
でも間違いなく、あの頃よりもみんないい女だと確信してます。
まだまだこれから。
10年後も、20年後も、もっと先も。
変わらない勢いで。
 
2017年3月のフォトジェニックコメント:0hit:361
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「写真で人々を幸せに」

Photo by Soo

ライフスタジオ大宮店では、「ぽぽぽ」「あいあい」というCSR活動をしています。

既存のお客様も大切だが、なかなか写真館に足を運ぶことができずにいる人達も含め、私たちは写真で人々を幸せにしたい…と考え、まずは障がいを持つ子供達(ぽぽぽ)と児童養護施設にいる子供達(あいあい)を対象に、写真でできることをしている。

 

今月「あいあい」にて高校三年生の彼女たち二人に出会った。私の担当したNさん。

メイクが大好きで、メイクルームの鏡台の前で二人でメイクし合う姿は、男である私にとっては、まじまじと見てはいけないもののように感じてしまい、覗くのは気もそぞろ。
びくびくしながら覗いてみると、真剣なまなざしで友だちのメイクをしてあげていた。
そこにいる彼女はまるでメイクアップアーティストのような出立ち。


こっこれは…美しさとの遭遇!!
 

キラキラと輝く彼女の真剣な顔は、美しさそのもの。
この今の瞬間を写真に残してあげることが私の使命となった。
慌ててカメラを取りにいき、そっと1枚だけシャッターを鳴らして消えた。

ああ、きっと彼女は自分を知っている人なんだと思った。

ボブヘアー専門のサロンでカットしてもらったという芸術的なヘアスタイル
丹念になぞられたアイラインとカールカールしたまつ毛
一目惚れして買ったというお出掛け着のブラックドレス
楽しそうにヘアスタイルや衣装の話をする彼女は、ファッションへの興味を超えた熱のようなものを感じてやまなかった。

「自分の素敵なところ」「自分の魅力」そこに自分の意識を向けている人って、自然と輝いてみえてくる。
そういう人を見ると羨ましく思うし、感動すら覚える。

撮影中、メイクルームの鏡台を前に、メイク道具を代わる代わる持ち替えながら、鼻歌まじりで写真を撮られる姿は魅力的で、女優のような、いたって自然な振る舞いをする。
撮影者としてその魅力を写真の力で、目に見える形にしていく、

この写真が 
”彼女のこれからの未来を支える支柱の一本になれば” と思いながら。。。

私が写真を通してできることは、美しい今の瞬間を写真に残してあげること。
多くのことはできないけど、大きな力にはなれるかもしれない。
彼女には、社会に出て数多くの壁にぶち当たっても、一番身近な存在である自分だけは自分の見方であるように、自己を突き動かす原動力の一部になればと心を込めて、ただただ素敵な写真を残してあげたいと強く思う。

それは ”写真で人々を幸せに” という、
私達の使命のようなものだ。

 

来月4月からは渋谷のアパレルショップ店員になり、社会人としてスタートを切るというNさん。
ここで撮影した写真や思い出が、あなたの
「存在の意味を証明するもの」になっていくことを願っております。

2017年2月のフォトジェニックコメント:0hit:168
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楓季と馮煕

Soka Photo
Photo by Suzuki


そうだったのか。一人の少女の美しさはここにあったんだ。
 

顧客カードを書いているママの手元を見ていると、姉の名前を「楓季」と書き、そして弟の名前は「孔明」と書いた。珍しい名前だったので、私が「この名前は特別な意味があるんですか?」とママに尋ねてみたところ、三国志に登場してくる人物の名前だということを教えてくれた。弟の「孔明」は「諸葛孔明」から付けてものだった。

理由は「頭を使ってなにかを成し遂げて欲しいからです」というようなニュアンスで答えてくれた。諸葛孔明は、知恵を使っていろいろな戦い方を考え、少人数でたくさんの軍勢に勝利するなど、三国志に関するさまざまな作品でその活躍が描かれている。

姉の「楓季」は、「馮煕(ふうき)」から付けたものだった。その時はどのような人物がわからなかったが、孔明のように三国志という舞台で活躍していたのだろうと感じた。後日、「馮煕」を調べてみると、外交官として国に尽くした忠義にあふれた人物のようだった。

 

子供の名前には、親が願う子供の生き方が深い意味が込められている。

両親は多くの人生の時間を過ごし、子供がこれから経験する学生から社会へと自分の人生を生きていくことを知っている。その時間のなかで、声を上げるぐらいの歓喜も待っているかもしれないし、声も失うぐらいの悲劇も待っているかもしれない。ということも知っている。

我が子にはこれからの人生の旅を三国志の武将のように、現実を突破しながらまっすぐに生きていくことの願いが込められている。

それは両親が人生で重要だと思っている「生き方の美しさ」である。だから「楓季」と「孔明」という子供の名前に私は美しさを感じた。

 

私は、この名前を頭の片隅に置いたまま撮影していたが、ガラスケースから少女を覗き込んだ時に、そこには楓季と馮煕が写り込んでいた。それは私の中で少女の真理である。

真理とは、他者と私の観念の一致である。

簡単に言うと、目の前の人が泣いているとしたら、「悲しんでいる」という観念を持つだろう。だが、本当は嬉しくて涙を流していたら、それは真理にはならない。

しかし、すべてのことを間違わずに真理だと認識することはできない。

私たちができるのは、客観に制限されながらも、真理はこうだ!と決定することで、私の目の前

の霧を晴れさせることはできる。

「楓季」という名前の少女は、ただ少女であるが、少女という範囲ではなく、「楓季」は「馮煕」から生まれたただ一人の少女なのである。

馮煕という一人の少女の真理と出会うように、ファインダーを覗いて、焦点距離のリングを回し、カメラを傾ける。その行為自体が私の客観だ。

そして、ピントのピピッという音と同時に、私の客観と真理が瞬間的に出会いシャッターを切るのだ。

 

そうだったのか。一人の少女の美しさはここにあったんだ。

 

この1枚の写真のポイントを整理するとこうだ。

ガラスケースに写り込んだもう一人の少女は、楓季と馮煕を表現している。

それを強調するためにポイントが3つある。

 

1、光に向かう視線

少女の目線は光量が一番大きいところを指している。

写真において最初に目がいくところはハイライトの部分であり、そこに視線を持っていくことで、少女が優先的な存在として配置されている。

露出もハイライトに設定されているため、他の部分との露出比があり、より暗くなりコントラストを生むような結果になっている。

 

2、フレーミングのフレーミング

写真の四角の中に四角を作るという表現方法である。

この効果は、被写体を簡単に注目させるという効果を持っている。

また、四角というバランスがとりやすい構成であるため、同時に安定感を確保している。

 

3、反射したもう一人の少女

シンメトリーのようにガラスに写り込んだ少女は、シンメトリーという効果を持っている。

これも一種のバランスである。また、写りこみは視覚的に写真のおもしろさも同時に与えてくれている。

 

写真にはこのようなポイントがあり、それは私から生まれた客観でもあるし、少女の真理が与えてくれたものである。だから、写真は私の1枚ではなく、私たちの1枚なのではないだろうか。


 
2017年1月のフォトジェニックコメント:0hit:278
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1/140000000000000

Photo by yatsu  cordi by Lisa     [ iris 002 ]

私は写真作家に憧れていました。
初めて観たフランスの写真家は、ロベール・ドアノー。
彼のパリ市庁舎前のキスを見て、
写真の持つドキュメンタリー性に思春期ながら心を奪われたわけです。
キャパやブレッソン。森山大道や東松照明、名前を挙げればきりがありませんが、
写真の対象は違えど、
今私もれっきとしたカメラマンであると自覚したとき、
烏滸がましいですが、彼らと同じ門をくぐったのだ思い込むことにしています。


「写真はどこまでも真実を守るもので、絵画の抽象化とは違った道を進むものである。
単なる写実ではなく、対象をどのように感じ、どのように強く受け入れるかということだ。
そこに何か本当に作者が闘っている姿がなければならない。」

これは、私が愛してやまない木村伊兵衛の言葉です。


「写真はどこまでも真実を守るものだ」という言葉の通り、
写真とは被写体・インテリア・衣装・小物・カメラマンの想像・関係性、
その存在すべてを映し出す鏡のようなものです。
長い時間をかけて作成する絵画とは違い、その判断を瞬時にしなくてはなりません。
写実ではなく、写真であることが、LifeStudioに求められているのだと思います。

では、写実ではなく、写真であることはどういうことなのでしょうか。

ありのままを写すのが写真であることに変わりはありません。しかし、明確に写実と写真は違うのです。
私はそれが「矛盾」という混沌だと思うのです。


不協和音という言葉があります。
2つ以上の音が同時に出されたとき、全体が調和しないで不安定な印象を与える和音のことです。
しかし、この不協和音は使い方次第で非常に美しく響く可能性を持っています。
君の名はで大ヒットしたRADWIMPSのスパークルという曲は、本来コードとして存在しない和音が含まれています。それがまた曲の存在感を際立たせているのです。

本来重ならないはずの音同士が重なることで起こる不協和音が美しい。
そこには大きな矛盾が生じているわけです。

写真も同様です。単に美しいものを写実するだけなら、
私たちカメラマンとは存在理由を見つけることが非常に困難だと思います。
美しくあるものは、逆立ちしても美しいのです。

写真とは、写実から自由になろうとして生まれたのかもしれません。


物事には始まりと終わりがあるように、私たちの世界も始まりと終わりが存在します。
私が思うに、
夫婦とは、ひとりの人間の、ひとつの世界の始まりを作ることが許された、自然界で最もシンプルな形式だと思っています。
約75億の人の中から出逢い、約1/140000000000000(1400兆分の1)の確率を乗り越えて育まれる命というものは、
希望・期待・夢といったポジティブな面だけではなく、不安・恐怖・というネガティブな面も抱えています。


母になること。
父になること。
目の前にある命をすべて受け止めていくこと。


撮影の際、ご夫婦がふたりぼっちになることを決めました。
私はカーテンの向こうに隠れて、ただ、ふたりぼっちになる。
初めての出産、撮影という緊張の中で、1番傍らにいて欲しい人が目の前にいる。
その人のお腹には、新しい命があって。
ひとりからふたりに。ふたりからさんにんに。
緊張の中にある安堵。
現実と幻想の境目になるように、レースのカーテンの隙間から、
そんなふたりぼっちの世界を覗くように撮影しました。

被写体が受ける光は全て自然光を使いました。
草加店特有の逆光です。
被写体が受ける100%の逆光は、想像以上に草加店のテーマである「神秘的」 にふさわしい表現をしてくれます。
前ボケに使ったこのレースのカーテンは、幻想的な空間と現実的な空間を分離するためにあえて順光を当てています。順光が出す光線と被写体とには距離があるため、被写体が受ける順光の影響は最小限にしています。
また、縦写真は安定感をもたらしやすい一方で、横写真は安定感を得ることが難しいのが特徴的です。
しかし、不協和音と同様に、横写真は使い方によって縦以上に安定感をもたらすことができる写真になります。

ー 美しさという想像を、創造する。 ー

ライフスタジオがいつまでもそういう空間であってほしいと願います。



生まれてくるお腹の子へ。生まれを待つ父と母へ。

HAPPINESS TO YOU.
2016年12月のフォトジェニックコメント:0hit:152
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『始まるのはいつだって人の意志から。』

Tokorozawa Photo
Photo by Satsuki Kudo
Coordinate by Lisa Arai
 

私は時々、写真を撮っていると思うことがあります。
人が心を動かされる写真とは何なのかを。
人は何を見て、何を感じ、心が動くのかと。
 
それは形の美しさや趣向の凝り方なのか。
それとも、それら物理的・技術的なものの一切を超えた感覚的に訴えかけることができる目に見えない何かなのか。
 
結論から言うと、それはその全てであると言えると思います。
形が美しくなければ、人は共通した美しさを感じることができませんし、
撮りたいものを表現をするためには、趣向を凝らす必要があるかもしれません。
そして、何よりもその写真に感覚的に訴えかける力がなければ、その写真に惹かれるものがないからです。
 

写真を撮ってお客様へ提供するという仕事を6年間も続けていると、
経験的に「ああ、これは良い写真だな。」と思う写真に何回か出会うことがあります。
その「良い写真」とは何かとは、様々な要素があります。
撮っている人が皆違う人なので、その写真によって要素のバランスが異なりますし、
毎回違う被写体の美しさを表現するためには、決して形だけでは測れないものがあります。
 
それは何なのかと漠然と考えていた4年前のこと、私はある文章を読む機会がありました。
かつて、Mr.Leeが書いたカメラマン教育の文章で『2012年撮影者変化発展プログラム』というものがありました。
ライフスタジオの写真とは何か、ライフスタジオの撮影者とは何なのかを知りたかった私は、この文章を読んですっきりとした答えを持つことができました。
 
その中にこんな文があります。
 
"一般人を対象にするスタジオでは撮影者を上手な人と下手な人、
または、有能な人と普通の人程度の2つの段階で区分している。
ならば、それ自体を決定する基準は何なのか?いろいろな基準があるだろうが、
「自分が自ら条件を作ること」と「あるがままの条件から探すこと」では、勝負が分かれると考える。
 
[自分が新しい条件を作ること]は
自分の意志が積極的に介入されているということから価値が発生する。
ある条件だけで探すことは、ほとんどがコピーと同じであるが、
[自分が新しい条件を作ること]は創造であり、無限の可能性を含んでいる。

私達は人を対象にしている。
人は、自分がどんな人生を生きてきて、どんな価値観を持っているのか書かれた本を持って歩いているわけではない。
短い時間の中でその人に対する情報取得と共に分析が同時になされなければならない。
そして、同意を得る過程がなければならない。
あたかも精神科治療のために催眠療法を使用し、その人の内面にあるものを表に出していくことと同じだ。
より多くの情報と正確な判断をすればするほど、私達が写真で表現できる可能性は高くなるようになっている。
人間は普遍性と特殊性とを同時に持っている。人間が持っている普遍的価値は誰にでもあるが、一人一人違う。
このような普遍性と特殊性の結合が、その人が存在している美しさであり、私達はそれを表現する義務がある。
被写体が持っているものを捕らえ、外に表現することが条件を作ることであり、散らばった状況に魂を与えることは、
発する言葉やポーズのような撮影者の技術である。
人に集中するということは、実践を基盤にしている。
これは、単純に撮影過程で起きている人間関係に限ったことではない。
私達が息をし生きているすべての部分に、いつでも同じ基準と行動が適用されなければならず、撮影過程ではより真正性が含まれた実践を必要とする。

人間を顧客として対象化しないこと。
慣れないために常に自分を新しい条件に追いやること。
人間と社会に対する勉強を面倒くさいと思わないこと。
原則と目的を失わないこと。"

 

一般的な商業写真という括りに苦しめられてきた私にとって、この文章は衝撃的でした。
それと同時にとても気持ちが楽になったのを覚えています。
 
私が知っている商業写真とは、自分の意志とは別に
「wedding写真では、この場所で、このポーズで、この光で、キスシーンと指輪のシーンは必須で撮らなければならない。」、
「baby写真とは、おむつ写真がなければ、笑顔のクローズアップ写真がなければいけない」と言ったような、
weddingとはこういうものだ、babyとはこういう存在だというような固定概念を押し付けられているようでした。
 
それがこの文章では、ライフスタジオの写真に重要なのは、「人」であり、
その「人」を見て、接し、深く入り込み、その中で撮影者自身の「意志」を以て、
写真を撮ることでその写真に価値が発生するとあります。
その「意志」があるから、写したいものをその人の「意志」を以て表現する。
その「意志」があるから、インテリアやライトボックスや他者に制限されず、
自らの「意志」を以て外にあるものの条件を変化させることができる。
他者も同じ人だから、自分の「意志」に自然に不快な思いをさせず同意を得てもらうために、「人」に深く入り、
その唯一無二の関係性を以てさらなる自由を得ること。
それがライフスタジオの原則と目的であること。
それがライフスタジオの写真の価値であること。
 
原則と目的のもと、自ら「意志」を持つということは矛盾しているように見えるし、
文面から見ると不自由そうに見えるかもしれません。
しかし、私たちは自ら始まる「意志」を尊重すると同時に、
他者の「意志」を尊重せずに本当の意味で「自由」になることができません。
全ての存在を排除せず、否定せず、自らを変化させ、
外側を変化させる能力を持つ人が本当に「自由」な人であると思います。
そうすることで自分の「意志」を無理やりではなく自然に人生に、写真に反映することができるのではないかと思うのです。
 
そう。
「良い写真」とは、撮影者の意志が無理やりではなくごくごく自然に反映されていることが基準の一つではないかと私は考えました。
volvoさんが以前、「良い写真とはそつのないこと」だと定義しました。
また「その一枚専用に写真が作られていること」だとも言いました。
「そつがない」とは「不自然さがないこと」、「その一枚専用に作る」とは「自らの意志で条件を変化させていること」を意味します。
 
そのためには、技術的な部分の練習も必要だし、深く考え自ら結論を出す感性的な部分の学習も必要です。
自分の意志を表現するには、技術的な手数と知識、そして自分の意志が何かを知るための哲学がなによりも重要です。

そうして人の「意志」のもと、人の「手」、人の「考え」が入り創られたものには魂が宿ります。
それが人が自らの「意志」から写真という形から創り出した価値であり、
そこから滲む人の「意志」が形を超えた価値になるのではないかと思います。
意志とは形を作る原動力であり、そこから作られた形から人は作り手の意志を感じる。
そうやって人と人は、目に見えるものを超えて、価値を認め合い繋がっていくのかもしれません。

この原則と目的のもと、ライフスタジオの骨組みから教育までがすべて写真につながり、人生につながります。
 

この写真を撮るときに、考えていたのは「特徴的であろう」ということでした。
それは私自身の「意志」でもありましたが、被写体自身の存在感の「特殊性」を強く感じました。
この子は8歳で写真を撮られるのが好きな、いわゆる上手な子です。
しかし、それだけではなく話すだけではわからない、眼差しや表情、醸し出す雰囲気に
この8歳の男の子から人としての深さを感じました。
この子の存在をただ認識するだけでは、きっと私の最大限の得意分野で撮っていたことでしょう。
しかし、ライフスタジオの原則と目的は「被写体の美しさ」や「被写体の唯一性」を、
自らの意志を以て最大限表現するということです。
よって、私はここで表現するのはこの被写体の特に際立った存在感であると考え、
いつもは使わない洗面所の1mほどしかない隙間の、誰も注目されていなかった美しい光で撮ろうと思いました。
 
狭く、光も美しいとはいえシビアな場所は非常に「特殊的」であり「特徴的」です。
この光で撮るということは、いつもと違う撮り方になるのでいつもと違う美しさの写真を撮るということです。
それゆえ、私がこれまで撮ってきた得意のふんわり明るい写真ではなく、
敢えて顔に影を作り光と表情を強調するという表現をしました。
光を当てる範囲に気を付け、鼻筋まで光がいかないよう、
かつこの被写体を際立たせるために睫毛にはきれいに光が当たるように、
後ろ斜めから入る自然光の角度に気を付け、さらに光と影を強調するための前ぼかしをいれました。
そして被写体の立ち位置を設定し、声をかけます。
 
光と画角、ポージング、そして表情がすべてマッチしたその時に、その子の深さに触れたような瞬間でした。
1シーンを撮っていく中で、笑顔も節目がちな表情もお手の物の彼ですが、
くるくると表情を変えていく中でまっすぐにこちらを見る目にハッとさせられたのが、
この被写体の特殊的な雰囲気だったと感じました。
この表情をこの子らしく特徴的に撮るために、こちらもその被写体らしさを撮りたい意志を持ち、
敢えていつもとは違う特徴的な撮影の仕方を執ること。
それを毎日繰り返し行うことが、写真だけではなく、人との接し方、
広く見れば人生を生きる姿勢につながるのだと、写真を撮っていると感じます。
 

日々何か価値を生むということは、面倒くさいし、疲れるし、簡単なことではありません。
しかし、価値とはそれにも勝る楽しさや喜び、嬉しさがあるのだと感じます。
それはいつも、誰かから刺激を与えてもらったときだけ変化するのではなく、いつだって自らの意志から始まるものです。
 
哲学エッセイを勉強していると、矛盾の話が出てきます。
物事や事物における矛盾とは、変化するか変化しないか両方の面を持っており、
変化するにはそのもののなかに変化に向かう要素が必要なのだとあります。
人に置き換えるとその要素とは「意志」なのではないかと思います。
「意志」がなければ、いくら外側から知識や技術を教えても、話をしてもその人のアンテナが作動せず、
外的要因は内へは入りません。
だから、変化をさせるのは外側の要因ではなく、自分自身が「意志」を持ち、
その「意志」にまっすぐに自由に生きているかどうかになります。
 
写真を撮るということは、自分の内面に正直であることです。
いつだったか、ミンさんにどうすれば自分の写真を撮れるようになるのかお話を聞いたことがあります。
それはいたってシンプルな答えでした。
「簡単ですよ。
自分が撮りたいと思った瞬間に、自分が心惹かれた瞬間に、ただシャッターを切ればいいんです。」
その言葉には、シンプルですがライフスタジオの原則が力強く滲んでいました。
そのシンプルな言葉を実践するには、日々自らの条件を変え、常に強い意志を持つことが必要となります。
だけどそのことを楽しめれば人はいつだって自由になれる。
 
それを始めるのはいつだって人の意志から。
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