
鏡は己の姿を客観的に映し出すことができる。
それは自己完結的であり、主観の再確認ということに終始している。
また、写真も同様に己の姿を客観的に捉えることを可能としている。
しかし、写真と被写体の間にはカメラマンという第三者が介在するという点において鏡のそれとは明らかに異なる。
おそらく、彼女自身はまもなく母親となる鏡の中の姿を違和感なく受け入れていることだろう。
一方で、それを撮影する人間は、まだ少女のようなあどけなさを残しながら子を宿すその姿にある種の神秘的性を感じていた。
子供のような何気ないしぐさ、しかしその表情は凛とした母親の覚悟のようでもある。
そして、新たな生命を宿すお腹。
鏡の中はある種のパラドックス。
左に目を移すと板壁とタオルハンガーが現実世界へと引き戻す。
写真に写る鏡の中でカメラマンの客観と被写体の主観が交差したとき、そこに新たな発見が共感となって産まれただろうか?