
写真というものは、一つの小さい響きであり低い声のように感じる。
写真は光、点、面、フレーミング、背景、形態、パターン、均衡、強調、対応、明暗、など写真の構成要素を土台に成り立つが、
このような写真の要素が成し遂げる全体的な調和が、感覚機関を通じて対象を認識して両者の関係を結んでくれた時生じるのではないであろうか?
写真は心の中にあるものなどを表現することが出来る媒介体だと。
世の中を見る目、人生を観照する目の反映ではないか。
この写真の説明をする前に、自分の日記帳を開いて読んで見た。
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日本へ来て最初の朝
玄関を開けて軽快な足音で階段を降りて、日本での最初の朝を迎えた。
シトシトと小雨が降り、冷たい風が鼻をかすめ、
何か分からないドキドキ感が、私を新しい世界へと導いていく。
初めて迎えた日本の朝、風景、香り、雨、風、自動車の音、コンクリートの上に落ちる雨音、私の体の五感がそれらを全て吸収し心へしまう。
記憶、考える。
時々彼らを心の中から取り出し写真に収めて見る。
心に収めた物は、記憶しなくてもいつでも取り出すことが出来る。
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この写真は、日本に来て3日目に撮影しました。
彼とは言葉は通じなかったが、初めての場所で見慣れない新しいものを目にした彼の目からトキメキを見つけた。
四角いフレームの中に、彼らをどう入れようかしばらく考えた。
その時、私の体の片隅に記憶しておいた日本で初めて感じた感情・香り・風景・声などが五感を通してよみがえり、彼らと繋がった。
私にとってそれは一束の光のような存在で近づいてきた。
こういう感じが来る瞬間、全身に旋律を感じ本能的な感覚で写真の技術を駆使してイメージ化させ、それから作業の段階にはいる事ができる。
照明(トップから降りるスポットの効果が光源を強く被写体に集まる為、子どもに視線が集中し、タングステンのライトが持っている色を利用した写真的雰囲気を作り出してくれる。)
比率、構成、配置、レンズの選択などを瞬間的に子どもが見せる形態、構造、写真の要素達が重なりあった部分と、一つの小さい響を入れた写真を表現することが出来た。
写真はテクニックを利用し自分の考えと解釈をイメージ化することができる。
そのイメージは見る人により様々な解釈と理解をさせ、世の中との意思疎通をさせてくれる存在である。
いい写真の構成は小さい響きを聴かせてくれる。