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毎日は瞬間のつながりではない。毎日は、瞬間を見落としながら出来ている。
そしてカメラマンとはその一瞬に人一倍敏感に気付き、その瞬間を拾い上げ、“永遠に留めるもの=写真”を生み出していく生き物である。
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この家族写真も瞬間に気付いたことで生まれたものであった。
自分の妻と子供を、優しく強く包むように触れる、夫そして父親としての手。加えてそこに降り注がれる光でさえも。子供が居て、その子を愛おしそうに見つめる親が居て・・・そして最後に3人の視線が重なった瞬間を見落とさず収めることで、その関係性を一目で了解することができる写真が出来上がるのである。このように、写真とはカメラマンさえ敏感な目を持ち合わせているならば、実に分かりやすい表現方法であると言えよう。
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瞬間は、連続されて時間となる。
だから、もしもこの一瞬が連続していたら、この写真も同様に動いた映像となるだろう。同時に、この3人の幸せな表情、写真特有の観るに易しい表現を消し去って。
肉眼ではそんな小さな動きや、微々たる表情の変化を捉えることは難しい。だが、ファインダーを覗くことで、それは顕著に見えて来るものでもある。故に、その幸せそうな一瞬の表情(ここでの表情とは、人間のそれだけでなく光や天候なども含まれる)とは、カメラを構えない限り見えない現実なのだ。
瞬間が連続することによって、細かな現実は消え去ってしまう。きっと世の中には、そんな見えない現実が沢山在るのだろう。
細かく刻まれた瞬間にどこまで気づくかが、カメラマンの技量となってくる。
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瞬間の持つ力の大きさは計り知れない。一つの動きを見ても、どこの瞬間を捉えたかにより表現はどんどん変わっていく。そしてその捉えた瞬間により左右された現実は、その人の中に写真として永遠に留まる。そうやって、瞬間には非常に深い時間が存在するのだ。深い時間は連続することで、滑らかな動きとなり、事実をゆがめながら私たちの世界を作り上げていく。
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切り取るのなら、幸せな時間を。
その一瞬を拾い上げる、鋭敏さを。
そんな才知に長けるカメラマンでありたいと思う。