フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

脱却

投稿日:2011/2/25

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. オムツ写真だからといって、白の背景と布団の上で撮らなければならないということはない。 ただ、やはり撮影階が別れていたりすると「オムツはココ」という固定概念から逃れることが難しい。なぜなら、他の撮影との兼ね合いもあるし、第一に子供のコンディションを考えるからだ。どんなに元気な子でも、そこは1才の子供。そんな幼子をオムツ姿のまま階段移動させ、至る所で撮影するというのは、やはり気が引けてしまう。 だが国分寺に来て、その固定概念から逃れることになった。 ワンフロアのスタジオでは、子供が自由にオムツ姿のまま、時にはオムツを脱ぎ捨て、生まれたままの姿で好きな所に移動する。「クマで遊ぶ気分じゃない。今は外が見たい。裸のまま走りたい。」彼らの欲求がそのまま行動となる。そして、不思議とみんな笑顔だった。 その姿は、私を強制的に自由にさせる。そういった「強制」と「自由」、その相反する状況が国分寺店には存在していた。 .  初めてのワンフロアでの撮影は、「ここでも撮れる、ここでも撮れるんだ」という発見と自由を、ダムが決壊したかのように、私の脳に流した。 そうすると、カメラマンとして限られたオムツの1シーンの中でも、小物で色味やテイストを変えていきたくなる。ウッドの前ではブラウンのスパッツを履かせ、ニット帽でコーディネートしたいし、そこに色味の落ち着いたおもちゃを並べ奥行きを出したい。私のあまり好きでなかったオムツ撮影にだんだんと表情と願いが生まれ出した。 今回載せた写真も例に漏れずそうである。 窓の外には背景としての青々とした葉っぱが欲しかったし、奥のタングステンをつけて1枚の絵としてのバランスと流れを出せればよかったとも思う。 .    いつか、75カットを全てオムツで撮影してみたい。 それならば暖かい日が良いな。彼らが風邪をひかないように。 そしてワンフロアが良い。子供も、そして私も自由に動けるように。 青々とした葉っぱと蔦に囲まれた窓が欲しい。そこではオムツを脱ぎ捨てて裸になって、その新緑と子供との生命力を表現したい。 外に出て波打ち際を走り回っても良い。泣いたって良い、怒ったっていい。 ママから離れなくたって良い。 いつも1シーンで終わってしまうオムツ撮影から、脱却したい。 . .

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