フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
姉弟の肖像
投稿日:2011/11/27
581 0

2人はとても仲のいい姉弟だった。
僕には2つ下の妹がいる。
兄弟写真を撮る時に時々その妹と自分の姿がオーバーラップする時がある。
この2人に向かい合っている時もまさにそうだった。
自分達は目の前の2人のように仲の良い兄妹だっただろうか。
自分はこの女の子のように優しい兄だっただろうか。
兄弟写真はその性質上、とても難しく感じる事が多々ある。
目線を合わせる。
表情を合わせる。
位置を合わせる。
等、当の被写体には全く関係の無い、撮影者としての制約がこの他にも山のようにある。
この2人はその山をその優しい関係でゆうゆうと乗り越えさせてくれた。
歳が離れた姉と弟。
きっと弟がかわいくて仕方がないのだろう。撮影中もそれ以外の時間も弟を優しく気遣っていた。
弟もその姉の優しさを理解し、姉のソロ撮影にも寄り添って行くようなそんな信頼関係が築かれていた。
この2人を前にし、恥ずかしい事に僕は何もできなかったのだと思う。
僕が何かをしなくてもそこに美しい姿で存在していたのだから。
僕に出来たのはやさしく寄り添う2人の姿を一番強く感じられるフレーミングで切り取るだけだったのかもしれない。
この2人から感ぜられる信頼関係を言葉で的確に説明できない自分の力量の無さを感じる。
兄弟写真はカメラを向いた2人の笑顔がしっかり撮れていればよいというものではないと思う。
もちろん、その写真は必要な一枚ではあるが、兄弟の関係性をどれだけ感じる事が出来るかという事がポイントになると考える。
仲の良い兄弟、悪い兄弟、お互いに感じる照れや恥じらい、ふざけ合ってとりとめのない様子、弟や妹の存在が愛おしい気持ち、生まれた時には既に当たり前に横にいた兄や姉に向ける無条件の信頼、またはライバル意識。
兄弟の数だけ、それぞれの姿がある。
それをどれだけ撮る側が理解できるか、そしてそれを適切に誘い、表現するか。
この写真を撮ってから兄弟写真を撮るときには特にその部分を意識しているように感じる。
兄弟写真はこうでなければいけないというセオリーは撮る側が決めるものではなく、目の前の兄弟から教えてもらえる事なのかもしれない。
この記事をシェアする