フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
私の写真
投稿日:2013/1/23
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カメラを持っている全ての人を100としたら、
ライフスタジオという場所で写真を撮っている私たちはその1%にも満たない。
海の向こうで家族写真を撮っているフォトグラファーは私たちのことすら知らないだろうし、
私たちが眠った頃に仕事を始める地球の裏側の風景写真家は、人を撮るということにすら、興味がないかもしれない。
世界は広く、私たちはその一部分の一部分の一部分を齧っているに過ぎない。
空は広く、狭いファインダーを覗き込み、苦しんでいる頭上で、今日も変わらず青色を広げる。
写真を撮ると言うことは、世界を知ることだ。
そして、それはそのまま自分を知ると言う事。
弱いところも、不器用なところも、全てをひっくるめて自分を見つめる事。
決して大きな存在ではない自分を抱えて、時々嫌にもなるけれど、歩みを止めることは出来ない。生きているからだ。
そう考えると、本当に私という単位はちっぽけだなと思う。
でも、そんな自分にしか撮れないものがある。
写真は道にも迷わすけれど、時にそんな大きな贈り物をくれる。
この写真を撮った時、私は初めて自分の写真が撮れたと思った。
自分という芯の部分、イマジネーション、大切にしたいと考えているもの、その形の無いものを、形にできた。
初めての経験だ。
初めて自分が思う、自分の表現ができた。それはスタジオ写真とは決して相容れないと思っていたものだ。
見慣れた世界にも、可能性はあちこちに転がっている。
諦めて目を閉じたら、そこで終わりだ。
だから絶えず目を開き、五感を磨いておきたい。
たとえ遅々とした歩みでも、きちんと自分の手のひらで掬える様に。
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