フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive

幼心

投稿日:2013/10/30

439 8

Mito photo by Mio codi by Erika 刺激はいつ何処にでも転がっている。 それにも関わらず驚きや感動が減ったと感じるのは、 自分が日常をありふれたものだと錯覚し、 エネルギーを節約するかの如く 自らの受容センサーを怠けさせているから。 ふと、好きな詩を思い出す―。 ―――――――――――――――――――――― “自分の感受性くらい / 茨木のり子” ぱさぱさに渇いてゆく心を ひとのせいにはするな みずから水やりを怠っておいて 気難しくなってきたのを 友人のせいにはするな しなやかさを失ったのはどちらなのか 苛立つのを 近親のせいにはするな なにもかも下手だったのはわたくし 初心消えかかるのを 暮しのせいにはするな そもそもが ひよわな志にすぎなかった 駄目なことの一切を 時代のせいにはするな わずかに光る尊厳の放棄 自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ ―――――――――――――――――――――― 感受性を守りたい。 何かを見つけたときの心の揺さぶりを忘れずにいたい。 それが、時に生きていることさえ感じさせてくれるから。 いつもと違う。影へと移る比重。 被写体あってこその影は、 被写体の存在を力強く主張していた。 子どもたちの今という瞬間を新鮮に捉える力、 発見と感動に惜しみなくエネルギーを注げる好奇心。 そんな子どもたちの能力に懐かしみと憧れを抱いて…。

この記事をシェアする