
Mito photo by Mio codi by Erika
刺激はいつ何処にでも転がっている。
それにも関わらず驚きや感動が減ったと感じるのは、
自分が日常をありふれたものだと錯覚し、
エネルギーを節約するかの如く
自らの受容センサーを怠けさせているから。
ふと、好きな詩を思い出す―。
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“自分の感受性くらい / 茨木のり子”
ぱさぱさに渇いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
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感受性を守りたい。
何かを見つけたときの心の揺さぶりを忘れずにいたい。
それが、時に生きていることさえ感じさせてくれるから。
いつもと違う。影へと移る比重。
被写体あってこその影は、
被写体の存在を力強く主張していた。
子どもたちの今という瞬間を新鮮に捉える力、
発見と感動に惜しみなくエネルギーを注げる好奇心。
そんな子どもたちの能力に懐かしみと憧れを抱いて…。