フォトジェニックアーカイブPhotogenic Archive
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投稿日:2014/3/3
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No.99 Yokohama Aoba
photo by volvo codi by hayashi
人生の写真館とはどういう意味なのか、最近よく考えます
もし、私の人生が私の全てだとするのなら、写真というのは私の人生を構成する要素のひとつでしかなく表現方法のひとつでしかありません
それは写真以外でも、サッカーでもコーヒーでも同じ事を言う事が出来ます
何かひとつの物事を習得し向上していく行為というのは、木からはえるいくつもの
枝の中のひとつに集中し大きくしていく作業だと思います
枝の中のひとつに集中し大きくしていく作業だと思います
もしそれにより枝が大きく成長したとしても、人生という木の幹が太くしっかりと
備わっていなければバランスは崩れ枝を保つことができません
備わっていなければバランスは崩れ枝を保つことができません
私は大きくなってきた枝を支える木の幹に限界を感じ、木の幹、つまり私自身を
もっと成長させなければいけない事を知り、約2ヶ月、ほとんどの時間をそれに費やしました
そうしてまた最近、見つめ直した時に私の枝はそもそもたいして大きくなんてなかったんだと認識しましたが、それと同時により木の枝を成長させることができるだけのベースができたのではないかと感じています
今すぐ劇的に変化があるというわけではないですが、枝だけを成長させても自己の成長は無いという認識ができ木の幹と枝の成長の繰り返しが自己を発展させる行為だと知りました
それは撮影に対しても同じ例えを使う事が出来ます
撮影者という木の幹がしっかりしていなければ、撮影という枝は大きくする事ができません。
「生命力のある写真」を撮る事が良い写真の条件だとすれば、生命力のある写真を撮る条件は枝をふやす事ではなく木の幹を太くしっかりとする事であり、撮影者が自分の幹、つまり自身の人生の向上を考えなければお客様への感動を与える事などできないのではないでしょうか
まずは自分自身を磨く事、それが「人生の写真館」の意味のひとつではないかと考えてます
リスタートのタイミングで彼女に出会えた事に感謝して、また写真の枝を太くしていく時間に戻りたいと思います
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