レポートReport

2013年 体制

2015/12/16

1617

[ 2013年 体制 ]
 
ライフスタジオ6年間の結果, そして6年の未来
 
2012.  12. 25.  Mr. Lee
 
 
★. はじめに
 
2013年に対する計画を立てないといけないという強迫観念により、書いては消してを繰り返し、1ヶ月過ぎた今も未だに書き始められない。魚は釣れず、チェジュドの風は何かを懐かしくさせる。時折入ってくる日本での出来事は現実的に入ってこない。
 
現場から離れている私にとって[切実さ]が薄れてきているのか?
現場にいると、小さなことにも執着する傾向がある。ライフスタジオの構成員各自は与えられた条件の中で自己の限界と闘っている。それを単一な基準で測ろうとする傾向は、私の致命的な弱点である。その弱点を隠すための事業展開は、常にエラー事項が含まれている。だからチェジュドに来たのであり、その切実さを譲歩し、客観性を得ようとする一種の奢りを楽しんでいる。少し飾った言葉を使うと、現場から少し離れ、私の中で起きている切実さと客観性の化学的な変化を観察している。
河野からメールが来た。湘南店から見たヒーリングキャンプに対する計画が含まれた文章だった。申し訳なさと、責任感、そして使命感のようなものを感じさせた。一生懸命生きている人の健全な姿を見ながら再び机の前に座った。
 
私達は今どこにいて、どこへ行くべきなのか?
 
ライフスタジオができてもう6年を過ぎる。多くの政策があり、それより多くの思考錯誤もあった。多くの成果があったが、同時にそれよりも多くの失望と疲労があった。
 
変化というものも、時と場所があるのだ。
 
いつも、同じ言葉を使い、[春はすぐそこまで来ている]と叫んでは見るものの、だんだんと羊飼いの少年になってきている感じがする。チェジュドという空間から見つめる日本は、より切実に感じることもあれば、だんだんと小さな事のように感じる事もある。しかし、今は後者に近い。明日にでもすぐ日本に行って、あちこち行ったり来たりすると、再び情熱が上がってくるだろうが、その情熱がすべて良いものではない。歪んだ自分の存在証明であり、その過程で傷つく魂は、私にとって消耗品に過ぎないこともある。落ち着いた心で、過ぎ去った日々を振り返りながら、私達は今どこにいて、どこへ行くべきなのかを考えてみると、一つ明確に浮かびそうな予感がある。
 
今完結した形を作らないと、今までの方向と方法に対する成果すらも失うのではないか?
 
各自1人1人には、欲望というものがある。その欲望は、常に他の種類の塊がもつれ、戦いを行う角逐の場である。私の存在証明は、個人と集団に分けられ、個人面においても資本主義社会での経済的な富と人格に分けられる。この二つは互いに補い合い助け合いながらも、決定的な瞬間には、葛藤の根本的な原因となる。欲望の優先順位は状況に応じて変わってくる。2013年を待っているライフスタジオと私の関係において、私の欲望とエナジーを現在の基調で維持できる時間はあまり残ってはいないという良くない考えを消すことができない。過ぎた日々を評価し、現在まで続いている政策と人々を集め、質的変化を成さなければならないという焦りを越え、使命感さえ生まれてくる。これが倒産を控えた企業の最後のあがきなのか、跳躍のための適切な勝負なのかは誰にもわからない。
 
整理してみると
 [まずはやってみよう]という言葉での、実験精神はもう終わりにしないと行けない。
これからは、完成された塊が必要だ。
これがライフスタジオのシステムだと堂々と世の中に投げていかなければならない。  
 
リーダーは目標を達成する能力を持っている人である。
ならば、目標を達成したのだろうか?
2011年末に設定した2012年の計画を達成したのだろうか?
 
側近は少し増えたが、[生きて動く組織]という目標については達成できなかった。お酒の席で話す自画自賛の数だけ達成された。もう試行錯誤している時間は過ぎた。これ以上の試行錯誤は、私たちが成そうとしている目的自体に修正を要求することになる。実験精神は良いことであるが、2013年には今の成果を集め完成されなければならない。
 
私達の目標は[自立した人々の経済共同体]であり、
各自が[変化発展プログラムを定着]させることであり、
そのために現場のシステムを完成させなければならない。
 
私達は、本当に多くの事業を展開してきた。全体会議、教育プログラム、ラサモ、ライフスクール、ライフサークル、学習休暇、ギャラリーオープン、経営支援センター、リーダー会議、店長会議、本社中心の単一体系、執行単位として分離し、日本・韓国フォーラム、士官学校等々。。このような、たくさんの事業は、それぞれに目標と方向がありそれなりの成果もあった。ところが、新しい事業のために動力を使えば使うほど、私たちのエナジーはその分消費される。無限のエナジーでないならば目標も消滅することがある。
今までの傾向として、[まずはやってみよう]という情熱を基にしていた。そして6年が過ぎた。特に2012年が経過し、ライフスタジオの言う核心価値はこれだ。という確信を持つようになった。一方で、試行錯誤を楽しめる動力もほとんど残っていないという危機意識も大きく占めている。もう実験室で体に良いという成分をいろいろと研究する時期は過ぎた。これまでの成果を集め、私達の会社を食べていかせられる薬を作り世の中に出していかないといけない。
 
その完成されたシステムが、まさに[2013年 体制]である。
 
 [2013年体制]とは、
今まで集中と習慣という原則を守りながら作ってきた全ての政策の総合であり、
各個人の変化発展プログラムが現場で作られるシステムを言う。
 
2013年体制を理解するためには、私達がどの方向に歩いてきたのかについての整理が必要である。突然起きるものではなく、過去6年の課程が蓄積された結果の総合でなければならないからだ。特に2012年は、ライフスタジオの限界と可能性を実験する重要な時期であり、2013年体制を作る土台となった。[人が人を人として]を創る、ライフスタジオに2013年なっていけるのか見てみよう。
 
[2013年体制]という言葉は、韓国の代表的な進歩学者の本から始まった。
1987年6月韓国で起きた民主抗争を通し、政治的民主主義が韓国社会に根を下ろしながら民主政府10年という成果をもたらした。
しかし、この5年間、李明博政府の下、政治的民主主義の後退だけでなく、新自由主義政策が推進されながら、だんだんと韓国社会も1対99の社会になりつつあるという、危機意識が広がった。
そのため、2012年に行われる国会議員、大統領選挙を控え、進歩陣営としての政治権力を交代し、私達の社会のパラダイムを2013年から新たに変えようという運動が起こった。
それが[2013年体制]であった。ところが国会議員、大統領選挙で進歩陣営の敗北により、[2013年体制]という言葉は、一時流行し消える言葉になった。
 
ライフスタジオの6年余りの活動を評価し、[自立した人々の経済共同体]のための、現場のシステムを2013年には必ず完成された形で適用し、質的変化を成さないといけない。
だから[2013年体制]という名前を付けることになった。
ライフスタジオが少し良い企業から偉大な企業に進むために、一段階跳躍することが必ず必要である。
少なくとも6年以上は、この[2013年体制]を維持しながら、結果を待たなければならない。
 
  
 
★. 振り返ってみて
 
 [ シーズン 1 ]   2006-2008
 
2006年青山店をオープンした当時、私達が持っていたものはたった3つであった。
 
-. 韓国で写真館を運営してきた経験
-. 1000人の中で1人でるかでないかの能力を持っていた、マルチプレイヤー奈美という人
-. 日本の写真市場を分析し、これからの方向を設定する事業計画書..
 
奈美とは今まで順調にお互いに足りない部分を静かに埋めながら、同じ方向を見ながら歩んで来たように思う。また、そうすることのできた最初の設計図が事業計画書であった。事業計画書といっても、確信というよりは希望であり、これから進んでいく方向に対する誓い程度のものだった。
 
その当時の主題は、写真・人・空間であった。
 
日本の写真館は、伝統と慣習を維持するための手段として止まっており、写真は、写真館の構成要素の中の記録という義務のみ遂行していた。撮影行為の楽しさは縮小され、顧客とスタッフの関係は、コンビニにある物をお互いに交換する程度の関係から超えることができなかった。また、写真館とは一定した時期に義務的に行かなければならない場所という概念が設定され、競争力がだんだんと失われていた。だから、ライフスタジオは写真・人・空間をもう一度解釈し直し、その結果物として新しい写真文化を作らなければならない。というのが、私たちの目標として設定された。そこで出てきたスローガンが[日本の写真文化を変える]である。[写真の質で勝負しよう]、[お客様に、心から接していこう]、[楽しく気楽に、いつでもリラックスして頂ける空間にしよう]という核心テーマを柱とし、写真館の概念を新しく設定した。
 
2007年に書いた報告書を引用すると、
ライフスタジオは、写真・空間・日本社会という3つの柱の中で規定される。
 
写真の持つ[存在の確認・記録・思いで・美しさ・自己表現…]
 
空間の持つ[遊び・休息・思いでの楽しさ・持続的な内容…]
 
日本社会の持つ[愛と幸福の追求・家族・伝統と記念・疎外・価値の希少性・個人主義…]
 
だからライフスタジオでは写真と空間、日本社会を結合し写真館の概念を
[美しさを表現し思い出を記録する楽しみの空間]と規定した。
 
2006年12月に青山店をオープンしながら、生きるための苦闘が始まった。デザイン部分では、大量の再作業と円安による赤字が続き、スタジオの売上も150万から200万円程度で損益分岐点を越えられない状態が2年近く続いた。3度のコンサルティングで入ってきた資金により、赤字を相殺させる効果をもたらした。しかし、経済的困難な状態には韓国でも慣れており、何の基盤もない状態でのオープンと運営だったため、お客様のから予約が入ること自体不思議に思いながらも、ありがたいことと受け止めていた。だから、より日本の社会でライフスタジオが規定した新しい写真館の概念が現実に適用される形態を注目するようになり、主題を掴み一定の時間が経過すると、何か実体が表に出てくるという漠然とした興奮状態が私たちを包んでいた。
 
2年の時間が経過し、お客様のリピート数が増えてきて、口コミが効果を発揮しながら、撮影と売上は上昇曲線を描くようになった。その当時は、なぜお客様はライフスタジオを訪ねてくるのかに対する話をたくさんした。
その当時、分析した文を見てみると
ライフスタジオの売上が安定的に維持され、未来を希望的に判断する決定的な要因は、ライフスタジオ内部の顧客再生産の構造がしっかりと構築されているということだ。 
次に顧客はなぜライフスタジオを選ぶのかという説明が必要だ。
 
-. 進化した大衆性を持っている写真
-. 顧客が緊張をすぐに解き、関係を形成するライフスタジオセラピー
-. 予約をして商品を受け取るまでの全過程が簡単で楽だというワンタッチシステム
-. 楽しい空間としてのライフスタジオ
-. 美しさを目指して被写体を動かせる創造の過程
……………
 
顧客と共に新しい創作物を一定の技術を基盤にして、常に新しく作り上げるということ自体が生きた感動があるということである。
それは普遍性と共に、私たちが生きているという事実に対する適切なバランスを維持していることである。これがライフスタジオの競争力の根である。
 
もちろん、完成しているということではない。顧客を紹介して自分の経験から普遍性はつまらないものになってくるし、新しいポイントや形式を要求するようになる。変わらない主題の強化と形式を新しく変えていくことのできるライフスタジオにならなければならない。
 
上記の文章は、2008年12月に書かれたもので自画自賛の極致を見せており、本当に恥ずかしい。しかし、一つ分かるのは、価値の戦略的な移動が新しい顧客を創出したということだ。
端的な例を一つ挙げると、日本の多くの写真館は撮影するために3~5回写真館を訪問する。写真館の関係者に聞いてみると、多くがその過程は必要だと答える。さらにこう言っている人もいた。「こんなに頻繁に来れば、顧客とより親しくなれるじゃないですか」重要なのは、顧客に焦点が合っているというよりは、写真館のシステムに顧客が付いて行くということに問題があるのだ。つまり、顧客が甲ではなく乙の位置で、すべてのことが設定されているということが、[日常的な撮影行為の楽しさ]を妨害している。
 
顧客と写真館の内部の構成員達が皆甲にはなれないのだろうか?
一度の訪問で、顧客と写真館が同時に望むものを得られる方法はないのだろうか?
ライフスタジオは、[日常的な撮影行為の楽しさ]に集中した。その当時、写真館業界にはなかった自然光、蛍光灯、原本CDの販売、オンラインコミュニティ活動、ホームページでの写真を活用した広告、ハウススタジオ、普段着撮影等は、すべて[日常的な撮影行為の楽しさ]のための装置である。
 
[日常的な撮影行為の楽しさ]は顧客はもちろん
ライフスタジオの内部構成員達が同時に満足することができる。
 
これらの装置は、価値の戦略的な移動を可能にし、徐々に[日常的な撮影行為の楽しさ]を要求する新しい顧客が創出した。つまり、日本社会にライフスタジオが無事に着地できた根拠は、写真・人・空間の価値をもう一度解釈し、写真館の概念を新しく成立したということから探していかなければならない。
 
このように、価値の戦略的な移動が新しい顧客を創出しながら、徐々に基盤を固めていたと同時に、量的拡大の必要性が提起されながら加盟事業が開始した。
 
2008年に作成した報告書を見ると
6つの店舗拡大がもたらした影響をもう一度みてみると
 
-. 規模の経済を実現できる売り上げと費用の最小条件の確保
 
-. システムを稼動してみることのできる直営・加盟店舗の数
 
-. 加盟店のオープン、運営経験からできるノウハウ
 
-. より広いマーケティングを行うための資金・スタッフ・地域の確保
 
………
私たちの目標が明確になりその目標を実現するための費用、スタッフ、実践単位が
整う必要があり、規模の拡大によってその最小単位が2008年に構成された。
これからは主導権をもって事業展開が可能になるということが
2008年の最大の成果だと言える。
………
 
規模の拡大を通した条件の成熟を質的拡大というシステムで
迅速に、そしてどんなときも変化するための努力が2009年に要求される
 
[シーズン1]は、金本部長が青山店を買収する2008年までを起点として見ることができる。横浜店をオープンし、店舗が4店舗に拡大され、一定の規模を備えながらライフスタジオの生存のための苦闘と規模の経済は一段落される。
 
2008年の評価報告書に[シーズン1]について、明確に表現している。
 
2008年が始まった頃は、内部のスタッフもLife studioが追求する企業の方向に対する確信がなく、市場での反応も新しいことに対する一部の選択程度だった。しかし、1年の時間が経ち、規模が拡大されながら市場で成功的に安着していく姿を目の当たりにし、主体性と競争力を確保しながら少しずつ3つの円の中にある単純な概念が姿を現した。何が価値であり、革新の対象なのか、顧客とスタッフが同時に望む状態に対する検証と確信をもつようになり、その原則とビジョンを継続して実践する出発点にきているという共感が形成された。
 
主題を把握し目標地点が明確になったということは各自に動機が付与されていくことを提供し、一貫した政策生産と実行を確保する。そして規模の拡大を通した写真市場の先導的な事業の進行とその単位を可能にした。
 
 
[シーズン1]は、自然光と単純なインテリアで、自然な写真を作り、顧客とのリラックスした関係の形成、既存の写真館と対比されるイメージ演出、オンラインでの積極的な活動、適切な速度の量的拡大等から、日本の社会にライフスタジオを定着させていく時期であった。
 
つまり、[シーズン1]はライフスタジオの外部のアイデンティティを作る時期だった。
 
これは食べて生活できるのかという問題に該当するものであり、この問題については[シーズン1]を経ながら相当な部分が解決された。そうして、次に[どのように生きていくのか?]という課題が私たちに与えられ、ライフスタジオの内部のアイデンティティと方向の設定が争点になる[シーズン2]に入る。
 
[シーズン 2] 2009-2011
 
創業した後、成功のモデルが作成され規模を拡大しながら、いくつかの問題が提起される。戦略と戦術の生産と同意の過程、規模の拡大の速度と範囲、そして管理システム、政策の生産と実行の議論構造の確立等々….その中で最も重要なのは、内部文化と意思決定の構造を作ることだった。内部文化は学習と教育を中心とした教育プログラムで集め、意思決定の構造は、経営支援センターを経て、リーダー会議で実現した。
 
[シーズン2]は、ライフスタジオの内部のアイデンティティと方向を[人]に集中させた期間であった。
その中心には、教育プログラムとリーダー会議があった。
 
-. 教育プログラム
1つの直営店と5つの加盟店、日本人と韓国人、本社と加盟店の関係の設定、ライフスタジオのアイデンティティに関する疑問、方向性の確立に対する内的な要求が混ざりながら、この全てを解決できる実践的な方法が必要だった。そこで出てきたのが1ヶ月に一度、全てのライフスタジオの構成員が集まる全体会議である。毎月第一火曜日に行われた全体会議は、月に一度お互いの顔を見るということだけでも意味があった。そしてオーナー会議、店長会議、撮影者会議、コーディネーター会議などの部分別に、共通事項の主題を決め1ヶ月間行ってきた事業を整理する時間になった。
全体会議を通し、ライフスタジオが加盟店という限界を克服し、ライフスタジオは一つであり、同じ主題と目標を持って事業展開するという合意が導き出された。ところが、これよりもっと重要なことが作られる。毎月一冊選定された本と主題を、各店舗での議論を通じて結論を導き出し、全体会議で再び同じ内容を行う教育プログラムが始まった。この教育プログラムは、教育チーム、集中会議、ライフスクール、ライフサークルに繋がっていきながら、ライフスタジオの根幹を成す重要な事業として位置づけられた。
[シーズン1]では写真・人・空間というテーマを設定した。ところが、今ライフスタジオでは、写真と空間よりも人に集中している。人の中でも、内部の構成員達に集中した。なぜそうしたのか?
 
2011年1月に作成したライフスクール運営計画書にその答えがある。
 
教育プログラムが始まり約1年程度が過ぎたころ、ひとつのパターンが見えた。討論の主題に深く入っていけばいくほど、それ以上いけない何かが現れる。その時々の表現はちがっても、内容は同じだった。整理してみると
 “自分自身と実際に出会ったことがない。だから変化発展するための自分だけの
プログラムをもっておらず、そのようなものがあるということさえも知らなかった。
そこから目を背けようとしても、いつも同じ場所に戻ってしまう自分の壁の前に、
無気力な自分を発見する。
無気力な自分を感じることによって、私と世の中を解釈し、
行動するためのプログラムが必要だ。”
当初教育プログラムをスタートしたときもまだ眠っている自分だけの成長プログラムを目覚めさせることが目的だった。可能性の沈黙を強要しているような世の中で、ライフスタジオが一定の条件を作ることができるならば、自分だけのプログラムを稼動するようになり、自然にライフスタジオが願っている状況が演出されると予想していた。
しかし、討論を繰り返すたびに何かがずれているという感覚を取り除くことができなかった。
中心なくして周囲を徘徊しているような感じだろうか?
集中討論は各自がもっている問題をより確認することができる場所だった。「私」というものに自分なりの哲学と解決方法をもちえず、いつも問題を前にすると自分ひとりの問題だと決め付けてしまう。おいしい食事をしても消化できず、そのおいしい食事がむしろ消化不良を起こして体を弱らせていた。自分を常に見つめながら他の人との関係形成の過程の中で、私と他人が同時に成長していく循環的な過程は、始める前からとまっていた。
 
根本的方法をみつけなければという義務感が芽生えた。
 
1ヶ月に1冊の本を読み、低い水準の自己感想を発表する程度では解決することができなかった。自分自身に一度深く入っていく必要がある。その先を一度経験しない限りは自分自身から自由になることができないのだ。また、関心の領域が個人的なものにとどまっているのだ。
 
自分自身かっていく主題そのものを、外部けるべきである。
 
ライフスタジオのスタッフの内多くのスタッフは月に1度、多ければ3、4回は集まり、5、6回の討論をしている。自分の休日の多くを捧げても、もっと知りたいしもっと解決したい、もっとよくなるためにもがいている。
……….
いつも二つのことを考える。方向と集中。
速度はそんなに重要ではない。方向があっていれば、黙々とその道に集中したい。
内部文化も同じである。
方向を設定し、そこに集中すること。それだけが内部文化を作ることができる。
主題は人だ。すなわち、変化する人・・・・
“見飽きた毎日からの脱出“
人生の理由は確認と余裕、そして捜し求めることではないだろうか
人を通して確認したいし、私と相手が変わっていくことのできる余裕を持つこと
そして別々に、一緒にということ・・・・
ライフスタジオは経済的な問題が私達の方向と集中に障害をもたらさない程度で十分だ。それ以上は欲望だと呼ぶべきなのだ。
人生を確認し、余裕をもって、価値を持つ形式を多変化しなければならない。
今までは本を読んで話をして、少し書く、その程度だった。このような基盤の上に世の中と私に心から出会う条件をつくらなければならない。
固定概念という枠の中で身動きができない人間に、自ら壁を壊せと話をしてきた。その壁の硬さをよくしっていながらも、その壁を個人的に解決しなければならないと考えた。しかし、その壁がどうして個人だけの問題だといえるだろうか。私達の社会が共に作り上げた高い壁から目をそらして無気力な人間に少しの休息だけを与えていた。
集中が必要だ。人間の変化発展という方向設定は真理のようにやってくる。経済的な問題は変なことをしない限り、一日3食とることができる。これから人間の変化に集中する。私から変化に集中する。同時に設計図をつくる。そして、共に行く。・・
ライフスタジオがどうして人間にこんなにも集中しようとするのかは、よく分からない。それが最も簡単な選択だったということと、それしかしらないということに対して多くは同意する。
スタジオを運営してみると結局ポイントの部分で人間という結論に到達した。「写真をうまく撮るためにはどうしたらいいですか?」という質問に、人間を研究し、その中に入っていけという言葉が最終的な答えになる。会社を運営している経営者の役割に対する自らの問いにスタッフたちが幸せに仕事をして、会社の主人公と自覚し行動することという短い文章に真理を垣間見る。
 
売上を上げるために最善をつくす方法は、人間の変化の過程で発生するエネルギーの活用である。
スタジオは通常写真サービス業として分類される。これは写真という技術とこれらを活用して顧客に対して無形の価値を提供するサービスの2つで構成されることを意味する。以前は写真撮影のためにいろいろな機械と技術的な部分が必要であり、これらはその希少性によって一般人が接近しがたい部分であった。これが写真を技術と認識させる重要な要因だったが、時代がかわりもうこれ以上それだけでは技術と呼ぶことのできない状況になり、機会の運用から撮影条件の変化とスタジオ内部の関心が移動した。
 
一つのスタジオで写真と撮影の技術が進歩したということは、一人の個人の知識と経験が高まったということを意味するのではない。そのスタジオが保有している知的財産は特定の数人にあるのではなく、その進歩を可能にしたシステムにあるということが正しい。ここでシステムとはこの時代の要求とスタジオの努力が結合して、サービスの形態に発現されることをいっているが、この部分もやはり、媒体は人だ。人と人の有機的な結合がなければこのシステムが産まれることのできる条件がそろうことはない。創意的で意欲的な数人の努力では一時的な発展だけを期待できる。システムでつなげなければ、個人的な試行錯誤と満足で終わり、その個人の動力も失われてしまうだろう。
 
そしてサービスは人と人の間でなされるものであるがゆえに、これ以上口論する必要もなく関係を伴う。特に現代は写真の技術部分よりもサービスに移動しており、加工処理されたイメージとその伝達過程が重要になってきている。これらは写真撮影技術の発達よりもサービスの発達速度が速く、写真関連装備が改善される速度に写真業界がおいつけないまま始まった。したがって、スタジオはこれ以上写真の技術というくらい場所での独占を続けることができない状況を迎えているのであり、人と人をつなげるサービス業という現実を受け止めなければならない。
もう一つの大きな意思は伝説を作り上げたい人間の属性にある。
ジョンリーダーとギャラリーで1日共に過ごしながら、本を読んだり酒を飲んだりしながら、いい時間を過ごし、こんな質問をした。
「ギャラリーで顧客とスタッフ全てが生きているという感覚を持てるようにしたいが、どのような方法がありますか?」この質問に、ジョンリーダーの口から3年に1度出るか出ないかの一言が出てきた。
「甲子園に出場する選手たちは多いがプロに入団する選手は1%になるかどうかです。高校の選手登録選手で考えると、0.1%の選手たちがプロの道に進みます。残りの選手たちは社会生活をすぐにするか、大学に行って勉強をしますね。学生たちもそれが分からないわけではないと思います。プロ選手になってお金と名誉をもつことでより野球そのものに集中するようになります。そして、走り、転がり、転んだりしながら人生を知っていくのでしょう。彼らがグランドで流す涙はだから、感動的です。テレビを見ていてもそれを感じることができるために、一緒に涙を流したりすることが自然なのです。
ライフスタジオのスタッフたちがそうやって自分のいる経済活動の場所において甲子園の戦いのようなものを感じてくれたら、それこそが私達の目的ではないでしょうか?」
 
同じ考えと同じ行動から出てくる終わりのない多様性を発見する瞬間だった。‘甲子園の情熱がライフスタジオでも・・・・’この意味は自分を発見するその中心がライフスタジオであってほしいと願う切実な願いだ。売り上げを上げ、いくつかの店舗をオープンすることには大して関心がない。負けてもなきながら甲子園球場の土を持ち帰る選手の真正性をライフスタジオでも確認したい。そのようになる状態をまだライフスタジオで想像することが簡単なことではない。
それでも、到達することのできないそのような伝説を、人を通して作りたいというのは良いことではないだろうか?
ライフスタジオを構成する多くのものの中で、内部の構成員の変化発展プログラムの定着という主題が、だんだんと中心へ移動してきながら、これ一つに集中する傾向を見せた。そうしていきながら、一連の政策が発表され、実行に移されることになる。教育チーム、集中討論、ライフスクール、ライフサークル、士官学校に繋がっていく教育システムが行われ、学習休暇と各店舗別ライフスクール等の事業もあった。このようにして人々に集中する事業に焦点をあてたのは、ライフスタジオの目標がライフ人を作るという具体的な宣言だったのだ。
 
ライフスタジオで設定してきた写真館の概念と目標はブルーオーシャン戦略にもでてくる“価値の戦略的移動”として明確に説明することができる。価値を作り出し、その価値を全ての構成要素に適用したとき、戦略的な移動が起こり、それが新しい需要を創出しながら飛躍的な発展をしていく。
戦略的移動の核心は人が人を、人に適用するということであるとライフスタジオでは信じる。単純にすぐれた数人が作ったシステムでマニュアルを提示し、“こうしてください”といえるような内容のものではない。
内部・外部顧客はお互いに弁証法的発展を成す主体でありながら、客体である。
私たちの全ての活動の成果と失敗からライフ人という基準が設定されており、これからの事業展開と方向性自体もライフ人という基準になる。
……
 
ライフ人を育てあげることこそライフスタジオが存在する理由である。
“変化・発展の原理そのものを理解し、
自由意志による人生を志向するために
関係を作りながら共に実践していく人”
ライフ人を定義づけるこれらの単語一つ一つに私たちが夢見る世界を作り上げるための要素がすべて入っていると信じている。生きた伝説を作り上げていくための努力の中に、私たちの成長動力を発見していくだろう。
‘木が木に言いました。一緒に、森になって守って行こう。’
そんな人を、私たちは共に守り、育てていきましょう。
 
学習と教育がライフスタジオの中心事業として入ってきながら、より具体的な実力行使をすることになる。相模湖プロジェクトを始めとし、ライフスクール、サークル、士官学校に繋がることになる。そして、このような事業の論理的基盤は[集中と習慣]にある。
 
2010. 12月に発表された相模湖プロジェクトの報告書を見ると
 
集中
……….
人が変化を経験し、人生の原理を知っていく過程にはいくつかの段階があるようだ。まずは‘私’という見えない実態に対する経験が必要だ。それでこそ、関心の方向が自分から自分に、そして自分の周辺の物事を客観的に認識の範囲に入れることができる。視覚が私に向かうな柄生じる発展の停滞現象を排除しなければならない。
このために、集中して自分に入っていくことが必要だ。そのような経験が私を確認させてくれ、静かに自分をみつめ、自分から私自身を自由にすることができる。それでこそ、人間の変化のスタートのための準備をすることができるのだ。自分に入っていくことは、1日に5分ずつ行うストレッチとは違う。自分も知らない間に、固定概念の塊になってしまっている。私と社会がつくりあげたその厚い壁を破り、本当の自分に出会うためには、時間と努力を集中させなければならない。人の変化のために集中が必要な理由がここにある。毎月1冊の本を選定し、討論をする程度では自分自身の実態に出会うことはできない。
 
私たちは今、教養を身に着けようというのではない。
本当の自分に出会う時間を必要とし、このためには直接的で具体的な行動が要求される。
集中してその時間と内容をライフスタジオが共同でつくらなければならない。
 
集中は時間を必要とする。その時間は一ヶ月に数時間を過ごす形態ではなく、連続的な時間の投与と繰り返しが必要だ。
 
習慣
どのように成功することができるのかという質問に、習慣という答えを出す本を何冊も手にしてきた。しかし慣れるということと習慣とでは、違いがある。条件が変われば以前習慣と考えていた慣れは、不安になっていく。読書が人間に必要だといわれるから宿題をこなすようにこなしていくのでは、長く続かない。正規教育課程を修了すると、本と疎遠になる私達の姿からもこれらを確認することができる。私達の感覚器官として入ってくるいろいろな情報と経験を多様化することが、私の中で整理され体系化される過程が必要だ。このような作業の繰り返しは習慣でなされ、変化発展という新幹線に乗る効果を発揮するだろう。
 
学習と教育に対する政策は、名分と情熱を持って推進する。この程度ならできるだろうという期待を持って推進するが、今振り返ってみると、その多くが失敗の連続であった。それでは、なぜさまざまな政策は持続性を持つことができなかったのだろうか?
 
幾つもの解釈の仕方ができるが、最も重要な要因としては、この程度ならできるだろうという[適度に考えたこと(適度主義)]から、問題は始まった。私たちが持っている資源を全て吐き出して、できるかできないかであったのに、資源の一部を使用したということは失敗を予定していたのだ。
 
現在までの教育プログラムは[適度に考えたこと]の結果として、現在の撮影システムを
そのまま維持した状態で、やる人は各自が別に時間を費やし行う形態をとった。
 
リーダー会議では、それを個人の自由に任せるのか否かで、何度も会議を行いもした。現場で起こっていることではない、個人レベルでの学習と教育になると、リーダー達の役割は縮小され、組織的な成功事例が出てくることは少なくなった。現場以外の場で、どのようにすればより効果的に教育事業が進められるかを考えるには限界がある。学習と教育、現場が繋がらずして、単発的な効果のみでてきながら、持続性に多くの問題を引き起こした。
 
2012年の計画を立てながら、現場適用できなかったということから問題を発見し、越谷店で現場適用をしてみた。半分が成功で、半分が失敗という内容をもう一度経験した。そして、2012年中頃から始まった士官学校で失敗した半分の原因を見つけだした。この問題は、2012年の評価で具体的に説明する。
 
この文章を書きながらも本当に恥ずかしくなる。教育チーム、集中討論、ライフスクール、ライフサークルに参加していた人々の顔が思い浮かぶ。変化に対する熱望、分からないことから来る不安、毎回確認される自己の限界に対する自責等...
申し訳なく、辛い。だからこそ、[2013年体制]が成功しなければならない。
 
 
もうそろそろ、ライフスタジオがなぜ人に集中するようになったのかに対する私の告白のようなものを言おうと思う。
初めて日本に来たのが2005年の4月だった。青山店をオープンする前まで1年余りの期間、日本の写真業界で有名だといわれる写真館を見学した。日本社会の多くのものは、韓国よりも技術やサービスの水準が高いのに、日本の写真館の水準だけは10年前の韓国の姿を見ているようだった。
奈美も驚き私も驚いた...
日本の写真館の発展が停滞してきた理由を考えてみたり、新しいスタジオを想像しながら、だんだんとライフスタジオの輪郭が現われるようになった。写真・人・空間についても、特別関心があったというよりは、戦略を樹立するための過程の一つとして設定されたものである。
青山店をオープンして、お客様の予約が入ってくる速度を見ながら少し当惑した。リピーターの顧客が増え加盟店の問い合わせが入るようになり、自信が出てきた頃、特別な一つを発見した。
 
人々があまりにも涙した。
 
討論が始まり、自分自身の話を喋りだすと泣いていた。最初はお酒も飲まず、昼間から泣く理由が分からなかった。
そして、そんな自分の内部の話を初めてしたように見えた。
関心の幅が、自分自身に限定されており、物事と現象を固定された結果物としてのみ受け入れていた。
根本的な問題に対する悩みや経験自体がないため、少しでも自分自身に入ると涙する。
衝撃だった。そしてまもなく、その中にしてきた私の行動が目に浮かんだ。ひらがなも知らないのに5段階動詞を覚えろというように、これまで私が話してきた言葉はすべて偽善だった。
.
4~5年前までは、[顧客を友達のように対し、その結果はあなたを囲むファミリー顧客である。]という言葉が、私の論理の全てだった。この間、ウギュリーダーがこんな話をした。サガナムのクリ支店がオープンし、当時ウギュリーダーが新入社員として面接のようなものをしていた時、偶然通りがかり初めて会った。初対面だったが、すぐにファミリー顧客の重要性を強調しながら、クリ支店を頼むという話をしたという。それ程に、顧客感動を越え、顧客との日常的な関係形成を重要に思っていた私だったのに、ある瞬間から顧客に関する話をしないようになった。どうしてだろうか?
 
その理由もやはり、人々があまりにも涙したからである。
 
自分が自覚していない間に、自分を取り巻いている壁はあまりにも強固である。その壁を越え、顧客と写真の話ができるだろうか?最高の撮影者を判断する基準は、人を動かす力である。人を動かす力というものが撮影技術を高めたり、被写体を単純にリラックスさせることくらいだろうか?
ライフスタジオの構成員は100人を超える。じっくり考えてみよう。一緒に働いている人という意味を超え、強風にも揺れない信念で結ばれている仲間たちがどれほどいるだろう?お互いの汗の臭いを嗅ぎながら、毎日一緒に働く仲間たちを対象として見ている私たちが、顧客の話をする資格があるのだろうか?
このような個人の根本的な問題が解決されない限り、よく言われる顧客感動や、写真分析するという言葉が必要になる。最も代表的な例が、店長になると口を揃えたかのようにでてくる言葉が、顧客感動と内部を楽しく作り上げることである。顧客との接点を増やすための様々な事業が行われる。少し時間が経つとあまり変わったこともなくなり自分自身に戻ってくる。根本的な原因が解決されず、目の前に見えるものだけで進められていくからである。
私たちはスパゲッティを同僚とどれだけ食べれば、真実を持って人間対人間として出会うことができるのだろうか?
顧客感動というのも、人々が持っている権力欲から見つけることができる。スタジオでは、スタッフが強者だ。全てのことを知っているからである。よく言う冗談が[指一本で人を動かせるのは、スタジオしかないだろう]である。自分が何かを主導するということが、とても魅力的に迫ってくる。しかし、それを顧客と本当に人間対人間として会っていると勘違いしているのだ。自分の権力に頼って楽しみを繰り返していることを顧客感動という言葉で包装しているのではないだろうか?自己実現という言葉と、自分の権力に頼っているという言葉は、天と地の差ほどに大きいのだ。その代表的なのがオーナー達の権力欲と輪ゴムのような基準の変化である。
 
ライフスタジオは、なぜ人に集中するのかと聞いてみると、人々の涙の姿から呼ばれたのが始まりだったと言える。そして、根本的な問題が解決されない限り、それは蜃気楼を見て、オアシスに向かうような錯覚に過ぎないと思う。
 
人に集中することがすべてではなく、始まりであるため、
ライフスタジオは今人について話しているのだ。
 
そう見ると、私達はまだ始まってもいないことになる。自立のためのシステムが作られれば、多分主題は[社会]となるだろう。社会は、各個人が結んでいる関係の総合であるからである。社会を分析し、より良い社会のための悩みは、結局私達について話すことだ。今の中心は、人の中でも[私]に該当されるものであり、その次は、私達になり[顧客]がその中心にいるだろう。
だから、現在のライフスタジオの事業の方向が個人の変化発展プログラムの定着と、そのための現場のシステムを作ることに集中しているのである。
 
-. リーダー会議
店舗が増えながら、様々なニーズが生まれてきた。一定の規模になった時、自然に話題になるのが本社の役割である。だから2009年に経営支援センターというものを作り、教育、マーケティング、写真、システムを担当するマネージャーを任命し仕事を始めた。ライフスタジオの全てを管理し、組織的に動くための執行単位として経営支援センターの役割は、自然な決定であったが、1年もたたずに解散することになった。
 
本社は、これらの内容ができる能力を持っていないといことが確認された。
ならば、ライフスタジオに合った意思決定構造とは何なのか?
答えは加盟店の区分を無くし、共に経営し、共に責任を持つ構造であった。それと同時にリーダー達がライフスタジオの目標を先頭を切って実現する人にならなければいけないという名分の下、経営支援センターに変わるリーダー会議という活動が始まった。
 
2011年1月の報告書を引用してみると
人間の変化発展を、ライフスタジオの目標に設定し、一番最初に想定された問題は、オーナー達の先頭を切った変化発展が優先されるべきだということだった。オーナーの権限は強い。彼らの考えや行動は、すぐにライフスタジオの現場に決定的な作用をもたらす。だから、彼らが先に変化を理解し、その中で行動しないことには、ライフスタジオの目標は観念だけに留まり、自己満足に過ぎないということを2009年の経験で確認した。オーナーは、変化を管理する位置ではなく、彼ら自身から変化の主体になるべきだという認識がしっかりと位置づけられたということが2009年の大きな収穫であった。
 
本社と加盟店は、矛と盾の関係に似ている。加盟店はいつも足りなさと支援を訴え、本社はその全てを管理することができないという弁明をする。その段階が過ぎると、加盟店の集団的な動きが起こり、本社は自分達の権限を元に自ら孤立作戦を繰り広げる。契約当時の良かった雰囲気は、だんだんと同じ名前の看板を使用しているということに関係が留まる。
韓国のサガナムスタジオが、ライフスタジオより2年ほど先に、加盟事業を開始し、想像もしたくないような本社と加盟店との小さな戦争が起きている頃であった。経営支援センターを作り、約1ヶ月ほどが過ぎた頃から、そんな雰囲気が感じられるようになった。誰のせいでもないのに、自分も知らない間に攻撃と防御をしながら、信頼にヒビが入る現象が起きた。だから、そのような構造を越える能力がないことを認め、全てのマネージャー達はオープンをし、リーダー会議のシステムへと変わっていった。
 
本当に運良くも本社と加盟店の区分を無くし、皆が一緒に経営に参加しようという発想は的中した。
まずは不満を出してくる対象がいなくなった。ライフスタジオに足りない部分が発見されると、それを議論できる場所はリーダー会議しかない。リーダー会議で話されない限り、その内容は外で口に出すことのできない子供のわがままにすぎないという雰囲気が広がった。
そうしていきながら、人々に集中する政策がリーダー会議に殺到した。ある意味、特別な抵抗もなしに疾走できる高速道路が敷かれたわけだった。その後、2012年に3つのチームに分かれ、各自の独自性を追求し、今のライフスタジオで行われていることは、私達皆に該当することであり、その解決の主体も少数の数名ではない、自分自身だという内部文化が作られた。
 
もう一つの利点として、1つの店舗では行えなかった内容をリーダー会議の主題として持ち出したということ。多くの人が経営をした経験がなく、自分達がスタッフでいた時のマインドを持ち1つの店舗を運営しているため、戦略と戦術を作る作業は非常に難しい。リーダー会議でそのような案件が上がってきて、全ての店舗のオーナー達が一緒に議論し全店舗に拡散させる形態が成された。
 
だからライフスタジオは、約2年間平和の時期が訪れた。そして、自身の問題は自ら解いていくべきだという原則ができたが、それと同時に限界も明確になった。
 
リーダー達が少し離れた場所から観察していた位置であったならば、ライフスタジオ事業に直接参加しながらリーダーとリーダー、リーダーとスタッフ達の距離を狭めたという成果も外すことができない。行動しないことが問題の根源だということを、お互い知るようになり、若干の緊張感を持ち、もう少し情熱を持つようになった機会になった。そして、有給活動を通して自分が得意とする分野を選定し、自立権を持ち活動したことも、良い経験になったと思う。
 
しかし、リーダー会議でこのような成果があったにも関わらず、現在限界に到達しており、その原因の中心に[責任意識]の不明確さが存在する。これは、リーダー達が責任意識のない人達だという意味ではない。リーダー会議の特性上、締まりのない組織体系で人と事業を評価したり、迅速な状況認識と改善への問題点がでてきた。これは、自律の中の秩序という内部文化の致命的弱点であり、克服しなければならない対象の一つだ。皆加盟店の社長だという同じ位置で、責任と義務に対して強く圧迫することは簡単ではない。自らに任せ、組織のバランスを損なう範囲を設定しておくが、一定の枠がない状況では責任と義務よりも権利を、自らの緩んだ行動よりも他人の過ちがより大きく見えるようになる。
特に、有給活動をしているリーダー達の場合、自らの活動に対する反省と共に、その反省にふたを被せるための自惚れがだんだんと、より大きくなっていったことだろう。リーダー会議に参加しているリーダー達も情報取得に弱く、何かができていないという申し訳ない気持ちもあるが、あえてしなくても良いことならば、まず先に手を挙げない習慣が作られた。
このように[責任意識]の不在は、放漫な経営の原因になり、人が増えながら、情報のアンバランスさと誤解が作られる結果になった。責任意識は心の問題ではない。条件と論理が責任意識を規定する。つまり、リーダー会議を取り囲んでいる条件と、整理されない論理が責任意識を希薄させていた。
 
教育プログラムとリーダー会議は[シーズン2]を構成する2つの柱である。ライフスタジオが人に集中し、学習と教育が重要な政策として自然に立案され、実行できたのは組織のアイデンティティと方向を一つに集められるリーダー会議が存在していたからである。また、教育プログラムは経済的な問題が解決された状態でリーダー会議をより活気を持って進められる良い素材として適用された。このように教育プログラムとリーダー会議は相互作用しながら2年間の平和な状態を維持することができた。だからなのか、リーダー会議が持続できなかった理由も教育プログラムから探すことができる。
リーダー会議の重要な内容が教育プログラムであったが、殆どのリーダー達は教育プログラムに参加する1人の構成員にすぎなかった。リーダー自身が変化発展プログラムという概念と実践をリードするべきはずが、学習と教育に対し受動的な姿を見せながら段々と時間は過ぎ、単純に伝達者にとどまるようになった。
ライフスタジオの全てだともいえるものが、教育プログラムであり、それが現場で拡大し再生産されなければならないのに、各店舗ではそれとは関係なく動いており、リーダー達は教育プログラムの参加者、または傍観者になっていきながら、リーダー会議の動力は失われるようになった。つまり、上の文章でも、オーナー達は変化を管理する位置ではない、変化発展の主体にならないといけないと書いたが、結局それが実現されずリーダー会議はなくなることになった。そして本社中心の単一体系という政策がでてくるようになった。本当に心痛いことである。
 
[シーズン 2]を整理してみる。
ライフスタジオの内部のアイデンティティを[自立する人を作ること]と設定した。ライフスタジオは集中と習慣という原則のもと、各個人の変化発展プログラムを作るために、幾つかの教育プログラムを進行し、そのような政策の生産と執行単位としてリーダー会議が存在した。教育チーム、集中討論、ライフスクール、ライフサークル、ライフ人、ライフギャラリー、学習休暇、写真研究所の多くの活動は、人に集中する事業であり、各個人の変化発展プログラムを備えるという目標の下に執行された。
教育プログラムとリーダー会議という二つのタイヤが、ライフスタジオのアイデンティティと方向を導いていく2年の時間が経過した。しかし、時間が経ち規模が拡大しながら、現在のシステムに異常信号が出始めた。店舗が10店舗を超え、学習と教育に対する理解が不足している新入社員がどんどん増え、各店舗では、討論は必要ないという意見が出始めた。そして店舗別に内部文化の違いが発生し、現場と繋がっていない多くの事業に対する疲労がたまり始めてきた。新しいシステムに対する要求が本社中心の単一体系として提示されながら、ライフスタジオは分化され[シーズン2]が終わる。
 
[シーズン 3] 2012 →
-. 転換の背景
[シーズン3]は、静岡プロジェクトから始まる。[シーズン2]の平和な時間が過ぎ、幾つかの問題が提起された。リーダー会議では、スムーズに事業が進められていたが、現場では変化していく動きが見られなかった。何かに方向を定めなければならないという焦燥感にかられ、ますますその度合いは上がってきたが、その理由は、単純に繰り返し作業をしているという反省とともに、変化発展プログラムという実体と出会うことのできない、現場の構造的な問題に対する認識であった。
何か出口を探さなければならないという思いに[新しい価値と速度調節された全国化]という方向を暫定的に決定し、その履行の有無を確認するために、静岡の海を選択した。ところが、そこでは全く別の場所を指していたのだ。
 
2011年9月に作成された報告書を見ると
しかし問題は変化発展する人として情調されてはいるが我々が執行する様ざまな事業たちが力を受けることが出来ず一定で動く受動的な姿になっている点だ。…
結局変化発展する現在構造適切なことなのか疑問つし、そうでいならばどのような構造変化をしなければならないのかにするみがらんでいく。
….
 
しかし全国化の主体の問題で歯止めがかかる。....何故全国化するのか?→ライフスタジオの競争力を強化し、新しい価値を探そうと行くのではないのか。→では誰と行くのか?→現在のリーダー達は?→気の合う数名?→オープンを予定している数名?→組織とシステムを持っていかなければならないのに、私達がそのような組織とシステムを持っているのか?....
一人で行うのではなく、共に行うこと、そして緩い数名で行うのではなく、組織とシステムで行わなければならず、その組織とシステムは人間によって成されている内部文化の塊だということ…。
 
….
各自違う会社に祖属しているという限界が、以前の様に屈服することが難しいという現実的な問題認識だ。加盟店が主流を成す組織で、共に経営をしていく最も理想的な状態はどのようなものだろうか。ライフスクールを進行しながらこの様に一ヶ月に1、2回集まって討論したからといって、私たちが願う状態になることが出来るのかという懐疑が生まれた。多くの時間を支店で過ごし、支店の問題に直接的、間接的な影響を受けながら生活をするため、その限界は明確だ。
…..
 
ライフスタジオに入社する条件として特別なものはない。普通の考えと普通の経験を持っていれば入社可能だ。では普通の人が集まって仕事をするが支店別に文化が違う。ライフスタジオの全体的な活動に対する理解と参加度にも差が見える。人との関係もそうだ。本当にこのようなことが内部文化の差で発生するのか。
 
支店で問題が持続したり、普通の会社のように問題が無いことが最も現場の仕事をする支店に対する接近が事実上不可能だ。個人の力量に頼るしかなかった。しかしリーダー達に間接的な圧迫をする程度にとどまっている。前で残って後で後悔するという言葉があるが今がその状況を適切に表現しているようだ。少しずつ前に前進してそれが蓄積されれば100年でも待つ覚悟が出来ている。しかし総量は同じなのに行き過ぎた期待と満足、そしてあちこちの穴から新しい風の音がより我執と幻想で逃げるようにする。時には[あなたは良い人です]という声を聞くために演技をしているという考えさえも浮かぶ。
 
比重が前のめりになり力を使うが限界があり、その比重の矯正が今ではないかという考えが浮かぶ。もし全国化をするということも比重の矯正から来る疲れを叫び新しく出発したい心から出ているのではないか。
 
以上の条件変化が必要だという考えをするようになった背景を縮約してみると。
[変化発展する人という目標]に的を絞るようになり、これと全国化の関係を考えるようになった。全国化を実行する単位が必要だが、現段階では数名の個人活動に限られる可能性が高い。そして大地震が起こり、本社スタッフ達がしている彼らだけの活動を見ながらライフスタジオがしようとする[自立の中の秩序][共にする楽しみ]という内部文化がどのように実現されるのか知るようになった。これは蓄積されたエナジーが必要で、そのような条件が現場で生きて息をしている時に可能となる。これとは反対に普通の人たちが同じ条件で入社をするのに、支店別に内部文化の差をみる事、そしてその改善から決定的な限界を持っている。

よっていくつかの結論に到達するようになった。
 
-.ライフスタジオが追求する内部文化を実現しなければならない
 
-.全国化の為の単一の体系を持った単位の形成が必要だ。
 
-.本社を中心とした正しい方向性と強力な執行力を持った組織が必要だ。
 
静岡で約2ヶ月程の時間を過ごしながら感じたことをまとめてみると、[私たちは今まで何をしていたのか?]という、自責であった。形式的な構造は、それでもよく備わっているが、中にある内容はたいしたことのない状況を見ながら、なぜか砂の上に城を作っているという自覚であった。それまでは私の役割を自ら規定していた。私たちの目標に合った政策をちゃんと作り、それをリーダー達に説明し同意を得たら、それが自然に現場で適用されるはずだという考えだった。しかし、目標を達成することがリーダーの任務であり、目標は各自が変化発展するプログラムを作ることのできる現場のシステムである。
計画を書いた文書や言葉でリーダー達に説明すると、ほとんどが同意をし、実際に現場に適用されていった。現場に適用されること自体が目的が達成されたと、私達皆勘違いをしていた。その勘違いを認知した瞬間だけリーダー達にもっと頑張るよう促しながら、その全ての責任を自分以外の人々に転嫁していることを発見した。私は何も責任を負うものがない人のように過ぎていたのだ。
 
各事業は、目標を持っており、私達が行こうとする方向の一定部分を担当しながら、お互いに有機的に協力しなければならない。ところが、その各事業が各自進められているため効果的ではなかった。だから重要にでてきたのが[現場適用を通し目標を達成すること]であり、その実践的な主題が[生きて動く組織]である。ならば、この課題を誰とどのように進めていくのかという段階で[本社中心の単一体系]という戦術が出てくるようになった。
この過程を以前のような形で進めていくならば、リーダー会議を開き、リーダー達を説得しこの論理を理解させ、同意を求めるようになる。そうすると、リーダー達は自分の店舗へ戻り、店長に[これからはこれをすることになった。何が言いたいかわかるだろう?]というような形で、事業が進んでいき、各店舗ではもまずはやってみるだろう。その後再び同じ問題が繰り返される。
2012年の本社計画書の終わりの方に書いた文章に転換することの背景を適切に説明している。
 
ライフスタジオの中心軸をリーダー会議から本社へ、加盟店から直営店へ移動する構想は、本社がライフスタジオで主導権を持つことが現段階では必要だという考えから出発した。具体的な目標が設定され、その目標を達成するためには、主導権を持って持続的な改革作業が必要だからである。それが現在、加盟店に小さな衝撃と奮発を期待できる唯一の道だからである。リーダー会議の結果を元に見てみると、主導権を奪うというよりは、主導権を行使していくと理解するのが正しい。リーダー会議で主導権を行使したことがなく、その機会を逃した側面が多い。
 
それと同時に、本社の代表としての反省もある。ある意味片足を抜いて仕事をしていたというのが適切な表現かもしれない。本社のスタッフ達にこんな告白をした。「どんな仕事よりも私にとってとても難しい仕事をすると決めました。これからは組織の中に深く入っていきます。いつも軽く、自由になろうと努力してきました。だから複雑な仕事を避けようと頭を使いました。しかし、私達の目標が明確に決まった以上、現場に深く入らないことには何もできません。うるさい私が皆さんの側で深く入っていくというので、今からいらいらしてきたでしょう?どうしようもありません。眠れる森の美女を捜すためには皆さんの深い部分を通過しなくてはなりません。それでは私と楽しく(?)働いていきましょう。」役割の変化が必要だという認識をするようになり、現場の中に深く入る方法を選択するようになった。
 
役割の変化が必要だという認識をするようになり、現場の中に深く入る方法を選択するようになった。
静岡の海を眺めていると、過ぎた多くの事件と笑い、そして失敗した時の辛い記憶が思い出される。そして東京に戻ってきて見える見慣れた多くのものを、時にぎこちなく感じることもある。催眠に掛かっていたということを知り、大切なことをただ過ぎてしまったという反省をするようになる。徐々に霧が晴れながら私達が得ようとしている、眠れる森の美女が鮮明に見えてきた。
少し前にこんな話をした。沢山の物があり、その間を通らないと行けないのに、私達の体が大きくなってしまい自由に移動することが困難になった。だから、私達が入れる所だけを利用していると、通らない他の所には雑草が生え、蛇のでる森へと変わっていった。
私達は液体の性質を持たないといけないのではないか?それが内部文化ではないだろうか?自己催眠に掛かり、満足しているこの時点で、どこかで錆つき、柱が腐植されていることだろう。他の会社よりは良くしてくれる、私達は人に対して積極的な投資をしているという錯覚に落ちているのではないか?現場のスタッフ達はまだ自分達の問題から出れずにいて、上にいる人達は売上の心配から解放され、だんだんお腹に脂肪がつくようになり、大切な臓器の新陳代謝を妨害しているのではないか?どこにいても自由に流れる水のような内部文化を見たこともないが、見える問題がないということに満足しているのではないか?
 
本社拡大、直営店オープン、直営リーダー制度の導入、加盟店と本社の共同経営をしようとする究極的な目的を事実私もよくわからない。しかし、1つの事実は静岡の海を見ながら知ることになった。
  [まだ始まってもいない。そして私達は未だにお腹がすいている。
私達がやらなければならないこと、そして本当にやりたいことは伝説を作ること。
人が人を人として創っていくこと。これが伝説ではないだろうか?]
 
このような決意から始まった2012年は、ライフサークル、ライフ写真研究所、全体会議の分離、店長会議、越谷店オープン、白書プロジェクト、士官学校、検定試験、2013年体制の準備に繋がっていく。
 
- 2012年の評価
2012年度を評価する重要な事業として、
『越谷店での現場適用プログラム』『執行単位としての分離』『意思決定構造としてのフォーラム』『士官学校』の4つを挙げることができる。
 
第一に、越谷店での現場適用プログラム
2012年のテーマは、現場適用である。直営店としてオープンをした越谷店は、現場適用のテストケースとしていくつかの政策を実施した。朝夜の1時間、3人で4件の撮影、週4勤務制度、湘南プロジェクト、12pプロジェクト、水平的リーダーシップ、35万プロジェクト、白書プロジェクト、等々.........
 
これらすべての政策は、それぞれ意味を持っており、互いに関連して動く。そして、多くの成果があった。この文章では、それぞれの政策の成果と反省は省略し[生きて動く組織]を中心に評価をする。[生きて動く組織]とは、越谷店を作った理由でありながら、過去6年間の評価の中で、現在の問題を解くことのできるキーワードであるからだ。
 
[生きて動く組織]はどこから由来しており、それが2012年を評価するための最も重要な基準でなければならない理由の説明が必要である。
 
2011年の後半に書かれた文章を見ると..
.....
2~3年前に内部強化という言葉が流行した。量的拡大を志向して、内部を強化しようというものだった。ところがよくよく考えてみると、内部強化ではなく、内部維持だったように思う。詳しく話せばオーナーとの関係維持に近い。実質的な内部とは具体的なことが起る店舗の現場であったのに、オーナー同士の間の関係こそが内部であった。
このような状況を一言で表すなら『不安な同居』。
 
リーダー会議がなくなり全体​​会議、ライフサークル、撮影研究所などでライフスタジオの構成員が横的に連結されリーダー間の関係は、春の雪溶けのように速い速度で形がなくなっていった。リーダーたちの接触面が減ったのであれば、その分だけリーダーが現場との接触面が増えるだろう。リーダーたちが率先して共にする文化と、別々に一緒にを実現し、それが店舗に拡散される絵を描いていた。これからはリーダーたちが地上に降りて、それぞれの変化発展プログラムを稼動させ現場に新たなエネルギーを噴出させるべき時だ。
.......
 
現在、私達は多くのことを行っている。写真分析、空間撮影、各種教育及び討論、本を読んで文章化、学習への集中と習慣、共に作っていく文化等々....このようなものが全体会議、ライフサークル、ライフスクール、ライフ写真研究所、店長会議、全体の教育プログラムの形で進行されている。
ところが、こうしたすべての活動が現場に連結されず、事業の進行が個別的であり、個人に限定されている。現実と理想のギャップが埋まらず何かをしている満足感だけが残っている。
.....
小さな枠組みで見ると一店舗が増えたに過ぎないかもしれないが、越谷店のオープンと運営がライフスタジオにおける一種の変曲点になることを望mmでいた。過去3~4年間の過程はマインドと方向性を決定し、これに対応する形式を形成し同意を求めることの連続であった。
互いに別の人生を生きてきた人々、そして日本社会が作ってきた無形の条件の中で、一緒に何かをしていかなければならいときは、議論と合意の過程が必要である。その過程で、私たちは大きな流れに乗っているという安心感と、一緒に方向性を持って持続的に事業を展開しているという自慢心同時にあったようだ。
 
しかし、核心は現場の構成員の細胞一つ一つに、その事業が影響を及ぼし直接適用され変化することが重要なのだ。すべての事業がお互いに関連性を持ちながら現場で結合し分解され、創造されながら私たちだけの形に変化を成さなければならない。ところが、現在の結果は、お互いの事業が個別に進行されながら推進動力が少しずつ分散化されている。
 
越谷店はこのような認識に基づき、統合するものは統合し、取り除くものは取り除き、追加するものは追加して、現場で適用される店舗の変化発展プログラムを作ることを目標にしていた。これが[生きて動く組織]という表現であり、[現場適用]という行動原則を作ることになった。
 
上記の文章を整理してみると、2011年のライフスタジオの状況はこうだ。表面上は何の問題もないように見える。ところが、私たちが成し遂げようとする目標の基準から現実を見れば、その判断は非常に変わる。まず、複数の事業が内容より形式に偏って本来の​​意図がかなり褪色していた。代表的なのが、各店舗に討論文化が定着されずにいることだ。私たちがこれほど多くの投資をしているにもかかわらず、この程度にしかならないことは、どこかに大きな障害があるからだ。
第二に、現場と学習、現場と教育が分離されていた。ライフスクールやサークルでたくさんの話があったが、現場では現場の論理が優先される。私達の学習と教育は、単に週末に楽しむゴルフとは性格が違う。共通の目標に同意をしたからこそ学習と教育は会社次元で行われており、集中投資をしている。現場で適用されない学習と教育は底に穴があいている壺にずっと水を入れているようなものだ。
第三に、現場の構造が学習と教育のためのシステムではなかった。店舗で学習と教育のためにやっていることが、全体に与えた主題に対しての討論を一、二回形式的にするということが現実であった。現場では、学習と教育システムが皆無な状態でライフスクールやサークル、または学習休暇を介して各個人の活動次元で行われていた。
集中と習慣という原則の下、学習と教育のための様々な事業がライフスタジオの構成員に適用されたが、それを組織という枠組で実行、評価、修正の段階を経て変化発展するべきなのに、そんな姿を見せてくれる店舗がなかった。各個人に学習と教育を任せて私をはじめとし、リーダーたちは傍観者的な姿を見せた。どこから間違ったのかを悩みながらでてきた代案は、『現場のシステムから変えなければならない』という結論だった。
 
[シーズン1]は、生存のための苦闘と規模の経済を実現するものであった。[シーズン2]は、写真・人・空間の中で人、それも内部の構成員に集中することだった。ところが問題は、変化発展プログラムを装着し、自立することを少し軽く考えていた事だった。
先にも言及したが、私の役割は私たちの目標に合った良い政策を作り、リーダーをうまく説得して各店舗に適用していくようにすることだと考えた。政策は執行されたが、現場では実質的な効果が表れていなかった。
しかし、逆に自発的に参加するライフスクールやサークルで人々が自ら変化発展したい熱望は非常に高かった。そのような情熱を持つ人々のためにより多くの水位を高めながら、複数の政策が施行された。各個人の情熱は現場で適用がされず、ますます疲労感がたまり始めた。だからどんな計画や評価をしても、その度最初の文は、[私たちは今まで何をしていたのか?]という自嘲から始まったように思う。
 
だから[現場適用]のために出てきたスローガンが[生きて動く組織]だ。[生きて動く組織]と変化発展プログラムの装着のための直接的な事業たちが現場で適用されることを意味する。集中と習慣のために朝夜の1時間を配置し、個人と集団の調和のとれた学習と教育の時間を作った。そして、これを時間的に、精神的に補完することができる装置が週4日制勤務制度の施行だ。そして学習と教育のための教科書として35万プロジェクトと続いて出てきたのが白書プロジェクトである。
 
ところが...............................
越谷店での現場適用プログラムは、多くの利点があり、その成果をAチームの次元に拡大した。しかし、そのような利点と成果があったにも関わらず、私は失敗だと考える。
(誤解の無いように...越谷店が失敗したというのではなく、越谷店での現場適用プログラムが失敗したという話である。もし違うと抗弁する人がいれば私にメールを送ってほしい)
 
2011年末から追われる者でなく、追っていく人に変化しようという言葉をよく言った。その転換を越谷店での現場適用プログラムが作ると言った。追われる人でも、このプログラムに長時間浸れば、少しずつ変化の動きをとることで、その間に水平的リーダーシップが作用するならば、その理想的な形が作られることを期待していた。書いて読んで討論をしながら、自身の条件を変化させる作業は、時間と労力を必要とする。
集中して習慣にするのは目に見えず、徐々に自分を水に浸すようなものだ。初めて朝と夜、一時間ずつ進行しながら、人々に現れた変化は肯定的なものだった。写真が良くなり文を書きながら各自整理され、またお互いを知る疎通の空間として作用した。
しかし、そんな現場適用プログラムは、個人で作業することもあるが、共に組織的に行われるものがほとんどだ。ところが、少し時間が経つにつれ、多くのアイデアが出てきて討論のレベルを上げなければならないという問題にぶつかったときに、再び追われる者の習性が表示された。
限界が見えたなら、個人がより一層の努力をしたり、組織が水位を調節するべきなのに仕事は継続して進められ、ますます人々の体と口は固まり始めた。そうしたときに、なぜ動かないのかと畳み掛ける人と、より自分自身を守ろうとする人々とで戦争が始まった。
こういった現象が発生すると、殆どはリーダーシップの問題だと話しをする。人々とよりコミュニケーションをとり、難関をくぐることができる方法を提示しなければならないリーダーの役割が重要であるという。
もちろんリーダーとリーダーシップも越谷店を評価する際に、大きな弱点に近づいてくるが越谷店の現場適用プログラムの失敗は、限界が訪れた時にスタッフたちが見せた硬直性から捜さなければならない。
適切なリーダーと変化発展にある程度同意する人なら、自分の限界が来た時、越谷店の現場適用プログラムがその峠を越すだろうと思っていた。つまり時間はかかるだろうが越谷店の現場適用プログラムが自分自身と世界への扉を大きく開くことができる鍵でなければならないのに、むしろより一層固く鍵をかける結果をもたらした。
何かが歪み始めながらも、各種言い訳の素材を見つけまわり、お決まりのリーダーへ無視が始まった。壁を立てかけドアに鍵をかけて締めるというのは、関係の​​断絶を意味し、自分の中からガスが発生し、そのガスが集まって越谷店の雰囲気を重くする要因として作用した。
 
なぜ人々は現場適用プログラムで答えが見つからず、硬直したのだろうか?
 
一定の限界が来たとき​​に生じる硬直性は、
ライフスタジオが語る変化発展プログラムの装着を
最も優先順位に置かなかったからだと考える。
 
例を挙げると、補助撮影者の段階が過ぎて撮影者に入る時期は、自分の全てものが撮影に集中している。顧客の反応やスタジオが提示する基準がある為、自分の技術がどこまで来たのか判断することができる。顧客の再撮影の要求があったり、写真があまり・・という周囲の反応を確認した瞬間落ちる情熱と共に自分のドアに鍵をかけたりもする。
しかし、その硬直性は、すぐに解けるようになる。撮影者になるというのが一番の優先順位にあり、これをしなかったときは、自身の存在意味を喪失するからである。
困難なときこそ正面から勝負するのが最もよい方法である。特別な薬があるのではなく、その時間を耐えれば良いのだ。一、二ヶ月の苦痛の後、ほとんど撮影者としての安定を取り戻す。
もし書いて読んで討論することを自身の優先順位1位に考えたならばどうなるだろうか? 周囲に聞き少し書いて学習を続ける。すると間もなく、少しずつ扉が開いたであろう。これを繰り返せば恐怖や不安はもっと少なくなり、自分が整理されるという魅力を知っていく善なる循環的な姿を見せただろう。
撮影者になることも、一ヶ月ほどの峠を越せば素直に自分を受け入れながら撮影の楽しさが少しずつ生まれてくる。越谷店の現場適用プログラムは、分かってみると特別なことはない。
朝夜の一時間を個人と集団で半々ずつ使用し、集中して習慣を作ることだ。そのベースは週4日勤務であり、白書プログラムである。もし、人々がこれを一番目の順位として受け入れられるならば適度に書いて適度に読んで適度に討論すればできてしまう。
それが焦点と習慣の原則が適用される瞬間だ。ライフスタジオは読み、書き、討論することを最も優先順位にするために越谷店を作り、現場適用プログラムを実施したのだが、構成員たちはそれを優先順位に置かず、そこから生じるギャップから問題が始まった。
むしろ現場適用プログラム自体がますます人々を硬直させる装置となり笑いがますます消える組織となった。
 
だから読み、書き、討論することを優先順位1にするために、現場適用プログラムと日常的なヒーリングキャンプが調和を成す[2013年体制]を導入しようとするのだ。越谷店の現場適用プログラムの成果は維持しながら、問題の原因を解決するために、3ヶ月間読み、書き、討論に集中できるヒーリングキャンプを導入すれば、ライフスタジオと自身を一致させることができると信じている。
 
第二に、執行単位としての分離
リーダー会議がライフスタジオの管理を中断しながら、店長会議にその権限が移転された。店長会議は、最初の意志とは違い会議の進行自体が円滑に行われなかった。司会者の資質、事前準備、ライフスタジオに対しての全体的な理解不足などの原因があった。同時に店舗が増え、店長会議と全体会議の非効率的な進行に対する指摘がありながら、3つのチームに分けることに決定した。表向きの理由はそうだが、少し深く入ると、リーダーの適切な位置探しも占めている。
リーダー会議は、2011年半ばから問題を露出させながらリーダーたちがライフスタジオを運営する能力を持っていないことをプロジェクト別リーダー会議の解散に確固とさせた。
店長会議が特別な進展を見せず、リーダーたちの位置が曖昧な瞬間になった時、全体会議3つのチームに分けるようになった。始まりは全体会議の効率的な運営のための分離だったが、本質的には執行単位として店舗を結びつける作業だった。Aチームは、越谷店の現場適用プロジェクトを中心とし、Bチームは韓国人社長たちの議論を中心に自由と遊びをテーマに、Cチームは解散と共に、各店舗別に進行していくことで決定され、現在施行している。
 
執行単位としての分離は形式的には自然な選択であったが、内容的には進行主体の能力に応じて、いくつかの形で表われている。店舗が15店舗に拡大され、100名余の人員に増加しながら、中央単位での統制力はますます弱まっていった。本社中心の単一体系を作る作業をしている最中に、二つのチームといくつかの店舗の自律運営という形式は、ライフスタジオの重心がバランスを取ってくれる良い構造となった。
オーナーが自らセルフ疎外を感じている状況で、各チームに分かれ彼らの活動空間が提供されたというのも全く喜ばしいことであり、適切なタイミングだった。そして待っていたかのよう動を開始した。韓国人のオーナーが見せてくれたバイタリティーはこれを証明している。
しかし、進行される内容は、ますます方向が変わる可能性を含んでいる。このような状況を各自が同じ目標のために競争するのか、それとも別れの準備を始めているのかについては、多くの激論が予想されるが、まだ心配するレベルではないと考える。
しかし、全体会議だけを分離したのではなく執行単位として分離したということが重要だ。
これは、お互いの競争を意味するからである。自律権の行使は、即ち責任を同時に持たなければならないからだ。だから問題になるのは、各チームで推進することの評価と責任の部分が不分明になる可能性が生じる。
長い間、この状態を維持するのか、どちらか一つに吸収されるか、どれもうまくいかないと解体になることもある。執行機関としての各チームの活動は、フォーラムやリーダーたちの会議、FAを介した従業員の移動で、ある程度は評価と牽制をすることができる手段を持っているが、向かおうとしている大きな幹は変えることができない。
一定期間は活動を見守るレベルを維持するだろうが、危険水位に来たときは特段の措置が必要である。Aチームは、現在進行している現場適用プログラムと共に[2013年体制]への移行過程での雑音と運営主体の曖昧さが予想される。Bチームの主力事業である週4日勤務と学習休暇は今年施行したものであり、予想可能である。そしてこれは、外部的に効果を発揮するものというより、内部的なシステムを作ることに土台となるものである。したがって、進行状況の評価を行うことが難しい。
そうなると残りはサークルとオーナーの集まりの活動に応じて決定される。
結局、Bチームのオーナーがどのような活動を見せてくれるかに勝敗がかかっている。
単一店舗の自律運営は、過去のリーダー会議でいくつかの原則を定めた。
 
-. 個別に運営することの形式的措置として、ロイヤリティを若干上げる。
-. 該当する店舗は、ライフスタジオのすべての人々に自分達の活動内容を通知する義務を持つ。
-. 期間は1年とする。自律運営に関する内容は、2013年末に再び論議する。
 
ロイヤリティは内面されるものであり、活動内容を通知する義務に対する基準が明確でないため議論が難しくなる可能性がある。会議当時、ライフスタジオの構成員が自律運営に対する内容を知らなければ、それはその該当店舗の問題だと規定した。何の問題提起なく1年が経過した時点での決定は非常に困難な状況になることもある。重要なことは、自律運営をする店舗が、今からその1年間はカードを握っているということだ。
 
第三に、意思決定構造としてのフォーラム
約1年ほど前から始まった有給活動リーダー会議が規模を拡大して韓国人フォーラムとして活動している。 12月からは日本人フォーラムの活動が始まり、日本・韓国フォーラムがライフスタジオの意思決定構造としての役割を担うことになるだろう。
 
最近このような発言を頻繁にする。"今まで多くの会議や討論をしてきたが現在の韓国人フォーラムほどに効果的な集まりは見たことがない" 自慢心からでた言葉なのでそのまま無視してもらい、韓国人フォーラムが効果的に進行されていると理解してもらえば良い。
現在、韓国人フォーラムは、いくつかの特徴を持っている。
 
まず、議論と会議が自然につながるという点だ。一つのテーマを数ヶ月に渡って討論をしながら試行錯誤を減らし、よいアイデアが生産される。そして必要に応じて決定はすぐに行われる。重要なことだが、急がなければいけないことは急ぎ、重要ではない事項についても適切な手配がされるということは効率性が高いことを意味する。その結果、参加者がライフスタジオを全体的に見ていける暗黙の了解と原則を逃さない技術が生まれる。
 
もう一つの特徴は、情報の量が多いながらも、同時に高い質を維持する。フォーラムは、ライフスタジオを構成しているすべての部分を話している。各自が知っている情報を共有しながら、現在のライフスタジオを一目で把握することができる。そして提供された情報を持って分析をするため、質は自然と高まる。
毎月2回開催されるフォーラムで持続的な情報の共有に状況の変化を予測し、以前の状況との比較の中で判断の根拠を提示する。
 
そして自発的な責任感が発生する。多くの情報と継続的な議論、そして迅速な意思決定の過程が繰り返されるにつれて、ますますライフスタジオの深くに入ることになる。重要なことを見分けて、意思決定構造に参加することになりながら、一種の使命意識が生じることになる。自発性に基づいて、自分がしなければならない事を自然に受け入れるようになる現象が発生するようになった。
 
何よりもフォーラムの活性化は、自身とライフスタジオを一致させようとする人々が
集まり始めたということだ。
 
越谷店を運営しながら、水平的リーダーシップの話をした。引っ張っていく人と引っ張られて行く人の区別がない状態が、水平的リーダーシップの主な内容である。変化発展プログラムを装着していくということは、自立することを意味し、そのような人々が集まった経済共同体をライフスタジオの目標としている。
これは、ライフスタジオの運営主体が即ちライフスタジオの構成員自身たちであり、自ら自身の問題を自分で提起して条件を変化させることを言う。変化発展プログラムというのは、私を構成する要素と、外部の条件を自分で変えていく能力だとしたとき、お互いを有機的に結び、変化発展プログラムを導いていく原動力を水平的リーダーシップだと考える。
 
最初は有給活動をしているリーダーたちの集まりだった。その中で情報が共有される過程で、新しい情報が生成され、それが政策につながり、ライフスタジオを運営する実質的な主体となった。各店舗で働く人たちは有給活動リーダー会議と多くの関係で結ばれている。自分の利害と要求、生活の条件がここで決定されるためであり、その過程に参加することは自然ながらも、自身の条件を自身で変えていこうとする積極的な行動である。
自身とライフスタジオを一致させようとの意志を持っている人が一人、二人と結合をしながら、現在のフォーラムに発展することになった。
ところが、韓国語で進行する韓国人フォーラムはどうしても韓国語が話せる人々が参加をし、そこから生成された情報と政策は、参加者の周りに知らされるようになり偏りが生じる。だからこそ日本人フォーラムもその必要性が提起され、12月から集まりを持っている。
 
フォーラムは単純に意見交換をする場ではない。疎通の構造として、そしてそれに基づいて政策を生産し執行する単位としての役割をしている。リーダー会議と店長会議が有名無実になった状況であり、執行単位として分離されている状況で、日本、韓国フォーラムはライフスタジオの実質的な運営主体としての役割を果たすしかない。しかし、責任としてではなく、権利としての参加と活動だからこそ効果的な運営を確保することができる。
 
ヒーリングキャンプを構想しながら、ライフスタジオの全体の責任を負うべき単位の必要性を述べた。 2012年が始まった時は、ライフスタジオの戦略と戦術を話し推進することができる人や勢力があまりにも微弱だった。ヒーリングキャンプで6ヶ月の活動を共にした同志たちが排出されれば、彼らがライフスタジオの未来の責任を負うグループに成長することができるという考えをしていた。ところが、フォーラムがその役割を遂行することになった。
フォーラムの持つ意味はだからこそ格別なのである。
 
 
第四に、ヒーリングキャンプ(旧:士官学校)
ヒーリングキャンプは有給活動のリーダー会議で偶然提起された。ライフスタジオの状況を話して、何か息苦しく、とてもゆっくり行っているのではないかという意見から始まったヒーリングキャンプは2、3ヶ月の議論の末に決定された。
 
2012年8月に作成されたヒーリングキャンプ報告書に、現在の条件と目標が出ている。
 
ライフスタジオが要求されている状況は
 
-. 日常生活から直接的に適用される事業への再編、
-. 集中した教育と学習の過程から起きる経験、
-. そのような成功経験をした人達の単位が、ライフスタジオを責任を持っていかないといけないということに要約することができる。
去年、静岡プロジェクトで幾つかの糸口を見つけた。
-. 現場で生きて動く組織を作り、本社中心の単一な体系を作ること、
-. そのためには組織と人が必要だということ、
-. だから直営店と士官学校の運営構想が始まったのだ。 
........
 
士官学校で必ず成すべきことは何なのか?
士官学校で必ず成すべきことは何なのか?という文章を書いて、少し考えている際に、思い浮かんだのはよく引用している映画「グッドウィルハンティング」の一場面。。。
 
社会に対する反発心と強い被害意識の中、いろいろな所で事故を起こしながらメンターに出会い、現在の自分と社会をそのまま受け入れ会社に出勤している主人公。。。ハーバードの学生達をより多くの知識で抑圧し、何の理由もなく集団で仲間割れし、愛する人がいても傷つきたくないから送りだし、自分の分厚い壁を壊さないように、より社会に対する1日1日を過ごしていた彼に、メンターが言った一言――お前はそこに直接行ったことが無く、そこの香りそこの感触がわからないだろう――そして硬く閉ざされていた扉を開き始める、その主人公が特別な知識を習得したり方法を使ったわけではない。ほとんどの映画がそうだが、山を登ることと同じように、一つの事件と人物達が繋がりながら多くの紆余曲折の中で頂上に登るようになり、下山する後ろ姿で映画が終結する。
 
士官学校の学生達に質問したい。
一つの大きな山を越えたことがあるか?
ある日誰かに、真剣に話せるそんな山があるのか?
自身の存在を確認し、世の中に私の体を投げ入れる自由を感じたそんな山を?
 
成長小説で抜けてはいけないような、そんな経験をすること。。。そのような経験は各自が請け負うことであり、その結果も各自違うだろう。その結果がライフスタジオと必ず繋がらないといけないわけでもない。
今まで経験してきていない大きな山を超えると言うことは、何を意味しているのか?
20歳頃、1泊2日で友達とたくさん旅行に行った。言葉では旅行というが、夜いつもとは違う雰囲気でお酒を飲みに行くということが核心であった。遠い所まできてただお酒を飲むわけにはいかないため、ゲームもして意味のある会話の時間をわざと作り出していた。その時よくやっていたゲームが真実ゲームに似た内容のものだったが、その中でアリランゲームというものがあった。自分の人生を過去現在未来に分けて大きな事件と計画をメインにグラフとして描き、それを友達の前で説明する一種の自己人生発表会のようなものだった。幼稚かもしれないが、みんな真剣に友達の話を聞き、拍手をおくり若干感動もあった。
 
このように自分の人生の傾向が変わる瞬間は誰にでもある。人生には3回の機会があるというが、その機会を掴むと当然そのグラフの方向は変わるようになる。ここで言う傾向というものは、ある職業や運、または結婚のような具体的な事件に対することではなく、追われる人生から追っていく人生、ついていく人生から味のある楽しい人生へと繋がることならば。。。
 
日本に来て沢山の人と沢山の討論を行いながら感じることは、自分達が積み重ねてきた壁の間で身動きが取れずにいる姿であった。しかし外から見える姿は驚くほど体制に順応的である。動きがとれず自分の内部からはガスが持続的に発生しているけれど、外ではすごく周りの条件を宿命として受け入れる矛盾の状態の連続が涙で、ため息で、そして人々との関係を一定の距離感を維持する力で表されていた。
 
そしてその壁を越えようとする努力や勧め、周りの成功事例を経験したことがなかった。何をどのようにすればよいのか全く知らずにいる状況はある意味、とても驚くべきことである。だから[問題が無い]という組織文化が広範囲に広がったのかもしれない。問題が無いことが良いというのは人と人の肌が触れ合わないということであり、そうであればあるほど私達は悲しくなるのだ。
 
教育プログラムやライフサークルを通して何かを変えようとしたが、若干の改善だけが成された。傾向を変えると言うことは今まで右手でご飯を食べていたのを、左手に変えて食べるというのと同じことだ。自分の目を変え、行動の根拠を変え、実践の質的変化を成すということが傾向を変えることだとするならば。。。士官学校以上にならなければいけない。士官学校は始まりに過ぎない。
 
つまり、士官学校は人生の傾向を変える始まりなのだ。
 
否定から肯定へ、受動から能動へ、木から森へ変わる
 
変化発展プログラムの始まりなのだ。
 
ヒーリングキャンプは現場適用プログラムの第2弾である。生きて動く組織を作るための越谷店オープンと共に積極的な人間改造プログラムとしてヒーリングキャンプが始まった。上記の文でも言及したが、ヒーリングキャンプを通じて変化発展プログラムが装着されることはない。感情を理性で解釈すること、自分の問題を客観化すること、読み、書き、議論することがなぜ重要なのかを知っているだろう。だから生き方の傾向を変えるものだと話した。
 
人と人が話をすることに私たちは慣れている。ところが、そんな話のほとんどは、人の感情や人の感情が出会って話をするということだ。討論をしても感情が出会い、会議をしても感情が出会う。ところが、人の理性と理性が出会って話をしたらどうなる?ヒーリングキャンプでは、感情と理性の両方を客観化させる条件を持っている。そのような、ヒーリングキャンプが持っている秘密の過程を見てみよう。
 
ヒーリングキャンプは自分自身を振り返りながら、自ら学習することができる時間がある。まず、自分の学習を通し何かが自身に入ってくる。その入ってきたことを討論を通じて排出する。意見対立があることもあり同意を得ることもできる。また、他の人の意見で自分の不足を発見することもできる。少し客観化されたことを再度自分の中に持って消化することができる時間を持つ。この過程を3ヶ月間繰り返すことになる。これにより、人と人とが出会う過程でお互いの感情ではなく、理性の割合が高くなる。それと共に[あ、こんなものか?]という、自覚の段階を通過することになる。知識が積もって、それが討論を通じて客観化され、知恵を得ることになる過程に至ることになる。
文芸がないので、この程度でしか表現できないのが全く残念だ.......
(ヒーリングキャンプについて知りたい人は、田中のヒーリングキャンプ結果報告書を参照)
 
このような過程を経てみると、自分の限界と戦うことができる力が生じることになる。自分で自分の中で発生するガスを減らすこと、条件の変化を想像するようになる。これは、上記の文のように否定が肯定に、受動が能動に、木から森に変わる変化発展プログラムが始まるだろう。
これを生き方の傾向を変えるものだと主張する。
この題目を見ると、自分の限界と戦う力と条件の変化がそんなに重要なのか?という質問をすることもできるだろう。
してもしなくてもよいこと、または、やったら少しは良い総合ビタミン剤程度に考えることもできる。これについては説明する方法があまりない。バスから降りることしか...........
 
ならば、今からヒーリングキャンプを経験した人々に電話をかけて、上記の文を読みヒーリングキャンプが本当にそんなところだったのか聞いてみよう。
二人に電話した。「そうだ」と言う。それではそのまま行くことにする。
 
越谷店の現場適用プログラムが失敗した原因について明らかにした。 1番の優先順位に置かなかったのは、言葉で説得することのできる性質のものではない。具体的なシステムを作り、そのシステムに同意する人が直接適用されたとき、自分が変化を体験しなければならない。ヒーリングキャンプが始まって約2ヶ月程度が経過したとき、強くこれだという考えを持った。越谷店の現場適用プログラムとヒーリングキャンプの結合を悩みながら出てきたのが[2013年体制]の根幹を成している。
それでは今から始めよう。
 
 
★. 2013年体制
 
 昨年の報告書にこんな文がある。
 [直営店の内部文化は、他の言葉で[人が人を人として]を現場で実現するものと考え る。生きて動く組織も、人が人を人として作る作業が実現されているその瞬間を表現した言葉だ。良い写真と顧客感動はこのような作業の結果物に該当する。数多くの報告書と計画書、そして様々な政策は、その政策自体に目的があるわけではない。
 
組織を生命体のように作ることが私たちの目標ではないのか?
自ら決定し、自ら革新する自由さを共にやろうということではないか?
 
 内部文化が作られたということは、私たちみんなの胸の中に[人が人を人として作ること]が信念として装着されているということだと考える。]
 
以前の全体会議で、日常的なヒーリングキャンプについての意見を聞いて見たとき若干の衝撃があった。
 絡まった結び目を解きもし、もう一度並べ替えをする過程が繰り返された。
今まで、非常に錯覚をしていたということ、
だからこそ強くならなければならないということ。
こんな時こそ原則に忠実でなければならないという考えが私を包んでいる。
 [2013年体制]は、上記の文のように自ら決定し、自ら革新する自由さを共にしていこうということだ。再びベルトを結び、誓いの瞬間に迫ってくる単語はやはり選択と集中だ。
 今まで行ってきたもので、本当に重要なことを選択し、目的が成されるように集中することが[2013年体制]だ。
ライフスタジオのすべての構成員にありがたく、申し訳ない心がとてもとてもたくさんある。
もう一度信じて共に行こうという言葉しかない。
 それでは............
 
 
[4大原則]
- 権限と責任
チェジュドの天気は頻繁に変わる。家の中に日差しが入ってきて気持ちが良くなったかと思えば、瞬間、冷たい風と一緒に雪が地面に向かって降りたりもする。すでに2週間、チェジュドの天気は曇っている。このように気まぐれな天気のように感情が表れる場合がある。私の感情が表れているということは、私の限界を確認する瞬間だ。今まで触れずにきた、その限界の地点で[2013年体制]は始まらなければならない。
 
本当に望んでいる世界と回避したい世界は似ている。
 
ライフスタジオの運営原理は[共にする楽しみ]、[自律の中の秩序]である。
共にしたいという気持ちと同時に存在するのは、私の中に誰かが入ってくることに対する拒否感だ。人々と一定の距離を維持しながら、私の領域に深く入ってくる人々を私の基準で選別し、少しでも問題が発生すると、領域外に追い出してしまうことがある権力を追求することもある。
また、自律と言いながら、常に後に秩序がついてくる。自律的に処理したものを秩序という名前で無惨に踏んでしまうこの動物的な習性はいつ直るのだろうか?
ライフスタジオは、我々すべてのものと言いながらも私の領域に侵入してくるものに対する防御本能が働いているときは自分自身に腹が立ち、非常に興奮するようになる。もちろん、それを他の人に転嫁させる技術も自然に研磨された。私と他者との関係、自由意志による行動と、既存の慣習との衝突の中から、我々は発展をする。一方に対する執着は変化に対する拒否をしながら、すぐに退化が始まるのだ。
 
組織を運営しながら決定を下す瞬間には、常にこのような考えがある。
 
[私はこの決定をする資格があるのか​​?]
 
代表的なのが給料やインセンティブを設定する問題だ。ポケットには使っても使っても余るほどのお金を確保した状態で、従業員に支給する1万円に集中している二重性が確認されたときは私の中に眠っていたオオカミが泣き叫ぶ。しかし、リーダーはそのお金1万円に集中しなければならない。そうでなければ、どこかで水が漏れているということになる。
自身に適用する基準と異なる基準を提示するとき、自ら困惑するのだ。このような場合を回避しようと権限移譲に対する話をたくさんしてきたようだ。それならば、すべてのことを渡せば良いではないかという方法を悩んだりもするが、それも人間には困難を越え外部からの物理的な力によらなければ不可能に近い。
大部分があちこちでダメ出しをされながら、隅っこに集まり、自ら自滅する手順を踏むことになる。だから、他の人より少し多くあげ非難を回避しながら生きて行く。
これは、自分の中に隠れている権力の二重性、つまり普遍的真理を分割する行動と同時に権限の移譲から来る空虚感が互いに衝突するからである。
さて、この二つを発展的に結合させることができる方法は何だろうか?
 
果敢に与えるものは与え、受けるとるものは受けとり、責任と権限を明確にすること。
 
決定的瞬間が来れば、お互いが受け与えしながら妥協をし、人類は進歩する。何を与えて受け取るか、または、それが正義の方向なのかは、私たちのレベルを決定するための基準になることがある。
普通の会社でよく聞く言葉がある。
[給料をもらってる分だけ働けばいいんじゃないか?] 
[一生懸命はたらいたって、サラリーマンはどうせそこがそこだろ?]
[従業員に給料をたくさんあげても仕方無い!]
 
給料をあげる人と給料を受ける人が区分されているのは何を意味するのか?もし区別がなくなった場合は?単純に公正なルールを執行する審判だけが存在したら?
 
追われる者と追う者の境界を崩す店舗はどこだろうか?無条件にたくさん持って行きたいという欲望ではなく、自ら決定し認める美しい状況は不可能なのか?
 
自身の運命を自ら決定し責任を負うのと同じくらい動機付与となって目標を達成する良い方法もない。
 [2013年体制]のためには自分で決めて責任を負う構造を作らなければならない。
そのためには権限と責任、権利と責任の問題を明確にすることから始めなければならない。
 
権限は自ら決定して責任を負う自由であり、
責任は変化発展プログラムが現場で作られる構造であり、
その中心には、読む、書く、討論する習慣である。
 
- 美しい競争
日本に来てもう7年になる。最初に来たときは韓国と日本を比較することばかりだった。目に見える現象を見ながら[やっぱり日本だ!]、[やっぱり韓国だ!]と規定するのは、いつも何か足りなかった韓国での生き方から大きな影響を受けているだろう。日本に旅行に来る友達の反応も大きく変わらない。最初は韓国の優秀性を確認することが主だったらなら、1~2年が過ぎ、その逆の現象で、日本の優秀性に変わっており、今ではたくさん客観的に見るようになった。
 
それでも、まだ適応できていない部分がいくつかあるが、その中の一つがあまりにも静かなことだ。韓国人から見たとき、日本の人々は自分自身を表に出すことに慣れていないため大体落ち着いている。良く話せば配慮であり、悪く言うと何を楽しみに生きているのか気になったりする。だからといって、個人的な時間に特別何をしているようでもない。もちろん韓国人も特別何かがあるわけではない。だから日本は楽なのに楽しさがなく、韓国は疲れるのに面白い社会である。
 
物静かで静かな人々が集まって組織を構成するため、その組織も落ち着いて静かだ。では、その落ち着いた静かな雰囲気の利点が現れなければならないのにそうでもない。むしろお互いの領域を侵犯していない場合は暗黙のルールが浮き彫りになって問題を起こさないことが最善の価値とされたりする。そのような雰囲気がライフスタジオが成そうとする目標との関係では衝突することになる。たとえば討論というのは、攻撃と防御を基本とする。相手の攻撃を介して論理の不実さを話して防御を介して自身の論理を補強する。攻撃と防御が行き来し、争点が作られるがその争点は各自を構成している価値観や世界観がクモの巣のように結ばれている。
 
自身が数十年間作業した蜘蛛の巣の修正を要求されるということは全く辛いことだ。だからだいたいその蜘蛛の巣で介入することを避けるようになる。動きが少ないため、リーダーの重要性がその分大きくなる。リーダーの傾向と方向にも偏りを見せる傾向を持っている。また、リーダーを牽制することができる人や雰囲気が作られないのでよくできているかそうでないのかの区別も難しい。風が一つも吹かない南太平洋の海とも似ている。
 
ライフスタジオが読み、書き、討論することを強調してからもう4年以上が経った。毎月店舗ごと、多くの会議や討論を行っているが、我々のレベルはどの程度だろうか?店長会議に一、二回参加をしたが本当に衝撃を受けた。店長会議に集まった人々は短くは数ヶ月、長くは数年間、各店舗での会議や討論に参加して直接進行をしたこともあるだろうし、その重要性を知っている人々である。ところが店長会議の進行方法や発言のレベルは全く......どうしてだろう?
 
会議や討論が変化発展の要素としての役割を果たすことを
経験したことがないからではないか?
 
ちゃんとやっていくべき理由が少ないからガソリンスタンドでガソリンを入れるのと同じくらい、会議や討論は形式的な行事となる。問題を起こさないことが美徳となると会議や討論をすればするほど見えてくるのは眠気だ。他人を配慮するのと、相手の論理を攻撃して、さらに適切なことを伺うのは別の話だ。戦いを回避することと、自分が正しいと思うことを論理的に話すことも種類が違うのである。ところが回避して適当にするプロセスは、問題を解決する方法をいつも避けて通っている。そして、その問題は自分の体のどこかで潜伏しているが、適当な時期に再登場する。このような傾向を変えることができる方法を発見した。
 
討論や発表、またはそのために準備する過程自体に命を吹き込む
その何かが必要だ。
だから出てきた原則が[美しい競争]だ。
 
[競争]という言葉が出てくるから拒否感を持つ人々がいる。競争を置き換えられる言葉が見つからなく、この言葉を使うしかないことを理解してほしい。 (良い言葉があれば私のメールに.....)競争を話すためには確認の認​​定を理解する必要がある。動機付与も確認と認め、この連結する要素に作用する。
 
私達は、確認から行動が始まる。女性だと自ら確認しているため、男子トイレには行かない。そして人を愛する心があることを確認して男を探す。ところが、確認されない時に、混乱が始まる。私が会社で必要な大切な人だということを確認されない限り、私の存在感が生じ、自らに動機を与えるのである。これは "自尊心"から始まる。自分の確認が前提されていないことを私達は "打撃"と呼ぶ。私がライフスタジオの構成員であるということは、私の一店舗の構成員であるということは、私が尊重される資格を持っている一人の人間であることを確認することはすべての事の出発点である。
 
そして、その確認過程を経ながら、同時に認められることを望む。これは、ご飯を食べればお腹がいっぱいになるように自然なことであるような人間の属性に該当する。認められるために自身をより磨き、変化させようと努力するだろう。あなたが私の名前を呼んでくれたので、私はあなたの花になることができるのだ。
 
このように、確認と承認の繰り返しは人が関係を形成しながら変化発展する原理の中心にある。
 
それならばそのような確認と認定の繰り返しを継続させる要素には何があるか?
いくつかあるが、その中に競争というのも含まれていないか?
 
競争を導入するということは自己を確認して認められたい
人間の本性に訴えるということだ。
 
特にライフスタジオではもっと必要だ。率直な心情としてはライフスタジオを戦場にしたい。甲子園野球を見てみよう。見方によっては戦場ではないか?美しい競争をする戦場.....
 
最近日本、​​韓国ヒーリングキャンプで、非常に敏感な事案である[領土紛争]についての討論バトルがあった。聞いた話では感動の瀬戸際だったという。領土という問題も敏感な問題だが議論に戦闘を繰り広げること自体で緊張感が流れ、それに合わせて多くの準備をしたという。ところが、いざ議論が行われ、お互いが勝った戦いを経験することになった。詳細はヒーリングキャンプ参加者の報告書を見れば分かる。
 
美しい競争は権限と責任を素材とする。権限と責任の前に堂々となれば、皆が勝つ戦いをすることができる。投げて受ける過程で知ることになる真理、それらが集まれば各個人の変化発展プログラムになるのではないだろうか?
 
美しい競争は乾いた薪の上に投げられるたいまつになるだろう。
 
-. 読み、書き、討論することを第1優先順位として...
 
本当に読み、書き、討論することが重要だろうか?
 
実は私もよく分からない。それがどれだけ効果があるのか​​を。ただそれしか知らないからやろうと言うのだ。より良い方法があれば教えてほしい。ないならばそのまま信じて行ってほしい。
 
ほとんどの問題は不明なことから発生する。分からないから不安が始まり、外部との通信を自分で遮断する。自身が作った網の中で分析して判断して行動する。そのような行動は影響を受ける人々の生き方に介入するものである。そして、すぐに問題を引き起こす。問題は解決できるときもあればできないこともある。解決できればよいのだができない場合に問題となる。その問題の解決はまた分からなくなる。原因不明の問題は、自分自身に積もり積もってシュワシュワとガスを発生させる。この過程の繰り返しは経験に蓄積されて、まったく問題が発生しないように行動自体を萎縮させる。だから人間はルールを作る。ルールは人間を楽にもするが、自由意志を制限する。自由意志が制限されるとすぐに生き方に楽しみがなくなる。良い趣旨で作られるルールは、再び人間をつまらなくする装置として機能する。
だからルールは目を覚まさせるためにあるのだ。ルールを守ることと壊すことはそのコインの両面のようだ。目を覚ましている市民の集団的な行動ができる社会であるほど遵法精神の変化の動きが同時に存在する。
 
ところが、その知らないということを明らかにする方法として何があるだろうか?殴打?集団いじめ?刑務所?
 
いつかなぜ本を読むのかを質問受けた時、こんな言葉を発していた。小説一冊を読んだと考えてみよう。複数の登場人物が出てきて人物たちの描写がされている。その文を読んで、読者は一つのイメージを持つようになる。単語一つに包まれているいくつかの意味を推理し、それを一つのイメージにする。
小説一冊にこのような過程が何度繰り返されるか?何百回、何千回も....作家は非常に微細な部分までも単語と文章で精巧にパズルを合わせる。これと比較して、現実で起こっている問題について私たちの内部で起こる感情の変化はこのような過程を何度繰り返すだろうか?5回、30回..... 100回程度繰り返したら病院に行かなければならないだろうか?そのような感情の繰り返しは真実と真理に近づくこともあるが、そのまったく逆になる場合がほとんどである。
あなたの社長を怪物にしてしまった経験を持っている人はよく知っている。怪物にしてしまったことが問題ではなく、自分の観念の中に社長を怪物として放置していることが問題だ。読むということは、見方を変えれば新しい情報を知ることよりは自身の心を洗濯する感じだ。    
知らないということから出るガスの原因を除去する爽快感である。
 
文を読むことはこのように自身を客観化させる酸素を供給する。
 
読めば1、書けば3、討論すれば10と言ったことがある。
 
[2013年体制]を書いた人と、この文章を見た人は[2013年体制]を理解するのにどの程度の差があるだろうか?
 
もし[2013年体制]という報告書を書かなかったら[2013年体制]という事業があったのだろうか?おそらく整理して報告書を作成していない場合、人々にあれこれと話しただろう。そしてライフスタジオの構成員は「日常的なヒーリングキャンプを2013年から始めるんだろうな」程度で認識したはずだ。
この文章を書きながらも感じる。少しずつ整理される自分自身を.......
 
ところで、いくら読んで書いたとしても自身の限界の中で起きることである。本当に格闘が上手なヒョードルも後ろから振り下ろされる棒を避けることができない。もちろん、映画では、後ろから聞こえる空気の割れる音を聞いて避けるこ​​ともある。後ろから振り下ろされる棒を堂々と受けようと襲い掛かる行為が討論だ。聞こえの良い言葉という意味でのパーティーではなく、頭が割れて血を流すという意志なのである。
 
なぜそれが崇高なのか?その方法しかないからだ。そして非常に効果的である。
 
一人で旅行に行き思索をして奉仕活動をするのも似たような仕組みだ。
 
結論的にはこうだ。他の方法を知らない。待ちに待った白馬に乗った王子が表れるのも良い方法であり、ロトに当たって瞬間身分上昇をするのも悪くない。一ヶ月に一度のヨーロッパ旅行に行く想像もしてみたが写真館で仕事をしながら変えることができる方法は、読んで、書いて、討論することしか未だに分からない。したがって、[2013年体制]は、読み、書き、討論することを第1順位とする原則を持つ。
原則とは、やったら良く、やらなければそれはそれだということではない。
読み、書き、討論することを第1順位とするということは、
[2013年体制]の中に入ることができる出入り許可証のようなものだ。
 
- 知らないことは犯罪である。
日常的なヒーリングキャンプについての議論をしていた2~3ヶ月前から今までほとんどの人々は、日常的なヒーリングキャンプが何をするのか知らない状態で、自分の給料が減ったり何か新しく変化するということ自体に日常的なヒーリングキャンプへの不信感があった。2~3ヶ月の間、人々の認識の変化の過程を見ると情報取得の主体が誰なのかに対する根本的な問題を確認することができる。
 
成功した人とそうでない人を分ける基準は何だろうか?いくつかあるだろうが情報をやりとりする能力もその一つだと思う。世界のすべての事は情報で始まると言っても過言ではない。士官学校の報告書に出てきた内容を引用してみると
 
昨日ピョンチョョンアと話しながら[人の心を引き付ける魅力]の話をした。リーダーが必ず持っている必要がるものは何なのか?
企画力?推進力?カリスマ?未来予測?。。。
すべて重要なことだが[人の心を引き付ける魅力]が最も重要であり、それが始まりであり、終わりだと主張した。
では、何を持ってして人の心を引き付けなければならないのか?ドヒョンのようにハンサムな顔?人間に対する無限の愛情?目的としたものは必ず守る不屈の意志?これらは全ても本当に重要だが、これらが効果的に役割を担当するためには、何が必要なのか?先に時事に関する内容を書いたが、自分自身を継続して投げかけていかないといけないと言った。私と私、私と対象の間には何があるのか?
 
つまり私と私、私と対象の間で伝達されることを[情報]と言う。
 
梯子理論で説明してみると、私たちは何をしたときに限界に直面する。1から5まで知ったとしても6がなければ絶対に7を知ることはできない。ところが、私たちの目標は、常に100である。6を知ると7を知ることができ、7を知ると8を知ることができる。たまに5まで知っているのに10を知っていると勘違いしている場合もある。このような時、私たちは多くの間違いを犯すが、その間違いを修正する過程で6を知ることができ、7をきちんと知ることになるのだ。
そうすると、10は自然に以前と違った姿で私たちの前に現れる。梯子を登るときのように一歩一歩登るしかない。その6を知ることができるのは何だろうか?その神秘の物質とは、まさに情報の取得と共有という作業である。冷蔵庫に何かが入ってなければ何も作ることができない。冷蔵庫に何もない場合は、各自の観念だけで料理を作ることができる。
そのような食べ物は、つかの間の喜びにを与えることができても、いざ空腹時に食べることができない。むしろお腹がすいたら自分のおしっこをためて食べる方が正しい道だ。冷蔵庫に入ってくるのが情報であり、その情報を分析して判断して私が作る料理を決めて実行に移す。
 
この世界の争いは、大体が情報がないか、それでも情報を固定観念の支配を受ける腐った材料で行われる。もし、この文章を見た人々が持っているイチェウクという人の判断は、各自ばらばらだろう。同じ人を違うように判断するということは、どこかで間違いを犯しているという話になる。そして、その間違いが無条件悪いことだけではない。鍛冶屋の職人が刃が真っ黒になるまでカナヅチで叩くように、情報が継続的に入ってきて、それが共有される過程で、より一層客観性を持つようになり、その中で知の世界に、さらには信念に発展することができる。
 
リーダーシップで重要であるという洞察力、推進力、自信、情熱、将来予測、人間に対する礼儀、目標設定能力などの基本的な単位は、​​情報取得と共有することができる。情報取得は、世の中に存在するすべてのものを対象とし、共有とはレーダーの電波のようにすぐに飛んでいって正確に戻ってこなければならない。
 
ところが、通常の情報取得と共有を補助的な手段として考える傾向がある。
しかし、士官学校では情報取得と共有そのものを主題とする。人に深く入って共感すること、目に見える現象にとどまらず、本質を探して説明すること、自分の前にあることを越えて全体を対象とするもの、ただ入ってきた情報の解釈で留まるものではなく、目的意識を持って情報を探し、自分の言語で作ること、自分の言語を他の人の言語で再解釈する技術と真正性。。。このようなことが変化発展プログラムではないのか?
 
情報の取得と共有はこのように重要である。ところが、情報の取得と共有でほとんどの人々は受動的な姿勢をとる。情報を受けるものだと考えている。社長や店長が会議に行って来れば説明してくれるものとして認識している。説明をしなければそれまでである。
ところが、自身に直接関連しているのは、前後の部分が切られた情報だけを聞いて判断をする。日常的ヒーリングキャンプの議論の過程がそうなのだ。
これにより、人々はこのように話す。
[情報をよく伝えてくれないといけないんじゃない?]この点は非常にもどかしいことだ。
 
一人が情報を伝達すれば、その人間の枠組みで話をする。それを再び自分の枠組みで受け入れる。うどんの麺をヘビで表現をすると、アフリカの奥地の人々は日本の人々がヘビを醤油、水に入れて食べると信じるだろう。
問題はいつも1つの枠組みが一方的な方向に来るからである。情報の量が少ないことも問題だが、常に一方的に誰かは与えて誰かは受けることが決定的である。だから疎通の構造を作成し、各種会議や討論を作っても苦しい状況は改善されない。だから特段の措置を取らなければならない。
これから知らないことは犯罪である。
供給者ではなく、その情報が必要な需要者に情報取得の義務がある。
 
越谷店にいる人々が情報を取得することができる条件は、自由が丘のソニよりも数倍は条件が良い。フォーラムに参加する社長、高徳、カンヒ、トヒョン、ヘヨン、ソラの夫ウンヨンがいる。これらの人々は越谷店で仕事をしたり、近くにいる人々である。
さすがに日常的ヒーリングキャンプに関する情報の取得をできなかったと弁明はできないだろう。これまでも情報取得と共有に関する話をたくさんしてきたし、いくつかの政策を実施したがうまくいかなかった。
だから[2013年体制]の原則に[知らないことは犯罪である]を作った。
情報の取得と共有の受動的な人は仕事ができない人だと証明されるだろう。これからは社長と店長に情報をくれと要求しなければならない。そして共に働く仲間にあなたを見せてくれと要求しなければならない。それが人間関係の始まりであり終わりである。
 
[4大事業]
 
- 日常的ヒーリングキャンプ
ここでヒーリングキャンプに対する具体的な文は書かない。ヒーリングキャンプが何なのかわからない?これも「知ることができない」から来る漠然とした不安だろうか?ヒーリングキャンプに参加した人々に10分だけ話を聞けば、ほとんど知ることができる。だから起きて近付いて質問しなさい。
 
日常的ヒーリングキャンプの運営に対して無作為に列挙してみよう
 
- ヒーリングキャンプは3ヶ月単位で進行する。
- ヒーリングキャンプは3ヶ月行い、3ヶ月は現場適用プログラムが適用され、通常の営業
- ヒーリングキャンプは3日間の学習と教育、2日間は現場適用プログラムが適用された通常営業をする。
-  3ヶ月間進行する現場適用プログラムが適用された通常の営業は4人基準で6件の撮影をしながら、朝、夜1時間、週5日勤務、白書プロジェクトを行うこと。
店舗の人員や撮影件数、運営方法は、店長とその店舗の固有権限である。
 
- ヒーリングキャンプ3ヶ月の学習と教育内容は、ジョンジョンアが2月末に発表する。
 
- ヒーリングキャンプを志願する教育マネージャーを養成して活動する。教育マネージャーは、その店舗の要請がある場合に3ヶ月間店舗のメンバーたちと生活する。教育マネージャーの給料はその店舗で支払う。
 
- ヒーリングキャンプをする時期は、新たに選抜された店長が論議して決定する。
 
- ヒーリングキャンプ3ヶ月による収入の減少は、通常営業期間に補充する。これは、店舗の運営が6ヶ月単位で行われていることを意味する。
 
‐メンバーが4人である時を基準に簡単に計算してみよう。
ヒーリングキャンプをするとき8日× 6件撮影= 48 × 42.000 = 2.000.000 
通常営業の場合22日× 6件撮影= 1​​32× 42.000 = 5.500.000 
一ヶ月平均3.750.000 
約3.500.000 から4.000.000程度の6ヶ月平均の月売上が予想される。
この程度の売上高では、非常にギリギリの状態で店舗が運営されるものと見られる。
 
このように書いてみると、非常に簡単ではないか?
 
まずヒーリングキャンプが導入されると、現在の給料からの引き上げは期待することができない。場合によっては現在の給料から全体的に削減されることもあるかもしれない。
したがって、それが心配な方々は、[2013年体制]をされなければ良い。
 
ヒーリングキャンプをする上で不安に包まれた人々がいる。学習と討論があまりにも難しいと思っている人々がいる。そしてある人は成長するのに自分だけ取り残されるのではないかと心配したりもする。
それでは静かに考えてみよう。読み、書き、討論をよくすることは無条件良いことで必ずそうなるためにすることが[2013年体制]だ。ところが今はよくできていない。当然のことではないか?できていないからヒーリングキャンプをするのだ。
 
ところがライフスタジオの内部文化が読み、書き、討論をできない人に対して集団でいじめをしているのか?言葉と行動が違い勤務態度が良くない人を嫌うのであって、読み、書き、討論することが出来ないことについて問題提起をしているだろうか?
 
むしろ何の準備もしてこずに、そのまま知らないと頭を下げて、早く終わるのを待つことから自ら萎縮しているのではないだろうか?日常的ヒーリングキャンプは読み、書き、討論することがうまくできない人々のための事業とも言える。時間と空間を投資し、その峠を越えることができる機会を提供するものである。よくできる人々の競演場ではなく、うまく出来ない人々を待ってあげることができる余裕が保証された空間である。
 
権限と責任、美しい競争、読み、書き、討論するのが第1順位、わからないことは犯罪だ、という原則を述べた。ヒーリングキャンプをすることが心配な人々に、この原則を代入してみよう。権限は、ヒーリングキャンプをすることで責任はヒーリングキャンプが提示する内容を上手にすることである。ヒーリングキャンプを行うことを責任と考える人はバスを降りていただきたい。ヒーリングキャンプは1億2千万人の日本人の中で選択された二十名ほどがするのだ。同じような経済的条件の中でヒーリングキャンプをすることができるということは、権限に該当する。そしてヒーリングキャンプが提示することをちゃんとしていくことは責任に該当する。
ヒーリングキャンプが提示するものとは何だろうか?自身の限界と闘えということである。難しいか?
ならば耐えなさい。恥ずかしくて恥ずかしい瞬間を耐えなければならない。だからこそもっと勉強して、より準備しなければならない。他の人と比較して自身を評価するという意味ではない。自分の基準で超えよということであり、それを耐えよということだ。自身が準備して努力することは、いくら隠そうとしても隠せない。反対に準備と努力がないことも隠すことができない。しかし、表に示されているものは耐えなければならない。
だから我々はタクシーに乗って行かず、冷たい風が吹くプラットフォームに立ち電車が来るのを震えながら耐えるのだ。
父親の精子と母親の卵子が出会うその瞬間から、私たちは耐えながら自身の基準を超えてきた。赤ちゃんが初めて「ママ」と、どもりがちに話をする時涙が出てくる。その子が我慢できず勇気を持って自分で吐いた言葉に、私たちは感動をするのだ。ところが、今ヒーリングキャンプで提示するものは肌の弾力のための美容教育をしようというのではない。堂々とした人間になろうとするものであり、我々が知っている最良の方法だと信じているからだ。
先日朱美と電話をしながらこんな話をした。ヒーリングキャンプがどうだったかと尋ねたところ、[人が人を人として作ることができるところ]と言う。だから人に対してあれこれ話を交わした言葉はこうだ。我々は、あまりにも感情だけを持って話す。感情と理性のバランスを成​​さなければならない。
 
ヒーリングキャンプは理性を持って感情を話すことができる条件を持っている。
だから、今とは違う人間関係が形成される。
信念で結ばれる風変わりな経験はヒーリングキャンプの最大の利点だと考える。
 
自身の不足さを引っ張ってくれる力は、感情と理性のバランスから来る。痛くて大変な時そばで一緒に泣いてくれることができる友達も大切だが、その原因を客観的に話をするのも感情を治癒することができる良い方法である。そんな友達とイラク戦争を話しながら、数十年前の太平洋戦争の状況と比較してみるのも良いだろう。よって、自身の限界が確認されるようで不安に震えている子羊がいれば、その人こそが本当にヒーリングキャンプが必要だと強く叫ぶ。
 
日常的ヒーリングキャンプは2月中旬に全体的な計画書が出てくる予定だ。責任に該当されるその内容を各店長が各店舗に合うように再設計をして運営をすればよい。
 
ヒーリングキャンプを簡単に説明すると週4日制から週5日へ変わり、その1日を教育に、そして1日を一緒により​投資して行う集中的な教育プログラムである。たいしたことは無いかもしれないが見方を変えれば決定的な重大なことだといえる。
ヒマラヤの山を征服するとき一番最後のベースキャンプ地から頂上に登る。その瞬間が最も危険ながらも決定的な過程である。
もしかすると、私たちは常に一番最後のベースキャンプにまで行き、再び降りるということを繰り返してきたのではないか?頂上に上がるということは征服を意味しな​​い。より高いところまで行こうとする人間の欲望で頂上に上るが得られるのは、より低いところに臨む平和ではないか?ヒーリングキャンプは最後の峠を一緒に越えるシェルパのようなものだ。
 
  • 店舗を構成することができる権利(店舗構成権)
ライフスタジオに入社するときは、その店舗の社長がどんな人物で、内部の文化や構成員を知らない状態で入社をする。最初はライフスタジオに入ってきたのだが、その店舗の規定を受けることになる。時間が経つにつれて、ライフスタジオを知りながらより良い条件を探すようになるのだが、それが容易ではない。だからFA制度を作り、ある程度施行されている。
これから[2013年体制]という共同体に入り、この共同体の規定を受ける。 [2013年体制]に入ってきた店舗は書類上では異なれど、同じ会社といっても差し支えない。各店舗にすべての権限を与えるので店舗だけの自律権を行使するだろうし、必ずしなければならない責任は同じであるからだ。同じシステムを持っているので、その分の壁がなくなったことで、何でもすることができる条件になったということだ。
 
店舗の構成権は、過去の全体会議で話していたランニングメート制度の拡張された概念で見ればよい。店舗を一緒に運営したい人々が集まれば、それらに店舗を構成することができる権利を与えるのである。
最初にランニングメイト制度を構想することになったのは、来年4月1日新たに発足する[2013年体制]を考えながらすべてを再度リセットし、新たに出発しようという趣旨から出発した。一緒に働きたい人々をお互いに選択した場合、最強のメンバーが構成されることもあるという考えもしてみた。
 1月に[2013年体制]報告書が公開され、店長になろうという人が運営計画を作成し一緒に働きたい人々との接触を開始する。同時にすべてのメンバーたちも一緒に働きたい店長を選択して4月1日から新たに出発しようというものだった。ランニングメイトという言葉が出てきたのは、[2013年体制]の下での店舗操作は一人より二人が同時に意志を集めて同意を求めることがよいのではないだろうかと出てきた言葉だった。だから二人というのはそれほど重要なことではない。自身が意志を見せて人々の選択を受けること自体が不慣れでランニングメイトというのが普通選挙で行われるため、内容の類似性からランニングメイトという言葉を使うようになったのだ。
 
店舗の構成権はランニングメイト制度を超えた概念で一緒に仕事をしたがる人々が集まれば、彼らの自由意志で空間を作ることだ。その空間は、既存の店舗であるかもしれないし、必要であればオープンすることもできる。
ランニングメイト制度はリーダーたちに、店舗構成権は全員に焦点が合わせられている。
 
  店舗の構成権は自ら規定し条件を作っていくというライフスタジオの理念とも連結される。
 
今回施行される店舗の構成権は、ややもすると既存の店長たちに脅威になるかもしれない。今までよくしているメンバーたちに混乱を与えるかのように受け入れられるかもしれない。見方を変えれば、既存の店長の再信任を問うものでもある。
体に良い薬は口に苦いというが、このような時のためにある言葉のようで​​もある。
だから民主主義は疲れるのだ。
 
日程的には、1月初めに報告書が公開され店舗構成権に対する意見を取りまとめた後に施行するかどうかを決定する。施行が決定されると2月の全体会議まで店舗構成権を行使する人々は、基本的な書類の提出と一緒にすべての人の前で自分の意志を発表する。 2月中に一緒に店舗を構成する人材を募集し、3月の全体会議で店舗の構成を確定·発表し、その人員で4月1日、新たに出発する。
 
この文章を読む人々の中になんでここまでしなければならないのだろうかと首をかしげる人がいるだろう。私たちは多くのことか​​ら影響を受ける。広くは太陽の周りを回る地球人として、日本で生まれたという理由でうどんと寿司を好んで食べる。この社会が作っておいた構造から私達は自由になれない。その影響を認識して批判して変えながら、人間になるのだ。
ソウルからチェジュドに行く飛行機代が日本円で安くて3000円で行くことができる。東京から成田空港までは3000円かかる。若い人に会ってみると韓国人に比べ、国内旅行をする頻度は日本人のほうが少ない。なぜだろうか?高いからだ。日本の人々が旅行を嫌うのか?そうではない。それらにもそんな理由があるからだ。
私たちは、社長を選択したのではない。店長を選択したわけでもない。誰かの選択を見守っていたのだ。選択する人は選択をしながら、なぜするのかを知らず選択を見守る人は私事ではないと考える。
原子力が危険だといくら騒いでも、それは私事ではない。国がエネルギー政策を原子力に選択したことを見守っていたに過ぎない。福島の原発が爆発する様子を見てご飯を作る水も生水を利用するこの瞬間に原発ゼロ政策が危機に瀕している。
それも、誰かが選択したことをただ見守っているだけだ。
 
社長や店長は自分に直接的な影響を及ぼす人々である。問題があっても提起をしていない。自身がその空間を超えることから解決する。勇敢にFAを宣言すると、オーナーは、2つの反応を見せる。FA宣言の過程が間違っているということと、裏切られた感を抑え込むうめき声のような心の音。FA宣言は誰に最初にすべきかというジレンマがある。
行きたい店舗の意向を聞きもせず既存の社長にFAに出ますというのもおかしな話しになるし、行きたい店舗の社長に先に話すと、それは一種の事前テストのように受け入れられる。本人が嫌いだった従業員が行くとしたら病んだ歯が自然に抜けることで、会社で必要な人であれば [君が私にどうしてこのようなことができますか?]と言う。
このすべては順序が間違っている。行こうとするその人の立場から、まず考えなければならない。その人がなぜ行こうとするのだろうか?私はどこから間違ったのだろうかを自ら省みることから始めなければならない。この問題を解決するのは社長の水準の低さのせいにする前に、自らを省みてそこに歩いていく自由意志から始めなければならない。
 
店舗の構成権が特別に使用されなくても、そのような論議をして制度を作ること自体が私たちの姿を自ら規定し発展させることになる。また店舗の構成員は昨年の計画から明かされた直営リーダー制度の導入とも関連されている。直営リーダー制度はいくつかの長所をもっており、気になる人は昨年度の本社計画書を参照してもらいたい。店舗の構成権は任命職店長ではない自身が意志を持って積極的に内部文化を作ろうという直接的な行動である。
 
もしかしたらこのような懸念をすることもできる。選ばれた人はいいが選ばれていない人々はどうなるのか?または選択した人々同士の文化が集団利己主義になる可能性はないのか?もちろんある。店舗の構成権を考えるようになった最も大きな理由は、あまりにも動きがないことからだった。ライフスタジオの情報疎通構造は非常に脆弱である。100人程度が一つのシステムで動くのに、その中での特定の集団の文化があるだろうか?人々が自然に集団を形成するというよりは、上からの事業や指示による集まりがほとんどだ。いや、ほとんどではなく、すべてがそうだ。店舗を超えて、果たしてどのような文化があるだろうか? Bチームでの自律的なサークル活動が今までの姿で最初に出てきた事業であり、だから肯定的だ。
 
そして選ばれたり選んだりをするということに執着する必要はない。自分が好きなものだけを買う権利はコンビニにあるが、車道ではなく歩道を歩いていくことは義務ではなく我々の権利である。とても慣れてしまった文化で生きているから自分で決めなさいということに不安が多いのも事実だ。しかし、私たちは大人であり、今後、前に手を差し出すことを知っている人間である。一方では、各自にも自分を冷静に評価することができる良い機会になることもできる。傷つくことを恐れているなら、おならもでもしてみればいい。その匂いに他の人々が反応するように...
 
- 店舗別 催し物 ヒーリングフェスティバル
Bチームで話されて進行されることが自由と遊びである。そして[2013年体制]は、競争を話している。似ているようでとても違うようでもある。とにかく面白く動機付与をしようという趣旨から出た政策だ。競争を美しい競争と付けたが、結果が血なまぐさい殺戮の競争になることもある。実際にはそうでもなったらいいなという考えだ。
 
店舗別での催し物は毎月第三火曜日に、各支店で行った活動を発表の形式で自慢するものだ。店舗ごとに行うと競争心は当然上がるだろう。催し物が美しくするためには内容が一定の水準を維持されるようになるだろう。
発表をし、それが確認されること自体がエネルギー生成の源泉である。
 
ここで個人的な話をちょっとしたい。これは極めて個人的な経験だが、多くの人々にも同じような経験があると思う。
 
大学生の頃、学生会副会長候補となった。それも候補の締め切り3時間前に提案を受けて1時間前に候補登録をするようになった。明日からすぐに選挙運動が始まるが、何も準備ができていない状況だった。そして私は生徒会出身でもなく選挙が何かも知らない非常に平凡な学生だった。 2年制大学だったので1学年末に候補となるのだが、大学生活6ヶ月の1年生が何を知っているだろうか。後で知ったことだが、学生会からの候補者を探していた時に人があまりにいなくて私の名前が少しだけ出されたことがあったという。そのようなサークルにいた先輩が、その当時の学生会総務部長だった。 "チェウクは話すのが下手でダメだ。。できないにもほどがあるくらいできないからダメだ "と言ったという。
そうだった。その当時は話を10秒以上言えなかった。候補の締め切り3時間を残し候補を集められずして焦った先輩たちと廊下で偶然会うことになった。そして学生会副会長候補になったのだ。私の人生のターニングポイントは、その廊下だった。
候補登録をした先輩が『演説文は君が自分で作成して明日それを見よう』と言って行った。公約も出てこないし、大衆の前で一度も話したことのない私に公約の説明をするスピーチを書いて来いという。
家に帰って寝ずに書いた。学校生活6ヶ月の経験と、私が考えている一般的な学生会の役割について整理して演説文を作った。そして選挙遊説が開始されて震える胸をつかんで授業が進行される教室に入って約20分余りの間、演説文を読み上げた。ところが..........................
大当たりが出た。オバマの演説を凌駕する..............................................
今一度再現をしてみればこうだ。生徒会が何なのかも、まったく分からなかった私は家に行ってスピーチ文を書いたのだ。初めて長文の文を書いたのだ。私の考えを整理して文章を書いて人々に発表した最初の事件だった。文を書いたことを力説する過程は私を違う世界に導いた。上記の美しい競争を説明しながら話した、確認と承認の瞬間だった。演説をした前と後では全く違う人生だった。私が理性に目覚めたのは本でもなく女性でもなかった。 1989年11月の人々の前で自分の演説文を発表したその瞬間だった。
 
店舗別の催し物が何を意味するのか説明しようと自慢だけの決定だを使用した。
 
美しい競争が何を意味するのかもわかるだろうか?
 
発表の内容は、大きく写真、哲学、時事などに分かれると予想される。 [2013年体制]を進行する店舗は同じ主題を一月間進行し、その結果を発表する形態になるだろう。発表の形式は、様々な特殊効果、音楽、ミュージカル、演劇、映像などすべての芸術媒体を動員して段々と進化することを期待する。ようやく面白くなってきただろうか?
 
権限は、催し物を通じて確認と承認の喜びを合わせ味わうことになり、責任は発表をしていくことになるだろう。
一ヶ月間読み、書き、討論することを店舗別出し物という形で美しく競争するこことになるだろう。
 
おそらく高徳が[2013年体制]の催し物部長になってヒーリングフェスティバルを導いて行くことになるだろう。
ヒーリングフェスティバルの核心はギフトである。インセンティブ、海外旅行、カメラ等々....
 
- 店舗の明確な権限と責任
いつも権限と責任の明確な区分がされず問題を発生させる。それだけの権限と責任の区分は難しいながらも曖昧である。明示的に区別することができるよりも区分できないものが多いからだ。それでも区分してみよう。
 
権限と責任には財政に関する問題が大半を占めている。お金の流れこそが仕事だからだ。簡単にまとめると、本社に入ると約束したものは責任であり、それ以外の部分はすべての権限だ。したがって、本社に約束した金額を送金すれば、それ以外はすべて店舗が自由に執行すればよい。
それでは本社に入っていくことが重要だが、この文章では、暫定的にその輪郭を明らかにし、店長とリーダーとの協議の過程を経て確定する。
本社に入るお金にはロイヤリティ、[2013年体制]運営費、社長の給与、会社の利益がある。ロイヤリティは売上高の3%、[2013年体制]運営費は売上高の5%、社長の月給は80万円としたら適当ではないかと思う。
 [2013年体制]運営費はインセンティブ、人件費、赤字財政店舗の支援金などに使用される。社長の給与は、所有と経営に分離して所有の部分は固定にし、経営の部分は[2013年体制]の中での経営にして[2013年体制]の運営費で支給する方法も考えられる。
各店舗の社長という役職自体をなくし[2013年体制]内の構成システムに社長が職務を持って仕事をする形態が理想的である。消費税​​と所得税は店舗で支払われるものと毎月一定の金額を貯めておく方式をとる。これにより、店舗では、月給策定方法、余ったお金の使用程度が話になるだろう。
その使用内訳に応じてその店舗の内部文化が決定されるだろう。そして何人が、何件の撮影をするのかは各店舗の固有の権限である。
しかし、責任を果たした後の権利であるため、様々な点を考慮する必要がある。もし今回の年末のように10日程度休みを取ると本社に支出しなければならない金額が払えない場合が発生する可能性もある。そのような場合も同様に責任以後の権限が作用する。給料の設定を下げて休みを取るか、休みの日に撮影をするかなどの方法で責任を果たすべきである。過酷だろうか?過酷だと考えるならば、経営者と所有者の立場からも考えて見てほしい。経営者と所有者の立場では、それよりも何倍も厳しいだろうから...
財政に関する部分は現在の湘南店でまず施行しているものが参照できる。財政に関する問題は、当事者が密接に様々な角度で議論する必要がある。
 
そして何よりも重要なのが、[2013年体制]を共通のものとして実行することだ。
時事、哲学、写真を中心に読み、書き、討論することは責任である。これは、今後のヒーリングキャンプ計画書が出ればもっと具体的に責任の規定があるだろう。
 
この文章では、出てこなかったが店舗の明確な権限と責任は深く入れば、その量が非常に膨大である。これから権限と責任を明確にする過程が即ち[2013年体制]の成功かどうかを決定する重要な要素になるだろう。店長とオーナー、日本、韓国フォーラムなどの論議構造から作られなければならない。
 
[2013年体制の要約]
[2013年体制]を一言で要約すれば何だろうか?
 
韓国企業のイメージ広告がある。一人の若者が歴史と伝統があるような大学のキャンパスを走る後ろ姿から始まる。それとともにこんなコメントが続く。
 
あなたの周りに最も信頼できる人を思い浮かべてみてください。
 
どんな人ですか?
 
ミスをすれば認めることができ、約束をすれば必ず守る。そのような人ではないでしょうか?
 
常に原則を守る予測可能な人、その人が信頼できる人です。
 
この広告の記憶が鮮明でヒーリングキャンプの人々と[常に原則を守る予測可能な人、その人が信頼できる人です]の意味について討論した。その中でも予測可能な人、その中でも予測可能であることが、おそらく私の心に残っていたようだ。
 
ライフスタジオの目標を達成するためのモデルが出なければならないというプレッシャーが私の中で続いていた。特にライフサークルのリーダーシップサークルと写真研究所グラビアをしながらしきりに力が抜けるのを感じていた。その当日は非常に良い。ところがそのような活動が一時的かつ持続的でないことから力が抜けるのだ。このような事業では、我々の目標を達成できないという考えをたくさんすることになった。高徳の変化する姿を見ると、非常に微笑ましい。 100冊をすべて読んだと興奮した心で送ってきたチョンアの文章を見ると私も興奮する。そして展示会をしながら涙を流す田中を見ると、私も涙が出そうになる。
これ以外にもライフスタジオができる成功事例をたくさん見つけることができる。そう私達皆が一緒に喜んで興奮し、涙を流すことができるような構造を作ることこそが私の任務であり、継続した試行錯誤が行われながら一種の強迫観念になっている。
特にチェジュドに来てそんな圧迫が強さを増して終始私を苦しめた。何かライフスタジオの事業が四つの角を支えなければならない食卓の柱が3つしかなく、手で支えながらご飯を食べているかのようなアンバランスさがある。安定したいというわけではない。それでは何か?
 
ライフスタジオで本当に必要なのは、予測可能なものではないか?
 
ヒョンジョンと6年間、私たちは何をしていたのか?という憤りが混ざった話が出てくる頃に[ライフスタジオは今年2012年から始まった。今1年が過ぎたのだ。]という結論に至った。そしてライフスタジオで成長している人々の顔が浮かんだ。成長した人もいて、日常に埋没している人も、そこから抜け出そ​​うと踏ん張る人もいる。結局一人、二人の成功事例ではなく、すべての人々が山の頂上に上がることができる地図を作ろうとするものである。
一部の人々は1年かかり、またある人は10年かかることがある。しかし、自分のペースで継続して上がることができるような条件や環境を作ろうとするものである。そんなとき予測が可能になる。そして、次のことができる。つまり予測可能であれば、その次のことができるのである。その次を予定できるということが信頼である。
 
ライフスタジオの目標[自立した人々の経済共同体]であり、自立するためには、[各自の変化発展プログラム]が装着されなければならないし、そのための現場のシステムが[2013年体制]である。それぞれの変化発展プログラムが装着されていると予測可能になれば、我々は次のように約束することができる。その次はライフスタジオの目標に近付くための進歩した何かだろう。だから[2013年体制]を一言で要約すると
 
[2013年体制]は、変化発展プログラムの装着が予測可能なシステムである。
 
[2013年体制]は、4つの原則を作った。この原則は、空気中の酸素と同じで人の体の血と同じようなものだ。この原則は、現場で行われているすべてのものに適用される原則である。 [ビジョナリーカンパニー2]でこういう話が出てくる。
ある会社が重要なことを決めることができなかったとき、その会社で模範的に働いてきた人を取り上げて、その人ならどのように決定したのか?と質問をするとすぐに方向が決定された。それが規律の文化なのである。マニュアルや社規になることができない、私たちの思考や行動を自律的に規律する無形の文化が偉大な企業には共通している。
[2013年体制]の4つの原則は、何かを考え決定し行動するときの基準になければならない。そしてこの原則は、この報告書で定められて全体会議で発表して通過したからとすぐに適用されるわけではない。多くの会議や討論、現場での事業形態を決定する要素要素に代入しながら変化発展させなければならない。
 
[2013年体制]の4大事業は、期間に関係なく今後継続されるべきだろうか?そうではない。 4大事業は、[2013年体制]をなす重要な要素だが、全体ではない。上記でも要約をしたように[2013年体制]は、変化発展プログラムが予測可能なシステムである。このような規定の下で4大事業は常に変化しなければならない。日常的ヒーリングキャンプを何年もの間継続できるだろうか?そうではない。それぞれの事業は、それぞれの目標と寿命がある。その目標が達成されれば、新たに変化発展しなければならない。
 
ここで一つ....
 
[2013年体制]は、今までしていた事の延長線だが多くの変化が予定されている。同意することも同意できないこともある。また、[2013年体制]を前面にすることができる店舗があり、そうでない店舗がある。一人、二人がしたいと言って、その店舗ができるわけでもない。だから、この[2013年体制]に入ってこようとする人とそうでない人の選別作業が必要である。本社にいるのから当然やらないといけないということならば、この報告書は何の意味があるだろうか?だから願書を各個人から受け入れ推進することにする。
 
[2013年体制]報告書を読み、これに同意し、積極的な参加を希望する人は、2013年1月31日まで願書をsinmindong@hotmail.comに送る。 (申込書は、この報告書の最後にある)
[2013年体制]に同意せず、現在の構造を維持したい個人や集団もいるかもしれない。面談を通じて良い方向を決定しなければならない。FAを申請することもでき、人員が多くなれば[2013年体制]が適用されない1つの店舗を作って、そこで働くこともできる。
 
現在のAチーム皆が[2013年体制]を行うならば、Aチームが[2013年体制]へと変わっていき、そうでなければAチームは、現在の形を維持していきながら、[2013年体制]は、別途運営していくことになる。こうなるとただ漠然と混乱するという人もいるだろう。しかし、想像してみてほしい。混乱することはない。ただ、自分の運命を自ら決定しない人にのみ混乱が起きるだろう。Aチームは、今現在の方式で行えばよい。そして一生懸命やればよい。 Aチームを簡単に整理すると、越谷店の現場で行われているプログラムを適用しているのだ。そして、執行機関として存在している。[2013年体制]は、これを土台とし、現場のシステムを少し変えるのだ。今まで、こだまに乗り名古屋へ行っていたのを、のぞみという乗り物ができ、今までよりも少し早く行こうということだ。
 
★.終わりに
 
後に後にと後回しになり、報告書を書いて一週間が過ぎた。過去の文章を読みながら多くの記憶が交差する。そして、12月を整理したスタッフたちの文章を見ながら、彼らも彼らなりに小さな戦闘を繰り広げているという思いが感じられる。隣では韓国の金マネージャーも、デザインボムでの戦闘越えた戦争を準備するために、報告書を書いている。皆一生懸命生きている。ならば私は一生懸命生きているのだろうか?
[2013年体制]も、一種の自分の器を探すことにすぎないかもしれないという考えもしてみた。他の人との状態とは関係なく、自分がうまくできるものを最高の価値として宣伝し、人々をその方向に導く魅力を楽しんでいるのかもしれない。このジレンマをジレンマではないようにする最善の方法は1つしかない。
自分の持っているものを全て手放したら、少なくとも道徳的な非難は避けることができる。
しかし、手放すことができないということも知っている。ただ、少しずつ手放していくのだ。そして他の人よりも手放したと慰安するのだ。私が手放すものとは、ライフスタジオから私の痕跡を消すことである。昨年これを目標としたが、再び大きなナイフを持って登場することになってしまった。もっと一生懸命頑張り、私の痕跡を消してくれる人と、現場への変化発展プログラムの装着が予測可能なシステムを作ることが、私が手放すものである。
 
[人が人を人として]