レポートReport

静岡プロジェクト 2--2012年 本社運営計画書

2012/5/6

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静岡プロジェクト 2

2012年 本社運営計画書


2011年 9月 20日 Mr. LEE

1.本社運営計画書要約

組織がそれ自体の形を持ち、安定的な売り上げを維持し、変化発展する人間というライフスタジオの存在目的を確認できるように努力した、全てのライフスタジオの構成員たちに感謝の意を表したい。しかし、今までの成果とともに同時に限界を実感している。また、現在維持している基本骨格を変えなければならない信号があちこちから聞こえている。ライフスタジオという組織が成熟段階に入ってきながら現在のゆるやかな管理体系の変化と内部文化が現場で適用され全国化の為の新しい組織とシステムでなされなければならない。


この現在の状況の根本的な解決方法に、本社を中心としたひとつの単一な体系構造を提案する。さまざまな革新的な事業を展開してライフスタジオを一段階、より高い水準に引き上げて新しく変化した組織とシステムで、全国化を遂行する動力を確保しなければならない。この為に既存にあるリーダー会議、店長会議、教育プログラムを整備して直営店オープン、加盟店と本社の共同運営、本社の執行力の強化などの事業を計画している。本社を中心に単一な体系を作る事が、現在の問題を効果的に屈服する為の唯一の方法だと判断している為本社拡大を選択した。強力な執行力を持たなければならず、変化発展する人という方向を忘れてはならず、全国化という目標を達成する為の準備が必要だ。これを実行する為の単位として本社を選択した。


これは加盟店の権威や役割を縮小するということではない。むしろ変化に対する刺激と適切な位置を探すことを通じて全てがライフスタジオの主人になる機会を作る事が本社拡大の重要な目的でもある。2年余りのリーダー会議を通じて、ライフスタジオが我々全てのものであると言う事が証明されたと考える。本社を中心に単一体系を構成することは、むしろ加盟店により大きな空間を提供する役割をすることになるだろう。ライフスタジオでは権威主義や現実安住が許されないことをよく知っているだろう。これは過ぎた期間の間に積まれたライフスタジオの良い内部文化の中のひとつとしてその役割を果たしている。本社を中心に一つの単一な体系で加盟店に新しい方向と政策が提示され、これを適用し実践する事は加盟店に付与された権利である。義務ではなく権利でありライフスタジオで受けることの出来る最高のプレゼントだと考える。これはより深く思考し行動を要求される楽しい状況で自身に新しい空間を作る機会になるだろう。


2. 条件変化の背景

ひと時も止まることのない新しい状況とプロジェクトが生産されている。


楽しいのか、それとも疲れているのか。


追加のみある組織は疲れ、足して引く知恵があればそれ自体が楽しくなる。大地震が起きライフスタジオでは大きな変化がり、本社も新しい条件に合うシステムを導入した。自発的な行動もあり蓄積されたエネルギーが発生された側面もある。


 [本社は無い→みな共にあるもの]という、思考方式は組織を眺める視点が反映された結果であり複雑なものを避けたい回避本能の適用でもあった。支店は加盟店の形態で基本的な運営と管理をしてリーダー達が集まり、ライフスタジオの全体的な問題を、共に悩み製作を生産して実務まで責任を持つリーダー会を作った。有給活動を作り専門的な部分にリーダー達が投入され実務の安定を追及した。また、全体会議、教育プログラム、ライフスクール、学習休暇等を通じライフスタジオのアイデンティティーを作ってきた。


しかし、共にするという大義名分の折り返し地点を回りながら、一種の釈然としない穴を発見する事になった。緩い事業と自己満足的な活動、とても楽観的な評価たちがされながら、我々が乗っているバスの終点が、私達が願うその場所なのか疑問になった。そして全国化というライフスタジオの大転換を前に何か忘れている重要なものがあった。


現在の我々の状態は未来の成長を担保としているのか、でなければ限界が確認されているのか。


方向を転換する時点にきたのか。


今方向転換を要求する予兆があるのか。


現在ライフスタジオは誰が責任を持っているのか。


全国化は現在の事業方式で可能なのか。


前進していく勢力は誰になるべきなのか。


少し前リーダー会議が二つのチームに別れ、各プロジェクトを作り活動するようになった。これはリーダー達自ら限界を表明したのと同時に適切な位置確保が難しくなったと考える。共にしなければならないという単位と、運営能力の間で良い方向転換がなされた。適切な位置確保は出来たが同時にライフスタジオを責任を持って、運営可能な能力はまだ不足であるということを確認した。


大転換点にある全国化とリーダー会議の役割変化を前に


ライフスタジオはどの様にパズルをあわせなければならないのか。


方向設定を要求される時点でいくつかの動きが捕捉された。


1つ目に、

変化発展する人というライフスタジオの目的が段々明確になっている。売上が安定的な姿を見せ教育と学習、内部文化に対する同意がある程度なされているこの時点で、次は何かという悩みは事前にライフスタジオの存在目的を具体的に実践する方向に動いていく。変化発展する人を作る為に、今の構造が適切なのかを考えるようになり、状況の変化に伴った新しい条件を必要とするという論理が力をつけてきた。


この3年は各支店を加盟店のオーナーが管理をして、リーダー達が集まり全体的な仕事を論議した。中央ではその余裕空間を活用して全体の絵を書く役割を遂行した。その過程でシステムの安定化と健康な財政構造が確立された。そしてライフスタジオが行かなければならない方向に対する論理と実践が構成員たちに同意を受けることになった。


しかし問題は変化発展する人として情調されてはいるが我々が執行する様ざまな事業たちが力を受けることが出来ず一定で動く受動的な姿になっている点だ。ライフスクールは進行する当日はうまく行くが、それが現場で作用されず教養を重ねる役割でとまっている。今回の会計公開も一定の成果もあるが、リーダー達が宿題をやってきてそれを共に検査するという感じを消すことは出来なかった。このような事業をするという自体も高く評価しなければならないが[変化発展する人]で集中するとしたときは明確な限界がある。すなわちライフスクールやサークル等の事業も重要であるが、ライフスタジオを執行する下部構造が変わらなければなわない。


結局変化発展する人を作る為に現在の構造が適切なことなのか疑問を持つし、そうで無いならばどのような構造の変化をしなければならないのかに対する悩みが膨らんでいく。


2つ目に,

静岡に来て全国化に対する考えを募らせている。外向けの明文はこれだ。[今までたくさん悩んできた。ライフスタジオが何処に向かうべきなのか。うまく出来、現在の価値を生かす全国化だ。それで全国化が可能かについて、試験として静岡プロジェクトを進行する]


全国化という方向性は私の中で特別な抵抗無く想像してきた。しかし全国化の主体の問題で歯止めがかかる。全国化の主体をライフスタジオ全体を見て私の役割はそれの可能可否と配置にあると考える。しかし静かに考えてみると全国化は私とライフスタジオいくつかの人の宴で終わる可能性があるという問題がある。関西方面に行きインテリアをし、オープンして人を採用し売り上げを発生させ支店を拡大することはそんなに難しくない。しかしそれをなぜするのか。ライフスタジオの競争力を強化する新しい価値を探そうと行くのではないのか。では誰が行くのか。現在のリーダーたちは。気の合う何人か。オープンを予定している何人か。組織とシステムで行かねばならないのに我々がそのような組織とシステムを持っているのか。


4-5名程度のスタッフがいる組織でも内部文化を作ることが出来ずに新しい空間で新しい仕事をし、それがライフスタジオの競争力で出来ることなのか。静岡で全国化に対する総合計画を作成しようとした。しかし初めから止まってしまう部分は、そんな総合計画書は私だけの計画書であり、、皆の計画書では無いと考えるようになった。[この程度の計画書を作ったからある程度の正当性を確保した]という、自慢それ以上になることは無いと反省するようになった。戦略を樹立する為の情報収集と計画は一人で出来るが戦争は一人ではできないではないか。


一人でするのではなく共にすること、そして緩い何人かでするのではなく

組織とシステムがしなければならない、

その組織とシステムは人間でなされた内部文化のかたまりである


全国化は本当に誰の為の事業か。


全国化で全体は一つになることが出来るのか。


全国化の主体を誰に設定するのか。


全国化を進行することが出来る単位は現在あるのか。


信じて任せることの出来る人はいるのか。


3つ目に,

大地震が起きて本社スタッフ達がまず集まるようになった。本社という優越感ではない責任感が作用しながら我々がまず何かをしなければならないという考えで自ら集まるようになった。大地震に対する送金募金方法の悩みから始まった本社の集まりが本社スタッフ達の役割を自ら規定して、各自の仕事を配当し実践しながら自身のアイデンティティーと仕事に対する意味を探している。一種の市民軍のように何かをしなければならない責任感で集まり、自ら動機付与して自ら体系を作りながらエネルギーが生産されている。自ら動機付与になる原因が何処にあるかを考えてみると答えは一つに集約される。[自律の中の秩序][共にする楽しみ]は発揮されているということで、これが自由意志を持つ条件が蓄積された結果だと考える。しかしこんな結論は自家撞着的で論理に現実を合わせるエラーを含むこともある。本社スタッフのそんな動きが素晴らしいということではない。教育チームや集中討論、または現在進行している寄付のための野外撮影などと比べるとみすぼらしいことはある。


言いたいことは方向転換をしたということ、職員という枠を出ていること、内部文化が発揮されていること。このような行為が[変化発展する人]の行く近道ではないかという気分の良い信頼が生まれた。


本社職員を広い運動場に放しておいた。初めは違う牧場で生活した癖で主人が持ってきてくれる草を待ちながら早く肉が出来るのを待っていた。つまらなければ足の下にある草を抜いてみるが草は前に全部食べてしまって早く宿舎に帰って主人がくれる美味しい草を食べたい心だけだった。時間が経つにつれ一つ二つ考えが浮かぶようになった。我々をなぜ運動場においているのか。この運動場は何を意味するのか。我々は今後どの様になるのか。もう少し価値のある仕事は何か。近い距離にある宿舎の閉鎖消息を聞きながら定期的な集まりを持って各自がやる仕事を話してみると皆共通な理解と欲求を持っておりそれを共にやっていくことが価値のある事だという結論に至った。そして規則を決め各自自分達のねぐらを守りながら行動するようになる。隣の宿舎の閉鎖消息とつながった定期集会、そして自律的な各自の役割分担で連結される過程はライフスタジオが追及する事業方式とそっくりだ。これを可能にした一つの蓄積されたエネルギーは何なのか。


放牧に近い人事管理が成されていること、共に討論する事になれること、ライフスタジオのマインドと自身の人生を一致させようと努力しているということ、各支店とは別に全体を見る位置にいるということ、自身がした仕事は必ず結果に対して評価を受けるということ、リーダーが一貫して話をするということ等々…


話の確信は、本社スタッフ達の活動でわかったことは

組織の内部文化が強力な力を発揮する]事だ。


4つ目に,

各自違う会社に祖属しているという限界が、以前の様に屈服することが難しいという現実的な問題認識だ。加盟店が主流を成す組織で共に経営をする最も理想的な状態はどのようなものだろうか。ライフスクールを進行しながらこの様に一ヶ月に1、2回集まって討論して私たちが願う状態になることが出来るのかに対する懐疑が生まれた。大部分の時間を支店で過ごしていて支店の問題に直接的、間接的な影響を受けながら生活をするためにその限界は明確だ。我々を一ヶ月に1,2回程度集まるようにすること程度がライフスタジオの内部文化と考えるようになった。もちろんそれ自体でもある程度満足をしながらここまで来たのだからと自らほめたりもしたが現実的な限界が持つ空虚感が常にあった。


ライフスタジオに入社する条件として特別なものはない。普通の考えと普通の経験を持っていれば入社可能だ。では普通の人が集まって仕事をするが支店別に文化が違う。ライフスタジオの全体的な活動に対する理解と参加度にも差が見える。人との関係もそうだ。本当にこのようなことが内部文化の差で発生するのか。


支店で問題が持続したり、普通の会社のように問題が無いことが最も現場の仕事をする支店に対する接近が事実上不可能だ。個人の力量に頼るしかなかった。しかしリーダー達に間接的な圧迫をする程度にとどまっている。前で残って後で後悔するという言葉があるが今がその状況を適切に表現しているようだ。少しずつ前に前進してそれが蓄積されれば100年でも待つ覚悟が出来ている。しかし総量は同じなのに行き過ぎた期待と満足、そしてあちこちの穴から新しい風の音がより我執と幻想で逃げるようにする。時には[あなたは良い人です]という声を聞くために演技をしているという考えさえも浮かぶ。


比重が前のめりになり力を使うが限界があり、その比重の矯正が今ではないかという考えが浮かぶ。もし全国化をするということも比重の矯正から来る疲れを叫び新しく出発したい心から出ているのではないか。

 

以上の条件変化が必要だという考えをするようになった背景を縮約してみると

[変化発展する人という目標]に的を絞るようになり、これと全国化の関係を考えるようになった。全国化を実行する単位が必要だが、現段階では数名の個人活動に限られる可能性が高い。そして大地震が起こり、本社スタッフ達がしている彼らだけの活動を見ながらライフスタジオがしようとする[自立の中の秩序][共にする楽しみ]という内部文化がどのように実現されるのか知るようになった。これは蓄積されたエナジーが必要で、そのような条件が現場で生きて息をしている時に可能となる。これとは反対に普通の人たちが同じ条件で入社をするのに、支店別に内部文化の差をみる事、そしてその改善から決定的な限界を持っている。


よっていくつかの結論に到達するようになった。


-.ライフスタジオが追求する内部文化を実現しなければならない


-.全国化の為の単一の体系を持った単位の形成が必要だ。


-.本社を中心とした正しい方向性と強力な執行力を持った組織が必要だ。


3. ライフスタジオ運営体系の変化

★. リーダー会議

2年余のリーダー会議活動は多くの成果を持っている。まず、加盟店のオーナー達を経営の一戦に引っぱりだしたという点だ。多くのフランチャイズでの加盟店の位置は、本社から下りてくる内容を実践する単位に留まっている。実務での小さな改善点や、エラー事項を本社に報告し、お互いの関係を良く維持する程度の水準に留まっている。


しかし、本社と加盟店は仕事をする方式や、考えの方向に違いがある。特別な措置がない場合はお互いの壁がだんだん高くなり、会社の存続自体に危機を及ぼす水準まで駆け上っている姿をよく見る。リーダー会議を初めて作った当時にも、そんな兆候が少しばかり見え初めており、加盟店の社長達が直接経営を行う形体の運営方式であるリーダー会議を提案することになった。共に運営しながらお互いの限界を認め、各自が得意とする部分はもっとがんばり、苦手な部分は応援する文化が作られた。


そして、以前までがリーダー達が少し離れた場所から観察していた位置であったならば、ライフスタジオ事業に直接参加しながらリーダーとリーダー、リーダーとスタッフ達の距離を狭めたという成果も外すことができない。行動しないことが問題の根源だということを、お互い知るようになり、若干の緊張感を持ち、もう少し情熱を持つようにする機会になった。そして、有給活動を通して自分が得意とする分野を選定し、自立権を持ち活動したことも、良い経験になったと思う。


しかし、リーダー会議でこのような成果があったにも関わらず、現在限界に到達しており、その原因の中心に[責任意識]の不明確さが存在する。これは、リーダー達が責任意識がない人達だという意味ではない。リーダー会議の特性上、締まりのない組織体系で人と事業を評価したり、迅速な状況認識と改善への問題点がでてきた。これは、自律の中の秩序という内部文化の致命的弱点であり、克服しなければならない対象の一つだ。皆加盟店の社長だという同じ位置で、責任と義務に対して強く圧迫することは簡単ではない。自らに任せ、組織のバランスを損なう範囲を設定しておくが、一定の枠がない状況では責任と義務よりも権利を、自らの緩んだ行動よりも他人の過ちがより大きく見えるようになる。特に、有給活動をしているリーダー達の場合、自らの活動に対する反省と共に、その反省にふたを被せるための自惚れがだんだんと、より大きくなっていったことだろう。リーダー会議に参加しているリーダー達も情報取得に弱く、何かができていないという申し訳ない気持ちもあるが、あえてしなくても良いことならば、まず先に手を挙げない習慣が作られた。このように[責任意識]の不在は、放漫な経営の原因になり、人が増えながら、情報のアンバランスさと誤解が作られる結果になった。責任意識は心の問題ではない。条件と論理が責任意識を規定する。つまり、リーダー会議を取り囲んでいる条件と、整理されない論理が責任意識を希薄させている。


また、日本語で進行されるリーダー会議で、討論の中心が揺れ動く場合、言語の問題が浮上した。事前に情報を持っていなかったリーダー達は、リーダー会議の効率性に疑問を定義するようになり、お互いの意見が不十分に伝達されることが、時間が経過しながら無関心へと変わっていった。これは、組織運営に致命的な弱点になった。意見がちゃんと伝わっていないということを越え、やってもいいしやらなくてもいい問題が作られてしまったことは深く反省しなければならないことだ。


また、民主的運営原理を習うことが、リーダー会議をする理由なのに、討論の基本前提である準備と進行、中心を掴むこと、役割配置、評価の先循環構造が定着されなかった。声の大きい人や情報を多く持っている何人かにより、本質が薄くなり感情が激化する状況の繰り返しは、熱意を下げ、会議が会議を作るということの繰り返しを避けることができない。


また、リーダー達がライフスタジオの執行機関なのか、政策生産機構なのか、不明確な位置設定鵜で、根本的な問題を持っている。これを克服しようと、少し前に有給活動の活発な活動の意思と実行があったが、限界を確認する程度に留まった。執行は管理能力と組織力が後押ししなければならず、政策生産は緻密な計算と論理が必要だ。一つに集める中心の不在、緩んだ活動からくる怠けを認めること、各自の活動が個別化されている状況では執行と政策が弱い輪を作りながら風が吹く方向に偏る結果を生むことになった。


今回のリーダー会議での、日本、韓国チームに分けて、各自のプロジェクトを進行し、競争と協力の調和を成そうという決定は、危機でありながらも機会である。まず、日本、韓国チームに分けて言語疎通の問題は多くが解消された。言語の問題は情報取得と政策生産において、重要な要素である。分析力と創造移転に情報が狭まることは、活動力の低下と非効率的な政策が生産される可能性が高い。言語が統一されたということは、推進力と遠心力ができることを意味する。


そして、プロジェクト別の活動を選択したことは、政策と執行の難しさから自然に外れながら、活動を明確にしたという点で適切な選択だと考えられる。全体を管理しないといけないという負担と、誰が何を管理するのかに対する混線がなくなりながら、単一なプロジェクトとして集中できるようになった。リーダー各自にある責任意識は、各チームで行うプロジェクトで判断の根拠を提示するようになっていくだろう。これは、各リーダー達の活動量と仕事の配分において、チームの中での適切な調節が存在条件にならないといけない。そして、プロジェクトの内容は必ず行わなければならないが、考え付かなかったことが成されていくため、ライフスタジオの競争力を高めることに期待する。


そして、現在リーダー会議に14名が参加し行っているが、皆水平線的な構造を成している為、情報の効果的な配分と効果的な会議文化のために、区分の必要性が提起された。日本、韓国チームの責任者が決まり、その責任者を中心としてチーム別に独自的に動き、1ヶ月に1度あるリーダー会議で、本社代表が司会をしながら調律していくならば、今よりは効果的なリーダー会議になることが予想される。そして、日本、韓国チームの責任者と本社代表が常時連絡体系を構築し、全体を見つめる単位としての役割をするようになる。


結局リーダー会議はライフスタジオ全体の責任をとる単位で単一な事業を行うプロジェクトチームに移動した。これは、見る方向によって下がる可能性もあり、戦術的な移動としてみることができる。または、ライフスタジオの執行部と一般リーダーに区分する過程でもある。


店長会議

2011年のライフ運営体系を見ると、店長会議に対する放置と無関心が一番大きな問題として定期される。店長達が仕事ができていないだの、能力がないという話がでてくる。店長達の役割はリーダー会議に参加するリーダー達くらい重要で、より配慮を必要とする。理由は簡単だ。


今、ライフスタジオの最大問題は[現場の適用]である。現場で計画し実践し、評価することが、私達が行う教育プログラムにならなければならないし、その水準を高めるために学習と討論をするのだ。しかし、現場での実践のみ抜けた状態で、私達は計画を立て活動していた。これがライフスタジオの運営体系の中に、店長会議が入れなかった理由である。リーダー達は権威を持ち決定権を持っている。そして経済的な収入も不足ではない。しかし、店長達は現場で私達が口が痛くなるほど話、学習した内容を実現させようと努力している。しかし、そんな努力は小さく見え、持続的なエナジーを必要とするが、そんな条件が作られていない状態では、1ヶ月に1度の店長会議で1,2回発言する以上のことができない条件である。


また、支店でも店長に対する役割を縮小させ、単純にクレームを処理したり、スタッフの変化する状況をリーダーに報告する程度でとまっている。これは、リーダーが組織を見つめる見解の反映であるかもしれないが、私達の水準を話す基準になる。店長会議は単純に店長達が1ヶ月に1度集まり反省会のように現場での喜怒哀楽を話す水準になっていてはだめだ。ライフスタジオの製作と事業を現場で陣頭指揮し、条件を変化させる情報と経験を持っている現場の責任者としての認識転換が必要だ。そして、店長会議の効果的な運営に対する特別な対策が必要だ。


少し前の、リーダー会議で店長会議に対する論議があり、店長会議を担当するリーダーが決定した。まず、店長の権利と義務を明確にする必要がある。そして、相当な部分でリーダーの権利と義務を店長に移行しなければならない。事実、リーダー達が持っている権利と義務は自動的に付与されたものであり、その付与された権利と義務を実現するために迷っている場合が多い。リーダーと店長達がお互いを規定するならば、お互いに一種の余裕空間が確保されるだろう。それがつまりエナジーであり、共存できる道だ。単純に新しく作る権利と義務を読むからといってそれが権利と義務にはならない。1年の長期計画の中に一緒にライフスタジオの長所の役割と店長会議の内部文化を作っていかなければいけない。


ライフスタジオのリーダーシップの部分と連係し、店長達が自分のアイデンティティーを明確にし、支店での運営の主体になることを一緒に作っていくことができる。


2012年ライフスタジオの運営系の中に店長会議を安着させるために報告書を待とうと思う。


教育

2012年の計画としてみると、ライフスタジオの教育プログラムがライフスクールに移行される形態を持ってる。一つの本を毎月選定し、主題を選定し各支店での討論の後に、全体会議で反復することが教育プログラムであった。2011年、ライフスクールを行いながら、これが常設的に全体教育プログラムとしてライフスクールを行おうと決定された。今では教育プログラムは日常的なライフスタジオの活動として定着し、2012年にはもう少し成熟された教育のために、ライフスクールの形態をとることがとても誇らしいことだと思う。


特に、2012年はライフスクールという強力な武器を準備している。以前アップした報告書にも書いた、ライフスクールの定義を引用してみると、


なぜライフサークルが命をかけるほど重要なのか?


ライフサークルは幾つかの特徴をもっている。


1つ目に、15ヶ月間の間一つに集中する。個人学習、討論、実践、評価を15ヶ月間持続的に行うということは、人生の方向を変えることのできる条件になる。今年のライフスクールと違う点は、具体的な目標をもっているということ。ライフサークルは哲学、文学、リーダーシップに分けられ、その中の一つを集中的に学習し、それを現場に適用させていき、自分の限界を超えることが目的だ。その過程で仕事が進行される原理と目標を達成する能力が何かを知ることに集中しようとする。


2つ目に、自発性に根拠した活動である。ライフサークルの、内容についていくためには、個人の時間を相当投資せねばならない。毎日平均2時間、1ヶ月で60時間、15ヶ月だと900時間、毎月平均2回の討論が300時間、総1200時間が必要だ。これが、自発性に根拠した、能動的な活動で行われるのであれば、自分の中から大きな変化が起こるのではないだろうか?


3つ目に、実践が前提とされた活動である。今年のライフスクールは実践するための前準備として、頭の中に知識を入れる時期であった。哲学や文学の内容を自身の立場で映し出すことに留まっていたのなら、ライフサークルは自身の哲学を、自身の文学を、自身のリーダーシップを具体的に作り、実践する中で検証する活動が重要なポイントになる。また、来年のライフスクールを直接進行しながら自ら自身を揺るがす作業をすることになる。


自律的な活動を原則としているため、サークルと定めた。自ら判断し、自ら準備し、自ら方向を決定するライフサークルを指向する。そして、やりたいということではなく、やらねばならないということが重要だ。私達はやりたいことと、やらねばならないことを混同している。やらねばならないことをやった時に、やりたいことができるのだと考える。


今私達の歩みを遅れさせている実態を脱ぎ捨てる過程で、自分を知るようになり、やりたいこともでてくる。ライフ人とはこのような過程を得て、自身の実態を認め、これから進むべき方向を決定する人ではないだろうか?ライフスクールはライフ人を作ることを直接的な目標としているために、ライフスタジオの全ての活動で、優先的な地位を与えられる名文がある。


ライフサークル活動には、相当高い情熱が必要とされ、時には自身の能力を超えたものが要求されることもあるだろう。虎を捕まえるためには虎のいる洞窟に入らないといけないだろう?平凡な人生を送りたくない者は集まれ。ほかの人と同じような人生を送りたくない者も集まれ。強力な刺激と変化する妙な気分を感じてみたい者も集まれ。自分と世の中を解析したい者は必ず集まれ。ライフサークルはライフスタジオが発見した最前の自己変化発展プログラムである。


上記でも述べた[ライフスクールはライフ人を作ることを直接的な目標としているため、ライフスタジオの全ての活動で優先的な地位を与えられる名文がある。]に、注目しなければならない。これは、内部文化を作っていく核心因子を育てるという意思であり、ライフスタジオの競争力を倍にするからだ。ライフスタジオの新しい成長動力はこのように、ライフサークルで排出された人力達が現場で自ら条件を変えていく過程であると確信する。


普遍的な教育であるライフスクールと特殊的な教育であるライフサークルが


うまく調和を成せば、管理する必要のない理想的な組織へと進めるのではないだろうか。

 

本社拡大

現在変わった状況を一言で言うならば、[私達が行こうとしている方向を確認した。]と整理することができる。私達が計画し、実行する大くのことが、初めて行うことであり、事業の連続性に対する疑問でもあった。センターの失敗を経ながら、経営に対する自信が喪失されたのも事実だ。そして、理想と現実の感覚を過大評価しながら、縮小指向的事業を展開することになった。しかし、本社の機能を縮小しながら、必要な役割を外に展開する課程は、次第にノウハウが作られ、1つ2つと繋っていく事業から次を予想する余裕ができた。そして、一環された1つを主張しながら、それを現実にどのように適用しなければいけないのかという悩みと、実践で一定の成果を出したことは事実だ。


条件変化の背景でも説明したが、変化発展する人間に的を絞っている、ライフスタジオの方向に合った単一な組織体系と、全国化のための単位で本社を設定することは、幾つかの前提条件がくっついてくる。


そして、本社で行う一連の改革処置が、全体と自然に出会わなければいけないということ、本社拡大をする理由を忘れてはいけないということ、本社だという自分の利己主義に陥らないことなどである。


本社拡大は宣言の問題ではなく、実践の領域にあるため、ライフスタジオの構成員達に一つ一つ確認をとる必要はないと見る。反対に自分の統制と検閲を必要とする。


本社拡大はリーダー会議と競争するということを意味する。本社拡大の実践課程を検証する最大の組織がリーダー会議とリーダー達であり、その検証を通過するということだけで本社拡大の正当性が立証されると思う。


本社拡大は、ライフスタジオの活力を提供するようになるだろう。先導的に改革を推進し、それを現場に適用し、成功事例を作らないといけない。そして、本社の構成員達が繋がっている人のネットワークから、ライフスタジオ全体の構成員達に新鮮な刺激になるだろう。


時には、問題が発生するかもしれないし、情報の誤解も起きるだろう。既存の観念とぶつかり、各支店で間違った展開がされるかもしれない。ライフスタジオの内部文化がこれに勝ち抜いていくと信じている。その状況が見れることを期待する。本社の構成員達が本社拡大を機会に変化の先導者になり、ライフスタジオに活力と方向転換の素材になることを願う。


4. 本社拡大の方法

★. 加盟店と本社の共同経営

加盟店と本社の共同経営とは、本社という単一的な体制の中に加盟店が入り共に運営することをいう。本社という単一的な体制の中に入るということが、一種の吸収統一されると認識するかもしれないが、現在本社という実態がないために、本社体制ということを共に作り上げていくということが正確な表現であると。人力、単一な会計基準、各種事業等を共にする共同体として、各リーダー達はその共同体で適切な位置を探し出し、具体的な仕事をすることがまず最初の進行課題だ。


加盟店と本社の共同経営という構成がでてきた背景として、


1つ目に、

支店を運営するにあたり、大きく大変なことがないために、何をどのようにすればよいのか当惑しているリーダー達の姿からこの構想が始まった。。オーナーになり、経営権が自然と付与されながらそれを行う過程でだんだん基準が低くなる状態になっていた。ライフスタジオは簡単なシステムで構成されており、そのシステムに介入し、新しい基準を作り出していくことは簡単ではない。そして、全体的に行っている事業が大部分を占めていながら、リーダー達が現場から離れているとより自身の支店で介入していくことが難しくなっていく。簡単な事務的処理のみしていながら、反省点が生じると、イベント性の介入を不本意ながら行うようになる。リーダー達の適切な位置探しが必要な時である。


2つ目に、

経営の質を高める段階に侵入した。各支店大部分が2~3年を経過しながら多くの仕事が日常化されている。これからの話題は[現場適用]にあり、このためには専門性と共に推進力が必要な視点だ。変化する状況に備えた人力の余裕空間がなければならず、緻密な計画を立てねばならず、時には牽制勢力が必要だ。そして、全体的な絵を描きながら方向感覚を失ってはならず、時には予期せぬ決定的問題が発生することもあるだろう。このようなことを一つの店舗でやるということは、無理が生じ、実行にすら移せない場合が殆どである。内部文化を作ること、社会的企業を指向するシステム、日常的な教育プログラム、個人と会社を一致させる力等が現実で適用されるようにすることは、言葉から行動へ、想像から現実に実行する経営の質的上昇を必要とする。


3つ目に、

もう支店別に違いがないということが確認された。しかし、各支店で行く方向が違うということが問題になる。多様性は尊重しなければいけないが、自分の意思でなく、風の吹く方向にただ行くのであれば、それは厄介なことである。リーダー達のリーダーシップがなかったり、間違って行使されているという意味にもなる。会計公開を通して、収入、支出構造が殆ど変わらないということが確認された。そして、支店で行っている業務も殆ど同じだ。しかし、支店別に偏差が見える。または、より発展できる支店も相対的満足を感じていて基準を低くしているかもしれない。全てが同じなのに、なぜ支店別に違いが発生するのか?結局リーダー達の存在を説明するしかない。そして、ある意味下向標準化に向かっているのかもしれない。


4つ目に、

全国化のための単一な体系的構成に加盟店の同席は切実である。リーダー達が集まるリーダー会議が全国化のための単一な体系になれないということは、上記で述べた。単純に規模を大きくするためではない。今よりはより良い状況を作ろうとする努力は誰でもやっており、それに同意する人達が頭を集め、悩むこと以上の方法を探すことができないからだ。


加盟店と本社の共同経営で何を得ることができるのか?


1つ目に、

内部文化が作られる可能性が高くなる。本社を中心とした単一体系は、方向性が括弧として決まっている。その方向に様々な事業を配置していく。そんな条件は内部文化に集中する雰囲気を形成するだろう。また、一つの支店の単位で仕事をし、考えていたことから、20~30名の構成員で、単一な組織体系の中にあるということは、思考と行動の範囲を高めることになる。これは、変化しなければいけないという意思、内部で受け入れる自己規律、生きている共同体で動く自己確認の過程を触発することができる。


2つ目に、

共同経営に参加する全ての人々が自由になる。委任された経営権をうまく行使すれば、人生の喜びになるが、その反対の場合はむしろ自身に重い荷物となる。経営権の範囲は膨大で、どれも重要であり、それを全てうまく行うことは難しい。リーダー達が適切な自己の位置を探し出し、具体的に活動することのできる空間を作ることができる。そして、スタッフ達もより広がった空間で自ら選択する幅が広がることを意味する。循環勤務を越える新しい条件の創出は勿論であり、より広くなった空間で思考と行動半径の幅が広がることだろう。ライフスタジオは基本的に水平的な構造を持っているため、民主的な運営原理を習うこと事態が自由の無限なエナジーが作られる可能性を持っている。


3つ目に、

具体的で効果的な執行力を確保することができる。現在私達の能力は3~4つ程の店舗に対する管理程度ではないかと考える。リーダー会議の有給活動をみてもわかるが、漠然とライフスタジオ全体を対象とした活動が、自分の計画や管理により成されなかったとき、非効率的で自己の停滞が発生することを確認した。3~4名の店長と、2~30名の構成員、3~4つの現場を単位とし設定された組織で、具体的で効果的な執行力と評価を成すことができる。


4つ目に、

人的ネットワークが広がり情報が増えながら、組織が生きて動いていく躍動的状況が発生する。私達が行っていることは、現在行っていることを再解析することと、新しい価値を発見することに目的がある。これは、化学反応を起こすきっかけが必要で、新しく作られる人的ネットワークがその役割を担当するようになる。


5つ目に、

全国化のための試験体としての役割になる。私達はまだライフスタジオだけの組織力を経験できていない。現場で適用され、再び評価作業を行いながら、より良い方向に導きだされる組織体系を作らないといけない。その理想的な組織体系が作られるということは、全国化のための山の半分は超えたということを意味する。加盟店と本社の共同経営は理想的な組織の構築を始める意味を持っている。


規模は2~3つの加盟店と本社の2~3つの店舗が適度であると思う。効果的な運営体系のためには最小単位で動かなければならなく、迅速的な意思決定と実行力を持っていないと行けない。優先的に話される私案としては、各リーダー達の役割を規定、会計基準の統一、給料体系の合意、人力配置、店長の役割と管理、義務規定、共同事業に対する討論など。


店オプン

加盟店オープンを自制し、直営店をオープンする理由は幾つかある。


まず、全国化のための理想的な店舗の運営体系を作ることができる。加盟店の形体では理想的な店舗の運営に限界があるということが確認され、本社の直営店が加盟店よりは推進力と実行力を高める効果的な方法だ。


そして、全国化を推進する基本単位を作ることができる。上記で述べた加盟店と本社の共同経営と共に、直営店で排出される人力とシステムは、全国化を推進する内容と形式を提供することだ。全国化は人とシステムが移動し、新しい店舗と価値を作り上げていくことだ。直営店の多くの試験と試行錯誤を通して準備作業をし、その中で発生する新しい政策から全国化が成されなければならない。


変化発展する人のための組織の内部文化を作るためには、本社直営店が効果的だ。本社直営店は本社リーダーの確固とした目標が設定されており、会計執行の柔軟性を持っており、各種教育プログラムを優先順位に配置することのできる方法と余裕がある。


オーナーが抱えている限界を超えることができる。直営店は各店舗の所有主ではない、経営者を配置する計画である。つまり、所有は本社で行い、経営はライフスタジオのスタッフの中から給料社長として任命する方法だ。これは所有と経営を分離することにより、経営を専門化させ、競争体制を導入できる長所を持っている。目標を達成する能力が判断の基準にならねばならず、ライフスタジオの目標の方向を維持する最適な方法である。


様々な改革政策と実験を遂行することができる。ライフスタジオを構成しているシステムから人力管理において、現在の固定された慣行を新しい視覚から接近し、いろいろな改革政策を生産、執行することのできる実験室の役割ができる条件になる。これはまさにライフスタジオの内部の競争を誘導しながら共によくなろうとする装置としての役割を遂行することができる。


日程としては10月中にライフスタジオ全体に2012年本社運営に関する内容の同意を得て、即時に店舗と探す作業を始める。12月中に契約をし、大体3月初めにオープンする。


店舗オープンには幾つかの考慮事項がある。


-.デザイン室を始め、本社事務室の移転と、直営店は組合わさっている。直営店オープンは単一な体系とライフスタジオの内部文化を現場で作ることを目的にしている。そのため、デザイン室を始めとする本社の事務所と直営1号店は同じ建物か、近場に位置することが効果的だ。なので、直営店及び、2012年本社運営計画が推進された以降から、デザイン室を始めとした本社事務室の移転は延期しなければならない。デザイン室の構成人力達は大体が東京北部に居住している関係上、本社事務所を大宮近辺に移す予定であったが、大宮店があるため川口近辺に直営店及び本社事務室を探すことを考慮している。


-.直営店の規模を1日に10件撮影が可能な所に移転することを考慮している。単一な体系と内部文化のための人力と空間を集中させることが、効果的だという判断を下した。最初は5名から初めて、6ヶ月以内に10名の人力が常駐し、近場のデザイン室と本社のスタッフ3~4名程度が合わさると、15名程度の人力で単一な体系と内部文化を作るための最小の規模を形成する。これはライフスタジオで起きる事業に対する先導的な実践と評価、そして、雰囲気造成ができる規模になる。


-.新しいインテリアとシステムの導入によるチーム構成。現在リーダー会議が2つのチームに分かれ、プロジェクトを進行している。新しいインテリア、新しいシステムという2つの主題を、リーダー会議で2つのチームに分かれてプロジェクトを進行することが一番良い方法ではないだろうか。もしこれが不可能ならば、本社中心のプロジェクトチームを構成しなければならない。


-.オープン過程の公開及び規格化する作業をしなければいけない。インテリアやオープン進行の反復と蓄積されない問題が、連続的発展を妨げる要素としていつも指摘されてきたし、全国化のための準備として静岡プロジェクトを始めるきっかけになった。方向性を持ち、進展した結果を導出し、それを全ての人に公開し説明し、時には広範囲な意見を集める必要がある。そのためにはスタジオオープンに対する基本的な骨組みを新しく設定しなければならない。その新しい枠の中で全ての人の知恵を集める過程も必要だ。ライフスタジオの単位としてはリーダー会議、店長会議、撮影者会議、コーディネーター会議、ライフスクール、ライフサークル、本社等がある。実行できる条件を持っている単位としては、リーダー会議、ライフサークル、本社程度に限定される。


制度の導入(給料社長)

リーダー会議で、何度かにかけてライフスタジオの未来に対する話をしながら、人に集中しなければならず、人の変化発展のための最善の方法はスタッフをオーナーの位置に上げて、責任と権限を調整するということに意見が集まった。安定的な売り上げの中で、各オーナー達は自分のスタッフに支店オープンの支援等を少なからず約束し、応援していた。勿論、オーナー達が責任と権限の調整により発生する自己内部の変化を自ら知っており、それを共に分けたいという気持ちとともに漠然と未来に対する希望を与えるための脱出口としても作用された。


加盟店に本社直営店の直営リーダー制度を導入し、方向転換することになった理由は幾つかある。


所有と経営を同時に行いながら、自ら[私の物]という囲いに閉じ込められるという短所を克服できずにいる場面がよく発生するようになった。また、権威意識が自分も知らないうちに蓄積されていて、[社長]という肩書きが現れながらその権威意識が所有と経営の様々な側面から発揮され、現場での問題点は勿論自己発展の限界に作用されている。[自分が社長なのに...]、[自分のスタッフなのに誰かが何かいっている...]のような考えの主体がオーナー自身であり、スタッフを始めとする様々な部分は客体になる事例がよく発生した。共にしなければいけないといつも言いながら、スタッフ達もそんな影響を受けているが[自分のもの]という権威意識との二重的な状況の改善が必要である。


そして、経営に対する評価が正しく成されていない問題を持っている。自身が所有していて特に問題がない状況で経営の役割が縮小され、これは所有主自身の変化発展を妨げる物になる。以前、会計公開する過程で大部分のリーダー達は自身の経営能力が少しは不足しているが、大きな問題はないという認識をしていた。本当にそうだろうか?評価作業をしないといけないということは、向いているのかということを抜きにし、人を交代する問題以上に人の変化発展においてとても重要な要素である。スタッフ達に問題があれば報告し、1ヶ月に1回の会食をする程度で社長の役割をしているという考えではないだとうか?問題がないからよくやっていると錯覚しているのではないだろうか?これは所有と経営を一緒に行いながら、経営の部分が小さく見える結果を持つようになり、これは誰のためにならない方向である。


一度オーナーになると、何かを変えることのできない構造が定着される。数多くの事例があり、全てを論ずることはできないが、特に今回の会計公開過程でリーダー達の固定された観念を変えるということが難しいということを実感した幾つかの事例がある。リーダー達の給料はリーダーが決める。自分がいくらだときめ、それが問題ではないというならばそこで終わる。経営能力やリスクに対する準備を数字で正確に算定するのも難しく、介入するのももっと難しい。スタッフの給料を3万円上げるということには、3時間以上の討論をしなければならず、自身の給料を30万円上げることには一瞬で決定する。また、スタッフの自由な移動や店舗の改善作業、ライフスタジオ全体の事業が適用される過程でもリーダー達の役割により、縮小され、歪曲される場合がよく発生する。リーダーというフィルターを通過し、政策の指向が成されなければならないのに、これはそのフィルターが単純に決済の印鑑を押す過程ではない、積極的な行動と、雰囲気造成を必要とする。このフィルターの作用が止まったり、悪く作用された時の代案がないということが問題になる。


今までリーダーになる過程の検証が成されてこなかった。誰がオープンできる人なのかを決定できる基準を作るということほど難しいことはない。現在は本50冊を読み、読書感想文を書き、事業計画書を作成すればオープンできる構造である。しかし、多くの問題を発生させたり適切でない人だと判断される人が本50冊と読書感想文、10ページ程ある事業計画書を書きオープンするというならば、対策が立てられなくなる。普通会社に入ると、平社員、代理課長、部長を経過しながら役員になりそこでも生き残れば社長になる検証過程がある。しかし、ライフスタジオはそんな構造を作ることができないため、オープンに対する熱意を持った人に加盟店を出すことのできる、条件を作った。熱意と能力はお互い大きな差が見える時もあり、上記で述べた、一度オーナーになると何かをかえることができない構造が定着するという問題を抱えている。そのため、本50冊と読書感想文、事業計画書と共に事業の中で能力が検証され、ライフスタジオのアイデンティティーを実現する人に対する新しいシステムが必要だ。


直営リーダー制度は本社直営店の形体で所有は本社がし、経営はライフスタジオの構成員の中から選抜された人が行い、現在のリーダーに準ずる権限と義務を与える。これは、幾つかの長所を持っている。


1つ目に、

善意の競争が発生する。現在店舗オープンを考えているスタッフがいる。多分店舗オープンを考えているスタッフ達は店舗オープン自体はそんなに難しくないことだと考えているだろう。時期と場所の問題さえ解決されるなら、いつでも本を読み読書感想文を書けばよいという考えをもっていることだろう。つまり、今まではオープンに対する情熱が基準になっていた。しかし、問題はその漠然とした情熱だけではその当事者を除くと誰のためにもならないということだ。情熱と共に、ライフスタジオが追求する理想的な店舗の運営を消化することのできる能力、またはその可能性に対する努力と検証が抜けていた。能力の培養と可能性の確認は現場で可能であり、普段の活動で判断することができる。直営リーダーになろうとする2人以上のスタッフが出てきて、その人達の中で善意の競争が触発され、それが個人は勿論ライフスタジオにも新鮮な風の役割をすることができる。つまり、善意の競争過程は社長ではなく、リーダーを作る過程でなければならず、そのエナジーが組織としてうまく吸収されねばならない。もし、ライフスクールをしていない人が直営リーダーをする資格があるのか?インテリアに顔の判子を押すように、来る人に直営リーダーの役割を与えることに正当性があるのか?何の人的交流なくして全体会議でオーバーする人は、適切な人なのか?数学的に彼らの能力と情熱を計算することはできないが、エラーを減らすことはできる。人を判断することほど難しいことはないが、反対に人を判断することは、数学問題の正解よりもより正確である。現場で、そして彼の活動で最小限直営リーダーとして任命する正当性は多くの人に確保されるだろう。


2つ目に、

経営能力に対する検証と共に自己発展プログラムとしての役割をすることになるだろう。所有ではない経営を専門的に行うという設定は、組織内の構成員達と直営リーダー本人を集中させることができる。そして、ライフスタジオが要求する水準の店舗運営が成されているのかに対する検証が可能だ。このような検証はすぐに自分自身に厳しい基準を持たせることであり、自己発展プログラムが稼働しているということを意味する。直営リーダーは、現在の加盟店リーダー達と同じ権利と義務を持つことになる。しかし、現在リーダー達と違う点は自分の活動を激励し、同時に牽制する枠を提供されるだろう。普通のリーダーは統制を受けない多くの時間を前に悩んでいる。何をどうすれば良いのかに対して彷徨っている。この機会を活用しもするが、反対に識見を濫用することもある。自己管理プログラムの不在により、エナジーの消耗的な浪費は大部分のリーダー達が持っている弱点である。直営リーダーは自己統制プログラムを稼働する可能性が高くなるのだ。


3つ目に、

内部文化を作ることに集中することができる。殆どのリーダー達が店舗の内部文化を作ることを大変だという。一番下の段階から始めなければならず、多くの技術を習得しなければならないからだ。しかし直営店は方向性が明確に定められており、様々なプログラムが稼働中である。そして、直営リーダーを補佐することのできる様々な人達が陣をしいており、実際にその対話相手、またはよき相談者としての役割をすることになるだろう。つまり、内部文化を作ることに対する集中と人と組織の中で深く入ることのできる条件の中で仕事をすることになる。事実内部文化を作ることはそんなに難しいことではない。自分が考えていることを具体的に実現する問題だからである。集中し、深く入ると少しずつできるようになる。条件さえそろえば、誰でもできるため、そんな条件の一環として直営リーダー制度をしようとしているのだ。


4つ目に、

スタッフ達に希望と目標を立てることのできる条件が形成される。オープンは自分とは関係がないと考えるスタッフが多い。多くの資金と何かすごい能力を必要とするような考えに、始めから扉を閉めている場合が殆どだ。しかし、直営リーダーはオープンをするのではなく、経営をするため、現場でスタッフから直営リーダーに移動する同僚をみることになり、自分にもできるという希望と長期的な目標樹立に繋がる可能性が高い。スタジオに初めて入社し、アシタントと撮影者の役割に対して悩むようになり、これは全体をみて、行動しないといけないリーダーシップの世界に入ったということを意味する。しかし、その限界で留まってしまう。ある程度慣れてくると、悩みは少なくなり、自分の役割を縮小する傾向がある。次の段階があるならば、少しは変わるのではないだろうか?まったく違う新しい世の中だと言えるような直営リーダーが存在するということは、店長達が次を規約し、より自分を発展させることのできる動力を提供することができる。

 

加盟店から直営店へ、そして直営リーダーを作る根本的な理由は変化発展する人を作ることにある。そして、ライフスタジオの全てのリーダー達が反省しなければならない題目がある。全体を考え、自分の活動力を拡大し、限界の克服のための努力達が過ぎた2年の過程を経ながら、だんだんと下落する傾向を見てきたからだ。つまり、支店の経営が安定圏に入りこんで、見える保守的は傾向はライフスタジオが行くべき方向性と少なくない差が発生される。直営リーダー制度は準備された人間が選抜されるというよりは、本社という無形の規律の中で準備をさせようという側面が強い。それが少し戻ることになったとしても、または、時間が少し掛かったとしても変化発展する人間として行く効果的な方法だと考えるためだ。


直営リーダーになる基準は次の機会に発表するが、とにかく、自ら変化しようとする意思と、一種の成果が追加される形体になる可能性が高い。単純に行事にたくさん参加しただとか、能力があるのに、行っていることが効果的にも見えることをよく区別する必要がある。出発支店は違くてもその発展の形体は真性性に判断をすることが、私達が願う予備リーダーの姿ではないだとうか。


4. 共にするための役割分担


★. ー会

プロジェクトを推進する2つのチームに分かれ、リーダー会議のロジックツリー作成と写真で感動を作るというプロジェクトを進行すること聞いている。このプロジェクトが11月のリーダー会議で発表され共に終了したら、この後のプロシェクトとして[新しいインテリア]、[新しいシステム]というプロジェクトを提案したい。


今までのインテリアは[友達が運営する小さくてかわいい小物のお家]だというコンセプトから離れられず、新しい写真のためのセットがでてきていない。まず主題の選定をしなければならず、そこに合わせて、セットと空間、色、質感等の論議が必要だ。もしかしたら失敗する場合もあるかもしれないが、インテリアは私達が想像するくらいでてくる。これは、今まで想像してこなかったということであり、借りた空間に合うインテリアをしてきた。新しくもう一度生まれ変わるという気持ちで時代が要求するライフスタジオの構成員達が夢中になれるようなインテリアに対する研究が必要だ。


そして、内部で起きているシステムに対する点検と、確信が必要だ。原本CD、商品、顧客との関係、内部環境、内部教育プログラム、インターネット関連等、ライフスタジオの全ての構成要素を広げて、評価作業と共に、改善と創造作業をしなければならない。ライフスタジオが初めて作られ、決められた多くのことが現在まで維持されており、各支店で生活の発見として少しずつ直していくことが現在までのシステムであった。非効率的でありながら、固定概念で固まった習慣達があるであろうし、一つの支店でのみ、指向しているというとても効果的な事業形体もあるだろう。このような全てのものを机の上に並べ、単一でありながらも効果的な事業形態のシステムを新しく構築する必要がある。


★. 有給活動リ

リーダー達の有給活動はライフスタジオを共に運営するということにおいて、根幹を成している。有給活動を選択した理由は、自分から変化しようとする意思の表現でありながら、同時に自身がうまくできたり、うまくやらなければならないことを、自律的に選択し、自分の限界を発見し、より良いリーダーになるための活動である。リーダー達の有給活動であるために、自ら進んで自身を統治し、自分が任された仕事を民主的運営原理に立脚していることを処理することを前提とする。また、自身の分野のみでなく、ライフスタジオを全体的に見ながら、二重、三重の管理システムが作動し、それが有給活動リーダー達の集まりで話される構造が理想的だ。有給活動の様々な成果に  当事者達が持っている根本的な会議は結局水から統治されておらず、自己管理能力の不足を実感しているということを意味する。有給活動がボランティアの性格を持っており、ライフスタジオで提供する自由空間で相当な裁量権を与えたが、その権利を拡大するノウハウの義務に対する自分だけの方法を付与していない。これは責任意識がだんだん薄くなりながら行動に移す意思も失う結果を持ってきた。今まで有給活動のリーダー活動をみながら、本社を中心にした単一な体系の中に有給活動リーダー達が入ることが有給活動リーダーや、ライフスタジオにも良い方法だという判断をする。本社の構造の中に、有給活動リーダー達が入り、適切な位置を探し、その中で報告され評価され、共に計画を立てる構造を作らねばならない。この問題は本社の体系を樹立しながら話していく。


★. 本社スタッフ

現在本社には6名のスタッフがいる。毎月2回本社スタッフだけの会議が行われており、各種情報の共有、教育プログラム討論、各自の毎月の計画に対する発表と修正作業等をしてきた。本社代表が参加しないスタッフだけの会議は自由な発言と創造が行き来しながら、彼らの活動力がだんだん高くなっていく結果をみせてくれた。本社が拡大され各自の役割等が強化されたり、新しいプロジェクトを請負う可能性が高くなった。また、本社拡大の過程で多くの人が入社することになり、まず経験者である先輩として新入社員に対する教育を担当するようになるだろう。仕事が過度に多くなり適切でない仕事が配置されることに注意しながら雰囲気を上昇させる必要がある。直営店をオープンして本社を拡大する過程で、本社スタッフ達が阻害されたり、これとは逆に過剰な業務が与えられないように、本社代表とスタッフ間の緊密な意思疎通がより必要な時である。


大前提として、本社スタッフと共に直営店オープンと本社拡大を一緒に行うということだ。


-. 毎月1度、本社代表とスタッフ達で会議を行う。


-. 毎月1度、現在進行しているスタッフのみの会議は維持していく。


-. 直営店オープンまでに、100冊の読書感想文を本社の構成員皆の力で行う。


-. 現在行っている、毎月の計画と評価の内容を直営店オープンプロジェクトに転向し、個人の力量を高める。直営スタジオの主題、インテリアの主題、システムの変化、顧客感動プログラムの開発等の内容を各自が選び、プロジェクトを進行し、毎月の計画と評価作業に反映させる。


-. ライフサークルの主導的活動のための各パートの活動内容を文章で整理し、発表する。

この程度の仕事は業務の量が増えるというよりは、質を高めれば可能である。本社スタッフは、もう与えられた仕事のみをするパターンから抜け出さなければ生き残れない構造に進入している。仕事をたくさんしようとしているのではなく、わざと強度を上げたのでもない。少なくない時間でこの過程に到達するために一生懸命走ってきた。受動的に仕事をする形式の変化が必要だ。主導的でありながら、自律的に自身が仕事を開拓していく形体へと進入していかなければならない。


そのためには現在行っている仕事の効率を高め、20%の余裕空間を確保しなければならない。その余裕の空間を直営店オープンと本社拡大に一定期間集中しようという話である。


進行形体

まず、推進しなければいけないことは、加盟店と本社の共同経営である。共同経営を望む加盟店のリーダー達との会議を通し、単一な体系を作らないといけない。単一な体系の核心は人力と給料、共同使用資金に関する内容に論議されるであろうし、リーダー達の役割分担が成されるだろう。論議が終わり、支店で構成員達の同意過程を得て、6月までを予定とする人力編成をした後に、大体12月には中小規模の人力移動があるだろう。

これと同時に本社の執行と論議構造を作らねばならない。本社代表、共同経営リーダー、有給活動リーダー、実務を担当するスタッフ達の役割と理想的な相互作用が可能な組織構造を論議するようになる。

10月リーダー会議で直営店オープンに対して問題がなければ、店舗物件を探し大体12月までには契約が完了し、インテリア準備作業を行う段階になるだろう。

11月からは、スタッフの面接と、採用が待っている。大体来年の2月まで5~8名の新入社員が必要であり、少なくとも12月末までには採用し、研修過程を始めなければならない。

 

5. 整理

ライフスタジオの中心軸をリーダー会議から本社へ、加盟店から直営店へ移動する構想は、本社がライフスタジオで主導権を持つことが現段階では必要だという考えから出発した。具体的な目標が設定され、その目標を達成するためには主導権を持って、持続的な改革作業が必要だからである。それが現在加盟店に小さな衝撃と奮発を期待する唯一の道だからである。リーダー会議の結果を元に見てみると、主導権を奪うというよりは、主導権を行使するということで理解することが合っている。リーダー会議で主導権を行使したことがなく、その機会を逃した側面が多い。それと同時に本社代表としての反省もある。ある意味片足を出して仕事をしていたというのが適切な表現かもしれない。本社スタッフ達にこんな告白をした。「どんな仕事よりも私にとってとても難しい仕事をすると決定しました。これからは組織の中に深く入っていきます。いつも軽くなり、自由になろうと努力していました。だから複雑な仕事を避けようと頭を使いました。しかし、私達の目標が明確に決まった以上、現場に深く入らないことには何もできません。うるさい私が皆さんの側で深く入っていくというので、今からいらいらしてきたでしょう?どうしようもありません。眠れる森の美女を捜すために皆さんを踏んでいくしかありません。それでは私と楽しく(?)働きましょう。」役割の変化が必要だという認識をするようになり、現場の中に深く入る方法を選択するようになった。


静岡の海を眺めていると、過ぎた多くの事件と笑い、そして失敗した時の辛い記憶が思い出される。そして東京に上ってきて見る慣れた多くのことは、時にぎこちなく感じることもある。催眠に掛かっていたということを知り、大切なことをただ過ぎてしまったという反省をするようになる。徐々に霧が空けながら私達が得ようとしている、眠れる森の美女が鮮明に見えてくる。


少し前にこんな話をした。沢山の物があり、その間を通らないと行けないのに、私達の体が大きくなってしまい自由な移動が難しくなった。だから、私達が入れる所だけを利用していると、通らない他の所には雑草が生え、蛇のでる森の中へと変わっていった。私達は満足しているこの時点で、どこかで錆つき、柱が腐植されていることだろう。他の会社よりは良くしてくれる、私達は人に対して積極的な投資をしているという錯覚に落ちているのではないか?現場でのスタッフ達はまだ自分達の問題から出れずにいて、上にいる人達は売上の心配から解放され、だんだんお腹に脂肪がつくようになり、大切な臓器達の新陳代謝を妨害しているのではないか?どこでも自由に流れる水のような内部文化を見たこともないが、見える問題がないということに満足しているのではないか?


本社拡大、直営店オープン、直営リーダー制度の導入、加盟店と本社の共同経営をしようとする究極的な目的を事実私もよくわからない。しかし、1つの事実は静岡の海を見ながら知ることになった。


 まだ始まってもいない。そして、私達は未だにおなかが空いている。 ] 


私達がやらねばならず、やりたいことは[伝説]を作ることだ。

 

人が人を人間に作り上げていくこと。


これが伝説ではないだろうか?