Photogenic
越谷店
一歩前
投稿日:2014/7/1
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差し込む光を美しく写したいのか?、それとも被写体を美しく写したいのか?
よくこんなことを考えます。勿論どっちも美しいのが理想なのだと思います。ただこのように問いを投げかけるのは、被写体と素材(光、インテリア、衣装etc)のバランスが、被写体<素材、ではなく、被写体>素材という写真を望んでいるからだと思います。
素材はあくまでも素材…、それは被写体を美しく表現する為のもの。三年前の自分のブログにこう書いてありました。
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光の読み方、美しい構図、被写体との距離、一つ覚えたらもう一つ。頭で覚えたものが体で使えるようになり会得していきます。頭の中にはイメージがあったとしてもそれを外に出すことが最初に必要なことだと思います。私もそうですが写真を撮り始めた時は何が良く何が悪いのか?そのように考えていたしそれについて悩んでいました。カメラマンになるまでに自分が写真を趣味として持ち合わせていたわけでもなく、写真の魅力に憑りつかれていた訳でもありません。私が写真を初めた時はそうでした。
だから特にそうだと思うのですが最初から正解(答)を探すことに必死でした。文法のように決まった言語配列が必ず存在するのだと、数学のように「解」を導くための決まった方程式が存在するのだと。必ずそのような導き方は写真の世界にも存在するしそれを早く完全に覚えようと躍起になっていました。勿論写真の世界にも決まり事のようなものが存在します。しかしながら国語、英語、仏語のようにそれぞれの分野での参考書が存在するものではありません。こと細かく分類されたものに対してこれだという絶対の方法というのが存在しません。ここまでは覚えたけれどもその先は、今ここまで来たけどこの先は…、本来の私の性格のせいかすぐに答を見つけようと必死でした。
このような考え方を持っている私は写真を撮るには不向きだと思ったこともあります。不向きというのか、ある種芸術の分野というのは自分の五感を素直に働かせ表現していくことであり、暗記ではないからです。「何かの本に書いてあったようなこと」、「誰かに言われたこと」は表現できている。ただそれだけでした。
正直それでいいと思っていた時期もあります。「慣れ」がきたのだと思います。多くのことを覚え、多くのことに慣れてきました。「慣れ」の怖い側面はそもそもそのような状態に自分が気づきにくいということです。何事もそうですが写真も同じで自分が撮る写真に慣れてくるとなかなかその先に繋がりません。
私は多くの先輩に写真を教わってきましたが、その一人の方が「写真は急に良くならない」と仰っていました。その時はよく分からなかったのですが今はそれを多々実感しています。その理由の一つに「慣れ」があるのだと思います。限られた環境の中での繰り返しの連続。新しく発見することが日に日に制限されてきます。発見をしないことに慣れていくことになります。そこから脱出する為には何か「特別なこと」を自分で取り入れ発見をしなければいけないと思います。
写真を始めた時というのは自分が撮影した写真が良いのか悪いかを常に悩んでいました。今も勿論写真について悩むことはありますが幾分かその悩みからは解放されたような気がします。
今の写真は多くの素材で溢れていると思います。そういった素材が増えるとそれに頼りながら写真を撮ることに慣れてきています。「こうでなければ」、「あれがなければ」写真が良くないという話をする時があります。素材だけで写真が良くなった気がしてしまいます。しかしながら+αの要素を効果的に使用するのと、それに頼るのとはまた別の話です。その線引きは難しいかもしれませんが適切な判断を自分でしていくことがカメラマンには必要だと思います。
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言葉が拙いので分かりにくいですが三年前も同じように考えていたのだと思います。
素材はあくまでも素材。素材を重要視しすぎて、被写体の個が潰れるような写真というのは、被写体を無意識的に無視することに繋がります。被写体を美しく表現する為には勿論良い素材が必要です。ただそれだけに集中しすぎて本来の目的を失う可能性というのも私たちには多分にあります。
素材だけが写真の中に氾濫すると、どこか不自然な、どこか人工的な香りが漂う写真がつくられていきます。素材>被写体、素材を活かすために被写体が存在している写真に。その判断も結局は相対的ですが、ただどのように判断されるかはさておき、撮影者はなぜその素材を使ったのかという理由は求められることになります。
素材を無視すれば整理されない雑多な写真に、素材を重視すれば技術が第一優先された写真に。その配分がどの程度が適切なのかを撮影者である私たちは高い次元で意識することになります。その理由はつくられていない美しさを表現しなければいけないからです。
そう考えると結局はシンプルがいいのだと思います。シンプルであるということは被写体を活かす為の素材の量が適量だということです。素材を加えながら人工的と感じる違和感のある素材を取り除いていくことにポイントが置かれることになります。
「美しく表現する為に良い素材を加える足し算をしたら、その後はより自然に見せる為に引き算をする」。これが自分なりの公式であり、この完成度を高めていくことが今の自分の課題のように思えます。
つくられていない美しさ、これからも追求していきたいと思います。
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