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読書⑬「リッツカールトンが大切にするサービスを超える瞬間」を読んで

投稿日:2013/4/23

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「リッツ・カールトンが大切にするサービスを超える瞬間」高野登著を読んで

 

Mito mikiko

 

 

リッツカールトンとライフスタジオ。

物理的な接点は皆無であるが、「ホスピタリティー」という、商品一覧や提供内容には記載されていないものを一番大切にし、何よりも最大限にそれを提供しようという精神はまったく同じであると感じた。

価格表に記載されていない物の為に、我々は共通したあるものを所持している。

リッツカールトンは「クレド」、そしてライフスタジオ水戸店では「理念」である。

ライフスタジオに於いて実際に販売される商品は単純である。CDとアルバムとフレームのみ。

では、目を閉じたお客様とライフスタジオを繋いでいるもの。それは何だろう?

商品だけであろうか?

ライフスタジオに足を運んでくださったお客様が、その日の晩、幸せな気持ちで、ベッドにはいり目をつむった時に何を思うのか。

CDの中身であろうか?そのうち届くであろうライフブックの仕上がり具合のことだろうか?

自分の経験談として、水戸店での経験を話してみようと思う。

一昨年、私が自分の息子を水戸店で撮影してもらった時の事を思い返すと、浮かぶのはこんなことだ。その日のお客様の撮影が全部終わろうとするときに、自分の撮影が始まるのを待っていた息子は、もうすでに和美によってコーディネートされ、ちょっと普段より格好よくなっていた。もう大きいので、スタジオの服は着られないと思っていたのに。鈴木は、いち母親としてやかましく息子を叱りながら撮影を見守り、時に仕事をはなれた何も考えていない魂の抜けたような間抜けな私の表情を見逃すことなく、さりげなくそしてわざとらしく(笑)1枚のショットの中にすべりこませた。スタジオのごく近くのご近所さんの店先を、定休日が多かった事もあり、次々と図々しく自分のスタジオであるかのように使用していく。ちょっと悪いようなわくわく感をみんなで共有していた瞬間。身内なので、撮影は単純で適当でよいと思っていたのに、実際は時間をかけ、撮ったことのない様な場所やアングルをひとつひとつ探しながらじっくりと行われた事。少しの時間占拠した店々を後にし引き上げていく我々の満足のいく笑顔、充実感、みんなの笑い声・・・・・・思い出すのはそんなことばかりである。

結果的に被写体であった息子が自分の写真を見ながら号泣し、私はカメラマンに戻ってアングルなどをするどく鈴木に追及するというモニター風景。

きのうのことのように鮮明に思い出される幸せな記憶。

もちろん出来上がった写真は素晴らしかったが、商品は、最終的にその記憶をきちんと固定し、いつでも再現できるためのツールとして我が家に存在している気がする。

私はいちスタッフとしてライフスタジオ水戸店のサービスを提供されたのであるが、勝手知ったるこの水戸店に於いてさえ、やはり今でも目を閉じると感動がじんわり胸の中にやってくる。

心に残る私たちの一挙手一投足。言葉のやり取り。みんなの思いやり。

それはHPの「produkt」の中に記載されているものではないが、心の中で一番欲していたであろうことなんだなと後から気付く。

それこそが、私たちが真にお客様に提供するべきものなのである。

だから写真がいくら素晴らしくても、心が響かなければ商品を手にしたとしても、私達とお客様との関係は何も残らない。

素晴らしい設備、素晴らしい撮影技術、素晴らしい写真この3つが揃ってさえいれば、一生残る感動は得られるのだろうか?

目に見えたものでないとするならば、何が顧客の心をうごかしているのであろうか。

著者はこう語っている。

心のサービスは無限大である。時が経ってもまたいつでも幸せな気持ちを味わうことが出来る。と。

リッツカールトンは顧客が宿泊する快適な居住空間とサービスのみを提供しているのではない。

顧客一人一人の望み、それ以上に、顧客も全く想像だにしていなかった感動を得る事ができる。

それは、リッツカールトンのどんな部門においても可能であり、スタッフ一人一人が、一絡げの顧客ではなく、一人一人の顧客の異なる期待とアイデンティティーとに敏感に反応できる感性を備え、なおかつ、その感性を使うべき適切なタイミングと場所とで瞬時に行使できる権限を委譲されているからである。

リッツカールトンは、ホテルという宿泊所の形をとってはいるが、その箱の中で行われている事は、無限のホスピタリティーであるのだと感じる。

感性の高いホスピタリティーは一言で言うと「クレド」によって維持されている。

社長から清掃員に至るまで、統一された「クレド」が体の隅々にまで行き届いた結果、それぞれが、それぞれの分野に於いて、最適な時と場所で委譲された権限を発揮する。それがサービスを超える瞬間。

いつも「クレド」を心の片隅におき、クレドを一体化している全スタッフ。

 

リッツカールトンで実際に行われている感動の秘密とわたしたちに何ができるかを列記してみた・・・

・リッツカールトンでは従業員を内部顧客と呼び、お互いを理解し合い、心から尊敬しあう関係を作っている。

・サービスを超えた瞬間とは、クレドの精神を、善スタッフが共有して初めて成し得るものである。

・もうひとつの我が家という存在

・ノーと言わない姿勢=なんでもハイという事ではない。では私たちに適応するのはどのような状態であろうか?

・お客様はひとりひとり感性も好みも違う。それにそったメニューを超えたサービスが出来るのがリッツ私たちにできる事はなんだろう?

・いろいろな場所でたまに起こる疑問。サービス業に従事しているのに、なぜサービスをすることを嫌がり怠るのか?=仕事である、と認識しているからではないだろうか?では仕事とは何だろう。仕事は嫌な事なのか?そこの所をスタッフがどう感じるかは会社の理念がどうであるのか?それがどのくらいスタッフに浸透しているのか、共有されているのか、という事が要因であろう。

・常に温かい気持ちを持っている事

・方向性、テーマ、営業、マーケティング、ブランディングという事に関して集中的に戦略会議が行われる。様々な案件以外にも、心に響いた物語や実話も共有している。

 

・人は皆気付かないうちに誰かにパラシュートを詰めてもらっている・・・。(縁の下の力持ちの存在あっ

 てこそ自分が生かされている)

・リッツカールトンという自分たちに夢に、才能ある人材を巻き込み、その才能を育み、個人としての成功に導いていく。それが結果として今度はリッツカールトンやひいては自分自身の成功につながっていく。

・お客様ですら気づかない望みとは何なのか?サービスを常に考える。想像力と感性で。

・クレドは、マニュアル(ルール)ではない。心で納得して実践する物である。同じ感性と価値を共有した人が本当に心からクレドに納得していれば、マニュアルのように細かい決まりを定めなくても、自然に同じ振る舞いが出来るというのがクレドの考え方である。

ビジネスの枠を超えて、人と人が接するときに大切にしたいホスピタリティーの精神を示したものである。

 

クレドと同じように、水戸店の理念も簡単な言葉で示されているが、その簡単な言葉を深く読み解き、突き詰める作業を半永久的にしていくことが大切であると深く感じたこの本であった。

 

 

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