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寫眞は何を伝えようとしているのか。

投稿日:2017/6/1

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Photo & Written by Kotaro Yatsu


私は寫眞の伝達性について段階があると思っています。
まず一つは、記録です。
いつ、どこで、何を目的にして撮影をしたのかがわかるということです。
多くの寫眞はこうした機能を兼ね備えています。
デジタルである場合は、撮影日時、撮影した位置情報などが同時に記録されますし、
フィルムには日付を印字する機能があります。

次は感情です。
表情や仕草などの被写体が視覚的に訴えかけるものを指します。
笑っている。泣いている。怒っている。緊張している。
細やかな部分ではありますが、受け手には非常にストレートに訴えかけることができます。

次に記憶です。
記録された感情は、記憶として脳に刻まれます。
そうすることで寫眞はようやく被写体と撮影者の共有可能なものになります。
ライフスタジオが人生の記録と記憶にこだわるのはその為です。

ここまでは、ライフスタジオが10年という歳月をかけて作り上げてきた価値だと私は思っています。

11年目に入った今、私たちは次の写真を探さなければなりません。
記録・感情・記憶の先にあるものは何でしょうか。
私はそれが、被写体が纏う雰囲気だと思っています。
哲学用語ではそういった雰囲気のことをアウラと表現しています。

深川雅文著の『光のプロジェクト』では、
「写真が光学の進歩と技術革新に伴って、情報・美術・娯楽など様々な面で市民社会の進展に貢献したが、
それと同時にアウラを粉砕するプロセスを推し始めた」としています。

このアウラを粉砕するプロセスとは一体何でしょうか。

被写体の外観を赤裸々なまでに忠実に再現するということは、同時に容貌の欠点すらも寫し出すことになります。
年齢を重ねれば当然人間の肌にはシワができるものですが、
そのシワをどの様に消すか、或いはより若く見せるためにはどの様な技術が必要なのかといった、被写体の真を寫すのではなく、
視覚的で盲目的な美しさを求めてしまったという矛盾がアウラの粉砕を招いたということです。

私たちは、もう一度たちかえらなければなりません。
寫眞とは、私たちの人生において本当はどの様な意味を持っているのか。
被写体を美しく撮影する上で、私の基準がなんなのか。
それを考えて取り組んでいくことが、私たちの責任と権限のであると理解しています。

私にとって、被写体は自由であることが私の撮影における条件の1つです。
だから、走り回って、遊んで、様々な顔の奥にある素顔を見つけた時、被写体の決定的な何かを見つけたような感覚があります。

被写体が自分の世界に入った瞬間にこそ、アウラが最大限に大きくなる。
だから、私たちができることは、そのきっかけづくりに過ぎないのだと思っています。

彼女は少し大人びた3歳でした。
窓から入る逆光は、透明感と芯の強さを。
あえてくしゃくしゃにした髪は、大人びた彼女の雰囲気をしっかりと演出しています。
子供らしい手で持つ無機質なカメラが、被写体の顔とのバランスを取り、フレーミングを安定させています。
全面に彼女をフレーミングしていますが、圧迫感はありません。
何故なら、淡い髪の透け感が、一見窮屈に見えてしまいがちなフレーミングを和らげています。

彼女にあった撮影スタイルで、彼女にあった寫眞を残すこと。

Happiness to you.    LifeStudio SOKA

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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