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湘南店
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スガのエッセイ6・3.11

投稿日:2025/10/10     更新日:2025/10/11

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Ofuna, Kamakura 2015

 

テレビをつけたら「E.T.」が放送されていました。

ちょっとこれは吹奏楽部経験者だけに伝わる話なのかもですけど、吹奏楽で「映画メドレー」とかってよくあって

演奏した事がある曲がテレビから流れると背筋がゾミゾミします。正直、強烈にエモい。

私のパートはトロンボーンでした。

朝から夜まで吹奏楽漬けだったけどいい時代だったなと思います。

また吹ける機会があったらやりたいなあ。楽譜を読むリハビリからですが。。。!

 

 

「3.11」

この日付を見るとぐっと姿勢が正される気がします。

一気にあの日を思い出します。

今でも鮮明に思い出されるあの日のこと。

前にも書いたり話したこともあるのでご存知の方もいらっしゃるかと思うのですが、私は岩手県出身なので、叔父宅が被災した宮古市にあったり割と身近にその影響を感じた方なのかなと思います。

今は関東生活の方が長くなりましたが、岩手に帰る時には被災した宮古市にも行く事が多くつい最近も宮古市へ行ってきました。

ちょうど湘南店ができた年なのであれから14年が経ちましたが、海側を車で走ると「津波ここまで」と書かれた表示が建物に刻んであったり、記憶よくずっと高くなった防波堤があったり。

復興までにはたくさんの方の尽力と、街の人々の努力があったことがありありと感じられます。

メディアで見るだけでは感じることができないリアルさに思いも深まりますが、悲観的に思い出すより

「ここまでよく立ち直りまた始めることができました」と、感動を覚えます。

私も当時宮古市のボランティアセンターに登録していたので、数回ですが仮設住宅の方の草取りやお話相手をしたりなどしに行ったことがありますが、その仮説住宅があった場所は今ではもう元通りの公園になっています。

 

そういう流れも「誰かが」やってくれたから、「誰かが」やろうとしてくれたからそうなったのだと。

一人ではできないことだから、誰かじゃなく自分が、その一助になろうと動けるかどうか。

自分や、自分の大切な人がその対象になったら。その存在にどれだけ感謝するだろう。

 

その行動ひとつで誰かの人生に希望を見出せたり、命を繋いだりすることがあるかもしれないから。

 

私が宮古市のボランティアでお家が流されてなくなって、ご友人も亡くされてしまった高齢のおじいさんとお話をしていた時に言われた

「あなたがこうして会いにきてくれるだけで、話してくれるだけで十分」

この言葉は何年経ってもその力を失わず、私の心に深く刻まれています。

 

次回

「うたび2歳はフォトグラファー」

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