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ヒーリングキャンプ(2015-4)時事「バルト三国」

投稿日:2016/11/13

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●ヒーリングキャンプ 4月 時事 まとめの一部。                担当:榊原基文

<時事>
2015-4-3(金):「バルト三国」について
エストニア:高津・吉村
ラトビア:鈴木・リーダー
リトアニア:齋藤・榊原
ロシア:金子・北岑
※各前者:国情報(基本情報・最近の時事・観光など)
※各後者:歴史(バルト三国に関するもの)
 
<バルト三国の基本情報>
バルト三国とは、バルト海の東岸に南北に並ぶ3国を指し、北から順にエストニア、ラトビア、リトアニアである。
3ヶ国とも、北大西洋条約機構および欧州連合の加盟国です。
3国ともロシア帝国に支配されていた歴史があり、ロシア革命ののち、
1918年に三国とも独立を達成しました。
(ちなみにリトアニアの左下はロシア領です)
 
<エストニア>
国土
  国土は45,227平方キロメートルで、北海道の6割程の面積で九州と同じぐらいの車でどこでも行ける国です。人口は約140万人です。国土がほぼ同じ大きさのオランダと比べると、人口はその10分の1です。
エストニアは海の国で、海岸の長さは約3,800kmもあり、陸の園境線の約6倍にあたります。
言葉
  公用語はエストニア語で、エストニア語はフィンランド語とハンガリー語を含むフィノ・ウゴル語族に属し、インド・ヨーロッパ語族のロシア語、ラトヴィア語、リトアニア語などとは言語的に遠い関係にあります。
宗教
  宗教は主にルター派プロテスタントです。
中世におけるドイツ支配の影響で現在でもキリスト教ルター派の教会が社会的に重要な役割を果たしています。
平坦な地形
  国土はほぼ平坦で、1番高い大きな卵山と呼ばれる「スール・ムナマギ」でも高さ318mです。
自然
  エストニアは自然の豊かな園で、ヘラジカ、イノシシ、クマ、オォヤマネコがエストニアに生息している主な哺乳類です。
気候
  夏至の日の日照時間は19時間、冬至の日は逆に6時間しかありません。5月上旬から7月下旬にかけて「白夜」と呼ばれ、深夜でも真っ暗になることはありません。
一番寒さの厳しい2月の気温は-3.5℃~-7℃、日の1番長い6月は16℃~20℃になります。
【特徴】
◇エストニアの面積は、長野県の3.3倍、九州と同じくらいの面積に140万人が住み、
国土の30%が湿原で産業は漁業、農業、酪農が中心です。(佐久市の人口10万人、長野県は218万人)
◇エストニアの風土が佐久市に似ています。(白樺や赤松が多い)
◇気候は四季がありますが、春と秋は短く、冬が比較的長い。また季節の変わり方が急激で、
5月に入るといきなり夏のように暑くなり、9月になったとたん急に寒くなります。夏は白夜の影響下に入り、
夏至の前後は夜11時頃まで太陽が沈みません。逆に冬は夕方4時頃から暗くなります。
(夏は湿気がないため、日本より過ごしやすい)・エストニアはEUヨーロッパ連合のメンバー。通貨統合も予定されています。
 
 
<ラトビア>
ラトビアを覆う氷河が融けた西暦前9000年。最初の住民がたどりつきましたが、後に他のバルト語派の部族が定住するようになりました。彼らがラトビア、リトアニア、プロシアの先祖です。
ラトビアは貿易の要所であり、古代から世界的に重要な交易ルートとして栄え、バイキングからギリシャ人までが広大なダウガヴァ川を渡りました。

B.C.2000 インド・ヨーロッパ語族バルト語系の人々移住(ラトビア人の祖先) 。
A.D.1186 シトー派司教マインハルト、リーヴ人の村に教会建設。(リヴォニア」と呼ばれる)
1201年 アルベルト司教、リガを建設
1282年 リガ市、ハンザ同盟に加盟
12世紀から13世紀にかけて、ラトビアは領土拡大を狙い、キリスト教を持ちこむ十字軍に徐々に侵攻されます。
13世紀初めより ドイツ騎士団が進出し、
13世紀にはドイツ騎士団による侵略を受け、その後も強いドイツ文化の影響を受けながら、リトアニア・ポーランド、スウェーデン、ロシアの支配を受けました。首都リガはハンザ同盟の中核都市で、中世の面影を色濃く残した
1290年 ラトビア全域をドイツ騎士団が領有。 
14世紀 リトアニア・ポーランド領となる。 
1629年 スウェーデン領となる。 
1721年 北方戦争の結果一部ロシア領、残りはポーランド領となる。 
1795年 第3次ポーランド分割により全部ロシア領となる。 
1917年 独立を宣言。(第一次大戦でロシアがドイツに敗北したことがきっかけ) 
1920年 ソ連より独立。
(ヴェルサイユ体制のもとで、エストニア・リトアニアとともにバルト3国と呼ばれる) 
1941-1945年 ソ連に併合。 
(第二次大戦初期、ヒトラーとスターリンの秘密協定によりソ連がバルト3国を併合)
1940年から1949年にかけて約8万にも及ぶラトビア人がシベリアに流刑され、また多くの国民が難民として国外に亡命しました。この結果、1939年にはおよそ73%いたラトビア民族は、1989年には52%にまで減少しました。
1990年3月 共和国最高会議選挙。 
   5月 独立回復宣言。 
1991年1月 リガで「血の日曜日事件」ソ連による弾圧で死者6名など。
1991年8月 共和国の地位に関する基本法採択。 
   9月6日 ソ連国家評議会バルト三共和国の国家独立に関する決定を採択。
(ソ連による独立承認)
2004 nato 加盟、eu 加盟。2014年1月 ユーロ導入
 
 
<リトアニア>
ざっくり年表
1251 「リトアニア王国」建国
1263 「リトアニア大公国」
1385 クレヴォ合同(ポーランド・リトアニア)
1410 ドイツ騎士団を破る(ジャルギリスの戦い)
1569 リヴォニア戦争が起きルブリン合同を結ぶ
    「ポーランド・リトアニア共和国」が成立
1700 大北方戦争が起き、リトアニアは荒廃
1795 3度に渡り、分割が行なわれ解体される。
1944 「リトアニア・ソビエト社会主義共和国」
    としてソビエト連邦に編入
1990 「リトアニア共和国」として独立を宣言
2004 EU亀井
 
九州と四国を合わせた程の65,200km2の小国で、人口はおよそ325万人。 横浜市の人口より少し少ないくらい。首都のビリニュスは美しい景観のために訪れる観光客も多数。
1994年に旧市街が世界文化遺産に登録された。何より、町並みが美しいのでいわずと知れた観光国でもある
何より素晴らしいのは、物価の安さ。 自動販売機で売っているジュースは約60円、レストランでも、500~600円あればお腹一杯食べることができる。
隣国のラトヴィア、エストニアと異なり独立国の経験があるリトアニア知識層は、くにを造るというより国家を再建するという考えを強く持っ ていました。

リトアニア自殺が多い。
理由 → 旧ソ連からの経済的・社会的変化、アルコールに起因するもの。他、寒く厳しい気候など。
約80%がアルコールに関連しており、地方ではアルコールが最も深刻な問題になっている。
 
バルト三国が統一国家として独立すれば? メリットはたくさん!EU内でも発言力拡大!
 
<ロシア>
●行ったり来たりのざっくり歴史
18世紀:ロシアやスウェーデン、ドイツ騎士団などの列強の抗争を経て、帝政ロシアの支配下に入った。
1920年:ロシア革命から第一次世界大戦後、リトアニア、ラトビア、エストニアが、タルトゥ条約でロシアからの独立。
1940年:第二次世界大戦中、モロトフ・リッペンドロップ協定によってソ連に併合。
1944〜46年:バルト三国とロシアとの国境は「ソビエト連邦内における共和国間の国境」として、
ソ連最高会議によって新たに承認され、これがソ連時代を通じて機能してきた。
  こうした状況にバルト三国は怨念を募らせていた。
2004年:ついにバルト三国が念願のEU加盟。
●問題点!
1940年のバルト三国のソ連への併合 → ソ連による一方的併合!? 国境線どうなっちゃったの?
  1. タルトゥ条約によってロシアからの独立。
1940年 モロトフ・リッペンドロップ協定によってソ連に併合。
  ソ連が勝手に併合?!とか言われた。ちょっと待ってよ!エストニアが「自発的」にソ連に加入したんだから
  1. ソ連から独立。土地少し減らしてお返し
 
●バルト三国は「土地少ない!」って怒ってきた…
「今まで色々ガマンしてたけど、許さん!私たちEU行きます。もとの土地返して!」
これを後押しする動き…「スターリンとヒトラーの密約であって法的根拠を持たない」とソ連最高会議が議決している。
ブッシュ大統領もソ連によるバルト三国併合を批判した。歴史的認識の違いが引き起こしたよ。
それでも折れないプーチンさん!「だからって今更国境変更せきないよ」
 
●なぜなら……歴史認識で絶対に譲歩しないと決めましたから!
 第2次世界大戦の時バルト海沖の港が必要だった。ドイツとソ連で上手いことバルト三国を利用した。
 
2015-4-10(金):国プレゼンは各自チャターにUPしている方がいるのでそちらを参照してください。
2015-4-17(金):NewsWeekは各自チャターにUPしている方がいるのでそちらを参照してください。
2015-4-24(金):国プレゼンは各自チャターにUPしている方がいるのでそちらを参照してください。
 
 
●まとめ
スタッフの多くは時事を勉強する度に自分が無知であることを知ると言います。それを知るまでは自分がどのような状態だったのか、なぜ知らなかったのか不思議に思えます。
哲学でも「正しく知ること」がどれだけ重要かがわかりました。だからこそ、ただ知的欲求を埋めるのみならず、正しい選択ができるために教養を深める事が必要なのです。
選択肢がわからないまま、何かを選択できるでしょうか?
世の中は自分が知らないことだらけです。全てを知ろうとするには余りにも時間がなく非力です。
 
では何を知れば良いのか?以前大宮店では「傷みを知る」について言及してきました。
その中で社会問題にフォーカスして学習し実践してきました。私たちがやるべきことももちろんですが、
世界に広がる問題にどこかで目を伏せていた感覚はありました。目を背けず、同じ人間が
どのような状態に陥っているのかを知らなくてはならない。そう感じて、NewsWeekや各国に目を向けながら、少しでも世の流れ・世の本質を見抜ければと思い進めてきました。
 
手応えとしては、普段の営業中でも世間話の如く時事の内容が飛び交っている光景に感銘を受けました。
私はずっと「教養の習慣化」を謳ってきました。それがまさにこの光景で実を結んだと思いました。
スタッフルームにも世界地図を貼り、国のプレゼンで世界が塗りつぶされていく様というものはとても感慨深いです。世界を塗りつぶすということがゴールとして意識しているわけではなく、多くのことを学んで、いざ自分たちは教養を深めどのような選択肢を増やしどう行動に移すのか。
それを一カ国一カ国やり遂げる必要があるなと、膨大なビジョンにある意味悩まされています。
 

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