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大宮店
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詩と手と写真

投稿日:2018/1/22

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先週のライフスクール(大宮店・代々木店での勉強会)で詩について学ぶ時間がありました。

小学校から大学へと文学に一環として学ぶ詩や唄などはたくさんありました。

しかし私の中でその詩などの言葉の存在が今の私とどのように結びつくかは考えてもいませんでした。

今回は詩の持つ可能性と写真と結び付けて考えることの重要性を知り、詩の世界から日々行っている撮影に言葉に合わせて写真を撮るということが写真の世界観を広げる可能性を持っていることを知りました。

たとえば、英語教師をしていた頃の夏目漱石が、「I love you」を「我君を愛す」と翻訳した教え子に、それは間違いだと正しいのは「月が綺麗ですね」と日本語という言語の特徴である奥ゆかしさを表現した逸話がある。

写真も同じくただ目に見える現象のみを切り取るのではなく人の関係性や思いを表現した詩的な写真が存在することも写真の美しさと言える。

そのような点から私は詩という存在が写真の世界観を広げる可能性を持っていると考えます。

撮影の中私自身が詩を連想しながら撮った美しい写真を詩とともに皆様にお伝えします。

下の誌はもとフリーアナウンサーのかたがブログで書かれていた詩です。
すごくわかりやすい詩で、それがかえって写真と詩を結びつけるに良い結果に至ったと思います。



【詩】手のなすことごと

手はわたしの手は

あまりに妙な姿でぶらさがっており

ついあることを忘れてしまう。

歩む跳ぶを助けてはくれないが

果たしてまったくでくのぼう、

というわけでもない。

 

たとえば、手はすくう

一杯の真水を

まひるの陽射しを

おだやかな夕餉を

 

たとえば、手はつまむ

朝陽のなかに洗いたての苺を

脆い頁のはしっこを

新しくついて落ちない染みを

 

手ははたく

かしこい嬰児の頬を

ぐずる恋人の尻っぺたを

儚いスカートのすそを

 

手はなでる

仔猫のあたまを

かすかにそよぐ麦の穂先を

もの憂げに、時を

 

もとめる

指さしあるいは大きくひらいて

手のひらにのせ重みをはかることもできない

平和を富をそしていのちを。

 

かなでる

鍵盤をはずみ弓をひき弦をはじき

いまはもうない国の歌を。

手は声なき声をあげ

荒れた地を抱き、即席の墓前で慟哭する。

考えるのをやめた時、

手はだらしなく眠ってしまう。

 

手は宣誓する

(斜め上の宙に正義を語る)

手は蜂起する

(拳を天に突きあげる)

手は降参する

(まいりましたと諸手をあげる)

引き金を引く。だらりと垂れる。

傷つく傷つける傷つけられる

抱きしめる癒すあたためる

 

手招きされ

手によりこの世にひきずり出され

さまざまな手により葬られる

とられ握られひっぱられる

その手はくるくる変わるだろう

ゆっくりとぬくもり

かと思えば、さっと冷たくなってしまう

 

幾千の幾万の幾億の、手はいのる

手を合わせ手をすり

ぐんと伸びて地べたを這い

十字を切り胸の前で組み

空へ向かいひらりひらり踊らせ

つかみどころのない幸せを希望を

触れられぬあしたをそして将来を…

 

手をのばす。

すると、その手をとるたしかな手がある!

その手をつかむ。

すると、つかみ返される。

わたしは、はたと思い出す、じぶんには手があることを。

贅沢にも、しかと一揃いあることを。

いいや実のところ、手は偽物でもかまわない。

手などなくともかまわない。

 

こころさえ

こころさえあれば。

草間 小鳥子

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