PhotogenicOmiya

「遊」から生まれるもの

2018/8/1

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「遊」から生まれるもの

ライフスタジオ大宮店の夏は、厳しいです。

お庭での撮影では、脳天を焦がすような熱光線が、私たちを襲います。

子供たちは感情の赴くままに、庭をかけまわるし。

私はすぐに汗が目にしみてきて、思考はオーバーヒート。 

せめて冷凍庫でキンキンに冷やしたカメラで撮影ができればなんて…本気で思います。

 

しっかし暑かろ寒かろうが、子どもたちは関係なく、どこで何をしても心を遊ばせる憧れの存在です。

今回のこの写真は、「遊」から生まれる情感をイメージ化できた控えめにも素晴らしい写真だと思い、公表します。

 

 

すべての遊びは、何にもまして一つの自由な行動だ。

子どもが遊んでいるのを見ると、何も考えず遊びの世界に没頭しきっていて、自分が遊んでいるということすら忘れてしまい、ただワクワク楽しい時だけを過ごしているようにみえる。

私も同じように何も考えず、自然に身をまかせて、ただただ子どもと同じように遊びの世界に没頭しようとする…が

なかなか難しい。

 

定められた時間、撮影する空間やカメラの画角や設定からはみ出してしまうようなら、ストップをかけなければならない。

また自分の技量を知り、写真の質が落ちないように、本来自由な子どもたちをコントロールしなければならない。

 

本当ならそうはしたくない…だって命令されてする遊びはもう遊びでなくなってしまうし、義務化されたとたんに楽しさは消えてしまうから。

子どもたちが砂場で好きなものを作ってたときはイキイキしていたのに「毎日1時間、砂場でお山を作りなさい」と命令されたとたんに、それが楽しい遊びでなくなってしまう。そうならぬよう私たちは子どもたちへ無理強にならぬよう、それぞれに合わせた遊びのアイデアをそっと置いといて、「お好きにどうぞ」と呟く余裕を持って撮影をしなければならない。

 

撮影で心を遊ばせる子どもたちを、写真として捉えるために必要なことは「流れに身をまかせること」が私の条件のひとつです。

自ら動き遊ぶ中にその子らしさが現れ、情感を揺さぶる刹那に出会えることが多い。

なので流れを捕まえてしまおうとすれば、その間に流れてしまうものに気づけなくなってしまう。

 

私たちは、パソコンやスマホといった便利なツールが登場したおかげで、膨大なイメージをストックしておくことができるようになった。そうしたデータを元にさまざまな分析したり、真似してみたり。でもそんな私たちってそうした「蓄積したイメージにしばられすぎているんじゃない?」と思う。

目の前の出来事は絶え間なく変化しているのに、そうした変化をもっとダイレクトに感じる「直感」や「勘」のような力が弱くなっていないだろうか。

先のことはわからないんだから、できるだけ強い理想をもたず、目の前のことを素直に受け入れていくことが大切だと思います。

 

 

この写真は今まで見たことのない一枚です。

車輪をもって走り回る彼を縛るものはなく、

晴天の庭先へ飛び出す開放感でいっぱいでした。

私も外へ飛び跳ね、待ち伏せ、通り過ぎる彼を激写。

すぐにモニターを見たら嬉しくなって、自慢をしようと思ったけど我慢しました。

 

夏の太陽がつくる強いコントラストが季節を感じさせ、

庭の草木にも生命力を与えてくれてます。

それに負けぬ彼の踏み込む足と飛び跳ねる足の阿吽の動きが、躍動感を生み出し、またこの写真にエネルギーを与えてくれるような気がします。

少々、庭の木々やインテリアが複雑に見えるかもしれないけど、車輪をど真ん中に持ってくることでバランスと彼の存在感が強く現れてくれました。

 

Photo by Soo  

& Kozu

in  Lifestudio Omiya

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