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いつかの姿を追って

投稿日:2020/12/20

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LIFESTUDIO OMIYA

photo & write : Ueda

 

後ろ姿は顔が見えない分、その背中に何かを語らせる必要がある。

後ろ姿はその為に難しくも感じるし、また奥深いなとも感じる。

 

ただ写しただけでは映らないものをどうやって映すのか。

それが写真がただの記録の為の道具でない所以であると思う。

 

そして私はあまり後ろ姿を撮らない。それは上にあるような難しさを感じるからだ。

分かりやすいのは顔が見える写真。笑っているのか、真顔なのか、怒っているのか泣いているのか…、

顔を見ればある程度のことは分かる。でも後ろを向いてはそれが分からない。

スタジオで撮る写真のほとんどが顔の見える写真であるのは、当たり前にそういうことだからだろう。

 

ただそれでも表情が分からない写真を撮るのは、そこに何かを見出したからに他ならない。

何かを感じたその次にそれを表現する方法は人それぞれだが、それが伝わらなければあまり意味がない…。

それならば素直に表情が分かる写真を撮った方が良いということになる。

 

この写真の核心をあえて言葉にするなら光だろうか。

光はその当たり方で物の見え方をガラリと変えてしまう。

この写真も光の当たり方ひとつで全く別の写真になってしまうだろう。

 

窓から差し込む冬特有の角度の低い光が被写体の正面を捉えている。

光が当たった場所がハイライトとなり、そこから徐々にアンダーに落ちている。

これを完全な逆光状態で撮れば、背景は白飛びしてまた違った雰囲気の写真になったことだろう。

 

ただこのシーンでは背景がある程度わかる写真が好ましいと感じた。

背景=インテリアは写真内の世界観を決定し、被写体と調和することでそれを見る人の助けとなってくれる。

よって被写体の斜め後ろからカメラを構え、光の当たり方を半逆光気味にすることで、

明るい印象の中であっても被写体に光と影による存在感を与えることができた。

(また画面には写っていないが被写体の向かって左側にレース状の布を設置することで光を起こし、

背景との露出差があまり大きくならないよう気を配っている。)

 

ただ赤ちゃんの後ろ姿は老人のそれとは違って、時間の経過による味わいとはまた違ったものだ。

この世に生を受けてまだそんなに時間の経たない赤ちゃんの背中に深さを表す理由はあまりない。

でもそれでも私が後ろ姿を残したのは、その時の瞬間が美しかったからだ。

 

美しいとは使い尽くされて本来の輝きを失った言葉のようにも感じるが、私は素直にそう感じた。

私にとってこの時の美しさは、過ぎていくものの美しさだった。

 

写真とは常に過去の産物で、撮った時にはもう二度とその時は訪れない。

それはどんな写真にも言えることだが、赤ちゃんという特別な時を過ごす存在にとっては尚更だ。

 

最近もうすぐ2歳になる娘の昔の写真をよく眺めては、その時の幼い姿に懐かしさを感じている。

こんなに大きくなったんだと感じると同時に、もう一度あの時に戻りたいなと思ったりもする。

時間はいつも理不尽で、そして人の記憶は何とも曖昧なものだなと感じる。

 

だから記録する写真にはその時の特別だった頃の輝きを閉じ込めたい。

できることならば過去に戻ってもう一度、思いっきり抱きしめて目で肌で体全部でその姿を感じたい。

親になってまだ2年しか経っていないのに、もうそんなことを思っている…。

 

そんないつかの姿を追って、これからも子供たちの写真を撮り続けていくのだろうと思っている。

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