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「透明人間」

投稿日:2021/10/14     更新日:2021/11/5

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写真とは、撮影者(見る人)と対象との距離感を表現したものである。

ーSuzuki Ryoheiー

 

 

なんて名言ぽく書いてみましたけど、、うっとおしいですね^^

 

だけども、”距離感”は写真をつくるにおいて重要なものであると思っています。

 

私が、スタジオで写真を残すとき、撮影する対象(被写体)はおおよそ「人」です。

細かくしていけば「家族」「カップル」「男性女性」「大人子供」「青年少女」「赤ちゃん」…

その対象に対して、私は何者になり、そのためにどのような距離感をもつのかを決めていきます。

 

例えば、とあるお子様の撮影。

①初対面の撮影者は、何もやり取りはせず、気づかれないように望遠で、コーディネーターや家族とのやり取りを撮影。

②撮影開始と共に現れたぶっきらぼうな撮影者。目に前でドス黒のカメラを向けて撮影。

③撮影前にお互いに好きなモノの話をしながら、戯れあったりしながらいつの間にか撮影。

 

それぞれに異なる距離感が生まれます。

①は、心理的距離感が遠く、物理的にも遠い

②は、心理的に遠く、物理的に近い

③は、心理的・物理的にも近い

 

心理的・物理的距離感のバランスによって写真は、大きく変化してしまいます。

 

なのでまずは被写体に対して、私は何者になり、どのような距離感で撮影をするかを撮影の中で変えながら撮影をしなければならない。

それは、プロカメラマンっぽい人だったり、はたまた親戚のオジサンだったり、気心知れた友達だったり…

相手にとっての心地よさ、緊張感をどれくらい残すか、会話やレンズの焦点距離を組み合わせながら心理的物理的距離感を調節していきます。

 

そうして調節しながら、

撮影者の私という不自然な存在から、そこにいるというのが自然となり、「透明な存在」になる。

先程の例で言うと、新しく「④物理的に近いけど、心理的に遠い」という不思議な距離感が生まれています。

その距離感が生まれた瞬間、被写体の本来の姿を写真にすることができるんじゃないかと思います。

つまりそれは「自然な姿」がそこに現れるということとも言えます。

 

私が「透明な存在」になった時、被写体は撮影をされているという事を忘れて、自分の目の前の出来事にだけに魅せられている。

そして、撮影者の存在が消えることで、”本当の”自然に近い姿を残すことができるのではないだろうか。と思う。

 

今回の写真に関しても、より自らが「透明な存在」になることで自然な姿に出会うことができた素敵な機会でした。

彼とはとてもたのしい時間を過ごさせてもらいました。今思い出しても可笑しい。

 

まずはどんな被写体だって自ら近づいていきます。相手を知らないままだと素っ気ない写真になる可能性が高いからです。

彼は、虫が大好きで。ずーっと虫の話をしたり、虫になりきったり、お庭では虫取りをして、虫ではないけど大きなカナヘビの切れたシッポがウネウネと動くのをキラキラした目で眺めていました。私自身も童心に帰ったそんな撮影でした。

恐らくまわりのみんなは、色んな意味で若干引いていたかも知れません。苦笑

だけども私と彼の間には勝手ながら、友情のようなものが芽生えてたのではないかと思っています。

 

親友までは行かなくとも仲良くなると、お互いが空気みたいな存在になってきます。別に話さなくとも彼が何を考えているか、どんな感情なのか、表情や雰囲気でわかってくる。同じ空間にいるだけで安心感があると思える。勝手ながらですけど…。

この写真の場の私たちは、お互いの空気を受け入れる関係があって、とても心地良いものでした。

 

 

彼はお花の中をのぞいて、なにか見つけたかしら

 

この時、わたし、カメラマンでもお友達でもなくて

お花の香りに誘われた蝶々になってましたのよ

 

photo by Suzuki Ryohei

 

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