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Photo essay Soo
投稿日:2018/1/26
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すーさん
全てを受け入れようとする人
自由を求める人であり、不自由さも楽しんでしまう人
考える人であり、考えない人
真面目であり、不真面目な人
常に変化していたい人であり、変化しない部分もあわせもっている人
努力する人であり、それを努力だと思わない人
マイナスをプラスに変えたい人であり、変えられる人
(マイナスをマイナスと捉えない人)
人生に「おもしろさ・遊び心」を求める人
私の中で、彼はいろんな側面をもっている。
単純なようで、複雑なような…
矛盾しているようで、していないような…
相反するものが、対立をするのではなく、お互いに混ざりあっているような…
だからだろうか。
すーさんという人を理解しているようで、理解しきれていないようにも思う。
でもそれはきっと、すーさんがそういう人になりたいと常に思っているからなのではないかと思う。
『自分とはこういう人間だ』
などと決めつけたりしない。
きっと人からも
『すーさんてこういう人だ』
などと決めつけてほしくないんだと思う。
そんな彼からは、いつもいろんなことを教えてもらっている。
年齢とか、性別とか、価値観とか生い立ちとか…
わたしを構成するいろんなものをとっぱらって
すーさんとは対することができると感じている。
それはきっとすーさんという人が
人と対するときにその人そのものを受け入れようとするからなのではないかと思う。
年齢とか、性別とか、価値観とか生い立ちとか…
いろんなフィルターをかけてその人をみるのではなく、
その人そのものをみようとするからなのではないかと思う。
きっとそれは自分自身に対するときもそうなのだろう。
自分の中から出てくる陽の部分も陰の部分も、
否定するのではなく、両方受け入れる。
そして流れるように生きている。
とどまることをしないのだ。
そんなすーさんは、周りの人を自分のファンにさせてしまう天才だ。(と私は思う)
(ファンという言葉が適切かどうかは分からないけど、ここではこの言葉を使わせてもらう)
その自覚があるのかないのかは分からないが、
彼と出会い、触れ合う中で、
大人も子どもも、どんな人も、
いつのまにかすーさんのファンになってしまう。
あまり言いたくはないけれど(笑)…
私もきっとすーさんのファンなんだろうと思う。
みんなを自分のファンにさせてしまう。
それって結構、というかかなりすごいことだと思う。
その理由を考えてみると、
やはり1番の理由は、すーさんがどんな人に対しても、
その人そのものを受け入れようとするからなのではないかと思っている。
人は相手に受け入れられているかどうかで、相手に対する心の解放度も変わってくる。
「受け止めてもらえている」
すーさんと関わると自然にそう思えてしまうから、
いつのまにか心が解放されて、
心地良さや居心地の良さ…
その受け止め方は人それぞれかもしれないけど、
そんな感じで自然とすーさんのファンになってしまうのだ。
「全てを受け入れる」
それは人に限ったことではない。
彼はどんな出来事も、自分自身も、まずは丸ごと受け入れようとする。
そんな彼の生き方が、
周りの人には輝いてみえるのかもしれない。
自分にはできないから
すーさんという人を通して
そんな生き方をしてみたい
そんな風に思わせてしまうのだろう。
これからも彼はこの先出会う人一人ひとりを
自分のファンにさせていくのだろう。
でもそれは、
彼が全ての人や事柄に対して、
受け入れるだけの、
どこまでも伸びるゴムのような器を持っているから。
その人が自由に動けるだけの余白を残して、
彼は伸びるゴムのような器を、常に広げて待っていてくれる。
伸びることを知らない器しか持ち合わせていない私には、
無限に伸びるゴムのような器を持っているすーさんが羨ましくもあり、
そしてやっぱり輝いてみえるのです。
※写真は相反するものをあわせもっている、
結果よく分からない存在であるすーさんを表現したくて、すーさん自身に相談しながら撮影したものです。
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