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①P.O.P~Figure the TRUTH: Takumi Yoshizawa~
投稿日:2018/1/6
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真理とは何か
主観的でもなく
客観的でもなく
しかし同時に
主観的であり
客観的である
「私」に偏らず「誰か」に依存せず。
彼のことを写真に撮るということは規定
「彼が誰か」という規定を、私自身が下すこと
その前に、私は「彼が誰なのか」知っているのだろうか
写真人文学で、私たちが目指す写真の話をしました。
スタジオで接客をして写真を販売している限りは道具かもしれない。だけど、目指す写真は作品であるということですね。
その作品としての写真とは、「何らかの真理を含むもの」という条件があります。
それは、撮影者が撮ろうとすると写真に意図があり撮影者が写真で表そうとしたものに考え規定があるものがあること、それが撮影者の独りよがりの規定ではなく多面から見て考え抜いたものであることが重要になってきます。
私たちが撮ろうとする対象は「人」です。
その「人」とは一人一人違うものでありながら、私たちと同じ「人」だからこそ通じ合えることもあります。
その「人」を撮る作品としての写真とは、最低条件として、撮影者が「その人の真理を表そうとすること」です。
今回の被写体はたくみ。
今回の主題は、「たくみの写真を作品として撮ること」です。
それは、私たちが頭の中で規定したたくみの真理が無いと撮れないものです。
たくみのことをできる限り知ることも必要ですが、私たちがたくみを主体的に表そうとすることが何よりも重要になります。
それは具体的で説明的な写真である必要はありません。撮影者の頭の中にあるたくみの真理はもしかしたら抽象的かもしれません。それをできる限り写真に表そうとして見てください。
抽象化とも言えますし、形象化とも言えます。
頭の中にある「たくみ」を、できる限り正確に写真という形に表すこと。それには抽象的な概念を形にしてみる。
これが今回の主題です。
条件は必ずイメージカットを入れてください。
今回も第1回から3回に似てると思われるかもしれませんが、これまでとの違いは。。。
第1回 アウラの再構成→対話を通じてその人の固定概念をくずして撮る
第2回 ストゥディウムとプンクトゥム→その人の物理的なものからその人の内面に入る
第3回 存在と存在者→いつもと違う格好をしたその人からいつも見ることのできないその人を知ることでより深く人を知る
第4回 作品としての写真→ 撮影者の頭で規定した漠然としたその人をできる限り正確に端的に写真にする。
<撮影当日>
POP当日は午後からミュージックフェスin袖ヶ浦という事もあり、我々はレンタカーを借りての移動。

撮影場所はお台場にあるテレコムセンターという場所。
場所の提供をしてくれたのはようちゃん!過去の経験が活きた!?
この無機質でだだっ広い空間でどのようにたくみを写すか、皆頭を悩ませました。



今回のテーマは「たくみを作品として撮る事」
それは、撮影者である自分と、被写体であるたくみの間にひとつの真理があることであり
それが写真に投影されること。
決して他人では撮れないたくみと自分だけの物語
どんな物語が綴られたかは各自のブログでご確認をしていただきたいと思いますが
今回やってみて感じた事は
「人は近くにいるだけでは知る事ができない」という事。
あとは
「誰かの事で頭を悩ませる事というのはとても美しい事だ」とわかった事。
なんだか
「写真を通して関係を作る」
を実践してる気がする!!
たくみさんの感想
今回のPOPはまるでご褒美のように心を軽くするようなものばかりでした。
あぁ、あの時はこんなことを考えていてくれたのか、
あの言葉はそんなことを考えて言ってくれたのか、と思い返してはありがたく思う事ばかりでした。
きっとこんなところだからながく勤めてられるのでしょう。
これからもここで大きく成長できると感じられる良い機会でした。
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