PhotogenicShimonoseki

WHAT IS MY STYLE?

2019/4/20

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2015年3月にオープンした下関店では、1年に1回毎年3月に写真展を行っています。

2016年のテーマは【感謝】

まだまだ認知もない状況の中で、1組1組の忘れられない出会いの記録をすべて展示し空間いっぱいに残しました。

2017年のテーマは【家族】

ただカメラが家族を写すわけではなく、どのように家族になってきたか、写真館だからこそ残せる家族写真とは何かを考えながら、今ここに一緒に過ごせている時間を確認するような写真でありたいと思いました、

100組あれば100通りの家族の姿。

それぞれの関係や距離感、すべては分かり得なくても少しだけ垣間見える家族の姿や繋がりを、できるだけドキュメントも含めて形にしていきたいというわたしたちなりの「家族写真」を提示しながら、こんな風にも家族写真が撮れるというひとつのきっかけづくりになれば、というような展示空間を作りました。

2018年のテーマは【人】

3年をかけて、だんだんとテーマも展示数も絞り、わたしたちがライフスタジオ下関店として伝えたいことをきちんと伝えられるように考えました。

人ひとり、自分そのものの姿はどこにあるのかに集中しながら写真を選び、「この人はどんな人なのだろう」そういった人に入り込めるような展示になればと準備しました。

 

1年 1年

写真展はいつでも「なぜわたしたちは写真館として写真を撮ろうとするのか」日々の撮影の中で常に頭の中にあり行動するものを一度すべて振り返り、集約し、確認し、答え合わせをするような機会であり、もちろん反省にもなり、次の1年への課題設定をする場でもあり、写真館としての希望を見失わないための過程にもなっていました。

 

すべてに理由があり、その理由を少しでも表現できるように。

 

そして2019年、4回目となった今回の写真展のテーマは、

【WHAT IS MY STYLE?】

昨年の「人」というテーマで行った写真展準備中に、当時も展示をしたこの1枚をずっと眺めて決めていました。

 

2年連続で展示をしたこの1枚。

 

 

スタジオでたくさんのこどもたちと過ごす中で

純粋無垢で自由に遊び回る姿を見るたびに

こどもたちだからこそこんなに美しい瞳をしているのだ、そう思っていました。

こどもだからこその瞳。

そう思っていたわたしたちの概念を越えてくるかのような

むしろ、越えてきた美しい瞳に出会いました。

 

撮影の最後の最後に写した1枚。

 

シャイで口数も少なくて写真も苦手そうだったので、ソロを撮るかどうか悩みながらも、

どうしても今のこの姿を残したい、撮らせていただきたいと思い、胃薬を飲むくらい緊張しながらも撮影させていただいたこの1枚を、見れば見るほど大切な何かを感じていました。

本当は昨年、文章を綴りたかったもののまとまりませんでした。

まとまらないほど、すごく考えさせられた姿。

 

 

こどもだから自由なのか。

こどもたちは自由なのか。

自由とは何か。

 

自分は自分として生きてきたのだろうか。

下関店をはじめる前に思っていたことでもあり、

だからこそスタジオを自分たちの手で作っているときにこっそりと

スタジオの中に描いた文字が今回のテーマでもある言葉でした。

自分自身に向き合うこと。 

自分自身のスタイルを持つこと。

 

家族の中での自分。

社会の中での自分。

仲間の中での自分。

時代の中での自分。

自分はどう生きていきたいか。

 

WHAT IS MY STYLE? 

わたしのスタイルは何か?

 

あなたのスタイルは何ですか?という問いかけではなく、

撮影の中で見えてくる【わたしとしてのスタイルとは何か】を、

お互いに感じ確認しながら拾い集めた2019年の展示の中心にあった1枚。

 

 

振り返ってみるとものすごく難しいテーマでもありました。

大前提として、わたしたちはモデルを撮っているわけではありません。

写真展のために写真を撮っているわけでも、

自分自身の作品として撮っているわけでもありません。

成長の記録や存在の確認として、ひとつの写真館として存在しています。

 

その中で、あえてこのSTYLEに焦点を当てたことの理由。

スタイル、と聞けば、ファッションなどスタイリングを思い浮かべることが多いかもしれません。

けれどわたしたちが集中したいと思ったのは、おしゃれだとかスタイリッシュというものではありませんでした。

 

性格や見た目、そういうものでもなく、何かもっと奥にあるようなもの。

「自分はこうありたい」という意志というか信念というか、意識というのか、

適切な言葉がはっきりとはわかりませんでしたが、それをSTYLEだと考えました。

 

赤ちゃんは、ただただかわいい。

笑っても泣いてても真顔であっても愛おしくて、

その存在のスタイルの側には、時にすごく大変な中でも、

少しずつお父さんお母さんとしてのスタイルを身につけていく親御さんの存在が見えます。

赤ちゃんだった姿は、何度も会ううちに成長して、

だんだん、だんだん、個性が強くなっていく。

親御さんに似ているような、違うような、ひとりの人として。

そういった時に、わたしたちはどんな風に寄り添ってその姿を見守れるのか。

人生を生きてきた人の姿、苦労もあれば思い出もある、その姿に出会えることも嬉しく、

どう生きてきたのか、時間にしては短くとも感じられることがあります。

その姿からわたしたちはどんな風に学ぶことができるのか。

 

 

正直、揺るがないSTYLEを持つということは難しくて、わたしたちも含めて、ありはするけどまだ見えにくいものであると感じもしました。

 

 

自分は、自分として生きてきた。

言葉は少なくともご家族の中での様子で、夫婦の姿で、父親としての顔で、

そして最後のソロショットの姿の中で伝わってくるような時間。

自分と家族の関わり方、今までの生き方、趣味、そして仕事への情熱。

黙っていても伝わってくるもの、滲み出ているもの。

この写真のお父さんのように、人生がぎゅっと自分の姿として見えてくるのは、わたしもまだまだ先、かな、と。

 

それでも、人生というその途中途中に、自分としての生き方を一緒に感じられる場所でありたい、そう思っています。

毎日の選択の連続の中で、その選択の根底にSTYLEがあり、自分につながっていく。

変化していくのか、持続していくのか。

どこにたどり着くのか。

 

自分の人生を生きていくということ。

あなた、ではなく、わたしとして。

 

shimonoseki

kawano   yoh

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