Photogenic
横浜青葉店
scrollable
MOVE2
投稿日:2017/6/8
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Photo&Wright by Reiri Kuroki
coordi by Misaki Nakagawa
被写体を動かす。
それは多分、ただただ肉体的に動かしていくということではなくて、
「こころ」のこともそうなのだと思う。
被写体の、こころとからだを動かそう。
きっとそれは、美しい瞬間になる。
先月撮影した写真に、「MOVE」というタイトルをつけました。
http://www.lifestudio.jp/?run_id=staf_blog&bs=staff_blog&po_u_seq=105&po_seq=145814
今回は、それを踏襲した第2弾、です。
前回の「MOVE」で、私が書いた写真分析の内容は、要約すると
・自らが持つ固定概念を覆された写真との出会い
・「動き」という要素がもたらす効果
・6年前の写真のイメージ+現状の条件+被写体の独自性=「MOVE」という写真
このような構成でした。
今回は、そこに弁証法的改変を加えてみました。
(Sakiちゃんのプロジェクトから端を発し、青葉店では「弁証法」「正・反・合」が一種の流行語になりつつあります)
即ち前回の「MOVE」を「正」とし、そこに新たな客観、要素を「反」として加え、前提の「正」に含まれる性質を保存しつつ新たな「合」として構成する、ということです。
この写真の大きな要素は「動き」であり、動くことによってみなぎる彼女自身の活き活きとした躍動感、その根底にあるバイタリティ(生命力)の部分です。
その前提は、前回の「MOVE」と何ら変わらないかも知れません。飽くまでも、「ドレス姿で踊る女の子」を撮りたいのではなく、「被写体自身が活き活きと躍動する様」を残したいと思っています。
前回の写真では、「髪」をアイコンに被写体の独自性を表現しました。しかし今回は、より「動き」によってみなぎる彼女自身、にフォーカスしています。
と言うのも、彼女は着物姿での撮影で、その苦しさに必死で耐えてくれたという経緯があります。
立つことさえ辛い、という状態だった彼女に、撮影者である私は随分無理をお願いしたと思います。撮影は休み休み進みましたが、それでも彼女にとっては酷な時間だったでしょう。
帯に締め付けられる苦しさ、身動きの取れない不自由さ、家族以外の第三者である撮影者からの注目も、7歳の女の子に与える影響は少なくはなかった筈です。
私自身も、「よし、着物、終わり!!!!」と言うまで、息詰まるような緊張感の中にいました。
そして、着物を脱いだ彼女は、兄と一緒の撮影で、徐々に「彼女らしさ」を取り戻していきました。
ほぐれていく、こころとからだ。彼女の話し方、笑い方、動き方。
それを見た時、「躍動する彼女を撮りたい」と思い始めました。
そこで弁証法です。
前回の写真の要素を踏まえつつ、彼女の為の「合」にします。
今回は、「反」として、レンズと動かし方とインテリアを変えました。
からだを動かすことで、連動して動く「こころ」は表情に表れます。よりそこに集中する為に、望遠レンズで敢えて画角を狭くしました。
画角が狭くなることは、「動き」という予測不可能な部分がフレーミングから飛び出してしまうリスクもあります。しかも今回は、より彼女自身に自由であってもらう為に、動きの軸とする支点も作らずに回ってもらうことにしました。
このインテリアは青葉店の2階への階段を上がった真正面にあるので、望遠での引きを確保する為に、私自身は階段から2〜3段降りて撮っています。これもまた、「引きが足りないので望遠は使えない」と敬遠していた場所に対しての「反」とも言えます。
階段から落っこちそうになりながらも何でこのインテリアにしたかって、そりゃもうこの降り注ぐ光が美しかったからです。
何かもう、自由を謳歌する彼女に相応しい。その生命力を感じさせる、輝かしい光が、この写真の世界観を大きく担っています。
光は希望的でポジティヴなイメージを与えます。このインテリアにこの時間降り注ぐこの光が、体を動かす自由を謳歌する彼女の心を演出する表現になっています。
さて、結果の「合」です。
彼女の動きに関しては、重ねて言うように予測不可能な部分でもあります。だからこそ、予測不可能であることを予測して準備はしました。
そして、最後の仕上げは、彼女自身です。
私の投げかけに彼女がどんな形で応じてくれるのか、最終的にはわかりません。それでも、何だか良いものが撮れるんじゃないかという予感はありました。
あんなに健気に、辛い着物での撮影を耐えながらも、この時間を一緒に過ごしてきたという共有が、この撮影に「わたしたち」という連帯感をもたらしてくれていたように思います。
撮影は、撮影者である「わたし」と被写体である「あなた」との間に行き交う感情や、行動や、信頼に基づいて成り立っていきます。
撮影者側である「わたし」からの投げかけと、被写体である「あなた」からの答。その結果作り出されるもの。
こうして考えてみれば、ひとの写真を撮影していくというそのものが、繰り返し繰り返し、弁証法の実践であるのかも知れません。
一度手に入れたパターンを、そのまま撮り続けることは容易です。
しかし、いつもそこに、「反」という新たな客観を取り入れながら、写真を変化させていきたいと願っています。
私にその客観を与えてくれるのは、共に撮影に入るコーディネーターであったり、目の前の被写体その人であったりします。
苦しい時間を乗り越えて、自由に動ける身軽さを謳歌して、解きほぐされる「心」と「体」。
その瞬間に表れる、彼女自身の活き活きとした躍動感、その根源となる生命力。
それはきっと、人それぞれに、表れ方が違ってくるものなのではないでしょうか。
その違いを、大切に。
その人の為の写真として、残していきたいと思っています。
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