Photogenic
横浜青葉店
scrollable
偶発性に対して意図を持って構成するということ ~Reiri Kuroki
投稿日:2017/7/16
1094 0
Photo by Reiri Kuroki
Coordi by Misaki Nakagawa
Write by Reiri Kuroki
@Yokohama Aoba
私には、「Babyを撮る」ということを自身の生業とする覚悟で取り組んできた、2年間があります。
(ちょっと、大袈裟かも知れないですけど、ね)
可愛いBabyをただ可愛く撮る、ということではなく、「何故、Babyの写真を撮ろうとするのか?」を考え続けていました。
勿論それは、当時Baby店舗としてのブランディングをしていた新横浜店にいたからでもありますが。
Babyという被写体特有の難しさと奥深さを追求したのは、可愛さの表現だけに終始しない撮影者側の意図と、その価値を感じてもらえるように。
だって、赤ちゃんという存在は、あまりにも愛おしくて、赤の他人である筈の自分までが何でこんな気持ちになってしまうのか、不思議だった。
ただでさえ「可愛い」と感じてしまう、その存在に対して、敢えて「可愛さ」を語らないように、撮影者としての純然たる意図を込めて被写体を表現するよう努めていました。
そしてその試行錯誤の数々は、私に「観察力」というものを与えてくれました。
意思表示が言葉ではできないBabyだからこそ、一瞬の仕草や表情で彼らの心理状態や行動を把握し、彼らから発現する偶発性を予測し、次の瞬間のシャッターチャンスに備えます。勿論、光やインテリアの観察も同時進行で行います。
Babyの状態はこんな感じ、周りの環境や条件はああいう状態、ならば次はこうじゃない??という瞬時の判断の基となるのは、いつも「観察」した上で得られた情報でした。
この「観察力」については、以前に別の写真分析でも書きましたが、Babyのみならずkids撮影にも、というか、撮影をしていく上での全ての要素の根幹の部分であるように感じています。
写真を撮るには、動機が必要です。
動機は、「何故この瞬間に、このように写真を撮ったのか?」という理由です。
その理由となる、最初のきっかけが観察です。観察を経て得られた情報を基に、意図を持って写真を構成する、という過程は、Babyであってもkidsであっても、大人の撮影であっても変わりません。
私たちは、被写体を前にして、そのひとの「なにを」撮ろうとするのか。
「なぜ」、それを撮ろうとするのか。
そうした撮影者の意図が伝わる写真は、きっと良い写真なのではないかなと思います。
先日、青葉店の写真会議の場で、幾つかピックアップされた写真の中で、この写真についても意見交換がされた時間がありました。
私は写真担当として、その写真会議を仕切る立場だったのですが、敢えて議論を深めたい五明さんに
「玲理さんはしゃべらないでくださいね」と発言権を剥奪されてしまいました。
「この、Babyの動きを捉えた写真に、撮影者の意図が反映されていると言えるのか?」
この写真に対して好意的、肯定的な意見が出たあとで、五明さんが敢えて投げかけたその質問は、場の空気を少し変えました。
走るBabyの後ろ姿を捉えたこの写真は、偶発性に依るところがあることは確かです。
Babyに対して「ちょっとここからここまで走ってみて」という指示は通りません。勿論この時も、たまたま歩き始めの彼女が自分の足で動くことが楽しくて仕方ない、と言うように、同じ場所をトコトコと何往復もして遊んでいたから撮った写真です。
被写体がたまたまそうであった、その瞬間を捉えたと言うのは、受動的で意図が無いことでしょうか?
私はそうは思いません。
目の前の被写体から発せられる「なにか」を受け止めて、自らの中で再構築して写真の中を整えた結果物だからです。
この時、彼女がとても楽しそうに走る様子を私は観察しました。
シーンの合間、着替えのタイミングだったので、一時的に私がその場から離れた時にそれは始まり、私が近付くことでこの動きが止まってしまう可能性もあった為、私は望遠レンズで距離を取って観察を続けます。
周囲のインテリアには、撮影と撮影の合間ということもあり、幾つかの乱雑な部分がありました。彼女の動きに集中したいので、望遠で狭い範囲を切り取り背景もボケさせて整理しました。
フレーミングをやや傾けたのは、踏み出す足の力強さを表現する為です。どん、と踏み込む、重心を預けた力強い一歩は、歩き始めでまだ制御しきれない不安定さと、それさえ楽しむような喜びの発散を感じました。
そして、もっとも「動き」を効果的に表現する為に、左右どちらかの足が完全に浮いている瞬間を狙いました。
写真は、一瞬を切り取る静止画です。このBabyの動きを感じさせるには、足が接地していた場合は説得力が著しく落ちていたでしょう。
しっかりと足が浮いた瞬間、重心を感じさせる傾け、背景の整理、そして偶発的な動きを極力阻害しないように、被写体への直接的な干渉は避け、ファインダーの中でのみ自らの意図を込めて構成しました。
偶発性だけを撮り続けようとすることは、撮影者として少々受動的であるとは思います。
しかし、偶発性という突発的なものを受けて、あるいはそれを自ら作り出し、撮影者としての意図を反映させていく瞬発力がある場合は、その限りではないと思っています。
「なぜ」そう撮るのかは、観察の結果もたらされる「被写体の魅力」を効果的に引き出す為です。
見る人の主観によって大きく触れ幅のある感情や概念だけに左右されず、「なぜ、こう撮ったのか」が明確な意図として伝わる写真を撮っていく努力を、撮影者は重ねなくてはいけません。
……ただ、観察を始めるきっかけは、「可愛い」という感情に振れちゃうことも、確かにあるんですが。笑
「可愛い」という感情の動きをきっかけとして、意図を込めた表現の幅を広げていけるように。
Babyの写真は難しく、奥深いものです。
この記事をシェアする
サイト内投稿の検索
- トップ
- 店舗紹介
- 横浜青葉店
- Photogenic
- 偶発性に対して意図を持って構成するということ ~Reiri Kuroki