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横浜青葉店
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夏色 ~Reiri kuroki
投稿日:2017/8/19
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Photo&Write by Reiri Kuroki
Coordi&Hairmake by Kaori Sasaki
@Yokohama Aoba
風のない夏の午後、空気の濃度が増すように感じます。
湿度なのか気温なのか、じっとりまとわりつくような空気は重く、濃く、『夏』のイメージのまた違う側面を感じさせます。
陰と陽のコントラストが強くて、気怠げなそれは、清涼飲料水のCMのような爽やかな『夏』ではなく、ドラマの幕開けのような、何か言いたげな空気感を含んだ『夏』のイメージです。
その中で、壁にもたれる少女の姿は、見る者の夏の記憶を刺激する存在感を、放ちます。
自分が10歳の頃の夏を、あまり覚えてはいないのですが、それでもちらつく印象的な記憶は幾つかあります。
ありがちに、海に行ったことや花火を見たこと、友達と潜り込んだ地下トンネルでのしょぼい冒険、等々……。
そういった『思い出』とは別なところに、イメージとして残っている記憶や場面が、時折思い起こされます。
夏の日の午後、暗い部屋のカーテンの隙間から差し込む強い西陽で昼寝から目覚めれば、家人は誰もいない。
外からは車の音や蝉の声が聴こえていて、往来を行き交う人の気配もしていて、そして特にひとりを恐がる年齢でもなかったけれど、強烈に不安を覚えたりする。
見慣れた部屋の中が、急によそよそしく見えたりして、その違和感の正体が掴めないまま、焦る。
時間にしてほんの数分で、買い物に出かけていた母が帰って来れば、あっという間に日常を取り戻すのですが。
たまに、そんな夏の日の午後のイメージを思い出す時があります。
それは『思い出』と言う程具体的ではない、感情や感覚の微妙な揺れ動きの記憶です。
今考えてみれば、寝る前と起きた後で、自分が認識している状態と環境が異なっていることによって、意識の上での想定が覆されて目の前の現実との認識が連結されていないが故の違和感を生み、なおかつ『夏』という季節がもたらすイメージとのギャップがより強烈に印象に残っている、ということなのだと思うのですが、当時の自分には知る由もないその違和感は、ちょっとミステリアスな夏の日のイメージとして、『夏』の側面として、何となく記憶されてしまいました。
青葉店の廊下に差し込む西陽は、その日の感覚の揺れ動きを呼び起こしました。
日頃、電気を点けたその廊下はごく普通に『廊下』という機能を備えた空間として認識されています。しかし、その電気を消した時、開いた扉の隙間から差し込む光がありました。
夏の西陽。暗い廊下に差し込む、コントラストの強い光。
感覚が揺れ動くと、認識が少し転換されます。
例えば、眩しいばかりの夏の光と、青々と茂った木々の葉っぱを背景に、爽やかな『夏』を演出することは、流れるように自然でしょう。
しかし、この限定的な光で、明かりが消えたこの暗い廊下で、じっとりまとわりつくような、少し重い『夏』の空気感が、今回の被写体の表現のひとつとして面白いのではないかと思いました。
被写体の彼女は、10歳の女の子。
髪をアップにしたその姿は快活なのに、何処か物憂げな表情も似合ってしまう雰囲気を持った女の子でした。
それは、「少女」と「女性」のふたつのイメージの狭間で、演出次第でどちらにも振り切れるような、そんな魅力として私には映りました。
暗い廊下で、視線を落として、体の力は適度に抜けるように壁にもたれてもらいます。
顔の角度は微調整して、鼻のラインや光源の反対側の頰にやや光が当たるように意識しました。
全体的にアンダーな構成ながら、被写体の顔や表情に立体的な陰影をつけることで際立たせ、その存在感を現しています。
空間のよそよそしさ、違和感、少し不安、そんなニュアンスの表現の為に、私は望遠レンズで彼女から距離を取りました。
廊下の距離感は、横のフレーミングにすることで望遠の圧縮効果と相まって表現されましたが、やや写真右側の重心が軽かった為、前ボケを入れ込んでいます。
この時、前ボケになる黄色い花は廊下の入り口側からの強い光を浴びていました。
暗い廊下に対し、鮮やかなネオンカラーが入ることで、より全体的な対比を強烈にしました。
夏の午後、強い日差し、気怠げな空気感と、物憂げな少女。
感覚の揺れ動きから生まれる、転換された認識とそれを起点にした構成は、写真の表情を変えます。
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