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横浜青葉店
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写真分析 / ひとと空間
投稿日:2017/12/10
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Photo&Write by Reiri Kuroki
Coordi by Natsuko Takagawa
@Yokohama Aoba
Coordi by Natsuko Takagawa
@Yokohama Aoba
先日、青葉店の写真会議でこんな話が出ました。
『インテリアのイメージに合わせて被写体を撮るのか、
被写体のイメージに合わせてインテリアを選ぶのか?』
どちらが良いとか悪いとかではなく、どう考えることができるかの話です。
私は、そのどちらもであることは前提としつつ、
「でも、ライフスタジオのインテリアは、『ひと』がそこに入ることで完成されるものであって欲しいと思っている」と、言いました。
ライフスタジオは、スタッフたちがインテリアを造っています。
私自身は、入社7年目にしてインテリア工事の参加率が低くて恥ずかしい限りなのですが、今年、新横浜店のインテリア工事の過程を見ながら、時に参加させてもらいながら、そして完成したそのインテリアで撮影をさせてもらいながら、改めてライフスタジオの写真と、人と、インテリアという撮影空間について考えていました。
ライフスタジオの写真は、75カットという原本から成っています。
75枚すべてがカメラ目線の笑顔の写真ではないし、かと言って後ろ姿や横顔といったイメージ写真だけでもありません。
75枚という枚数の中で、ストレートな表現もあれば、イメージに振った写真もあります。その構成を、バリエーション豊かに撮っていくには、多角的なアプローチが必要で、インテリアはその部分で大きく影響する要素です。
インテリアが変われば、写真のイメージは大きく変わる。当然、インテリアを造る時も、写真を撮る時の予想をしながら造っていきます。
窓の位置、時間帯や季節による光の角度、背景としての色や線、それらが写真になった時、どう写り、どんなイメージや世界観をもたらすのか。
そういうことを考えながら造られた、そして完成したその空間は、ある一定の範囲内では撮影者を誘導してくれさえするでしょう。写真に写る時を、考えて造られた空間なのだから。
その点では、インテリアはそのイメージを主張しながら被写体を受け入れる空間であるように思います。
しかし、決してそこに被写体をポンと立たせるだけで、写真が完成する訳ではありません。
私たちが撮る写真は、「ひと」の写真です。この世界のただひとり、唯一の「あなた」を、私たちは撮ろうとしています。
勿論、撮影の間のわずかな時間で、「あなた」の何もかもを知り、それを表現した75通りの写真を撮るということは、理想ではありますが、現実的には難しい部分もあります。
緊張を含む表情から始まって、会話を交わすうち徐々に打ち解け、撮影者はファインダーの中でその「ひと」の美しさを探し続け、写真に残す。
それは、1時間という限られた撮影時間の中で、75枚を撮る過程を経て辿り着ける「1枚」だと思っています。
勿論、その過程ではイメージを持ったインテリアや小物、光や色、衣装といった構成要素のそれぞれを駆使しながら、その「ひと」の写真を撮ります。
一貫されるのはそこに「ひと」がいる写真、その存在が感じられる写真という部分です。
だからこそ、ライフスタジオのインテリアは、そこに「ひと」が入る余地を残して造られているのではないでしょうか。
その「ひと」がそこでやんちゃに遊んでも、しっとりと佇んで物思いに耽っていても、それぞれの世界観を持って写真にすることができる。そんな空間。
写真の彼は、3歳の頃から私が撮影をさせてもらっています。
彼と妹の誕生日に合わせて、毎年2回の撮影をしてきて6年目。この時はもう、10回目とか11回目とかです。
と、なると、もはやスタジオのメインとなるようなインテリアでの写真は撮り尽くしています。
前述の通り、背景となるインテリアを変えると写真のイメージは大きく変わります。何度も来てくれているような、リピーターの撮影では、前回との違いを出す為にインテリアを変えて撮ることはよくありますが、それも11回目ともなると、インテリア工事をしたって追いつかないかもしれません。笑
ただ、その代わり、私は彼に対しての情報量は多く持っています。
彼がどんな性格で、どんな風に成長を重ねて来たのか。ここで写真を撮ることを、どう思っているのか。
舌足らずなおしゃべりをたくさんしてくれた幼少期も、カメラを向ければ白目をむいてふざけてばかりだったやんちゃ期も過ぎて、来年にはハーフ成人式を迎えようという9歳の、今の彼が、写真と、撮影と、私に対して思うこと。
勿論、そのすべてを理解している訳ではないけれど、この6年分の撮影を共にした時間は、私と彼の距離を近付けてくれています。
この日の彼は、前回の妹の誕生日で来てくれた時とほんの少し、様子が違っていました。
ファインダーを覗きながら、何だか久し振りに正面から彼に向き合い、彼もまた真っ直ぐこちらに向き合ってくれている感覚。
実はこの時、彼に続いて超やんちゃ期に突入している妹は、ぐっすり寝ていました。
恐いもの無しの妹がゲラゲラ笑いながらふざけ倒し、そこに兄である彼も乗っかりまくって、しっちゃかめっちゃかな撮影をどうにかまとめあげていくのがここ数年の恒例だったのですが、今回はその妹が寝ていることもあって、彼のソロからのスタート。
9歳になった彼は、ふざけまくっていた頃から少し大人になっていました。
いつもは妹との2ショットから撮影を始めて、そのふざけっぷりに圧倒されていましたが、1対1の会話から始まった今回の撮影は、久し振りに彼の僅かな緊張感と、素直な照れを感じさせました。
それはきっと、ここ数年の撮影の中では妹との連帯感の後ろに隠れてしまっていたような、9歳の彼の、ひとりの男の子としての、等身大の反応。
その反応が何だか初々しくて、彼のその状態に合わせたシックな空間から撮影を始めました。しかしそこは、さすがに6年目のお付き合い。すぐに、うずうずし始める彼の期待感を察知します。
そうだよね、わかってる、君はこんなもんじゃない。
シックな空間を早々に切り上げ、「彼らしさ」を発揮できる空間へ。彼らしさ、という「ひと」に合わせて私が選んだインテリアは、階段でした。
実際のところ、階段そのものはインテリアと言うよりも、通常の移動の為の空間です。敢えてそこで撮影をしようと思った理由は、大抵のインテリアで撮り尽くしたというところもありますが、彼のうずうずした期待感を弾けさせる瞬間の表現に、広角を使いたいと思ったからでした。
広角の写真は、線を強調し奥行を表現します。2階に向かって伸びる青葉店の急な階段は、広角を使った時に空間の奥行を感じさせる場所でした。高低差があることで、それはより効果的に表れます。
彼の緊張感や照れは、既に失われつつありました。ほんの2ヶ月前にも妹の誕生日撮影で会っている私に対して、それが長く続かないことも、予想できていました。
だからこそ、そのタイミングで、緊張や照れを完全に吹っ飛ばしたいつもの彼らしいところを見たくて、それを表現したくて、躍動感を感じさせる広角でその瞬間を演出します。
レンズを覗き込んでもらう、その悪戯っぽい笑顔。広角の効果で少し強調される脚の長さは、その成長を感じさせます。階段の線から成る空間の奥行と、ぐいとカメラに迫る彼の存在感は、距離感の対比を生みより効果的に作用しました。
解き放たれる、その瞬間。生命力を感じさせる、彼の存在そのものと、彼という「ひと」が入ることで、インテリアとしての価値を発揮した「階段」という空間。
勿論この後は、目覚めた妹と合流し、それはもうしっちゃかめっちゃかになったのですが……。
インテリアの持つイメージの力と、「ひと」そのものが持つその魅力があります。
インテリアの力を借りながら表現していく写真と、「ひと」そのものに迫る核心的な写真。
そのいずれもがライフスタジオの写真であり、その「ひと」の為の75枚のストーリーの中で、多角的にその「ひと」を表していこうとする、私たちの姿勢です。
付き合いの長い9歳の少年との関係性は、等身大の緊張や照れを吹き飛ばす瞬間を察知させ、その為の空間を用意することができました。
ライフスタジオの撮影者として、その「ひと」が「そのひとらしい」魅力を放つ瞬間に、もっとも近くにいて、もっとも効果的な取捨選択をしたいと思っています。
来年の彼は、また進化して来るでしょう(妹も)。
その時には、その時の彼らが魅力を放つその瞬間を、ファインダー越しに見つめていたいと、思っています。
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