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写真分析「のぞく②」 ~Misaki Nakagawa~

投稿日:2018/1/14

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Photo by Kotaro Yatsu
Coordi&Write by Misaki Nakagawa

@Yokohama Aoba
 
75カットの中にいれられた日常を覗くような写真。
静かで自然な1枚だ。
 
「自然な写真」というのがどんなものなのか本当によく考える。
ライフスタジオできっと一番多くいただく要望が「自然に」だ。
カメラ目線の写真は自然な写真ではないの?
ポージングをしていたら自然ではないの?
自然な笑顔ってどんな笑顔?
 
いくら自然に撮りたいからといって「はい、じゃあ好きに遊んでいいよ~」とは言えない。
ライフスタジオは「自由な遊びの空間」を提供しているけれど、その中でも「美しさを表現」する場所でもある。
自由な楽しさと美しさの表現というのが私の中では矛盾しあってしまう。
もちろん何を美しいと感じるかは個人差があるのだけど、
こどもたちにとっての「自由であること」「楽しいこと」というのは、
大人にとっては「美しいもの」ばかりではないと思うのだ。
同じように何をもって「自然」とするのかも個人差がある。
だから「自然に見える」ようにポーズや仕草を誘導する。
でもそれは本当の意味での「自由」ではない。
そんな押し問答を自分の中で毎日毎日している。
 
でもこの写真を見たときに「自然な写真」と「美しさの表現」というのがしっくりきた。
 
自由に動き回る赤ちゃんとこどものちょうど中間ぐらいにいる男の子。
撮影も終盤で、この子の動きを止めることなく、この子に合わせて動きながら撮影が進められていた。
そろそろ終わりにしようか、そんな空気の中、男の子が自身で着ていたお洋服を脱ぎ始める。
着慣れない服が嫌だったのかもしれない。
拙い仕草で一生懸命服を脱ぎ始めた男の子の姿を切り取った一枚。
 
この写真にはカメラマンの存在というのは反映されていない。
被写体は自身の手元に集中していて、周りのことは頭にないだろう。
服を脱ぐ、という日常的な動作も相まって、
自然な普段からそこにある日常を覗きみるような写真になっている。
でもただ日常をただ取っている写真ではなく、
きちんと美しさを表現している写真だと感じるのは、
前ボケによって整理され、奥行きを感じる背景だったり、
トリミングによる「のぞきみる」ことの演出だったり、
被写体の左側にある空間の余韻だったりから、
カメラマンの意図を感じることができるからなのではないかと思う。
カメラマンの存在は被写体に反映していないけど、写真からはカメラマンの意図をきちんと感じることができる。
 
日常の中にある自然な仕草をいかに美しく切り取るのか。
もちろん75カットすべてが覗き見るような写真であってはならないのだけど、
それが「自由な遊びの空間の中で美しさを表現」するためのひとつの手段であるのだと気づくことができた。
 
 
*saki

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
家族の絆とかけがえのない愛の形を実感できる場所として、
人を、人生を写しています。

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