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横浜青葉店
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あなたの為の、あなたの写真。

投稿日:2018/10/19

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Photo&Write by Reiri Kuroki

Coordi by Kaori Kobayashi

 

@Yokohama Aoba

 

 

 

あなたのための、あなたの写真を撮りたい。

 

私からこの言葉を引き出してくれたのは、こばちゃんでした。

「どんな写真が、撮りたいですか?」と聞かれた時の、私の答え。

この一言に集約されているのが私の『撮影』であり、私の『写真』に対する姿勢の根幹を為すもの、なのだと思っています。

 

あなたが、『あなた』という存在を肯定できるような、そんな写真。

私はそういうものが撮りたくて、カメラを握っています。

 

 

「カメラを通して人を見る、ということは、写真にして残しておきたい美しさを見付けようとする行為だから、凄く肯定的に人を見ながら関係を構築するってことなんだと、思うんだ」

 

数年前に、とある写真サークルでこう言っていたのは、元草加店の店長、鈴木さんでした。

その言葉は、私の胸にすこんと飛び込んできて、

「ああ、だから私は、カメラを持っている時は人と強く繋がれるのかも知れない」と思いました。

個人的には人間関係の作り方が苦手でも、撮影という行為が肯定的な眼差しでひとを見る、ということなのであれば、そこから始まる、続ける関係が、強い繋がりになることは納得できます。

『ひと』を肯定的に見ながら、そのひとの美しさを探して表現し、記録する。

『撮影』とはそういう行為であるということを理解させてくれたのは、鈴木さんの言葉でした。

 

 

そして、『誰かから肯定的に表現された自分の写真』は、きっと『新しい自分』との出会いになります。

 

私が初めてそれを経験したのは、入社したばかりの頃、名古屋店の西さんに撮ってもらった写真です。

完全にフリーズしていた私を淡々と動かしながら、西さんが静かにシャッターを切った、その写真は『わたし』の写真、と認識するにはとても、とても違和感を感じるものでした。

今なら少しわかるのですが、この時の『違和感』の正体は、『私が知らない、わたし』との出会いに、他なりません。

自分を写真で見ることが殆どないくらい、『写ること』が嫌いだった私にとって、誰かの、この時は西さんの主観を通した『わたし』の姿は、物理的にも概念的にも見たことのない角度からの写真でした。

緊張して引きつった、モデルとしては撮りづらいであろう私という素材を、ただあるがまま受け入れ、カメラを通し、表現してくれた写真。実物より綺麗だとか痩せて見えるだとか、そういうことではなく、ただ『わたし』がそこに在る、写真。

当時は違和感として感じられたあの写真は、私の自己認識に少なからず影響を与えるくらいの、衝撃的な出会いでした。

 

 

思い返してみれば、ライフスタジオに入社してから、色んな写真や撮影者に出会ってきました。

そして、色んなご家族を、色んなひとを、撮影させてもらってきました。

自分の中にないものを、あるいはあったとしても言語化できずにもやもやしていたものを、『他者』という客観との関わりの中で、少しづつ、少しづつ取り入れながら、形にしてきたように思います。

 

「なんで、写真が好きなの?」という質問に、答える言葉が見付けられなかった入社当時。

今なら、自分の中に答えがあります。他者との関わりの中で、少しづつ形作られてきた私の撮影の、写真の、根拠。

 

あなたのための、あなたの写真を撮りたい。

それは、他者に対しての肯定的な行為であり、そのひとにとっての新たな自己認識のきっかけとなるような写真を撮りたい、という願いであり、私が他者に対して貢献できる唯一のことであると思っています。

だから、いつ、どんな撮影であっても、『ひとを撮る』という現場は私にとって、一期一会の機会なのです。

 

 

 

その日、彼女の撮影に、私は極めて挑戦的に臨んだように記憶しています。

それは、天候の悪い日が続いていた中で久し振りに西陽を受けたからかも知れないし、自分が休み明けで『撮影』という現場に飢えていたからかも知れない。

こばちゃんが毎週のように写真の話をしてくれていたからかも知れないし、五明さんのちょっと新しい写真を見たからかも知れない。

何よりも、目の前にいる彼女と、そのご家族の雰囲気が、あまりに素敵だったから、かも知れない。

ニコニコしていて、こちらにまで伝播してくるような、ワクワクしたその期待感に、応えたいと思いました。

『いつも』とは全然違うパターンから幕を開けた撮影は、導入を変えたことでその後の流れも変わらざるを得なくなり、固定概念化された撮影が変質していくのを肌で感じながら進みました。

 

木漏れ日を少し強めに使ったのもまた、『いつも』とはちょっと違う表現です。

『いつも』なら、逆光で使いたくなる強い西陽に敢えて背を向けて、木々の葉の隙間から彼女にカメラを向けました。

使い方を間違えると、ただのまだらな影という印象を残してしまうので、光の当たるポイントとなる場所を見極めてから、影を残す露出設定をします。

彼女の魅力は、その美しさは、瞳に宿ります。快活な印象を与える、くるりとした丸い瞳。ポイントはまさに、そこでした。

風に揺れて動く光と影のタイミングを待っていた私に、彼女は付き合ってくれました。真っ直ぐカメラを見る、柔らかなその眼差しを光がかすめた時、少し色素の薄い瞳にキャッチライトが落ちました。

その時こそ、まさに、一期一会の瞬間。彼女を付き合わせてまで待っていた、『あなた』の為の瞬間、でした。

 

 

美しさを探すには、関係が必要です。

それは、肯定的に人を見る、という行為を通して、自分の姿勢が相手に伝わった時に、相手が自分を受容して初めて構築され始めるもの、です。

受け入れられて初めて、そのひとの美しさが見えてきます。

そして、その美しさを表現するには、技術が必要です。独りよがりの世界では、多分技術を磨くことは難しい。できたとしても、一部分だけ尖っていって、何かはおろそかになっていくでしょう。

 

いつだって、自分ひとりでは辿り着けないところへ連れて行ってくれるのは、『他者』という存在です。

表現したい美しさを持った被写体がいて、その表現方法を模索して、今までの色んな経験や、言葉や、切磋琢磨する仲間たちの写真に刺激を受けながら、自分の中に幾つも散らばる要素を再構築して、『あなた』の為の写真を構成します。

全ては一期一会で、もう同じ写真は撮れません。今や季節は変わり、光も変わり、木立ちの葉は落ちています。この写真に到るまでの要素は私の中に幾つも散らばり、また別の機会に、また違う組み合わせで、再構築される素材となります。

 

その時もまた、誰かの為に、私は写真を撮るのでしょう。

 

今じゃなくても、いつかきっと、写真が誰かを微笑ませたり、一歩を踏み出す勇気をくれたり、その人に注がれた誰かの想いを代弁したりする、そんな瞬間がきっとあるんじゃないかと、そうであって欲しいと願っていました。

その願いを、言葉にして、行為にして、技術にして、写真に詰め込んでいます。気持ちだけではどうにもならない、きちんと伝えるもの、伝わるものとして、丁寧に反映させていけるように。

 

それこそが、いつかきっと、『あなたのための、あなたの写真』になると、信じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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美しさを表現し、思い出を記録する、楽しい遊びの空間

人生の写真館ライフスタジオという名前に込めた想い。
それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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