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横浜青葉店
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良い仕事。

投稿日:2019/8/20

1812 2

 

 

Photo&Write by Reiri Kuroki

Coordi by Misaki Nakagawa

 

@Yokohama Aoba

 

 

 

 

人の記憶は、当事者にしか残らないけれど、

人の仕事は、世に残る。

 

 

名言ぽく書きましたが、私の父の言葉です。

世の中には似たような名言も多分あると思いますが。笑

それでも、この父の言葉は、自分の仕事観にちょっと影響を及ぼしていると思います。

 

父の仕事は建築系で、手掛けたカフェが池袋にあります。

オーナーではなく、当時設計事務所に勤めていた父が工事や内装を担当した仕事でした。

ちょうど私が生まれたのと同時期に完成したそのカフェは、昭和のレトロ感を漂わせながら今も営業しているので、池袋を通る時はわざわざ時間を作って行ってみたりします。

そこでは、じっくりと少し高めのコーヒーを味わいながら、落ち着いた仕草で仕事をしているひとたちの手許を観察したりします。

ぱりっとしたシャツとギャルソンエプロンに身を固めたひとたちが、ゆっくりとコーヒーを淹れる、その手仕事は優雅で、無駄がなく、洗練されています。

彼らの仕事が、36年前の父が仕事をした空間で展開されていることを、まじまじと眺めてしまうのです。

 

 

私自身は、写真を撮ることを仕事にしてから、前のスタジオも合わせれば10年目に入りました。

幸いなことに、好きなことを仕事にさせてもらっている、幸せな日々です。

『仕事』という言葉を辞書で引けば、

『職業や業務として、すること』とあります。

確かにその通りではありますが、好きなことを仕事にさせてもらえている身からすると、この解釈だと物足りなくなってしまうもので、併記されているもうひとつの解説の方がぐっときました。

曰く、

『仕事とするわざについて能力が優れている意にも言う』。

恐らく、父が言っていたことはこちらの意味で、世に残るような仕事というのは『その仕事に於いて、優れた能力を発揮して為された良い成果』のことであるのだと思います。

 

良い仕事は、世に残る。

では、私の仕事の成果は、どうでしょう。

 

 

私の仕事は、ひとの写真を撮ることです。

良い仕事を為すには、良い写真を撮ることです。

良い写真を撮るには、撮影者と被写体の間に幾つもの交感を交わしながら対象を表現しようとする撮影者の意図と、それを反映する技術が必要です。

最後だけ小難しいですね。

でも、『関係を作りながら、その子の魅力を探して、表現する』と置き換えれば、ライフスタジオの撮影者が概ねやろうとしていることではあると思います。

それが、それぞれに高い水準で構築されている写真が『良い写真』と言えるのではないでしょうか。

 

 

例えば、この写真の被写体である彼女に対して、私は並々ならぬ感情を移入して、その可愛さにはしゃぎ倒すこともできました。

(ややそうなりかけていました)

しかし、私がただ彼女の可愛さに集中して撮るだけの写真は、『彼女が可愛かったから』という個人の主観や記憶、思い出の域を出ない写真になってしまいます。

ひとの写真を撮る、それが私の仕事です。

ここで言う『仕事』は、決してただの業務的な意味ではありません。

私は写真を撮ることが好きですが、好きなことを仕事にさせてもらえている以上、絶対的に追求していかなければならないのは、客観性や普遍性を併せて表現すること、です。

写真が好きで、目の前の被写体となる子どもたちのことが可愛くて仕方ないけれども、それだけで撮影した写真は個人の領域を出ず、『良い仕事』にはなり得ないのだと思うのです。

『仕事』の先には、ひとがいます。ひとから求められて、技術を以って応じることで『仕事』は成立します。

家族にとっては子どもの成長を感じられるものであったり、被写体本人には新しい自分の美しさに出会うことであったり、あるいはこれから先の未来で、彼女と関わるひとたちが過去の彼女に想いを馳せて、彼女というひとが過ごしてきた時間に少し触れるような、そんな写真を残していくことが、私の仕事です。

その為に私が撮るべき写真は、個人の領域から出て、ひとに伝わるように彼女の魅力を表現する写真、でなければなりません。

そこには必ず、技術と、客観性と、普遍性が必要です。

カフェのギャルソンが個人の好き嫌いで豆の量を増やしたりすることがないように、

内装工事担当者がカフェのコンセプトにそぐわない奇抜なデザインをしないように、

求められた仕事に、適切な技術を以って的確に(あるいは、それ以上に)応じることができた時、それは『良い仕事』としてより多くのひとに伝わり、残っていくものになるのだと思います。

 

 

私と彼女がカメラを挟んで対峙するのは、今回で3回目でした。

私は彼女と彼女のご家族が大好きで、再会を楽しみに待っていました。感情移入は充分過ぎて、だからこそ、彼女の魅力を技術を用いて表現する、ということに意識を集中させた撮影でした。

ライフスタジオでの撮影自体は12回目となる彼女は、カメラの前に立つことに慣れています。真っ直ぐにカメラを、その奥の私を見詰めてくれる彼女の眼差しの透明感を残したくて、単焦点レンズを引っ張り出してその瞳に向き合いました。

50mmの焦点距離は、人の視界に近い視野率と距離感を維持しながら、そのごく浅い被写界深度は夏の西陽の煩さを柔らかく溶かしてくれます。強い日差しを透過する、吸い込まれそうな眼差しにピントを合わせ、それ以外の部分を淡く溶かすf1.8の世界。

望遠レンズでは遠過ぎて、標準レンズでは狭過ぎる。とろけるような空気感のディティールが、肝でした。

撮影の序盤、期待感を込めてカメラを、私を、覗き込む、10歳の無垢な眼差しの透明感は、とても、とても、美しい写真になりました。

 

 

私の仕事は、人の写真を撮ることです。

この仕事に於いての本当の成果は、ひょっとしたら10年後、20年後にその真価を発揮するのかもしれません。

そんなに先のことは正直言ってわかりませんが(笑)、それでも、モニターの時にママさんの涙を誘った今回の写真は、少なくともご家族の心の琴線に触れるものになったのだと思います。

 

良い仕事を、しましょう。

世に残るような、未来で真価を発揮できるような、そんな仕事をしていきたいと思っています。

 

 

 

 

 

 

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それは、出会う全ての人が生きている証を確認できる場所になること。
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