PhotogenicYokohama Aoba

ヒューマニズム

2019/10/20

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Photo&Write by Reiri Kuroki

Coordi by Takako Kawahara

 

@koshigaya

 

 

 

私が、ライフスタジオ越谷店で撮影をしていたのは、もう7年も前の春のことでした。

 

その頃の私は浦安店に在籍していて、新規オープンしたばかりの越谷店に、1ヶ月間の交換勤務をしていました。

当時最大規模だったスタジオに、各店舗から色んなスタッフが集まって、総勢20名近い大所帯で1日に13件もの撮影を行いながら、ライフスタジオの写真について試行錯誤を繰り返し、苛烈なダメ出しと僅かな賞賛が飛び交う日々。

勿論、当時カメラを握るようになって間もなかった私は苛烈なダメ出しをされる側で、それはもう毎回必死でした。

何度も頭の中が真っ白になって、コーディネーターに入ってくれている先輩たちの声を頼りにシャッターを切るような、そんな撮影ばかり繰り返して、ボロカスに言われつつも、それでも写真を撮ることには純粋に楽しさがあって、……

今にして思うと本当に、ひたすら写真と撮影に集中させてもらっていた、とても良い時間でした。

(何回も泣いたけど…………)

 

 

あれから7年も経ちましたが、その間に、越谷店でカメラを持つ機会は殆どありませんでした。

今、改めて、ファインダーを通して越谷店を見渡すと、あの頃の自分が本当にがむしゃらで、何も見えていなかったんだなあ、と思います。笑

あれから7年も、ライフスタジオで撮影をさせてもらってきた今なら、少しは見るべきものが見えてきます。

光や、バランスや、そこの重心、空間も。

そこにいる、ひとのことも。

 

 

今回、私はこの撮影の為に越谷店に来させてもらっていました。

2年振りの再会を果たしたご指名の撮影。2歳だった女の子は4歳になり、妹が生まれていて、色んなおしゃべりをしてくれるようになっていました。

自分にカメラが向けられることを楽しみにしていて、妹のソロの撮影の合間にちょこちょことフレームインしながら、うきうきとその時を待つ彼女は可愛くて可愛くて、仕方なかった。

会わなかった2年の間の彼女の成長は、『撮られること』の喜びや楽しさを知るところまで至っているようでした。そしてその純粋な期待は、彼女の立ち居振る舞いを生き生きと弾ませていました。

 

朝のまだ早い時間、少し硬めな光がこのインテリアに入っているのを見た時、彼女の為のステージはここに決定しました。

階段を上がって明るいところへ向かう、という道筋は、主役になる瞬間を今か今かと待ち侘びる彼女のストーリーにぴったりです。

そこは彼女の為の特別な場所であることを表現したくて、その空間の奥行きを感じさせる階層を作ります。

手前の前ボケ、被写体である彼女、窓から入る光、光の奥で少し陰るインテリア、という階層は、写真という二次元の中で『空間』を感じさせる露出比を生みました。

そして、光の中に進み出ようとするその背中に、一歩手前で声を掛けて、振り返ってもらいます。

足は進行方向に、顔はカメラ側を振り返ることで捻りが生まれ、ごく自然に重心が「やや」崩れます。この「やや」の部分がポイントで、ポージングとして指示をしてしまうと固くなり過ぎてしまうので、彼女の動きの範囲内に僅かな干渉を挟み込むことで、やり過ぎでもないごく自然な形が作られました。

振り向いた彼女の表情は、期待感に満ちていました。撮影者である私に、私が持つカメラに、向けられたその期待。

それは、会えなかった2年分を取り戻そうとするかのように彼女たち姉妹をめちゃくちゃ可愛がりながら撮影していた私への、好意的な信頼のようでした。

「可愛く撮ってくれるでしょ?」

そう言われているようで、私はその表情にとてもとても、嬉しくなってしまいました。

 

 

7年前の越谷店で、幾つもの指摘を受けた中で当時の私にいちばん重く響いたのは、私の撮影は『ひと』を大切にしていない、という指摘です。

写真を撮る、そのことに精一杯で、それ自体が目的になって、目の前の被写体のことをちゃんと見ていないし、知ろうとしていない。

撮影中の口数の少なさを、コミュニケーションの欠如を、何度も指摘されました。そんな状態では、ライフスタジオの写真として『良い写真』にはなり得ず、ライフスタジオの撮影として記憶に残るものにもなり得ません。

何故、写真を撮るのか?

何故、良い写真を残したいと思うのか?

ひとを見て、知ろうとすることが、何故『写真』と『撮影』に必要なのか?

7年前にはわからなかったことが、今、私の撮影において、最も大切なことになっています。

いろんな撮影者と撮影に入って、いろんな写真を見て、たくさんのご家族や子どもたちと出会ってきました。7年前に越谷店で撃ち込まれた苛烈なダメ出しの数々は、そういうたくさんの出会いの中で私が思考するきっかけになり、人より歩みの遅い私は本当にのろまだけれど、ひとつひとつゆっくりと、大切なものを自分で見付けていくことができました。

 

ひとが、ひとを撮る。『ひと』だけが、『ひと』を撮ることができると思っています。

目の前の『あなた』の魅力を、『わたし』が表現する写真。そしてその写真が、『あなた』の為の『あなた』の写真になるように。

光や、バランスや、そこの重心、空間も。全てはそこにいる『あなた』の為に。

 

 

撮影者としての思考のきっかけをくれたのは、7年前の越谷店での1ヶ月でした。

答を持って、またここで、大切なひとの撮影をさせてもらえたことが幸せです。

 

あなたの為の写真。

そういう撮影をする為に、私もまた『ひと』として、感じ、考え続けていきたいと思います。

 

 

 

 

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