PhotogenicYokohama Aoba

ひとらしく。

2019/10/31

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Photo&Write by Reiri Kuroki

Coordi by Kaori Sasaki

 

@Yokohama Aoba

 

 

 

『ひと』の写真を、撮っています。

 

毎日出会うご家族を、子どもたちを、カメラのファインダーから見詰めながら、今日のこの日の写真が『あなたたちの為の写真』になれるように、その瞬間を探します。

それは、私にとって、『目の前のひとの美しさを探す』という肯定的な行為です。

そのひとの美しさを探す、ということは、そのひとをよりそのひとらしく表現する、ということで、その行為を通して私は私自身もより『ひと』らしく生かされるように、思うのです。

 

 

ひとらしく、ひとを撮る。

ライフスタジオの現場で生産される価値は、そこにあると思っています。

 

じゃあ、『ひとらしさ』って、何でしょう。

私が思うに、そこには『感情』が大きく作用しているのではないでしょうか。

『感情』そのものは人間特有のものではなく、むしろ感情を抑制する『思考』や『理性』が人間の独自性を持った特徴です。

人間は社会的な動物なので、他者との共存という集団生活において、個人の範疇で人それぞれに異なる発生の仕方をする『感情』を抑制して、理性的に振る舞うことを求められる場面も多々あります。

しかし、だからこそ『感情』が表層に出てくる瞬間こそ、その『ひと』らしい、人間臭い瞬間だなあ、と思わずにはいられないのです。

 

 

例えば、ちょっと天邪鬼な兄と妹。

七五三の着物撮影のしんどさに音をあげながらも、『写真を撮る』という目的の為に頑張ってくれたのは、幼くとも彼らなりの社会的な振る舞いだったのでしょう。

その分、着物を脱いで広い撮影空間に移動してからの彼らと来たら、それはもう自由そのもの。カメラマンやコーディネーターの声掛けに、そうそう素直には応じません。

彼らに額をくっつけてもらうまでに、何回かの応酬が必要でした。大人の言うことをわざと曲解してみたりしながら、こちらの様子を窺う兄。そして、ようやくふたりが至近距離で向き合った瞬間に、こちらからの一声をかけます。

その一声を受けて、ふたりの口許に浮かんだ笑みは、素直な感情の表れでした。

 

『ひと』の感情は本当に多彩で、グラデーションのように移ろいゆくものです。

シンプルに『喜怒哀楽』でカテゴライズはできないし、きっと、『ひと』が持っている言葉の数では、『ひと』の心が感じることを表しきれません。

だからこそ、『写真』は視覚的にその感情を表現する構成要素が求められます。

この写真の場合、横顔でもその表情を強調する、輪郭をなぞる逆光のエッジがポイントでした。

感情は、表情に作用します。顔を寄せ合った狭い範囲で生まれる表情を、きちんと光がなぞることで印象的に抽出します。

秋の西陽はとろりとした質感で差し込んでいて、全体に温かさを感じさせる色味を残しました。視覚的に温度を感じさせること、も、感情表現のひとつだと思っています。光と色は、その演出効果の大きな部分を担っています。

 

そして、感情を表現することにおいてもっとも重要なのは、撮影者もまた感情を豊かに持っていること、です。

感情的に「かわいいいいいいいいい」だけで撮影をしてはいけないと常々思ってはいますし、そもそもこうした写真分析も如何に論理的に、技術的に、根拠を持って『写真』を構成しているか、というものでもあるので、少々矛盾しているように聞こえるかもしれません。

しかし、結局のところ『感情を持った人間だけが、価値ある瞬間に気付くことができる』のです。

笑顔センサーを搭載したカメラなら、人間が笑った瞬間にその表情筋の動きを判断してシャッターを切るでしょう。しかし、前述のように、人の感情は多彩で、複雑で、多層的なものです。確かに感情は表情に作用しますが、『ひと』は悲しみながら笑うことも、作り笑顔をすることもできます。社会的な振る舞いが求められる動物だからです。

 

本当の、素直な『ひと』の感情の動きに気付けるのは、感情を持った『ひと』だけです。

感情が動いた瞬間こそ、その『ひと』の人間らしい美しさが顕れる瞬間です。その美しさに、『美しい』と気付くことができるのは、そういう感情を持った『ひと』だからこそです。

 

 

ひとらしく、ひとを撮る。

ライフスタジオの現場で生産される価値は、そこにあります。

 

その『ひと』の『そのひとらしさ』を引き出す、感情に作用する撮影者は、人間臭くありたいものです。

 

 

 

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