Staff BlogYokohama Aoba

Kaori Kobayashi
横浜青葉店

小林香織

はじめまして!

小林なので“koba”と呼ばれてます^^
おばちゃんではありません、こばちゃんです^^

出身は愛知県です。

2011-2013.06名古屋・日進店
2013.07-2017.03横浜青葉店
2017.04-2018.03新横浜店
2018.04-・・・横浜青葉店

ほぼ神奈川にいます^^

写真を撮りながら、いつも、未来に届ける写真を撮りたいと思っています。

今だけの姿、空間、繫がり、匂いまでも。

記憶を呼び起こす、写真。

未来でもまた写真を通してたくさんの記憶を呼び起こし、
そして話をしながらまた思い出を作って、家族の時間をつくってほしいと思います。

大切なものが、つながって、届くように。
そんなお手伝いが出来たらと思います。

メガネがトレードマークです!
よろしくお願いします!

Projector-genic 02 [思考]

2018/5/17

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Projector-genic 02 [思考] 

 
Model: satsuki kudo
Model Movie: Hannah Arendt -ハンナ・アーレント-


≪ prologue ≫


私がライフスタジオに入って、最初にぶつかった壁は、新しい環境、業務、撮影のこと、以上に。

自分自身のこと、人生のこと、仕事に対して、全てに対して、自分自身で答えを見つけること、でした。

自分とは?仕事とは?人生とは?

答えに、正解はありません。
自分で定義するほかないのです。

24でスタジオへ入社して、ある程度大人で、社会人歴としても6年目を迎えていた時でした。
人生とは何が起きるか分からないものだと思いながらも、自分の中で起きたことは事実として受け止めるほかなく、
どこから道が外れていたのか、何が原因なのか、
起きたことそのものに対して悩むこと、なんで、と非難することはあっても、
それがいったい“何”であるのか、
“考える”ことをしていなかったように思います。
考えないようにしていた、のかもしれません。

考えることは、様々な現実とぶつかります。
自分を苦しめ、思わぬ疑惑が浮かび、考えることを放棄したくなることもあります。
しかし、人は情報がたくさん流れる中で、何が自分にとって信じるべきもので、
何を持って進んでいけばいいのか、自分が考えて、選択をしていくこと。
それが人生を歩むという事なのだと、ここに入社して知ることが出来ました。

哲学というものに触れたのも、この会社に入ってからでした。
本をあまり読まず、学に優れていたわけでもなかった私ですが、全てにおいて決まっているものなど無いことを、哲学を持って知ることが出来、
自分がどうなりたいのかを考えるきっかけをもらいました。

人は自由になりたい、とか、幸せになりたい、とか、自分らしくいたい、
なんて曖昧な言葉で夢をもちます。
それが何であるかはわからないまま、楽しい毎日とは何か漠然としながら、
ふとむなしくなる感情に、自分の存在とは何なのかと、漠然とした恐怖に襲われます。

自分の置かれた立場、環境、今までの経歴、経験、性格、価値観、、、
それに立ち向かう術として、自分で規定して物事を考える力が必要なのです。

完璧な人はいません。
自分の弱みも、強みも、全部が自分で。
完璧な人を目指すのが、人生において重要ではなく。
それらに対して目をそらさずに、自分で思考し、動いていけることが、
当たり前のようで実はとても難しく、重要な、人生の歩み方なのだと思います。

私は哲学に詳しいわけではありませんが、
そうやって考えて自分自身で答えを導き出すことを、教わりました。

そして、それを生き方として実践している人を知っています。

自分に対して、人に対して、まっすぐな厳しさと愛情を持つ人。

それは時に、その場の感情になり、うまく伝わらないときもあったかもしれません。

自分自身、コントロールが出来ないときもあったかもしれません。

私は、それほど彼女とずっと一緒にいるわけではありませんが、

彼女をずっと見ているひとりではあると思っています。

率直で、曲がったことが大嫌いで、猪突猛進、努力家で、熱い心を持っていて。

時にはそれは心に情熱をともし、時には火傷してしまいそうなくらいで。

でも、きっと自分の中の自分とずっと戦いつづけて、
考えて考えて、行動して、結果を出している人。

彼女は完ぺきではありません。

だけど、まっすぐに突き進む背中を見せてくれて、
勇気づけてくれる人だと思っています。
それは彼女が自分の弱みも強みも受け取って、
考えることを止めずに、
良いも悪いもすべてに向き合っているからと思います。



≪image≫


『哲学と言えば、工藤さん。』

そんな風に言われるようになったのはいつからでしょうか。
横浜青葉店で一緒に働くようになり、ヒーリングキャンプと言って学習の時間を多くもらっていた時期、
私は工藤さんと一緒のグループでした。

“考える”作業はとても頭を使い、時に放棄したくなるものですが、工藤さんは、考えを述べる姿勢を止めず、ずっと意見を述べたり、
あきらめずに鋭い視線をボードやみんなに向けていたような・・・

自分の考え、意見を伝えることは、簡単ではありません。

自分の意見を否定されたらどうしようとか、
間違っていたらどうしようとか、
ぐるぐるするもので。

でもそれに対してまっすぐに向き合っていたのは
いつでも工藤さんだったように思います。

それに対してまっすぐ意見を返したり、
一緒に考えたり、その当時私はなかなか同じ土壌に立てていなかったように思います。

写真や撮影に関して、店舗の取り組みに対して・・・
今だから言えるのは、少し意見をするのは怖くもありました。

どうしてそんな風に意見が言えるのか?
強いのか?当時はそんな風に思っていました。

だけど、決して強くて自信があるから意見を述べていたのではなくて、
わからないからこそ、自分の考えを出していたのかもしれないと、今では思います。

それに対して意見を返してほしい、そして知らないことを深めたい。もっと知りたい。

そんな風に体当たりでぶつかっていたのだと、
今ならわかります。

哲学と言えば工藤さん。

知識としてではなく、彼女の信念と生き方です。

彼女の哲学に対しての文章に、
こんな風に書かれています。
 

“私にとって「知らない」ということは、怖いです。
だってこういう「普通」ということを強制される流れに抗うことができなくなるんですから。
私自身の人生なのに、「誰か」のために、管理されているような感覚に陥りますから。

「知る」といっても何を「知る」のか?
「知る」ことは必要とあればどこまでも。
だけど、まずは自分自身のことから考えてみましょう。

自分はどんな人間なのか「知る」。
自分の癖を「知る」。
自分は何をしたいのか「知る」。
自分の意志はどこに向かうのか「知る」。
そして自分のするべきことを「知る」。

まずはここだけでいいです。
「自分」のことだけでいい。
そこから広がっていくものだから。

なぜなら、あなたが生きている世界は、あなたが見ている景色。
だから、あなたが見ている景色はあなただけのもの。
だから、ほかの誰にも自分の世界を管理されないために、「知りましょう」。

世界とは何か。
真実とは何か。
私とは何か。

哲学とはそういうものです。”
 
 
一つの映画を観ました。

『ハンナアーレント』

アーレントがアイヒマン裁判を膨張し、「エルサレムのアイヒマン」を発表し、ユダヤ人の友人やコミュニティから非難されても、思考を止めずに主張を続ける彼女の姿を通じて、思考することの重要さを訴えます。
 
恐ろしいほど歴史に疎い私は、
ハンナアーレントを名前くらいしか知らず、
この歴史的裁判のことも彼女が何をした、どんな人なのかも、なんとなく聞きかじったことがある程度で、恥ずかしいですが良く知りませんでした。

この映画をすすめてくれたのは他の誰でもなく、
工藤さんでした。

すすめてくれたから、と何気なく見始めて。
知識がない恥ずかしさからハンナアーレントに関して調べ始め。
そしてもう一度映画を見て。
この映画のテーマを知っていきました。
 
“人類史上でも類を見ない悪事は、
それに見合う怪物が成したのではない、
思考停止し己の義務を淡々とこなすだけの小役人的行動の帰結として起こったとするこの論考は、
当時衝撃を持って受け止められました。
凡庸な人間がそうした悪になり得るということは、
人間は誰でも思考を放棄すればアイヒマンのようなことをしでかすかもしれない。
その可能性を考えるのは怖い。
なので人はその可能性に眼をつぶり思考停止してしまいたくなる。
「悪の凡庸さ」が突きつけるのは、
人間と非人間と分け隔てるのは思考することであるとします。”
 


“考える”ということを私たちはしているでしょうか?

前途したとおり、世の中にある出来事に対して、
自分に対して、周りに対して、社会に対して、システム、規則、ルールに対しても。
あるがままをそのまま、そのように、受け止めていることが多いのではないでしょうか。
ただ言われた通りに物事を遂行し、それが何であるかは気にも留めない。
“そういうもの”事実をあるがまま受けとめ、そのままに解釈する。

ヒーリングキャンプで哲学を学んだ時。
時事問題を哲学に紐づけて本質を探ったときのことを思い出しました。
現象に捕らわれ、私たちは本質を見ることをしない。
それが、世で起きる様々な出来事も、
自分自身のことも、見えなくしているのかもしれません。

考えることは、そのものの本質を探すことで。
それは何かというと、全てに対して正直に素直に考え、生きることだと思います。

それは時として人を生きにくくするかも知れません。
知らないままの方が、意見を言わない方が、
考えないほうが、楽なときも多いでしょう。

それでも、自分に嘘をつかないように、
周りに嘘をつかないように、
思考し続けている人はほんの一握りかも知れません。

“思考は孤独な作業である”というセリフが途中に出てきます。

考えることは様々な存在に対して疑問を投げ掛け、
自分で道筋を張り巡らせます。
孤独で苦しい作業は、やめたくなります。
考えなければ、目の前の楽しい現象だけでHAPPYかもしれません。
知らなければ、つらい現実を見ることもないかもしれません。
それでも恐れず試行し続け立ち向かい、ひたすら投げ続けている人は、そんなに多くはいません。

この映画を見て、思考することの重要性を学んだと同時に。
思い浮かんだのは、工藤さんでした。

彼女自身、私の80%はハンナアーレントで出来ていると言っていて、納得するほかありませんでした。

それほどに、彼女はまっすぐで、恐れずに、考え、主張と、行動をし続ける人であり、
大事なことに気付かせてくれる人なのです。
 



≪Photo image≫

思考を巡らせている人の瞳は鋭くまっすぐです。

考えを辿ることは時に苦しく孤独な作業であるがゆえに、それに立ち向かう表情は決して穏やかではないでしょう。

それでもそれに立ち向かえる強さは、人が実は一番欲している強さなのだと考えます。

弱い部分があるからこそ、人は考えを巡らせて、強くなくてはいけない。

彼女が言う“自信の無さ”は、それに常に厳しく向き合っているからこそ、弱みではなく強みになるのです。

時にはその厳しい眼光に突き刺されるときもあるかもしれません。

それほどに人と、自分と、向き合い、情熱を注いでいる人なのだと思っています。

その視線は、きっとまっすぐ向けられているでしょう。

そらさない。それが考える人の、考え方です。

まっすぐにカメラを見てもらう事。
その瞳に一番に目が行くように写真を構成していきたいと思います。



《条件》
●クローズアップ
●瞳にポイントを当てる
●目線あり
●人に対して心を突くような厳しい表情(私と話をしてもらってそれを出す、題材は写真。)
●瞳以外の空間には前ボケを入れて張り巡る思考を表現
●室内でしっかり光で表現
●話をするときの工藤さんの[癖]を取り入れる(口元に手をやる、とか)
●気合を入れたeyeメイクで(勝負する意気込みで。全力投球で考える、勢いの表現。)



彼女の視線に負けずに、この写真が撮れたとき。



思考を巡らせ答えを導ける人に、
一歩近づけるかも知れません。
 

Write&Photo by Kaori Kobayashi








気持ちを込めて撮りました、第三弾!!
感想、いっぱいください!!!!!!!><

 

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