Staff BlogYokohama Aoba

Reiri Kuroki
横浜青葉店

黒木玲理

初めましての方も、
お久し振りの方も、
いつもどうもー!の方も
こんにちは。

黒木玲理です。

ライフスタジオ8年目、2019年現在は横浜青葉店に在籍しています!

それぞれのお客様の「想い」にFitした撮影をしたいと思っています。
皆さんが、どんな想いで撮影に来てくださっているのか、色々聞きにいきますので教えてくださいね^^

Blogでは
Butterfly
写真分析
blog そして「はじめまして」は続く。
Let me see… わたしのこと
を主に発信しています。

お気軽にのぞいてみてくださいね。

写真分析 / 家族の風景

2019/4/20

197 0

 

 

Photo&Write by Reiri Kuroki

Coordi by Natsuko Takagawa

 

@Yokohama Aoba

 

 

 

あなたの為の、あなたの写真を撮りたい。

 

『家族写真』はきっと、あなたたちの大切な記憶のインデックスとなり、

いつか遠い未来で、あなたたちに思い起こされる為の記録になる。

 

 

 

「家族写真が、多めに欲しいんです」

毎年撮らせてもらっているご家族からの、今年のオーダーでした。

「ぎゅーっとしてる写真が良いなって。そういう家族写真、って、やっぱりあんまり撮らないから」

笑顔がとってもキュートなママさんのその言葉に、思わずこちらも笑いながら、

「そうですね。そういうのが、良いですね」と応じました。

 

『ぎゅーっとした家族写真』をどう撮るかは、撮影者である私に委ねられていました。

シャッターを切る、その決定は飽くまでも『わたし』という撮影者の意思です。そして、写真にしようとする瞬間の判断は、『わたし』という人間の主観的な価値観に少なからず依存します。

だからこそ、それが独り善がりにならないように、色んなご家族とたくさん話して、観察して、関係性を作りながら、写真や撮影に伴って言葉や文章を綴りながら、時には店舗のスタッフとも話しながら……自分の、その価値観が共感を得られるものであるのかを、確認してきました。

『家族写真』がどんな価値を持つのかは、ライフスタジオで8年近くもそういう確認を繰り返して、自分なりに得た答があります。

それが、『記憶の記録』。

『記憶』は飽くまでも主観的なものであり、時間の経過と共にやがて避けられない忘却が訪れます。

時間は等しく流れていって、日々記憶は上書きされていくものです。想い出は記憶の中から抽出され、細部は曖昧に融けてゆきます。

だからこそ、『写真』は価値を持つことができるのだと思っています。

愛し愛された、日々の記憶。家族の中で笑い合う時間のこと。子どもたちの幼い可愛さ、成長、変わらない面影……いつか忘れてしまうかも知れないけど、変わらないまま留めおくことはできないけど、確かにそこに在ったものたち。そういう記憶を、『写真』という形で美しく記録すること。

それはきっと、いつか遠い未来で『価値を持つことができた写真』として、『あなたの為の、あなたの写真』になるでしょう。

 

 

今回の撮影で30カット以上撮らせてもらった家族写真の中で、自分が敢えて選ぶのならこの1枚でした。

シンプルなホリゾント、真っ白な空間は、家族の存在感に集中させます。元々ご家族みんなで密着しているので、少し余韻を持たせる空間の抜けとして左側を空ける構図を選択しました。

『記録写真』としての家族写真なら、カメラ目線で笑顔の写真がその役割を担っています。対してこの写真は、客観的な記録としての役割を少し離れて、主観的な記憶を思い起こせるような写真にしよう、と思いました。

パパさんママさんには子どもたちを見ていてくださいね、と声をかけ、子どもたちには

「パパのおはなどこだ〜?」みたいな声かけをしたような気がします。

その声かけに対して彼らがどのように動くのかは、ある程度の想定はしておきますが、それ程重要ではありません。

重要なのは、撮影者の声を受けて被写体が動き出すということ。

ポージングを指示するにはまだ幼い彼らに、わかりやすく、シンプルに受け止めてアクションを起こせるような、そんな些細な一言を投げかけることで、彼らなりの自然な仕草が生まれる瞬間が訪れます。

結果的に生まれた『動き』は、ご覧の通り。子どもたちのそれぞれの解釈で為されたその仕草は、パパさんママさんの感情の動きを誘発させます。幼い彼らが見せる素直な反応に、思わずほころんでしまう大人たちの口許には、その『感情の動き』が現れました。

ごく近い距離で顔を寄せ合うご家族の中で、それぞれの仕草としての動き、感情の動きが連鎖的に発現した、そのタイミングを狙って私はシャッターを切ります。

誰もカメラを見ていないこの写真に、撮影者の強い存在感は感じられません。しかし、撮影者の意図は確かに在ります。

幼いふたりの素直な反応を、それを愛おしく感じる感情の動きを、ごく近しい距離感で展開される『家族』という関わりの姿を、私は写真にして残しておきたいと、強く思いました。

ぎゅーっとした、その瞬間の触れ合う体温を、髪の匂いを、動く感情を、思い起こせるような写真。

それは、ただ『記録』としての客観的な写真ではなく、『記憶』を想起する主観的な写真になります。

 

 

 

全てを克明に記録しておこうとは、思わないのです。

『ひと』の見る世界は主観の反映で、それこそ大切なものだけがキラキラして見えたりするものだから、何もかもをそのままに記録してしまったら、何が大切だったのかがわからなくなってしまいます。

だから、本当に大切なものにフォーカスして、『写真』にします。『写真』は、そういう取捨選択の余地を与えてくれる記録です。

大切なものを、大切に写真にしていくことが、私の撮影者としての務めです。

 

 

いつか、遠い未来の『あなた』の為に。

『ぎゅーっとした家族写真』が、『あなた』にとっての価値ある写真になってくれることを、願うばかりです。

 

 

 

 

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