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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
シンメトリー
2012/11/29
0
自由が丘店3Fの床は大理石だ。 被写体をおく場所や光の入り方によって、大理石に写りこむ事もまれにある。 この日の撮影はとても光が綺麗だった。 ボーイッシュな彼女がドレスを着て3Fの部屋に訪れた時、光が彼女に降り注いだ。 足元にはもう一人の彼女がかすかに見え、光と影のシンメトリーが頭に浮かんだ。 私は彼女を即座に座らせて、一枚シャッターを切ったがイメージしていたものではなく足元も見るように俯かせた。 その瞬間、顔の角度や光の入り方のタイミングが一致し上下反転した彼女が訪れた。 その影の彼女をより強調させるために、フレーミングを少し傾けシャッターを押した。 光と影のシンメトリーな世界を表現した一枚となった。 Photo by Sonhee Coodie by Onodera
『暗』
2012/11/29
0
Photo by suzuki Coodie by kazumi 彼に会うのはもう何回目だろうか。 いつも無邪気に笑い転げていて、一見まだまだ女の子と見間違ってしまうほどのかわいらしいルックスの男の子だ。 弟ができいつのまにか随分お兄さんになった。 弟の面倒をよくみる。おもちゃの遊び方をやさしく教える。 とても微笑ましい光景が、撮影の合間合間に見られた。 子どもの撮影をするとき、得てして明るく撮ることが多い。 しかしながら今回はsuzukiの意図として真逆のこの写真がうまれた。 彼の左手から腕にかけてを照らした自然光。あえて露出をいじらず全体を暗く撮影し、その部分を際立たせた。 毎年会っている私たちは、腕を見るだけでも2年前のそれとは異なり、だんだんと赤ちゃんから子供に変化してきていることを再確認する。 相変わらずきれいな肌で本当にうらやましくもなるが。 もうすこし時が過ぎたら、今度はもっと筋肉がついて男らしい腕に変化していくのだろう。 そんなことを考えていると、『今を残すこと』即ち子供の子供らしい姿を写真という形で残すことの意味・価値の大きさをもっともっと大勢の人と分かち合いたい。 心からそう思って、じっとしてはいられない気持ちになるのだ。 そしてもう一つ、この写真を見ていてふと気が付いたことがある。 それはたとえ暗く撮影したとしても彼がもつ無邪気さや子供らしさのようなものは、色あせることなくきちんと伝わってくるということだ。 それは被写体が彼だからなのか否か。 さてどっちだろうか?
開放感
2012/11/28
0
Photo by Chiho Coodinator sb-kim この子の事をよく覚えていた。 ちょっぴり人見知りな子。 去年、今回と私とキムさんとで、偶然にもまた同じペアで撮影に入る事になった。 目がぱっちりしていて、髪の毛がクルクル。 本当にお人形さんのような女の子。 最初はアシスタントのキムさんに人見知りして、ぷいっとそっぽを向いてしまった。 思い切り遊んでほしいと思って、そんなこの子を外に連れ出した。 外の空気や、空、葉っぱ。 子供も大人も自然に触れると一気に開放的な気持ちになるのは何故だろう。 スタジオから抜け出していつもと違う状況と空の下で撮影するのも、なんかいい。 外には、楽しい事が無限にある。 子供は遊びの達人だ。 虫を見つけたり、石を拾い出したりしてしまうけど…それもそれで面白い。 浦安店のスタジオの前。 いつものこの子に戻った、そんな瞬間が好き。
ギュっと
2012/11/26
1
二人をクローズアップするのは難しい。 二人分の顔の傾き、ライティング、表情、関係性を考えながらシャッターを切る。 しかし被写体によっては、楽しすぎて元気一杯動いたり、恥ずかしがっていたり、仲がそこまで良くなかったり などの色んな兄弟の形があるので、その兄弟に合わせてその子達らしい写真が残せたらと考えている。 ギュッとしてーとお願いすると二人とも楽しそうに笑っていた。 その楽しさを可能な限り出してたくて、顔、手、が切れてもいいからギリギリまで寄りたかった。 離れて撮っては、このぎゅっとした雰囲気が薄くなってしまうから。 二人のテンションが一気にたかーくなったとき、この一枚が残せたときには、やっぱりその瞬間がカメラマンの醍醐味だと改めて実感をする。 Jiyugaoka photo by Ogawa Coodinator Aramaki
本を読む少女
2012/11/26
0
本を読む少女 良い写真にはかならず理由がある。 そうでなければ結果は出ない。 いつも75カットの写真を構成しながら、それを計算しながら 子供の位置、光、表情、小物、色、コーディネート、自分自身の位置、全てに神経を注ぐ。 そして最後は四角の中から自分が何に集中しているのか、について集中する。 もの静かな彼女は、これで会うのも4回目。 私は生後6ヶ月だった彼女を知っている。 私はこの3年で知識と経験をつけ、 彼女の時間とまた交差することになった。 前の姿とは違った彼女が見てみたい。 その思いからこの写真は出来上がった。 いつもおかっぱが似合う彼女。 恥ずかしがりやで、甘えん坊なところは何度会っても変わっていない。 でも今日は少し背が伸びて、 しっかりと一人で堂々とたつ瞬間が見え、 小さな体の大きな勇気と頑張りが見えた。 大人たちにとって手のひらサイズの本が 彼女の手にはぴったりのサイズだ。 彼女のコーディネートの差し色に合わせて私は赤い本を選んだ。 そしてこの差し色は単にコーディネートだけではなく 写真自体の差し色になるように演出される。 服の影と、光の方向でこの写真を見た時に最初に見るところは 決まってくる。 そんな風にいろんなことが繋がってくると、余分なものはそぎ落とされ、 大事なものだけがストレートに残ってくる。 この写真を見た人に伝えたいイメージが 直球で伝えられるように。 本を読む少女。
転調
2012/11/26
0
photo by volvo codi by kaoru in shinmatsudo 緩急・・・ 私の撮影に対する考えはいつも変わらずそれが念頭にある。 一時間という撮影の中で起承転結を作り出し、一本の映画のように 物語を作る。 コーディネートをしてくれたkaoruさんが撮影直前に話してくれた。 「3着目はちょっとカッコよくいきます」 kaoruさんはコーディネートという視点から、3シーン目に『転』を あらかじめ入れておいてくれた。 そうなるとイメージがしやすいし、そこまでの構成もとても考えやすい。 私の考える『転』とは、親御さんが見た事無いようなその子の表情や仕草、雰囲気を表現してあげること。 それを撮影することが出来た時、完成した原本CDが転調する。
ときに舞台のように
2012/11/26
0
私はカメラを握り、シャッターをきっている写真家。それでありながら演出家でもある。 演出家は劇を成功に導いていく。そのために俳優の演技や、舞台に必要なさまざまな要素をコーディネートし、演出していく。 本日の主役の彼、どんな演技をしてもらって、どんな光を当てればよいのか…あらゆることを考える、 私は天井にある間接照明として使っていたいくつものライトを一点に集中させるように固定し、舞台の主役を照らし出すスポットライトをつくった。 それを彼に一点集中に当ててあげ、浮かび上がらす効果を期待した。またその光を効果的に受けられるように彼の演出も欠かせない。 そうして撮れたものを見て、 写真の中に作り上げる舞台の無限の可能性を感じました。 photo by Suzuki codi by Nakajima in Omiya
繋2
2012/11/25
9
原点そして初心を忘れないこと。 最近、私は彼女を亀と呼んでいます。 少しのふっくらした体で若干猫背に首が出ている彼女の姿勢のこともあるのだが 彼女が持ち出すペースがどうにも亀に似ているに違いないと思っている。 かなみは亀だ。 不器用で無口で何を考えているのか大半は分からないが、自分のペースがあって、一緒にクスクスと笑える笑いのセンスもあって、カメラマンとして何を大切にしたいのかを心に潜めている。 まったくいやらしいやつだ。そして愛くるしい。 私が越谷に来て一緒に入った3回目くらいの撮影。 いつもの淡々とした雰囲気で淡々としゃべりながら進めて行く。 私はほんわりしながらもサバサバしているママの雰囲気と優しいパパさんからでてくる この家族のことが好きだった。 いつもだけど始まればてんやわんや! 笑いが耐えない、、そこでもかなみは静かにふふっと笑う。 そしてこの撮影が終わり、なんかいいねと言った時、小さい声で彼女はボソッと言いました。 その家族でしか撮れない家族写真が撮りたいです。と 心が温かくなり、彼女の今の気持ちにまっすぐに心に響きました。 私の始めての頃の気持ち、人を思う暖かさ、そして自分を守るまっすぐな強さ。 亀のように、ゆっくりと自分を信じて自分をペースでいける人。 その証です。 カメラマンの気持ち、そこで一緒に本気で遊んでしまった私、止まらないマイペースでかわいい下の子、まじめなおにいちゃん、優しいパパ、ママ この一枚がいつまでも私をほっこりとさせてくれます。 今の私に一番必要な先生はかなみカメラマンなのかも知れません。 write by ming photo by kanami in Koshigaya
今を、未来を、生きている
2012/11/25
0
先日ある企業の社長がテレビのインタビューでこんな風なことを言っていました。 3の力しか無いものは3をやればいい。 10の力があるものは10やればいい。 一生懸命それをやるものは皆平等である。 なぜならば、 3/3も10/10も1だから。 だから常に1の力を出していけばいい。 他人と比較することなんかない。 接客において、また写真においても1の力を出すことは決して簡単なことではありません。 一生懸命やること、考えること、思考を回転させ、お客様の希望にこたえる、 それに+αがなければ、絶対に1にはならないのではないかと思います。 私たちは家族写真を撮るとき、ご家族の人数や背丈、雰囲気、 そのときのお子様のコンディションなどに合わせ、きれいにバランスよく見えるようにと、 立ち方や、体の向き、重心のかけ方、様々なことに気を遣いポーズを決めて撮影をしていきます。 お子様単独の撮影より意識を多方面に巡らせなければいけないところはありますが 私は個人的に家族写真を撮ることが一番楽しい時間です。 ライフスタジオのいいところは「絶対こう撮らなくてはいけない」という決まりごとがない点です。 もちろん基本に忠実に撮る写真があってこそですが、 普通の写真スタジオであれば残せない、 ここでしか残せない写真を撮れる喜びを私は幸せだなと感じながら、 こうして生きている家族写真が撮れるよう方法を考え、意識を巡らせます。 以前、幼稚園で教諭をしていた頃、 私はピアノを弾きながら子どもたちにたくさんの歌を歌い聞かせていました。 この歌を歌うとき、私はなんだか 「生きているっていいな」とハツラツとした気分で思うのです。 『手のひらを太陽に』作詞:やなせたかし ぼくらはみんな 生きている 生きているから 歌うんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから かなしいんだ 手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮(ちしお) ミミズだって オケラだって アメンボだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから 笑うんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから うれしいんだ 手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮 トンボだって カエルだって ミツバチだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから おどるんだ ぼくらはみんな 生きている 生きているから 愛するんだ 手のひらを太陽に すかしてみれば まっかに流れる ぼくの血潮 スズメだって イナゴだって カゲロウだって みんな みんな生きているんだ 友だちなんだ この写真を見ているとそんな歌が頭を横切ります。 そして、これこそがこの写真の確信ではないかと思います。 喜びを抱きしめ、枠にとらわれない、生きている写真。 家族のやさしい姿。 ママの手作りの洋服。 電車好きのわんぱく男子。 みんながここで生きているんだ!と感じられるうれしい瞬間でした。 Jiyugaoka photo by FUNADA assistant by TETSUKA
やわらかい写真
2012/11/24
2
Photo by suzuki Coodie by kazumi 彼女は色白でやわらかいほっぺた 切りそろえられた前髪がすごく印象的な子だった。 よく笑い、一生懸命suzukiと私の声に耳を傾け 忠実に時に自由に動いた。 彼女の雰囲気に合わせて全体的にやわらかい色合いでコーディネートし、 手にアクセントとしてイエローのネックレスを握った。 Softな色調でまとめられた写真は子供らしさが際立ち 見る者に安らぎを与える。 私はそう思う。
逆光
2012/11/24
0
野外撮影から光の入り方や光の重要性を学んだ。 光の流れを読む事はかなり難しい。 野外撮影前は正直光の流れを把握せずに撮影を行っていたが、 野外撮影以後私は光にフォーカスをおき、光を観察するようになった。 夏の光と冬の光の色温度の違い、そして時間帯においての光の入り方。 自由が丘店の衣装室は夏の時期だと16時くらいに西日が入り、 冬になると16時にはいってきた逆光の光が大体14時くらいに変る。 この写真も光があるのとないのでは、完成度が変ってくる。逆光が写真をより高い完成度を作り上げる。 逆光の光で彼女が一生懸命に靴を履こうとする行動がより強調され、一生懸命な彼女にフォーカスがおかれた一枚である。 Photo by Sonhee Coodie by Aramaki
こどもの特権
2012/11/24
1
写真が好きですか?こどもが好きですか? そんなことを言われたら、シーソーにのっけてもどっちもどっちで上にも下にもいかないくらいですが、 どちらかというとわたしの場合はこどもが好きだというのが強い気がします。 こどもに携わる仕事がしたいと思って、でも、それはまぁ定年までできる仕事があるからと写真の世界にまず足を踏み入れたのですが、 なんだかんだ今、写真にもこどもにも両方に関われる仕事にたどり着いて、あぁ、こういう仕事もあったんだな、ってしみじみ思います。 毎日が奇想天外で、季節関係なく汗をかき、筋肉痛にもなり、知らない間に青あざができたりするおもしろい毎日。 こどもたちはおとなの気持ちなんてそこまで関係なく自由気ままに過ごしていて、時々羨ましくなったり。 ちゃんとする、という言葉の意味は、こどもたちにとって初めての場所だったり、いろんなものに興味津々の心には届かないし、 よく伝わらないだろうから、うまくうまく誘導しながらやっていければそれでいいと思うし、 特にルールなんてなく、あるとすれば、こどもたちもおとなたちもみんなで楽しめればいっか!と思います。 だいたいのイメージや、撮りたい雰囲気、場所などもありますが、それをふまえた上でこどもたちの性格や行動、その時の気分を察知しながら、 ケースバイケースで何があっても撮ってやる!くらいの心意気で撮っています。 毎年撮っているこの姉妹も、典型的な自由人たち。 何を言っても、自分たちのおもしろいようにやってのける天才たち。 ここにいることで感じる不思議な感覚、それは年に1度しか会ってないはずなのに、 なぜかこの1年どう過ごしてきたのかが、撮影中を通して分かるような気がします。 4年目だからちょっと大人っぽく、椅子の上で背中合わせ、逆光気味の、ふわ!っていう静寂写真を撮影していたのですが、 やっぱりおもしろがってきて、ふたりは折り重なるように崩れていき、椅子の下に転げ落ちてゆきました。 わしゃわしゃの状況の中で、落下地点でも撮影出来ると思い、 えーい、椅子の下に隠れろーい!と、まず私が隠れ、顔見せてー!寄ってー!っとすがわらさんもフォロー。 ちょこんと出た顔。 低さ、椅子の足、空間の狭さと床の広さ、そこでまた違うように見える景色。 そして、こどもたちの動きに合わせながらも、あくまでも写真としての要素を忘れないように、 少しだけ椅子の影を追いながら。 これが今までの、そして今のこの子たち。 絶対おとながやっても絵にならないけど、こどもたちがやるとなんでも可愛く見えてしまうマジック。 思う存分、こどもを楽しんでほしいと、いつも思っています。
明日へと歩いていくこと
2012/11/23
0
明日へと歩いていくこと もうすぐママとなるこの女性は、ふたつの心臓を抱いている。 お腹の中の小さな命は、クリスマスイブにはこの世界に誕生する予定だ。 マタニティフォトは尊い。 命の出発点であり、人生の出発地点だから。 私たちの母親の時代はまだ一般的でなかったそれは、ここ2~3年の間に随分とメジャーになった。 それは、とてもすごいことだ。 今育まれているベビーたちが大人になる時には、「あなたはこうしてお腹の中にいたのよ」と写真で見ることができる。 一枚の写真の中に、若かりし母親と、まだ生まれる前の自分。 これほど雄弁に、愛されて生まれてきたのだと感じられるものが、他にあるだろうか。 赤ちゃんが産まれる時、ひとりの女性から母親となる。 その直前の出来るだけ自然な姿を撮りたかった。 小さな手を、両側からお父さんとお母さんでしっかりと握って、一緒に歩いて行く日々。 きっと楽しい毎日になるはず! Love Baby♪
MIFA!
2012/11/22
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photo by yang assistant by Kawano SHONAN ミファちゃんに12月もう1人の赤ちゃんが生まれます。 女の子が欲しいって言ってたミファちゃんなんですが次も男の子らしいです。 女の子であろうが男の子であろうがミファちゃんの子供はリョンギみたいに間違えなく可愛いと思います。 そしてりょんりょんのお兄ちゃんの姿も楽しみです。
木漏れ日
2012/11/21
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午後の光が一番綺麗な時間帯がある。特に冬場のこのやわらかい光に勝てるライティングは無いと思う。赤ちゃんの、このムチムチとした身体のラインを光のシルエットがなぞって、とても綺麗だと思った。 逆光だと赤ちゃんの顔が、影が落ちて暗くなりがちと思いきや、手前の白いフワフワの毛布が、やわらかい反射板の役割を果たし、自然の温かみと瞳に印象手的なキャッチを演出してくれる。また、普段ハーフバースデイでは撮影しないような上からの構図も、赤ちゃんの身体の柔らかさと光線の流れを見い出し、止まりがちに見える写真も画面の中で動きのある写真を作る事が出来る。 赤ちゃんの一瞬も捉える事も大事だが、あえて必然をつくりあげる事もカメラマンに課せられた使命だと思う。その必然に偶然がプラスされ『確かな1枚』が生まれるのだと思う。
写真の力
2012/11/18
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写真の力 写真の凄いところは、説明がなくてもたくさんの事が”伝わる”ということだ。 戦場の写真からは傷ついた街のメッセージが 街頭の写真からはその国の今が 人の写真からはその人の背負っているものが 闇の写真からは光の力が それぞれに、メッセージを放っている。 フォトジェニックのページを開くと、まず六枚の写真が目に入ってくる。 その中でふっと目に止まる写真は、人に何かを伝えようとする力がある。 それが感情か、技術か、人の魅力か、はたまた光の表現か。 伝えたいものは撮影者それぞれにあって、写真の下に添えられた文章はその答え合わせのような気がする。 その答えがなくとも発しているものを感じさせられるような写真が撮れるようになりたいと思う。 一方で、答えを明確に書くことができる撮影者で居たいとも、思う。 私の撮った一枚の写真。 この写真から見た人に、何が伝えられるのだろう。伝わったのだろう。 答え合わせをしてみる。 私が伝えたかったことは、家族の温もりと、家族写真を撮ることのできる幸せ。 そして家族それぞれのバランスと形があることだ。 パパの足の間に立ってもらおうとしたお兄ちゃんは、唐突にパパによじ登りはじめ、それを見たママと弟くんが大きく笑った。 私はパパの首の心配をしていた。 パパはよじ登られることになれていて、苦笑している。 傍ではアシスタントの迎さんが笑っていた。 笑顔に溢れた時間だった、だからシャッターをきった。その中に伝えたいことが詰まっている。 私の撮る写真には伝える力があっただろうか。 伝わっただろうか。
紅をさすその時
2012/11/17
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化粧をする。 女の子から女性へと変わるその瞬間。 その瞬間を残す事の意味を大切にしようと横浜店で話をしていた。 そんなときに出会ったこの瞬間。 ヘアメイクをご担当したのはパパさん。 娘さんの成長を確認する大切な瞬間にプロとしての自分の技で最大限の美を引き出す。 横で見ていて、なんて美しい光景だろうと思った。 すこしバッチリ決めすぎたかな?と撮影中に聞こえてきた親御さんの声。 でも、初めて完璧に化粧をするというその瞬間に親御さんがそばにいらっしゃったことが美しいのだと思います。
『180日目』
2012/11/15
1
Photo by volvo codi by itsuho in shinmatsudo 目に入るもの全てが新しいだらけの彼女にとって、ここでの体験は 緊張や不安の連続だっただろう。 どんなに周りが気を使っても、布一枚の上に置かれた冷たさは触れ慣れたぬくもりが離れると不安を増大させる。 「離れなくていい」 それはママや私達が望んでいた事ではないかもしれないけれど、そこにママのぬくもりが添えてあるから、 初めて呼吸をしてからまだ180日しかたっていない彼女はがんばってくれた。
純真
2012/11/9
0
photo by volvo codi by itsuho in shinmatsudo まっすぐで、奇麗で、素直で、なんの疑いも無い。 君が見たものは何なのか私にはわからないが、 モノクロでさらに輝きの増す彼の瞳を見ていたら、 撮ってる私も頬がゆるんでしまった。
理想
2012/11/6
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理想というのは、将来の自分に対して最高の状態を求める現実的な目標である。 誰にでも「理想」というのがあるのではないでしょうか。 私は結婚もしていないし、子どももいない。 私のようなこれから結婚をするのであろうとする人たちは、様々な理想を想像し夢を見ることが少なからずあるのではないだろうか。 家族みんなで食卓を共にしその日あった一日のなんでもないような出来事を、皆で笑いながらビールを飲むことや、晴れた日の休日には巨大なテーマパークではなく、どこにでもあるような公園に行き、木陰の下で100円ショップのシートを広げラップに包まれたおにぎりや冷凍食品の唐揚げや甘いだし巻き卵を食べながら、EOSkissで写真を撮ったりすることを私は理想としている。 しかし、理想は抱くがいったいどうやってそうなれるのかは私は考えることはなかった。 理由は単純で、まだ家族がいないからである。 そのためには理想を求める活動が必要であるが、私にはどのような活動をすれば理想の家族になれるのかよくわからなかった。 将来の私の家族は理想とかけ離れた状態になっているのではないのだろうかと不安になる時もある。 だが私はこの家族に出会い「家族」について少しわかったような気がした。 こうあるべきなのだ。と・・・ 言葉でうまく表現するのが難しいのだが、この家族には「躊躇」「遠慮」「恥」というものが、家族の関係性のなかでまったく感じられなかった。 一人一人が「家族」というものに向かって裸になって身を投じているように私は感じた。 撮影前に服を選択する時も、最終的には子どもが選択することが決まっているのだが、子どもと同じ立ち位置になって遠慮することなく家族みんなできちんとした意見を交わしたり、家族写真を撮影する時も大の大人がカメラを目の前にしても恥ずかしさの一切もなく全力で私の要求に応えてくれた。 撮影後に家族とスタッフが共に撮影した写真をスライドショーで見るのだが、一枚一枚の写真に対して賛美の言葉をまるでシャワーのように躊躇なく画面に浴びせかける。 これほどまでに子どもにとって嬉しいことはあるだろうか? ある人から見れば、特別なことがないように見えるかもしれないが、私にとっては心臓がドクンっと音を立てて上下に揺れるような衝撃を受けた。 それはなぜか? 私には、人や環境によって態度を変えたりすることが多々あり、自分の本来の状態・・・つまりは人前であろうが環境が変化しようが、この家族のように裸になって身を投じる覚悟も勇気もない人間だからだ。 理由は他者に嫌われたくないからだ。 こういう時に「それでいいじゃないか。人は人であなたはあなたで。」とよく言われることがある。 この言葉の意味はなんだろうか? 圧力を軽減させるという安心を与える意味を持っているようにも聞こえるし、他者の動かない状態を放置している不安の煽る意味を持っているようにも聞こえる。 どちらでもいいのだが、私はこの言葉は肝心なことを曖昧にさせる言葉なのではないかと思う。 はっきりと自身の問題点を認識させるような言葉を投げかけてくれたほうが私は好きだ。 つまり「何もしようとしない自分がいけないのだ」と。 だからこそ私はこの写真をHPに掲載させてもらいたくて承諾を得ようと連絡をしたのだ。 HP掲載の許可を得ていなかったら文章にして表現することはなかっただろうし、自身の中だけで消化していたのだと思う。 結局私は、ファインダー越しに一人一人の腕と体が複雑に絡みあった家族を覗いて、シャッターを切った瞬間にカシャン!と音を立てると同時に、私が理想とする家族だ。と確信することができたことの感謝の気持ちを伝えたかったのだと思う。 俺、こういう家族がいいなって。 私にとってこの一枚は家族を象徴している写真であり、私の理想の家族写真である。 快く掲載を許可していただいたパパとママ、そして、家族とは?という私の中で曖昧だったことを教えてくれたご家族に感謝します。
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