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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
転換
2011/12/24
0
自由が丘で長い間撮影をしながら、以前は写真を変化させる方法がわかりませんでした。 この部屋では左側にフラワーカフェがあり、そこから少し自然光が入ります。 しかしこの時期の光の量は非常に少なく、暗いことが多いこの場所。 暗いから、と言いながらライトを多くつけて撮影をしていました。 昔、李社長がしてくれた撮影教育で、光を加えるより遮るほうが大変という話がありました。たしかにその時、部屋の窓からあらゆる光が入るのを遮り、一か所の光を利用しようと窓をレフ板などで遮りましたが、その作業がとても手間のかかることでした。 撮影をしている時間よりも遮るための労力の方が大きかったのです。 冬の時期は光が少ないこの部屋ですが、暗いけれどこれを逆転の発想で暗いことを利用してしまえば、良かったのです。 最近、本を読みながら感じることがあります。 全てのことには表と裏があり、マイナスがあればメリットがあります。 それをどうやってとらえるかで不便にもなるし有利にもなるのです。 それは写真を撮るときも、生き方でも同じことで、不思議と全てのことに共通することを再認識しました。 あたりまえだけど、その当たり前を引き出して、勝手に決めつけずに写真のもつ無限大の可能性をもっと探していきたいです。
ポートレイト
2011/12/23
1
ポートレイト写真を撮影する時には、被写体の何が特徴的なのか、何が美しいのかを見つけ出し、カメラによって良く表現しようと努めることがポートレイト写真だと思います。 人それぞれ身体的にも内面的にも特徴があるように、写真にもそれぞれ被写体の特徴が現れている写真にすることが良い表現だと思います。 カメラマンが意図してできることは、ライティングとポージングと構図であり、これらを効果的に使い、被写体の特徴を表現しようとすることが良いのだと思います。 この写真のポイント(被写体の何が美しいのか)は、蛍光灯の光が逆光で照らされる質感のある背中と、画面の下に伸びる手と足の直線と交差する線と、美しい顔です。 前後の手足を線として捉えるには、写っているものが等間隔で圧縮される望遠レンズを使う必要があったし、背中に写る光を美しくするには85mmF1.4を使うことが適切だと思いました。構図では、手足の真っすぐな線として捉え強調するために、丸いお尻を切って、ビルを歪みなく真っすぐ写したいのと同じように、被写体と同じ目線の位置までカメラを下げるのが良いと思いました。
引き出す為に
2011/12/20
0
本当は5歳の男の子に『傘』を渡しちゃいけない事になっているのだけれど 彼を見ていたら、傘が似合うような気がして、思いついて渡してしまった。 男の子特有の、優しさや恥ずかしさを隠してふざける行動。 思ってもみない動きをするから楽しくて、そんな男の子の撮影は楽しいものなのだけれど 七五三だとそうはいかない。 やっぱりある程度きちんとした立ち姿を撮影しなくては、と苦労することも多い。 着物でふざけて足を開いたり座り込んだりする彼を眺めているうちに、赤い傘を持った姿が浮かんだ。 赤と黒のコントラストは彼にあう気がしたし、なにより『照れ』というバリアを少し緩められるような気がした。 傘を渡すと彼はそれまでの笑顔をふと崩し、少し膨れっ面で俯いた。 どきりとして、反射的にシャッターを切った。 顔は見えないし、笑ってもいないのだけれど、そこにそれまでの彼と違う一面を見たから。 それが彼の本質の一つであるような気がしたから。 笑顔も怒った顔も、カメラを睨んだ顔も、その時のその子。 でも気を抜いた何気ない瞬間を撮りたいんだ。できれば美しく。 その為にできることが幾つもあるのかもしれない。 そう気づいた1枚。
瞬間、心、重ねて
2011/12/3
2
6歳のお兄ちゃんには、 「足をさ、椅子の上に乗せて、トンネルを作ってみてよ」と頼みました。 3歳の妹ちゃんには、 「ねぇねぇこのトンネルをさ、狭いけどくぐってみてくれないかな?」と頼みました。 とてもうれしそうに、彼女は彼の作ったトンネルの下をくぐってくれました。 この写真を撮る上で注意を払ったのは主に子どもの表情と構図の2点です。 着物の撮影のときはまだまだ表情も硬く、お兄ちゃんも照れてしまっていて、 うむむ、兄妹写真はどうしようかと思いました。撮る前にはまだイメージが沸々とわいてこなかったのです。 でもなんだか動きや声を感じられるような写真が単純に撮りたかったのです。 うまくいくか、いかないか、どのくらいのことが出来て、出来ないのか、 それは子どもたちのそのときのタイミングや機嫌や年齢や疲労度次第ですが、 とにかくまぁ楽しく撮影をしたかったのです。 生きている写真。 笑い声が聞こえるような写真。 バラバラのポーズの中からもそんなものを感じられる写真を撮りたかったのです。 僕の撮りたいのはやっぱりそういう写真です。 人がそこで生きている写真。目指すはそこです。 でも単純に攻めてもつまらないですし、ひとひねり加えたかったのです。 この子たちにはどんなことをしたら楽しいなって思ってもらえるんだろうかって考えて このとき最終候補として浮かんだのがこのイメージだったのですが、 子どもの様子を見ながら、今ならイケるな!というタイミングを見計らい、2人に声を掛けたのです。 で、 僕たちと彼らのコミュニケーションと采配がうまくいったなと思う瞬間でした。 2人の、笑ったときに見える真っ白い歯が、キラキラと輝いて見えました。 その白い歯が自然と出てきて、僕たちは「2人が生きているな」って感じました。 声が聞こえました。 ケラケラと。 パパとママも僕たちの後ろで笑っていました。 ですが、このポージング、お兄ちゃんがバランスとしては若干不安定な気がします。 だけど6歳だし、多少不安定なポージングもそれはそれで面白いかもなという安易で陽気な発想で、 撮影に臨みました。 カメラを横に構えて全体を入れようかと思ったのですが、 普通に正面から撮るとどうしても人物のバランスが崩れてしまうので、 縦にして、斜め横からカメラを構え、 バランスが少し不安定なお兄ちゃんを気持ち後ろに配置し、 左右は少しずつだけカットし、 少しだけ振って斜めにして、重さのバランスをとれたらいいなと思ったのです。 なんにしても僕は、 ちょっとふざけしてるときの子どもたちの笑顔がたまらなくかわいく思えてしまう、 今日この頃なのです。
シャンデリア
2011/12/1
1
横浜店の1Fのろうか 高い位置に輝くシャンデリア 壁の木の質感 初めて見たとき、独特の雰囲気を感じた場所 気になっていた場所 大人だったらちょうど良い位置であろうシャンデリアを 幼い女の子とリンクさせたかった 背の高めのイスに座ってもらう 広角いっぱいで シャンデリアをうまく入れるには と、準備を整えている少しの間 さっきまではじけるような笑顔ではしゃいでいた女の子が 自然に、頬に手をあて物憂げな表情を見せた イスが高くて怖かったのかもしれない ちょっと薄暗い照明にドキドキしたのかもしれない けれど偶然にしたそのしぐさは その場所にいるドレスを纏う小さな女の子を少し大人っぽく見せた まるでお人形そのものだった
木目調のキャンバス
2011/11/30
2
一枚の木目調の壁がある。 シンプルな壁。 ある人は「シンプルで使いやすい」と言う。 僕は「何も無いから難しい」と言う。 でも、この写真をきっかけに、ここでの撮影が楽しくなった。 それは、インテリアを自分で好きに配置すること。 そしてもうひとつ。 とてもいい自然光が当たる時間があるということ。 光とインテリア。その両方を木目調のキャンバスに配置して、 あとは彼女に興味を持ってもらう。
Stage
2011/11/30
11
この場所は新松戸店の中でも特に好きな場所だ。 そこで私は、この空間をどうやって撮影していこうか集中して考える事にした。 光、構図、アングルなど色々考え、考えた事をアシスタントに伝え、共有し、何度も試行錯誤を繰り返していた。 ドレスを着て嬉しそうにしている彼女を最初は座らせてみた。 なんだかしっくりこない。 そして「立っていいよ!」と声をかけ、彼女がそこに立った時、 まるでステージにでも立ったかのように、パパやママの前でドレスをひるがえしながら 「私を見て!」と言わんばかりに喜びを体全体で表現していた。 それをレンズ越しに見ていた私は、探していたパズルのピースを見つけたような気がしてシャッターを切った。 私の好きな場所が彼女のとっておきのステージとして写真の背景になったことを非常に嬉しく感じる
10年後には•••
2011/11/30
2
5さいのharuくんへ! 今はまだ、のみこまれそうなぶかぶかのお父さんの背広も、 きっと10年もすれば、ぴったりに、 もしかすると15年後にはちっちゃくなるかもしれないね^^ 毎日新聞を読んで、毎日仕事に行って、 おとなの世界はけっこう大変かもしれないけれど。 それでも、きっとおとなになっていくから、 それまでどうか、毎日を楽しんでほしいと思います! カメラマンになったら、あんまりスーツは着ないかもしれないけどね(笑) カメラマンになりたかったら、いつでも呼んでくださいー^^ * はい、お父さんの背広を着せてみました! 撮影の最後の最後に、ちょっとユーモアで。。。。 だって。 最近、5さいの男の子がなかなかいなかったし、そしてスーツのお父さんもなかなかいなかったもんで、 今回5歳七五三&パパスーツで、 内心「きたーーーー!」っと、最初から狙ってたのでした(笑) わたしは5さいの記憶はもうほとんどなくて、 ちびっこを前に、こんなにちっちゃかったのか?と疑うくらいで、 気づけばいつの間にか服のサイズはいつもL。 あぁ、もう身長伸びないのかな、、、、(せめて縦に伸びたい)なんて。 そんな毎日から気持ちだけでも脱するべく、こんな写真を撮ってみました。 これから成長していく姿が楽しみです!! 原本の中に、おもしろさを^^
クローズアップ
2011/11/30
0
それは大きな課題である。 四角い枠の中に目一杯被写体を写し込む。 集中する。引き算する。その中でもできるだけ被写体の個性を残したい。 絵の塾でに通っていた頃、余白をデザインするということを教わった。 正直その頃はそれがよくわからなかった。 無駄なものを写すのではなくすべてを写すことで完成させる。 大きな黒いカメラを持った知らない人間が顔のすぐ側まで近づくことに対して 警戒するのは子どもだけではない。誰だってテリトリーはある。 そのテリトリーに入った瞬間不快な思いをする人は多いはずだ。 そんな中カメラ越しでも近づくことは関係を築かなければ難しいこと。 ただ、そのテリトリーに入れることを許してくれた瞬間心の距離も縮まる。 会ってすぐには難しくても関係を築くことで許される距離感。 クローズアップはそれを示すものでもあるのかもしれない。 この写真はこの子の個性、髪の毛の質、手の大きさ、彼女が目一杯詰まっている。 余白などない。
私の反対とは何か
2011/11/30
0
私は感情的で、感性的な人間だとよく言われる。 最初はそう言われるのがけっこう好きだった。 なぜなら、人間はもともと感情的で感性的な存在であり、それこそ人間の魅力だと思っていたためだ。 しかし、自分が感じている感情と感性を重視しすぎていつの間にかまるでそれしかない人間になってしまった気がする。 それはどう考えてみると私の中のバランスが崩れたことを意味するのかもしれない。 撮影練習をやり始めた時から今まで色んな人に自分の写真を見せながらアドバイスをもらったり、評価される機会があった。 見ている人は違うけど、評価は同じ。 感情と感性、関係と雰囲気に価値を置いてある。 悪いことではないが、それしかないのが問題かもしれない。 今は問題に見えないかも知れないが、このままだったらいつかは自分の持っている色が強すぎて他のこととのバランスを崩してしまうかもしれない。 バランスをうまく維持しながら自分が持っている色が変質しないように大切に守り続けたい欲がある。 いつか朴シルザンニムはあんまりにも感情に偏っている私にこう言った。 「自分が自分だと信じていることの反対が本当の自分だと考え変えてそう行動して見るのもいいかも、、、」 それからは自分の反対について深く考える時間を持ってみる。 感情の反対を考えてみると、理性っていう単語が浮かぶ。 「理性的に考えて判断して行動する人」 何も感じなくてただ客観的に物事を眺め、冷静に判断して行動すること。 それがうまくできる時は少ないが、それでも自分の反対を忘れずにやってみようとしている。 人生のバランスを守るためだ。 自分が持っている大切な色をもっと賢く守るためだ。 この1枚は私にとって何の意味も持っていないただの写真だ。 感じたことが何もない。 その代わりに色んな人にアドバイスされたことを冷静に考えた。 光、顔のラインの立体感、四角の終わりを見ること、比率的なバランス、ピント、、、 それがうまくできたかどうかは分からないけど、大事なのは感じるのではなく考えて写真を撮ったということだ。 本物の自分を守るため自分が持っている性質に集中する方法もあるが、 反対の自分になってみる方法もある。 幸せに生きていくことに必要な真理を教えてくれた人に改めて感謝する。
輪郭をなぞる
2011/11/30
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とっても仲の良い兄妹だった。 妹は、私がやってあげる!と世話女房みたいにしきりに兄について、兄は妹に優しくリードをしていた。 二人とも七五三で、スーツ&ドレスで二人の撮影をした。 よくある組み合わせだし、いつも通りに仕上がると思っていた。 花束を渡したり、一緒に本を読み、離れて立ちながら見つめ、チューをしたり・・・ 撮り終わるとこの二十数カットがまるでウエディングのような写真が並んだ。 二人の仲の良さがそうやって現れたのだ。 その中で一番私の心に残ったのがこの一枚。 色んなポーズも仲良しで可愛い写真だったけど、シンプルに二人の顔だけ、視線だけで二人の関係性を示したかった。 背中を合わせ斜めにすわってもらい、全身をいれて一枚撮った後、鼻筋をなぞる光が目に入った。 しかも二人とも似た曲線この横位置のカットが頭にうかんだ。 お互いに見つめ合っててもらうと兄妹というよく似た輪郭が見えてきた。 後ろからのライトで鼻筋に光が当たる。 仲が良いので、目を見れば自然に笑顔になる。 大人ならこの距離は近すぎて照れてしまうかもしれない。 でも,いつもチューをしたり、くっついている二人には自然な距離感だった。 照れずに、普段通り。 もしかしたら大人になると距離が出来るかもしれないけど、この距離感で過ごしていた感覚だけは忘れないでほしいな~
生まれた順序
2011/11/30
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私には男兄弟が居ない。妹も弟も居ない。 20数年前、既に2人の姉妹が生まれ、どうしても男の子が欲しかった我が家に生まれたのは、女の私だった。 そうして三姉妹になった我が家。三姉妹の末っ子になった私。 もし、私が男の子に生まれていたら、絶対にここで写真を撮っていなかっただろうし、 男でも女でも、私が一番最初に長女として生まれていたとしても、 歩む人生はまったく別の方向を向いていたと思う。 生まれた順序っておもしろい。 たまたまその順番で生まれてきただけなのに、たまたま女だったってだけなのに まるでそれが前から決まっていたかのように それぞれが当たり前のように決められた役割を果たし、 同じ血が通った兄弟なのに、性格が様々で。 きっと、生まれた順番がひとつでも違ったら、この写真も全然違うものになったんだろう。 そう思うと、私がこの家族に出会って、写真として表現することができたことにも、 その兄妹の生まれてきた順序も、その家族のその必然性にも感銘を覚える。 この7歳の長男は、一番下の妹が生まれてすぐ病院へ駆けつけたらしい。 ママを守るために、生まれたばかりの妹を守るために。駆けつけたらしい。 そのエピソードを聞いて、私は「良い経験をしてるね」と若干7歳のこの長男の頭を撫でながら言った。 だって私には妹も弟も居ないから、そんな経験は一生出来ないし 病院に駆けつける、その時の心情とか 生まれたばかりの妹に出会ったときの、7歳の少年の小さな身体から溢れ出るであろう「妹を守る」という包容力は計り知れない。 その経験は、彼の人生において大きな糧となることは間違いない。 そんな限られた者にしか出来ない素晴らしい経験を、彼はしていると思った。 次男もまた、同じであった。 自分が5歳の七五三のメイン撮影をしに来たのに、 撮影中何度も何度も妹のところにいっては「かわいい かわいい」と頭を撫でていた。 そして、妹の頭を撫でる次男の頭を、また長男が撫でていた。 私は「繋がってるなぁ」と思った。 小さな包容力をまた小さな包容力が包んでいた。なんだか嬉しかった。 この妹に、この次男と長男が居て この次男に、この妹と長男が居て、 この長男に、この妹と次男が居てくれて、本当に良かったと思った。 でも、その光景を撮ろうとカメラを構える私に気づいた長男が、ついに次男をパンチしてしまった! 気づかれてしまうほど、その光景をおさめることに鼻息が荒かった自分と その空間に自らの存在を溶け込ませられなかった自分に幻滅したけれど、 長男が次男を撫で、次男が妹を撫でるような、 これはそんな優しい写真じゃないかも知れないけれど、 ママもパパも妹も次男も長男も。それぞれのキャラクターが出ている 誰一人が欠けても成り立たない必然性を帯びた、 そんなこの写真が、そんな家族が 私は好きだ。
その子の愛らしさ
2011/11/30
0
撮影の空気や雰囲気は、どうしても子どもに伝わってしまう。 目新しいものがあふれているスタジオ内で、子どもの心を常に冷静に保つことはできない。 いつもと違う空間。いつもと違う親。興味をそそるおもちゃや色彩の数々・・・。 テンションのメーターが振り切ってしまう子、泣いて泣いてパパママから離れない子 寝てしまう子、下の兄弟に嫉妬してしまう子。怪獣のように大声で何かを訴える子、笑い転げてふにゃふにゃになる子。 でも、そんな姿全てが愛らしいと思う。 計算されたポージングをすることより、こちらの思惑にそぐわないことがあっても 彼らの動きや行動に目を配る方がより正確にその子を知ることができる。 1時間で発見する、ごく僅かなその子の愛らしさを、出来る限りくみとってあげたい。
残す
2011/11/30
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どのような状況の中でも、判断するのは自分自身だ。 写真に対してのこだわりや、プライドといったものが自分にはある。 ということを、自分でも認めないといけない。 自分はどういう写真が好きなのか? 自分は何を求めているのか? しかし、この場で撮る写真がいつも自分の基準だけでは撮れはしないということも理解しなければならないことは分かっている。 ドキュメントであるか、演出であるか、 動きなのか、静寂なのか、 光と陰、どのような匂い、空気、音。 記憶として、記録として。 自分の求めるものと同時に、他者からも求められるもの、イメージされているものもあるはずだ。 そのバランスを探すのが何よりも難しくて、それでもバランスを見つけていくことにほとんどの思考を費やす。 毎日が、違う。 どこまで敏感にいられるか。 自分の思考と、他の様々な関わりの間でとても戦う部分である。 自分のこだわりの部分が明確に分かってきたからこそ、 その部分に囚われ固まってしまわないよう、最近は考えている。 敏感と鈍感は、紙一重らしい。 自分のイメージ こういう雰囲気で撮りたい、 このフレーミングの中で、こうやってこう撮ればキマるのではないか。 ご両親のイメージ ちゃんとカメラを見て、ちゃんと、ちゃんと。 閉じ込めようとして、でも結局そうなることに違和感を感じてしまう。 こちらからのイメージから、はみ出て、反抗して、 どうにもならない状況でこそ自分の判断が試されるようだった。 シャッターを切る前。 自分の意図したフレーミング、写真ではなかった。 シャッターを切るか?イメージと離れることで諦めシャッターを切らないのか? 切る。 とにかく出来るだけのトリミングをし、タイミングを図る。 シャッターを切った後。 ふたりの目線、オーバーになってしまっていた兄とアンダーになってしまった弟の露出差。 まとまりのあるものでもない。 この写真を入れるか?入れないか? 入れる。 結局、ここに真実はあるから。 幸運にも、露出差が生まれてしまった兄弟がかぶっていた帽子によって、 この写真を残すか残さないかも変わってきただろう。 諦めないことによって、タイミングによって捉えられるものがあるかもしれないと感じた。 自分のイメージでもなく、かといって、求められるものでもなかったかもしれない写真でも、 きちんと絵にしていくこと。 そうやって、どんな状況でも判断し、写真を撮る責任を感じ、 それでも残さなければならない状況を、 どれだけ自分のものにできるか、その写真に価値を見つけ提供できるか。 よく反抗をしてきた。 きめつけられることが、きらいだった。 だったら、なおさら受け入れることを。 「きめつけない」 枠を超えて、いつでももっと考えられるようでありたい。 まだまだ考えることがたくさんある。 そう思った1枚だ。
クローズアップ
2011/11/30
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静かな時間が流れていた。 日が沈む少し前、湘南倉庫での撮影。 開けた窓から風は入ってくるけれど、この日の風はどれも静かで 彼女の髪の毛を少し揺らす程度のものだった。 彼女の横顔が好きで、よく見ていた。 初めて出会った時から、いつか彼女の横顔の写真を私は撮るんだろうと思っていた。 彼女ならではのラインをシルエットで見せたくて、アンダーにアンダーに追い込むために私は日が沈む数分の時間を狙うことにした。 夕暮れのあの赤い光を追いながら、そして逃げながら撮影していく中で ふと流れが止まった瞬間があった。カメラを一旦下ろして、話すのをやめた。 これはクローズアップだと思った。 クローズアップの写真というものを、自分なりに考えていた。 クローズアップ写真に集中する中で感じたことは、 被写体の表情に説得力がないとただの顔を大きく写した写真になってしまうということと 照明の当て方ひとつ、また余白の微々たる作り方によっても、世界観やバランスが大きく左右してしまうものだということ。 写りこむ要素が少ないだけに、そのバランスのとり方が非常に難しいもののようだった。 そしてもうひとつ感じた大きなこと、 それは形式的に撮った写真では駄目だということ。 その時間、撮った写真を1枚1枚見る中で、ふと目の止まる瞬間。 流れの中で、見ている者に何かしらを訴えかける1枚。 それがクローズアップだと、私は思う。
白
2011/11/30
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きれいな黒い髪の毛を揺らしながら彼女ははにかみながら微笑んでいた。 白い部屋でクマにかこまれて・・・。 少し大人っぽい表情を持つ彼女は春の風のようだった。 ピュアで透き通ってて眩しいくらいだった。 彼女が笑ってくれるだけで彼女のまわりはキラキラして見えた。 優しくて暖かい陽だまりのようだった。 そこにいる人みんなを穏やかな気持ちにさせる彼女の存在の強さ。 そこにいてくれるだけでみんな幸せになった。 そんな空間を現実にできるだけ近い状態で残したかった。 白い部屋で白い服を着ての撮影は露出を間違うと白飛びしやすい。 白を白と表現することは時には難しい。 そしてこの純白の表情。 こちらのご家族の大切な1枚になったら嬉しい。
美しい人 2
2011/11/30
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女の人を綺麗に撮れるようになりたい。 もちろん、子供がメインで撮影に来る方が大多数だとは思うが 写真に残してよかった、母親になって良かったと改めて実感してもらえるような 子供を見るあなたの目はこんなにも優しくて美しいんだって胸張って伝えられるような・・・。 そんな写真が撮れたらと思い、自分の中で上記の主題を掲げることにした。 続けてやれば何か見つかるかもと自らに主題を与える。 そしてママと子供をよく撮る機会が増えた中で、共通して見えてきたものがひとつだけある。 それは、子供を見る母親の表情だった。 母親というものは、子供を見るときに どうしてこんなにも美しいんだろう。 楽しそうに走り回るその子も、泣いてるその子も、 やっぱり着物を嫌がって飴をねだった2歳のその子も 見るママの表情は優しくて、私はただただ綺麗だなあと思った。 中々私たちに心を開いてくれなかった2歳の女の子は、 ドレスも最初は嫌がって、きっとお花もネックレスも 本当は付けたくなかったんだと思う。 でも、一緒に撮影に入ったウンジョンさんが ママにいつの間にかネックレスとお花を付けていて、 ママは「ほら、ママとおそろいだよ」となだめながら、その子の横に座った。 きっと、ママは自分も写っているとは思っていなかったかもしれないけれど、 窓から入る光がママの綺麗に通った鼻にあたり、柔らかい髪にあたり そしてなによりも、いっぱいぐずったその子に向けられた優しい表情にあたり、 その姿を、光景を、私はとても美しいと思った。 だから、ただシャッターを押した。
追っているものは・・・
2011/11/30
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「なんて可愛らしい子だろう・・・」 ミオちゃんに会ったときの最初の印象だ。 ピンクのフワフワのドレスを着たときは、まるで天使のようだと思った。 いたずらっ子っぽい表情も女の子らしく魅力的。 笑顔なんて、もう何でも願い事を叶えてあげたくなるほど。 カジュアルな服に着替えると、また違った表情をみせた。 ふんわりと浮かぶシャボン玉を抱きしめようとするかのように、優しくゆっくりと追う・・・ 一生懸命に、しっかりと、 少し前までの無邪気な彼女とはちょっと違う・・・ ふと、追っているのはシャボン玉ではなく別の、彼女の未来とでもいうべきもののように思われた。 85mm単焦点レンズを使うことで背景をぼかすことで、シャボン玉が綺麗に浮かび上がるように気をつけた。
お姉ちゃん
2011/11/30
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私にも2歳離れた姉がいる。 6歳離れた兄もいる。もちろんどちらも私にとっては大事な家族だ。 でもやはり、同性で年の近い姉の存在は別格だ。 小さい頃を思い出すとよくけんかしていた。 物を投げ、ガラスの扉を割って親に怒られたり、口をきかない時期もあった。 でもやっぱり私はお姉ちゃんのあとをついていった。 お姉ちゃんがいるだけで心強かった。安心した。 一緒にピアノの発表会で演奏するときだって私が堂々としていられたのは、 隣にお姉ちゃんがいてくれたからだと思う。 お姉ちゃんと同じ高校に進んだのだって同じ。 同じ家で生まれ育ち、物心ついた頃から私はお姉ちゃんの後をついてまわっていた。 姉妹とはそういうものだろう。 ここで働いていてたくさんのご家族ご兄弟と接する機会がある。 正直、兄弟姉妹の撮影は容易ではないことも多い。 でも、やっぱり兄弟姉妹っていいな~と撮影のたび感じる。 一人ずつの撮影より、兄弟姉妹揃った写真のときのがみんな安心していい顔をする。 一人のときより堂々と楽しそうに、恥ずかしそうに・・ どちらにしてもお互いがなんだか嬉しそう。 お姉ちゃん、妹。きっと産まれた順番とか関係ないこともあるけど、 産まれた順番で培われる個性も少なからずあるはず。 それを感じる瞬間だった。
双子
2011/11/30
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こちらの双子ちゃんは毎月撮影をしに来てくれている。 ハーフバースデイから6ヶ月。ついに1歳を迎えた。 毎月成長を見せてくれて個性もでてきて 1歳の今月はお互いを思いやる一面まで見せてくれた。 最初は隣に座っていた二人。 その時お兄ちゃんが泣いた。妹はお兄ちゃんに歩み寄り様子をみて目の前に回りこみ 慰めているようだった。 そのまま二人が向き合った状態でシャボン玉が吹かれ同じものに反応した瞬間。 シンクロする瞬間。双子にしかわからないこと。 お互いを思いやる気持ちはすでに存在しているようだ。 こんなに小さく相手がどういう存在かということもよくわからないかもしれない。 でも、お母さんのお腹の中から一緒。 産まれた時からずっと一緒の時間を過ごしてきた二人。 これからもずっと一緒。 たまには喧嘩したり、良いことばかりではないかもしれない。 でも、ここまで心強い存在は他にはいないだろう。 二人が成人したとき、お父さんお母さんが残してくれた二人のために 残してくれた成長の記録を、お酒を飲みながら見ていろいろ話をして欲しいと思った。
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