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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
絵を描くように・・・
2012/1/7
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人に、写真に、自分自身にもっと深く入っていきたい・・・。 カメラマンとして被写体から『何か』を引き出す部分に集中している時間ほど、有難いものはないと考えます。 美しい瞬間というイメージを常に求めていくことが私達の宿命でもあるからです。 四角の中に含まれる写真を構成する要素。 全体的なバランスは被写体と背景の関係性を見る人に説明してくれます。 この写真の大きなポイントは 少女 時計 ベット 窓から差し込む光 そして、絵のような写真を撮りたかったという私のイメージ。 訪れたタイミングに合わせシャッターを押しました。 撮れた瞬間に感覚で感じる・・・「撮れた!!」 その感覚から得る、自分の価値観。 それらを共有して行く過程で 私達カメラマンは今以上の美しさを求めていかなければならないのです。
残すもの
2011/12/31
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私はどんな写真を撮りたいのかと考えることがあります。 ライティングがカッコイイ、被写体のふとした表情、本質が見えた瞬間、色々あるけれど、やっぱりシンプルに笑顔の写真は、鉄板だとこの一枚を見ながら感じました。 世の中は、たいていのことは鏡合わせになっています。 難しい顔をした人がいればこちらも神妙な気持になり、笑顔の人をみればこちらも笑顔になる。 さらにその人が大切な大好きな人なら、見る度に勝手に広角が上がるでしょう。 写真にはそんなエネルギーが入っています。 だから私は、写真が好きです。 遠く離れていても、時が流れても、写真を見れば一瞬でタイムスリップできる。 いつでもその時のあなたと、その時の私が現れるのです。 今年は、私たちが幸せに生かされていることを再認識しました。 時は止まってくれない。 だから大切な人とのつながりを大事にしその手助けとして来年も写真を撮り続けていきます。
2人のタイミング
2011/12/31
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写真でも、人生でもタイミングはとても大事なもので、そのタイミング次第で結果が大きく変わることもあります。しかし、そのタイミングは、いつやってくるのか、いつがベストなのかは私にはわかりません。 でも結局は私がどうとらえるかで、チャンスは沢山あり、それを逃さないために準備をする必要がります。 今回の準備は、ドレスとタキシードのコーディネートと、二人に瓶を渡すぐらいの準備でしたが、二人の距離を少し開けて瓶を渡したことで何か動きができる予感がして少し待っていました。 ずっとカメラ側から呼んで笑わせ、二人のカメラ目線の笑顔を撮ることも大切であり、難しいことですが、お姉ちゃんが自ら動き、その動きに弟が目で追ってくれたことで、姉がドレスを着て自慢しているようなイメージの一枚になりました。 もっと被写体が動くことを恐れずに、楽しんでけば更に色んな写真が生れると思います。
静謐の白
2011/12/30
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写真にはいろんな種類がある。 躍動感を感じる動きのある写真。 カラフルで見ているだけで楽しくなれる写真。 その人の人生そのものが写っている写真。 様々な種類があり、それを得意とするカメラマンもそれぞれである。 僕にはどの雰囲気が得意かと言えるほどのものはまだ持ち合わせていない。 ただ好きという基準で言えば、静かな写真が好きだと思うことが多いように感じる。 何故、静かな写真が好きなのか。 何かを伝えるときに要点は何なのかが分からなければ伝わらない。 その為に必要なものとそうでないものを区別し、前者を選び、後者を排除する。 そうしていくと僕が選ぶものが「静」を感じるものが多いということが写真という結果に現れてくる。 これではまだ答えになっていない。 静かなものに何を見出しているか? 誰しも、表現をされたものと向き合ったときに、喜びを感じなさいとか、悲しみを理解しなさいなど、受ける感情を支持される訳ではない。 その作品から何を受け取るかは自由である。 でもその自由には「度合い」が存在するように思う。 つまり、作り手やキュレーター、メディアによってある程度操作が出来てしまうということである。 それは排除不可能なものであり、もし排除してしまうと下手をすると作り手の自己満足に留まり、他者との共有ができなくなってしまう。 その「度合い」をできるだけ鑑賞者の自由を阻害しないことを考えて調整すると、僕の場合は静かな写真となるわけである。 この写真に写っている女の子の親御さんやご親族の方々は、こんな大人の雰囲気を感じさせるような仕草が出来るようになった事への驚きと喜びとともに、成長の一過程としての記録としての意味をこの写真に持たせることだろう。 では、不特定多数の他者がこの写真を目にしたときはどうだろう。 そこには記憶も記録も存在しない。 ただ純粋に美しいか否かの感想が生まれてくることだろう。 この子に対する情報やここに至るまでのバックグラウンドを全く持たない人にも美しいと感じてもらうためには何が必要か。 それを考えていくと答えがないのだが、まず思い浮かぶのが見る人の感想を邪魔されない自由ではないだろうか。 一枚の写真を目にしたときに広がる想像力を誰にも操作されることなく、何にも遮られないでどこまで大きくできるか。 それによってその写真を見ることによって得られる喜びは変わってくるのではないだろうか。 その為に僕は静かな写真を選んでいる。 さて、ここで一つ疑問が残っているはずである。 所謂、商業写真で不特定多数の他者の価値観に響く写真を撮る意味が何処に在るか、である。 それは一言で「共有」が目的である。 勿論、親類や友人の間だけで楽しむだけでも、商業写真の目的は果たされるだろう。 しかし、それが不特定多数の人々に賞賛されたら、そこに不愉快を感じる人はいるだろうか? よく親御さんが写真を見ながら「親バカですいません。」とこぼすが、そうではなく、誰もが美しいと感じられる一枚の写真に自分の分身が内在しているとしたら、その喜びはどれ程のものだろう。 我が子を誇りに思う気持ちがさらに大きくなり、生まれてきたことへの感謝と、日々の子育ての苦労が報われるという救いが、心の中から溢れてくるのではないだろうか。 そして、見ず知らずの人の写真でも、うちの子も同じようにとって欲しいという気持ちから、繋がりが生まれることも何度が目にしている。 写真は繋がりを生むもの、そして繋がりを実感するもの。 人との繋がりを新たに生み、そしてそこに新しい喜びが在ることを発見する。 人の中にも自分の幸せが存在することを実感できる。 その為に美しさを共有することを僕は求めている。
後ろ姿の二人
2011/12/30
0
写真は様々なものの交点に存在するものではないかと思うことが時々ある。 この日この写真を撮ろうと考えたこと、撮らせてくれるコンディションの二人。 この光を思いついたのも、この写真に必要なものだけの配置を考えたのも、この場所で、このアングルで、二人の目線があった瞬間にシャッターボタンを押そうと思ったことも、全てこの日の撮影が始まってからのことだった。 以前、他のカメラマンが撮影した写真を横浜店で再現することを考えたときに適切だと選んだ場所はこのインテリアだった。 その写真は湘南店の河野さんが撮影した、全体的にアンダーでハイライトが利いた一枚。 横浜店でこの写真の話をした時、他のカメラマンはこの場所ではないのではと話していたが、この時、既に僕の中でこの写真のイメージが出来上がっていたのかもしれない。 頭の中に明確なイメージがないとその写真は撮れないと言う言葉の意味は、必要な要素を適切に取捨選択する写真という方法論の性質上、理解していないと要るか要らないかが分からないから、という意味ではないだろうか。 通常、この場所にはいくつかの物が配置されており、先ずはその必要性を考える。 再現する写真の特徴は圧倒的な影の存在である。 適正露出に比べるとだいぶアンダーになるように設定する。つまり暗い写真である。 被写体以外の大きな要素が光と影とする以上、その他の余分なインテリア家具などはすべて排除した。 河野さんの言葉にもあるように「子供の写真=明るい写真」という定説というか先入観からの脱出を経たのちに見つけられる価値観である。 光を捉える表現である写真が影の表現をするにはやはり光が必要である。 今回、選択した光は逆光。 アウトラインのハイライトと全体を覆う影の存在とのコントラストで影の存在を際立たせ、暗さに意味を持たせる。 この日は薄曇りで自然光は十分な量ではなかった。 強い自然光が入る日の方が、きっとコントラストを持っときつく出せただろう。 しかし、撮った写真を振り返り、この光量で良かったのだと確信する。 それは被写体が二人だから。 被写体が二人の場合、その関係性という要素が入ってくる。 例えばもし、強い自然光により、きついコントラストのシルエットの写真を撮ったとしたら、全く描かれるものが変わってしまう。 光の中のシルエットにより浮かび上がった二人の姿は強烈なイメージとして描かれるだろう。 それも、もちろん美しいと思う。 しかしその場合は、二人の姿よりもイメージが先行してしまう。 光の状況もあったが、今回は二人の姿とその関係性、そして二人から感じた子供らしさを描くことにした。 イメージへの傾きを、二人を主役の座から奪わないギリギリのラインでシャッターをきる。 背景とのバランスは窓の位置との兼ね合いを考えた。 高さの違う左右の窓。 窓と被写体が重なること、つまり大きな要素が一直線上に重なってしまうと、そこだけ密度が高くなり、何を表現したいエリアなのかが不明確になってしまうため、被写体が可能な限り、窓にかぶらない様に気をつけた。 また、カメラを構える位置だが、ここは木の板の横のラインが強い印象を与えるので水平で撮ることと窓の四角がゆがまないことに注意をし、全体的に「静」のイメージが漂う様にした。
いつか
2011/12/30
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どういった家族写真があれば、自分は嬉しいだろうか。 自分の家には家族写真という写真が無い。 そのため、スタジオで家族写真を撮るときは、何年、何十年先のことを考えるようにしている。 幼いころの自分の性格や、キャラクター。兄弟との関係性。 父や母の自分たちに対する愛情。 ぐるぐる回っていくと、結局いつも、同じところにたどり着く。 その家族らしい写真を残してあげたい。 優しい両親と、元気な兄弟。 いつかまたこの写真を見てまた、ほほを寄せ合い、肩を寄せ合い、 笑い合って欲しい。
変化
2011/12/30
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~しなければならないと感じてしまうことがある。 帽子が傾いている。直さなくては。 声をかけてもこちらを見てくれない。何か音で惹きつけなければ。 段差に足をかけて危ない。手を差し伸べなければ。 スタジオで一定の時間の流れの中で、できる限り被写体に寄り添っていくのが、 我々の務めでもある。関係性を大事にしていきながらも、マイナスな要素を直していく必要がある。 しかしそういった意識は、時には自由を奪ってしまう。 写真にとってマイナスな要素は、誰にとってマイナスなのだろうか。 彼らが思ったその行為や行動に対して敏感に反応していく。 私はそこに彼らの時間の凝縮を感じる。 被写体に寄り添っていく方法を、変化させていかなければならない。
自由になりたい欲
2011/12/30
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自由になりたい、、、 もっと自由になりたい、、、 内面の中にその欲を強く持っているが、なかなか自由になれない自分を感じる。 その原因を私の周りを囲まれている環境や条件から探して言い訳を作ろうとしているが、 根本的な原因は自分自身だということに気づく。 慣れてきた悪い習慣、何かに追われるような強迫概念、そして臆病の本姓が自由になることを邪魔する。 自由になりたい希望は自らが作り出した壁に負けてしまってただむなしい欲で終わり、ついには跡も残さずにきえてしまう。 撮影が始まる前に写真を撮るのが好きだ。 何も気にせずにただ目の前にいる存在を眺めながらお互いに自然な姿で向き合うことになる。 私とあなた、 二人だけの世界になって何かを感じ合う瞬間、 私たちを束縛していることから抜け出してお互いの自由を守り合う、 その瞬間が好きだ。 ずっと無表情でいる彼女のことをカメラで眺める。 普段は良くかぶる帽子もかぶりたくないようだ。 かぶっている帽子をはずす彼女から無言のメッセージを感じる。 束縛していることから抜け出したい、、、 自由になりたい、、、
夜
2011/12/29
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青山店の写真の長所と短所を考えていた。 長所といえば、「自然光を生かした写真」というのがやはり印象強いのではないだろうか。 青山店の構造上、神々しく入ってくる自然光。カメラマンの私たちはそれをありがたく大いに利用することが出来るし、青山店にとっても、それはとても大切な要素であるはずだ。 それでは夜はどうか。 散々悩んだ結果、青山店の夜の写真を形成する大きな要素もまた「光」であるという結論に至った。それは我が店とって、長所であり短所であるようだ。 なので私は当たり前のように光を勉強した。「昼間と変わらない写真」それが目標であるかのように勤めたのだ。 夜の撮影の際、具体的に私は何をしていたのか。 そのひとつに「窓を写さないこと」があった。なぜなら、真っ黒なそれを写すことで夜であることが一目瞭然であるし、その黒色が写真の印象を色のバランスと共に大きく変えてしまうからだった。 だけど 窓から逃げる、夜から逃げることが果たして正解なのか。 窓だからこそ、夜だからこそ撮れる写真があるはずだし、 私はそれを撮りたかった。 初めて青山にキューブのインテリアが出来たときのことをよく覚えている。 夜になるとそれが窓に映りこんで出来る影が、綺麗だなとよく見ていた。 夜だからこそ出会えることできる喜び。 そしてそれは、カメラの設定次第でどうにでも幻想的にすることが出来るようだった。 なるほど、夜には夜の写真を撮れば良い。 朝には朝の魅力があるのと同じように、夜には夜の魅力がある。 要は、発想の転換であった。 「夜に来て良かったね」その言葉が何よりも嬉しかった。
朝
2011/12/29
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自然光が燦々と降り注ぐ午前中。 フラワーカフェで、赤をポイントにビビットな写真を撮ることが好きだった。 好きだった、というよりも、そうしなければならないような気さえしていた。 だからこそ子供が赤い洋服を着ていたのなら、フラワーカフェで撮影していたし このインテリア独特のテンションを、どうすればよりビビットに元気良く表現出来るのかに注力していたように思う。 ここでインテリアのテンション宜しく撮影することは 間違いではないし、安定しているし、確かに何よりもこどもらしい写真になるのだった。 だが、私という人間は一度抱いたそれを大きく崩したくなる欲求にかられるようだ。 青山の朝の写真の印象を変えてみたい。そんな欲が次々と出てくる。 それがいつか、同じフラワーカフェで撮っても印象のまったく違う写真になり、 部屋数の少ない青山店のバリエーションに繋がればと考えていた。 そのために。まず。普段、ウッドの部屋でコーディネートするであろう衣装と帽子を取り入れた。 次に、フラワーカフェのポップな赤い印象をグリーンの力を借りて柔らかくすることにした。背景のポイントである赤の印象を弱めるため、自然光を柔らかく利用するため、撮影時カメラ設定にて赤の補色であるグリーンを足す。 さらに被写界深度をできるだけ浅くし、手前にクローバーを入れることで再度グリーンを足し、背景をぼかす。あとは、アシスタントのセリンが吹くシャボン玉に夢中になるその子を追いかけるだけだった。 私はとかく新しい写真を撮りたいというわけではない。 ただ、青山の写真の幅を広げたいという思いは揺るがない。 だけど、そのために「凝り固まった概念を打ち砕かなければ!」なんてそんな大層なことは考えたことも気負ったことすらもない。 だってファインダーの向こうで無邪気に遊ぶ子どもたちを見ていると、そんなことすら忘れてしまう。だから、私もそんな子どもたちに合うようにと、もっと自由に崩して積んで楽しめたらきっと何か生まれるんだろうなと、そんな風に思う。 写真が楽しい。
兄弟
2011/12/28
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兄弟の撮影。 この場所で撮影するにあたり出来るだけシンプルな光で人物を浮かび上がらせる様な撮影がしたいと思い 以前購入したが全く使っていなかった小さなランプを引っ張り出し撮影をしてみた。 少し動いただけで光の与える印象が変わってしまうので人物の配置、ランプの位置にかなり気を使った。 あとは、2人にぬいぐるみを渡し自然に遊びだすのをただ待っていた。 演出したものでは出てこない自然な感じを出したかったからだ。 兄弟という特別な関係を光を使い浮かび上がらせることの面白さを感じた一枚だった。
untistyle
2011/12/27
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構図やバランスに拘って、全体のバランスばかり考えていた時期があった。 それから暫くして今度はバランスを崩したい気持ちになった。 拘りすぎたのか、整えていくうちになんだか窮屈に思えてきてしまった。 ここでこの場所から、後ろのインテリアは…決めつける自分の頭の堅さが嫌になっていた。 普段撮影していない場所に行ってみるとか、そういうことではない。 どこだって関係ない、自分の撮り方や画角を壊したいのだ。 そんな時に撮影した写真。 彼のコーディネート、小さな顔に大きな帽子。 それが似合っていて、コーディネートを活かして撮りたいと思った。 帽子を下げてみて?もっともっと隠れちゃうくらい。 彼の動作の魅力を撮ろう!と感性の赴くまま、計算は何もせず撮った。 うまく説明できない、微妙なバランス、距離感。 それは普段自分が頭で考えている時には出てこないものだった。 計算、レパートリー、スタイル。そこから一瞬だけ抜け出れたかもしれない。でもよく掴めない。 頭を使わずに撮ったこの写真を理論ではなく感覚的に気に入っている。
ママ
2011/12/26
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授乳写真。 それはとても神聖なものだと感じる。 まだ子どもがいない私にとって未知のもの。 ただ、撮影をしていて感じるのは、授乳をしているときのお母さんの表情はとても優しく穏やかで 授乳をしている子どもの表情もとても幸せそうである。 日進店の3階は晴れた日には西日がとてもきれいに入り 白い部屋は光がきれいにまわる。 授乳の時間は撮影の後半に突然始まった。 赤い髪の毛で黒い服を着た美しいママ。 授乳をしているときは親子によってきっと落ち着く形がある。 そこに親子の絆を感じる。 逆光の中ママが輝いて見えた。 神聖さを出したかったからあえてハイキーで撮影した。 そしてママにピントを合わせた。ママの表情に注目したかった。 きっといつもの授乳の時間のように彼はママの口に手を伸ばした。 親子は繋がっている。お腹の中にいるときも産まれてからも・・・。 マタニティ同様、授乳写真も期間が限られている。 だからこそ記録として美しく残して欲しい。 残したいと思う写真を撮っていきたい。
*family* art
2011/12/26
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家族という居場所があること。 1つの家族にパパ、ママ、娘、息子。 みんなの居場所がそこにはある。 2011年の家族のカタチ。 元気なパパと 優しく見守るママ ピースを覚えたおねえちゃん やんちゃな僕。 これからの今をみんなのために残していけたらと思った。 それが私にとっての写真だと思う。 来年、再来年、、、どんな形になっていくのか、たのしみになる。 家族とはカタチを変えながら創られていく。 ということに気づいた。 Familyはひとつのartである。 by haruko^^
奇跡の価値は
2011/12/26
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幸せってなんだろう。 好きな人と巡り合って、キスをして、結婚をして、 それらのいくつもの奇跡が重なって、 子どもが生まれて、また幸せを感じる。 そんなご両親が、この世にはどれくらいいるんだろう。 愛してる。 ただまっすぐに子どもを愛して、まっすぐにご両親から愛されて、 子供も親も共に成長していく。 寝っ転がったパパの上で、パパに支えられながらも、 やっとひとりで座れるようになった赤ちゃん。 プニプニのほっぺと、うれしそうに喜ぶその表情の奥に、 パパの満面の笑み。 この表情はこの角度から写してこそ、 価値がある。 人は、 大切な人の前だとこんなに幸せそうに笑える。 それだけで充分だった。
someday
2011/12/26
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2011年。 わたしの写真といえるものを、わたしは撮れてきただろうか。 プライベートの時間に写真を撮ることが減った。 わたしは何枚、写真を撮っただろうか。 なんでも、写真に残そうとは思えない。 だから、そんなに写真を撮らない。 本当に撮りたい瞬間だけ。その中でも撮ろうと思えないくらいの瞬間もある。 写真は残るものだから。 なんで写真を撮るのか。 真面目に生きるために写真を撮ってる。 なんて本当かどうかもまだ追いつけてもないけど、そうありたい。 写真を撮ることを仕事としてもう2年半になった。 この1年で、500組ほどの家族を撮影をした。 こんなに毎日写真が撮れることを、3年前のわたしは想像できていただろうか? プライベートでの写真はあまり撮らなくなったけど、わたしはここで写真を撮ることができよかったと思う。 それは、やはり残したいと思える瞬間があるからだ。 わたしの撮りたい写真が、この場所にはあった。 今日がいつかになったとしても、その時も幸せでありますように。 家族の姿、だいすきだよ、ってそういう気持ちを写真に写す。 パパとママの横で、妹をぎゅっとし始めたお兄ちゃん。 じゃあ、じゃあパパもママをぎゅっとしちゃえー!ってことで。 この瞬間のエピソードを、この瞬間の想いを、また時が経っても思い出していけるように。ありのままを、そっと。 わたしは、わたしの手元に写真が残らなくてもいい。 必要だと思ってもらえる写真を残したい。 想いを形として残すために。 今年も健康で、こうして写真を撮れてよかったと一年を振り返る。
シルエット
2011/12/25
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私は、モノクロのシルエット写真が割と好きでよく撮影している。 明るいライトの前に被写体に立ってもらい暗めに撮影するのだけのことだが、 シルエットの極端な露出による極端な明暗のシンプルさと、白と黒以外の色がないモノクロのシンプルさが好きな理由だ。 シンプルな写真は好きだ。 シンプルな写真のほうが被写体に集中できるし、ストレートなイメージが強い。 しかし、シンプルさ故にあまり代わり映えしない写真が生み出されることが多々ある…。 ちょっとしたスパイスを加えなければと前ボケを入れてみたり、脚立に登って上から腹這いになって下からといろいろ撮影したりと悪戦苦闘し、見つけたのが光の反射ボケである…。 レフ板という撮影の被写体に光を反射させる板の端っこが長方形の金属でできていて、そこに光が反射していて、あっれ!これ使える!と一人で萌えていました…。 スタジオにある撮影道具でも写真に使えるんだなぁと改めて思った今日このごろです。 次はアシスタント前ボケもバレなきゃOKかもっ!?っと企んでいます。
白い毛布
2011/12/25
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ただの白い毛布が写真に対する影響は想像以上に大きいと最近思います。 白い毛布がもつイメージが柔らかさや、清潔感という良い印象を与える効果と、撮影道具としての使い易さ、白い毛布が作り出すランダムな曲線による視覚的なおもしろさと明るい場所に溶け込むという性質があるのだと思います。 よく赤ちゃんの撮影に使用されるのは、赤ちゃんのイメージと白い毛布のイメージが重なり合うし、視覚的な効果も期待できるので頻繁に使用されるのではないかと思います。 つまり、被写体のイメージと他に写っているモノのイメージが近づけば近づく程、写真に良い効果をもたらしてくれるのではないでしょうか…。 その逆で互いのイメージが離れれば離れる程、また違うおもしろい効果が生まれるのではないかと思います…。 この写真のポイントは、毛布と被写体のイメージの合致と露出比で生まれる曲線です。 被写体の頭から覆った白い毛布が生み出す曲線で囲むようにして、被写体の美しい存在感が曲線の効果によって、より惹かれるようにと思いました。 顔の周りの毛布の線をより効果的にするために、顔とそれ以外の露出比に差をつけることで背景の整理をして、白い毛布は周りに溶け込むようにしたいと思いました。
やっぱりママがすき
2011/12/25
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その手は絶対に離さないぞっ! やっぱりママが好き。 ママが近くにいれば大丈夫だけど、ママが離れるとちょっと怖いんだ。 一人で撮る為に、そーっと離れよう皆で撮影に挑みました。 ママにもお願いして、そーっと離れてもらったのですが、 手は握ったまま。 そうすると、今までにみたことのないポーズが生まれました笑 ママの手だけでも、こんなに表情が出るんだなと。 ママってすごい。 周りの状況が伝わるような、そんな一枚。 ママもパパも一緒にがんばってたんだよ、 そんな雰囲気が、このようにも残せるんだと知りました。
冬
2011/12/25
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冬を感じる瞬間はたくさんある。 視覚として感じる一つに吐く白い息だ。 カラッとした冬の日、大人になった今でも白い息を吐き寒いこと、冬であることを 確認する。 窓ガラスに息を吐き、白くなったところに字や絵を描く。 これも誰もが経験あるものだろう・・。 そこに描くものはその時の心情であることが多い。 なにを描くかは自由である。すぐに消えてしまう一瞬のキャンパス。 そこに人はどんな表情でどんな絵を描くのだろう。 冬の光に照らされて微笑みながら彼はなにかを描いた。 冒険心、自由な発想と遊び心を忘れてほしくない。 寒い冬も遊び場になってほしい。 新しい場所での撮影に挑戦すること。 私も冒険心、自由な発想、遊び心をもっと養わなければならない。 彼らから教わったこと。 子どもを楽しむこと。冬を楽しむこと。柔軟であること。
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