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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
美しい人 1
2011/11/30
0
6ヶ月の赤ちゃんの撮影は、時間勝負なところがあって つい、ずっと赤ちゃんにばかり集中してしまう自分がいます。 撮影中、泣き出したこの子。 お腹がすいているのか、人見知りをしたのか、眠たいのか 答えは、眠たいだった。 6ヶ月の赤ちゃん。 小さい体で全力で笑って、全力で泣いて、全力で寝ていた。 撮影中なのに寝てしまったその子を抱きながら 少し残念そうだったママ。 でも、それでいいんだって間違ってないんだって伝えたくて その子のリズムを大切にしたくて 「寝かせてあげてください」と言った。 寝顔を見ながら、「ああ、気持ちよさそうだなあ」って 全力で寝るこの子を見て ただただ生きているんだなあって思いました。 静かな部屋で、この子の寝息だけが聞こえていた。 光が綺麗すぎたので、寝顔を一枚撮ろうとカメラを向ける。 単焦点レンズで撮っていたので、少し、距離を置こうと後ろに下がった。 この部屋のドアをあけ、自分の身体を外に出すくらいに距離を置く。 ハッとした。 寝てるその子のそばに、ママが居た。 居ることじたいは、気づいていたけれど、 あまりにも彼女のその姿が、表情が、 傍にいるよって優しく置かれたその手が美しくて 私は素直に「ああ。美しい人だなあ」って思った。 いつか あるカメラマンに、私の写真を見せたとき 「ああ、綺麗だなって感じ」と言われた。 違う人に見てもらったときにも「綺麗でバランスが良いけど、綱渡り」と言われた。 そして、また違う人に見てもらってもそうであった。 私は特に綺麗さに偏った注力をしたことはなかったので、 複数の人間に同じことを言われ正直驚いた。 そして、悔しかった。とても。とても。 それは、私の写真には綺麗さだけで人間らしさがないと言われているような気がしたからかも知れない。 そして誰よりもそれを自分自身が痛感していたからこそ、悔しかったし、 足りない部分を埋めなければならないと思った。 だからそれ以来私は、「人間くささ」「本当の意味でのカメラ目線」「その家族の背景」にも特に目を向けるようになった。 でも、やっぱり ハッとするほど美しい人を見ると、その美しさにただただ心が満たされるときがある。 この時も「美しいなあ」って気持ちだけでシャッターを押していたような気がする。 よく、「あなたの写真には何が写っていますか?」と聞かれるけれど、 やっぱり私が美しいと心から感じたものが、そこに美しく写っているのかも知れない。 特別美化しようなどという欲はない。 ただ、美しいものを美しいと感じてカメラを向けた。 ただ、それだけだった。
lovers
2011/11/30
1
愛の形 2人の出会いを聞いた。 国分寺のあるバーでの出会いだった。 2人の印象は私の中で 肌寒い冬の夜だった。 そしてすこしはぼやいている。 その光で寄り添う二人は温かい。 ただ その場面が撮りたかった。 ただ その2人の愛を残したかった。
集中
2011/11/30
0
集中 写真を撮影する時いつも集中しようと努力します。 一枚の良い写真を撮影するために、私の頭の中にある形象を目に見える 表現で一枚の写真に作るために集中します。 今月の課題であるクローズアップ写真を上手に撮影するために、毎度撮影が終わる 頃には集中して多くの角度から色々なポーズで生き生きと動く写真を撮影するため努力して見ました。 この写真を選択した理由は指先で生き生きと動く感じが出て、視線で強烈な 感じ伝えているし、多くの角度で撮影して見た結果良いフレームのようだと感じました。毎回良い写真を撮影したいという考えと意志は強 いですが、どこかに集中して表現するはずで良いフレームをいつも捜そうとする努力が一緒にならなければならないと思いました。
大好き!
2011/11/30
0
理想的なご家族だと思った。 幸せな家庭ってこういうお家をいうんだなって。 こどものことを考え、温かく成長を見守り、導く・・・ パパとママのまなざしは常に優しい。 ゆうごくん達はまさにそんな、だれしも心に思い描く幸せに溢れたご家族だった。 ご家族の絆とか愛情に満ちた空気を切り取るには・・・ 以前撮ったことのあるポージング、でもよりみんなの顔を近づけてもらう。 心の流れを撮ることが出来るのでは? やってもらってみると、そこには楽しそうな笑い声と笑顔! パパのお腹に座ってたゆうごくん、ママの優しい顔を見ていたら甘えたくなったのかな。 3人の腕が大きな輪を描いている。 それは心のつがなりの表れかもしれない。
The family picture 3
2011/11/30
0
人に、写真に、自分自身にもっと深く入っていきたい・・・。 記憶に残る家族写真とは・・・? 写真に映る自分を見たときに、何を感じながら撮影していたのか? 何かをきっかけに思いだすようになってもらいたい。 それは、愛だったり絆だったりという単語+αが重要だと考える。 五感で覚えている感覚。。。 手と手が触れ合った柔らかさとか、 ママの良い香りとか、 おやつのかけらがくっついた頬っぺたとか、 膝の上に座った時の重みとか、 サラサラの髪の毛の質感とか、 それをひとつひとつ発見していく中で、 私達はその家族の幸せを共に感じていく事ができる。 家族写真ほど、お客様と私達の記憶に残る写真はないかもしれない。。。
証拠写真
2011/11/30
0
去年だった。 撮影をしている途中、ママさんがバナナを持ってきた。 「本当に申し訳ないですが、もしできるならうちの子がバナナを食べている姿を撮ってもらえるんですか。」 「バナナですか??」 「はい、子供がバナナが大好きで、それを食べている姿を残しておきたいです。」 「あぁ、分かりました。カメラマンに伝えます。」 そして、次のシーンで子供にバナナを持たせそれを美味しく食べている姿をカメラマンは自然に撮った。 出来上がった写真を見ながらパパさんとママさんはとても喜んでくれた。 特にバナナを食べている写真を見て「カワイイ~~!!」と言いながら興奮した。 「バナナが好きですか?」 「大好きなんですよ!! 好きすぎてバナナをあげるとめっちゃ笑うんですよ~hh それが可愛くて是非その姿を証拠で残したいな~と思ったけど、本当に撮れてよかったです^^ ありがとうございます。」 私はあの時初めて分かるようになった。 子供のこんなに小さいことにも親は意味を与えるということを、、、 子供っていうのはそこまで大切な存在だということを、、、 そして私たちが撮る写真は子供たちの人生の証拠になるということを、、、 あの時から撮影途中コンディションが崩れた子供におやつでバナナを食べさせている姿を見ると「あ!証拠を残してあげないと、、、」と思うようになる。 とても愛らしい赤ちゃんが青山店に来た。 感情表現がはっきりで、楽しい時にはよく笑って、いやな時にはギャーと声を出しながら大泣きをする。 撮影をするには難しかったが、純粋に感情を表すことがとても可愛かった。 そばで見守っていたパパさんとママさんはとても静かで、あんまり感情を表現しなさそうな雰囲気だったが、娘のことを見守る時には嬉しい気持ちを隠すことができなかった。 しかし、最初家族写真を撮って分類室で写真をチェックしながら少し寂しい気持ちを感じた。 パパさんとママさんの表情が緊張感で固まっていた為だ。 普段三人でいる時はどういう姿をするんだろう、、、 子供を見る時には自然に笑うのに、、、 何だかすっきりしない気持ちを持ったまま家族撮影が終わり、子供ソロの撮影が始まった。 よく笑ったり、よく泣いたりする娘を見守りながら最後の手段としてバナナを持ってきた。 「バナナだ、、、」 いきなりバナナに関するある日の記憶が浮かんできた。 そしてパパさんとママさんを白背景へ柔道してそこで食べさせることを進めた。 大好きなバナナを食べている赤ちゃんはママとパパを見ながら満足感のあふれる表情で笑う。 それを見ているパパさんとママさんも安心して一緒に微笑む。 カメラで三人家族を眺めながら何だかほっとする気持ちを感じる。 それからは普段三人でいる時の姿を何となく想像することができた。 そして私も満足感のあふれる表情で分類室に戻ってきた。 証拠を残した。 「愛されながら育てられた証拠」 あ、、、世の中にバナナがあってよかった!
オンマ
2011/11/30
0
韓国では母親をオンマって呼ぶ。 知り合いやお客様の中には在日韓国人家族がいる。 国籍は韓国人だけど、日本で生まれ日本で育ったので、当たり前に彼らの言葉は日本語だ。 しかし、母親を呼ぶ時はみんな同じようにオンマっていう韓国語を使っていた。 オンマっていう言葉が好きな私は何もないその事実が嬉しかったりした。 人間にとってオンマという存在は何だろうか、、、 生まれる前から体も精神も繋がっていて元々は一つだったはずだ。 そして、オンマを通して私たちは人生初めての人間関係を経験すると思う。 私はママ子だった。 妹はもっとひどかった。 それがいやで認めたくなくても私たち姉妹に母親が及ぼした影響はあんまりにも大きくて認めるしかない。 愛して愛されること、 人を信じること、 学ぶこと、 譲ること、 自由なこと、 感情を表現すること、 人生のすべての価値を母親から学んだ気がする。 青山店に静かで素朴な家族が来た。 兄妹は二人とも始めての場所と人に警戒心を持っていた。 母の後ろに隠れて疑う目で私を見るのがまるで「ママ以外には信じれない、、、」と伝えるようだった。 撮影が少し心配だったが、人の心を開くことに真実なセリンがそばにいたし、彼らを守っている母親の笑顔は何だか信頼できる力を持っていたので安心して撮影を始めた。 三人家族の撮影をするため、白背景のところに立って母親のポーズを説明した。 お母さんは少し照れながら白背景に立った。 母親から離れた子供たちはとても不安な顔をしていた。 「おいで!」 兄が母のそばに行く。 そして母は息子が緊張しないようにギューと抱いてくれた。 固かった兄の顔にかすかに笑顔が広がる。 それを見た妹が急いで母親のところに走ってきた。 両方の腕で二人を抱いたお母さんは撮影だということに気が付いたかそのままカメラを見る。 髪の毛がおりてきて背中が曲がっている。 足はきれいにそろえていない。 もし私がアシスタントだったら、いきなり入って行って母の髪の毛を整えたり姿勢を直したり足をそろえてくださいと言ったはずだ。 でも、カメラマンである私はそうしたくない。 きれいな母より母親らしい母が好きだから、、、 おしゃれな母より愛があふれる母が好きだから、、、 カメラで三人家族を眺めていたら母と妹が思い出した。 いつか博物館の前で同じような写真を撮った記憶がある。 黄色い幼稚園の園服を着ている私と妹を母は両方の腕で抱いて幸せに笑っていた。 愛するオンマ、、、 この1枚を見ていると今まで私と妹を守ってくれたオンマに会いたくなる。 オンマ、ありがとう。
彼と赤いイス
2011/11/29
0
好奇心旺盛なくりくりのおっきな瞳 イスの縁につかまって立ち、こっちに向けられた澄んだ眼差しにドキッとした。 ちいさな手は彼のカラダを支えるべくぎゅっと握られ、幼いながらも力強さも感じた。 彼の魅力を最大限に表現するために、まず画面を整理しようと思った。 緑の服と赤いイス。背後にも窓辺にグリーンと赤いイス。主要な色味が補色と、ともすればうるさくなりがちだが、色数を制限しさらに85mm単焦点レンズを使用することで背景が綺麗にぼかして自然と彼に目線を誘導するように撮影した。 イスの側面のフォルムの面白さが気に入っていたので、アクセントとして使用した。 背景のグリーンが直線的に並び、その延長にイスの直線、さらに彼の存在へと視線を渦巻き状に導く・・・。 何かを訴えかけるような表情。生命力。
family is...
2011/11/29
0
このご家族に会うのは 今日で二回目だった。 たくさんたくさん パパとママに愛されて 大きくなるyuくん。 そんな思いもあって、 家族写真のとき、 笑顔がたくさん出たら嬉しいなと思っていた。 家族写真を撮るとき、 家族はだれが主人公なんだろうって思う。 子どもを真ん中にすることが多いけど、 大きな子たちを撮るときは、わざとママパパから離してみることもある。 家族という主人公。 表現するには、その三人の空間が必要だと思った。 望遠で距離をとることを選んだ。 yuくんのパパママは慣れていたので、 この写真は自然に撮れた写真である。 いつも考えること。 家族写真の問題は大人である。 特にパパ(笑) パパママの緊張をほぐすこと。 大人になればなるほど、 カメラを意識するみたいだ。 例えばおじいちゃんおばあちゃん。 カメラを向けると固まるのは、おじいちゃんおばあちゃんの大きな大きな特徴だ。 お子さまを見てください、と声をかけると、一瞬顔がやわらかくなる。 と、同時に、「あ、写真!」と頭が切り替わる瞬間が分かる。 少し先を読むこと、 露出度やアングル、バランス、 1番大切なのは、そのときのタイミング。 みんなの呼吸が合わなければ撮れない。 だから、家族写真は楽しい。 その家族の空気がわかる。 そのとき、私は、やったあ!と思うのだ。
I'm in basket.
2011/11/29
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かごが好き。 「ぼくは、かごが好き。」 1シーン目から果物の箱に自ら入って行った彼。 どうやら狭いところが落ち着くらしい。 白い背景を選んだとき、 いつも以上に、 ここで撮る写真は被写体よりもモノが目立つべきではないと思った。 ふわふわの毛布は赤ちゃんを優しく包んでくれる。 この子に似合う色をした果物を入れてくれたアシスタントYuuko。 シチュエーションが自然と私にシャッターを切らせてくれた。 かごが好きだということを教えてくれた。 だから撮れた。 「あなたがだれなのかを知るということ。」 寄り添っていける写真を撮りたいと思った。 アシスタントがカメラマンに寄り添ってくれるように、 みんなで撮ったこの写真が好きだ。
妹
2011/11/29
0
恥ずかしがりやのお兄ちゃんを明るい彼女がひっぱっていました。 対照的な二人だけど仲良しで、 なんだかドラマの登場人物を見ているような気さえしました。 好きな子いる?って聞いたら、恥ずかしそうにいるって教えてくれました。 その後にお兄ちゃんとどっちが好き?なんて質問をしてみると すぐにお兄ちゃん!という言葉が返ってきました。 もう大きくなってシャイだけど優しいお兄ちゃん。 そんな彼に大丈夫だよーと言わんばかりに、明るい笑顔で和ませてくれていました。 私は一人っ子で、それはそれで良かったと思っています。 でも、いろんな兄弟に出会うたびに、兄弟がいるのってなんだか羨ましいな。 と思うのでした。
3歳
2011/11/28
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「一緒にくだもの屋さんしようよ。」 3歳の誕生日を明日に控えた彼女は、お喋りで、ちょっぴりお姉さんのようだった。 ほっぺた、まつ毛、輪郭、口に鼻…。 彼女をつくりだす、そのひとつひとつが、 光に包まれて、とても愛おしく感じられた。 3年前は、まだ赤ちゃんだった彼女…。 今は、自分でなんでも出来るし、お喋り上手な彼女。 私達の感じる3歳より、ママの感が感じる3歳は、 きっと物凄く、大きくて大切なものなのだろう…。 彼女の優しさや、柔らかさを感じたその何気ない一瞬を、切り取りたいと思い私はシャッターを切った。 3歳おめでとう。
冒険
2011/11/28
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変化をしてやる!というあるカメラマンの情熱に刺激を受けて、お客様に着替えていただくための仕切りのカーテンでの撮影をした。 撮影する場所だとは考えたことは一度もなかったし、しようとも思わなかった。 乱雑なものをどう整理しようかと悩んだが、すべて写すことにした。ドレスとカーテンのシルエット写真は美しい写真が撮影できるのだが、私は冒険した。 対照的な要素をすべて入れることで、被写体の存在を浮き上がらせるような効果はないだろうか。コントラストは光だけではなく、写っているものにも対照的というコントラストがある。 そう考えてすべてを写すという冒険をした。 冒険は自身の可能性を格段にグイッと引き上げてくれる。 冒険するには想像力とちょっとの行動が必要だと学ばせてくれた。
ロングアイランド・アイスティー
2011/11/28
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正直に言って、彼女のコンディションは、 このとき、それほどいいものではありませんでした。 私は下手に近づいて、これ以上彼女の機嫌をより損ねてしまうのが怖くて近づけず、 口も利かず、息を殺し、距離を保ち続けました。 長く撮影していると、こういう撮影はよくあります。 だけど彼女はお化粧をしている時や 髪の毛をきれいにしてもらっているときは、 とても嬉しそうにしていたというのです。 だとすれば原因は私だったのでしょうか? 女心と秋の空。 言葉にしてしまうとそれまでですが、 子どもにだって意志はありますし、笑いたくないときはあるでしょうし、 気分が乗らないときがあるのでしょう。 撮影の後半になってテンションが上がる子もいますし、 後半になっても上がらない子もいます。 男の人が苦手だったり、大人の人が苦手だったり、 人間ですから、子どもと言えども仕方ない部分もあります。 だけど、そこから何を見出すことが出来るのでしょうか・・・ そういうときに仕事をしてこそ、 カメラマンとしての真価が問われるのでしょう。 一枚でも多く、彼女をとらえ、彼女を残せるように。 私は、彼女の中にある、 「私の目には見えない、彼女の考えや想い」 「心の壁」 「簡単に心を許さない強さと意志」 そんなものを表現するために、 画面の半分以上を暗くし、 髪の毛をいじる彼女に、声もかけずにシャッターを切りました。 コントラストを上げ、よりダークな印象を演出しながら。 笑顔の写真も何枚か撮れましたが、 私は、この日の彼女のこの表情と、 自分の心情とがある意味で一致したこの一枚の写真が、 とても深く心に残りました。 何度も唇を噛むような歯痒い思いをしたのですが、 それはきっと彼女も同じなのでしょう。 写真を撮る方も人間で、撮られる方も人間。 ロングアイランド・アイスティーのように 見た目はアイスティーのようでも、 目ではわからない、 確かめてみなければわからない、 思いのほか強く後に残る刺激を、感覚として思い出しながら、 私は何度もこの写真を見返し、 その度に次に会う時は彼女がどんな風な女の子になって来てくれるのか、 楽しみにしているのです。
個人
2011/11/28
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この兄弟写真は「それぞれの人生を歩んでいる」ということを表現したかった。 主役を惹きたてるために背景をどうするのかを考えるのが写真の常だが、3人に「今なにをしているんですか?」ということを聞いたら3人ともまったく違う人生を歩んでいること知り、3人とも主役として撮影しようと思った。 そのためには、主役と背景という概念にとらわれずに、すべてが主役である。ということを意識して撮影をした。 そして写っているそれぞれの被写体対して、自身がもつそれぞれイメージを表現しなければならない。 プライバシーためあまり多くは説明できないのですが、なぜこのような撮影にしたのかをがんばって説明してみます。 この写真のポイントは、縦のライン(人物配置)とそれぞれ被写体のポージングです。 兄弟の構成は、長女、長男、次男であり、長男の成人お祝いで撮影にきてくれた。 手前に写っている長男には、成人のお祝いで時計をもらったということを聞いていたので、大切な時計に少し目がいくようなポージングをして、主役の中の主役になるのでカメラ目線にした。 二番目に写っている長女には、縦写真の活かすためにどうしても人物配置や構図では不十分だったので、右手で縦の要素を加えて、もっと縦写真にラインを与える。 三番目に写っている次男には、まだ大人のようにスーツを着こなしているという感じではなく若いという印象だったので、ネクタイを直すようなポージングをした。 そして「それぞれの人生を歩んでいる」というイメージに沿って、それぞれ違う方向に視線を不統一させる。 人物の配置は、東京タワーを縦で撮影するのが自然であるように、下の空間から上に目がいくような配置と、東京タワーのような三角形が望ましいと思いました。
認識
2011/11/28
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妹ができるとき、 お姉ちゃんになるとき、 自分はどんな気持ちだったのだろう。 不安、期待 嫉妬、愛情 … とても複雑な気持ちだったに違いない。 子どもたちは、 ママのお腹の中の赤ちゃんの存在を、 どうやって認めているのだろう。 1年前にも遊びに来てくれたSoumaくんは、お兄ちゃんになる準備ができているようだった。 まだ目には見えない赤ちゃんに、“どうぞ”をしてくれた。 子どもたちは、感覚で知るのかもしれないな。 命の存在を。
距離
2011/11/28
0
社長とスタッフで撮影しながら散歩に行った時の写真が印象に残っていた。 人物ぎりぎりまで近づいて撮影する姿、そして撮影された写真を見て驚いた。 ここまで寄っていいんだ、と。 人は、ここまで、という距離があるらしい。 なんという距離という名前か詳しくは忘れてしまったけれど、 その距離が大丈夫だと感じる距離が、その本人と相手によって違うらしい。 写真を見て、その中で信頼関係が写真に表れていると感じていた。 写真に写る人々の関係、写真を撮る人との関係。 11月のクローズアップという課題の中で、表情や仕草に集中することももちろん、どういう条件で撮影するかを考えた。 望遠レンズで被写体との距離を置きながらも最大に被写体に寄っていき、距離があることで生まれる空気感を捉えること、 または、広角レンズで自らが被写体ぎりぎりまで寄って人物との関係を捉えること、この2点を意識しようと考えていたのだが、(標準レンズという選択もあったが、今回はあえて望遠か広角での接写かで考えた。) そんな11月のタイミングで湘南店の望遠レンズの調子がことごとく悪くなり修理に出していたので、後者の自ら寄っていく、という撮影に集中した。 そうした時に、社長の写真を思い出した。 この写真は、その社長が撮った写真の真似である。 「学ぶ」という語源にもなる「真似ぶ」ということを、わたしは撮影で行い真似をしてみた。 初対面のご家族。 距離感を考えた。 3人の距離に入り込むため、近づくことによって気になってしまうであろうカメラと私の存在をなるべく気にされないように、 お父さんとお母さんには、最愛のお子様にぎゅぎゅっと集中してもらい、 内心「おじゃまします•••」となりながら、ぎりぎりまで寄っていった。 フレームからはみ出るようになりながらも、ご両親に守られるbabyの存在感が際立ったように思う。 クローズアップ。 どう近づこうか、どう切り取ろうか、 より考えていく時間となった。
光の微笑
2011/11/28
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ずっと待っていた瞬間が訪れたようだった。 親御さんの大人っぽい写真をという言葉とは相容れない程の無邪気な笑顔を携えた少女。 言葉を発することなく、深とした空気を作る為に身振り手振りだけでポーズを支持するも、遂に笑いを堪えられなくなってその空間が笑い声で満たされる。 そんな魅力を持った女の子だった。 この子とであった時、不思議と僕は、今日自分はここにフォトジェニックを撮りに来たと感じた。 一瞬で彼女の魅力に引き込まれたのだろう。 溢れ出る笑顔とそれを抑えた時の凛と張り詰めた表情。 その均衡はまるで針の先の様な刹那を感じるようだった。 今まで研究し続けていたライティングをこの撮影で試みようと思った。 被写体には直接光を当てず窓からの弱い自然光だけで表情を描こうと。 しかしその思惑は外れ、時間が光を奪うように外は暗くなっていった。 そして光を変えた。 キャッチライトを入れる為に点けていた光もすべて消し、壁に当ててバウンスされる逆光のみにした。 白い部屋でわずかに回る光と逆光による輪郭線をなぞるハイライト。 小さなその手で首に巻いた毛皮の襟巻を掴んでもらい、そこに視線を落としてもらう。 手と横顔と光だけで作った一点に集中させることだけを考えた。 彼女が表現してくれる、こちらの想像力をかきたてる様な小さな女の子の心情が表情から読み取れるように。 それが表現される為に必要なもの以外は排除した。 6歳の女の子に感じる大人の雰囲気、その表情に残るあどけなさ。 僅かにほころぶ口元。抑えられた静かな微笑。 左に大きく開けられた空間は上記した凝縮された一点の反動のように、集中させられたエネルギーが解放される様に広がる。 二つの空間が画面の中で対比し両立する。 先日、アップしたフォトジェニックも横顔を写したものだったが、僕は今、横顔に魅せられているのかもしれない。 今回撮った一枚はbabyの横顔とは全く質の異なるものだが、なぜ横顔を選択したのかについても考えてみる。 今回のライティングは逆光、正確には半逆光くらいの角度だが、逆光の一番の効果はやはりアウトラインのハイライトだろう。 人間の顔を逆光で写す時、顔の表情ではなくそのアウトラインの表情が一番現れるのが横顔なのではないだろうか。 額、鼻筋、口元、顎と凹凸があり、それらが生むリズムが小気味よく光で露わになる。 この写真の場合、半逆光の為、目元と頬のラインにも同じ効果が表れ、よりその魅力を感じる事が出来る。 しかし横顔ではその人の表情が不鮮明になり、イメージが曖昧になってしまう。 その為に手元を写す理由が出てくる。 目線を落とす目的地を設ける。それが今回の場合、「手」になる。 襟巻を手で掴むという仕草に目線を落とす事によって、仕草と表情に繋がりを与える。 僅かなそれだけの行為が、光によってほんの少しだけ描かれた目元の表情そして口元の表情へと繋がり、僅かな表情の表現を補っていく。 そして一つのイメージとして繋がっていく。 イメージを決定づける要因として大きいもう一つの要素として色についての考察だが、まず、彼女の個性とも言える明るい性格、 そして零れる笑顔から考えると、やはりここは暖色を選ぶ事になる。 身に付けた帽子と光に透けた髪の毛の色がどちらも茶系の色味。 全体的に影の占める領域が多いこの写真でも暖かみを感じる事が出来るのは、この色による要因と、この子が優しく笑みを浮かべているからではないだろうか。 また、毛皮のふわふわな素材感もそれを手伝っていると考える 横位置でこの一枚をフレーミングした理由は上でも述べたように、沢山の要素を望遠気味のレンズで圧縮、集中させると同時に開放感を感じる空間を作り出したかったから。 それによってイメージが無限大に拡がって行くように描きたかったからである。
姉弟の肖像
2011/11/27
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2人はとても仲のいい姉弟だった。 僕には2つ下の妹がいる。 兄弟写真を撮る時に時々その妹と自分の姿がオーバーラップする時がある。 この2人に向かい合っている時もまさにそうだった。 自分達は目の前の2人のように仲の良い兄妹だっただろうか。 自分はこの女の子のように優しい兄だっただろうか。 兄弟写真はその性質上、とても難しく感じる事が多々ある。 目線を合わせる。 表情を合わせる。 位置を合わせる。 等、当の被写体には全く関係の無い、撮影者としての制約がこの他にも山のようにある。 この2人はその山をその優しい関係でゆうゆうと乗り越えさせてくれた。 歳が離れた姉と弟。 きっと弟がかわいくて仕方がないのだろう。撮影中もそれ以外の時間も弟を優しく気遣っていた。 弟もその姉の優しさを理解し、姉のソロ撮影にも寄り添って行くようなそんな信頼関係が築かれていた。 この2人を前にし、恥ずかしい事に僕は何もできなかったのだと思う。 僕が何かをしなくてもそこに美しい姿で存在していたのだから。 僕に出来たのはやさしく寄り添う2人の姿を一番強く感じられるフレーミングで切り取るだけだったのかもしれない。 この2人から感ぜられる信頼関係を言葉で的確に説明できない自分の力量の無さを感じる。 兄弟写真はカメラを向いた2人の笑顔がしっかり撮れていればよいというものではないと思う。 もちろん、その写真は必要な一枚ではあるが、兄弟の関係性をどれだけ感じる事が出来るかという事がポイントになると考える。 仲の良い兄弟、悪い兄弟、お互いに感じる照れや恥じらい、ふざけ合ってとりとめのない様子、弟や妹の存在が愛おしい気持ち、生まれた時には既に当たり前に横にいた兄や姉に向ける無条件の信頼、またはライバル意識。 兄弟の数だけ、それぞれの姿がある。 それをどれだけ撮る側が理解できるか、そしてそれを適切に誘い、表現するか。 この写真を撮ってから兄弟写真を撮るときには特にその部分を意識しているように感じる。 兄弟写真はこうでなければいけないというセオリーは撮る側が決めるものではなく、目の前の兄弟から教えてもらえる事なのかもしれない。
Close up
2011/11/27
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今月の主題であるクローズアップ写真。 クローズアップ写真は、ただ顔を画面いっぱいに大きく写すものだと思っていた。撮りながらいろいろ工夫をしてみると、「バランス良く四角の画面いっぱいに満たす」ということは簡単ではなかった。 過去に撮った自分のクローズアップ写真をよく見ると、もうこれ以上近づけないくらい近くで撮っているにもかかわらず、無駄な余白が目立っていた。 今月はその理由を探りながら、手を加えたり、小物を加えたり、望遠レンズ、標準レンズを使ってみたり、いろいろ試してみた。 すこしつかんだ手ごたえとしては、良い光を見つけたら、なるべく空白を埋められる手または小物、背景などのポイントを見つけることと、適切な高さで近づくことだ。 そしてどんな状況でも、被写体の目をカメラのレンズに向かせる技術が必要だ。 望遠でさらに近づくと、人物の目に引き込まれそうなインパクトを与えられるし、被写体との間に何かぼかしを入れてあげると、さらに立体感が増して人物が際立つ。 また、クローズアップ写真は、限られた時間で多様な写真を撮るための、ただひとつの手段というだけではなく、その写真を見る人がよりダイレクトに引き込まれる写真、写真を見る人と写真の中の人物の距離がより短縮される、そんな写真ではないかと思う。 クローズアップ写真、まだまだ課題は多いが今後も積極的に撮っていきたい。
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