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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
想像から創造へ
2014/6/30
6
暖かい光に包まれた少女は瞳を閉じながら何を思うでしょう。花の前ボケは柔らかい印象を与え。ドレスは少女の夢を物語ります。閉じた瞳と、笑う口元は想像力を掻き立てます。写真を撮る上で重要なイメージ。国分寺の大きな窓から降り注ぐ太陽の光の中で、どう撮れば最大限にイメージに近づけられるのか、考えていました。想像頭の中でイメージを思い描く創造イメージに形を与える想像し創造するベクトル。想像がまずありきで、創造のプロセスを経て、写真は生まれていきます。そこには、想像するときに源泉となるものが必要になります。この源泉が広くて深いほど、想像し創造するベクトルが生まれやすいと考えます。スタジオで日々撮影をし、自分の写真を分析し、インテリアを理解する事は、写真を撮るうえで重要なことです。この行為は、技術を磨く事だと私は考えます。ここに想像と創造を取り入れたものが写真を撮る上でとても重要なことであると、改めて感じました。Photo by Matsukawa codi by Yamamoto at Kokubunji
光のインスピレーション
2014/6/30
0
青山店にはスポットライトがついている。今まで私の撮影の中では部屋にあるライトとして私の中ではインテリアの一部として見ていた、、、それでしかなかったように思う。それをいつもどこかで活かしたいと思いつつなかなかうまくいかなかった。今月は青山店でライティングを主に取り組むことにしていたのでスポットライトを活かして撮れないか、、ああでもないこうでもない。たどり着いた答え。 「スポットライトの赤みを活かして......」洋服の小物の色を見たときこれだと思いました。撮影をしていると時々あっとひらめく事があります。 この日もスポットライトを使って撮影していこうと決めたけど、、スポットライトの高さは結構高く、被写体との距離がありすぎる。スポットライトは固定なので、被写体に高さをだし、程よく光源があたるように被写体の後ろにある窓は黒い布で覆い光を制限した。それによってスポットライトの並びにある窓で顔の輪郭をスポットライトは小物の赤い帽子にあたるように被写体の立ち位置を調整した。 Photo by Kajiwara codi by Onodera at Aoyama
Like A Girl
2014/6/29
0
ウェーブした長い髪。なにより彼女にぴったりで一目見てすごくかっこいいなと思いました。 女性らしいという言葉を聞いた時に想像するのはどんなものですか?きっとかわいいもの、かよわさなどが想像されると思います。しかし女性らしさはスカートをはいたり、かわいい服を着ているだけではありません。強かったりかっこいいということも女性らしさに入ると思います。そして何より自分らしくあることが大切だと思います。 この撮影で女性らしさの表現方法、多様性を教えてもらいました。女性らしく生きる。 Photo by Shiiba codi by Suzu at Kokubunji
「動」
2014/6/27
0
urayasu photo by Koide, coordinator by Okamura私たちが何かを説明するときに、一方向からではなく様々な方向から物事を説明することが出来ます。「色」という視点から、前に掲載した「静」と同じインテリアを使い、前回とは異なったイメージを説明してみます。 同じ空間であっても、コーディネート、ポーズ、撮り方で印象が変わります。今回、この場所で私は、広がりのある「動」の写真を撮ることにしました。そのため、白と青にアクセントカラーとなる赤い衣装を足し、動きを強調させました。 赤色は生命、活動的、情熱的というイメージを持っています。冷静な青色とは反対に、神経を興奮させる、元気を出すという効果もあります。よって、赤を入れることで青と白の空間に活発な印象をプラスさせることが出来ました。 以前、あるカメラマンが「幾何学を多用したこのインテリアの核心部分を広がりを持って写すためには、広角レンズが適している」と言っていました。ではここで広角レンズを使用するために、どんなポーズが適切なのでしょうか。より幾何学を歪ませ広角レンズの効果を発揮できるためには・・・。撮影に入る前にコーディネーターと話し合い、私は寝転ぶポーズを選ぶことにしました。撮影前のこの作戦会議。立場が逆になってもそれは変わりません。全ての効果をより活かすために、コーディネーターが目線を誘導しました。 いつも私の隣でカメラを構えている人が、被写体と私を繋ぐ。いつも一緒に撮影に入り、カメラを構える彼女がコーディネーターであり、私がカメラマンであるという逆の立場。 今まで一緒に作り上げてきたものがあります。それを互いに共有し真に理解しているからこそ、立場が逆になっても変わることはありません。 新しい関係が、動き出しました。
「静」
2014/6/27
0
urayasu photo by Koide, coordinator by Okamura以前から言われていたことがあります。私がカメラマンだったら一緒に入るコーディネーターは緊張するだろうと。 長年コーディネーターを勤め、本当に沢山の写真を見てきました。浦安店の玄関のインテリアの特徴も、浦安店のカメラマンたちがそれをどのように撮影しているかも。私はずっと見てきました。だからこそ、それから生まれる数多くの写真の中に、目標とする写真がありました。私がそこに足を踏み入れることは新しい世界の始まり。緊張感、高揚感、様々な思いがありました。 私はコーディネートに対する哲学を持っています。そしてそれを真の意味で理解してくれている人がいます。撮影において、カメラマンとコーディネーターの関係性の重要度は撮影者は誰もが実感しているでしょう。互いに信頼し、理解し、だからこそ一緒に作り上げていける関係性を。 以前、「色」について報告書をまとめ、発表したことがあります。配色の種類、色の分量、イメージや効果的な使い方などです。浦安店の玄関は白と青のコントラストがはっきりとしていて、インテリアと衣装の色使いを整理することができます。シンプルな白いワンピースと、あえてアクセサリーは付けずに、カールが特徴的な彼女の髪を活かしたヘアスタイルは、より一層彼女の魅力を引き出してくれました。インテリア全体像の中に居る彼女を見て、それを把握したコーディネーターはドアと同じ青色のギターを何も言わずにすっと渡し、色の統一を考えてくれました。 この写真はインテリアを広く写し、青と白を印象づける「静」をイメージした写真です。青色には、冷静、若い、爽やかといったイメージがあり、興奮を抑え冷静にさせる心理的作用があります。つまり、知性や冷静を感じさせてくれる色です。玄関に立つ彼女にギターを持たせ、何も言わずに視線を落としてもらうことで色の持つイメージだけでなく、そのポーズや表情からも「静」のイメージを引き立てました。 適度な明かりを入れるために、少しドアを開けることにしました。被写体よりも後ろから光を入れることによって、彼女の顔にきれいなグラデーションが落ちています。手前に立たせた彼女には特に光を当てず、主体である彼女自身を少し暗く重みを持たせた色合いにしたのはもちろん、「静」を表現したかったからです。 「静」を表現すべく用意し提示した要素。そして、色を理解したうえで整理された色。 整理されているものは心地がいい。心地のいいものには、理由がある。理由があるから、説明が出来る。 私が目指す写真が見えてきた気がした。
『自然に不自然に』
2014/6/27
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Photo by Ryo / Coordinate by Misatoin Yokohama Aoba その瞬間何をテーマに写すのか。うつむいた顔の写真やカメラ目線など顔の向きや目線で写真のイメージは大きく変わってきます。フレーミングが狭くなればなるほど表情や顔の向きなどで写真のイメージを作って行きます。写真は不思議で、構図が広くても狭くても表現の幅は狭くならないように感じます。 少し見上げ、目を閉じた表情。自然な状態ではあり得にくい不自然なこの状態ですが、この子の特徴は最も表現されているのだと思う。ありのままでは出きらない子供達の魅力の一部は、作る事でその姿が見える事も有ります。作る事は写真にとってとても重要な事だと思います。しかし作る行程に無理が有れば、子供達はその先の姿を見せてくれません。可能な範囲で最もベストな瞬間を、時間をかけることなく、自然に導く事が私の理想です。不自然である事、それは写真や子供達にとってマイナスに作用しなければ、イメージの創作として可能性をくれるのだと思います。
光と戯れる少女
2014/6/27
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「時をかける少女」ならぬ「光と戯れる少女」。。。6月中旬。時に16:00頃。わずかな時間だけ、このように差し込む光を見つけ光と戯れる少女。普段はライティングに頼る部屋であるが今回の照明は自然光のみ。イメージとしては、どこかに出掛けるであろうおめかし服に着替えたはいいものの遊び心を止める事ができずに光で遊んでしまう、そのような一面を表現しました。円やカーテンをシンプルに付け足すことで「遊ぶ」を表し、走らせることで子どものいたいけな表情を出すことを目的としました。光遊びはこの1枚では表現し尽くせないが、この1枚から膨大な遊びが思い浮かばないだろうか?この1枚はそのごく一部に過ぎない。Cam:Sakakibara Codi:Kaneko
【成人写真2 写真分析】
2014/6/23
3
photo by okamura (studio: shinyokohama)【成人写真2 写真分析】 いつからか、雑誌の見方が変わった。いつからか、絵画の見方が変わった。それはどうやら、ポイントを設定することから始まったようでした。ビジュアルイメージに触れる際、一つ共通のポイントを常にもって物を見ていると、様々なことが見えてくる。そしてそれを分析していく作業が、非常に面白い。 それは撮影においてもそうである。自分は何に重きを置いて撮影をしていくのか。抽象的な感情面はもちろん以前から携えていたつもりだが、具体的な技術面はどうなのか。それを今回記述することにしました。「カメラマンとして自分の写真を分析、具体的に説明出来ること」これも近年、私の中でのポイントになって来ている。 いつからか撮影においても、その都度ポイントを置くようになりました。今回の成人二人の撮影においては【2人の距離感、トリミング、そして一人を抜いても画になること】以上3つを三大ポイントに設定しました。もちろん、前回載せた【成人写真1 写真分析】での単体成人写真で述べている留意事項も活かした上での今回のポイント設定です。 ポイント① 被写体2人の距離感。子ども同士やカップル写真と違い、距離感をとても意識しながら撮影しました。ですが、一概に距離感といっても、そこには色んな「距離感」がありました。 ・単純に立つ位置の距離・お互い目線の位置を変えることで生まれる、精神的な距離感・2人がそれぞれ、まったく違うポーズ を取ってみても、その距離感は表現することが出来ると思います。 ポイント② トリミング。成人撮影の際には、身体をどこまで入れて、頭をどこで切るのか。特に細心のバランスを考えながら果敢なトリミングに挑戦していきました。子どもと比べると、胴も脚も長いため、頭の先からつま先全身を入れての圧縮トリミングは、写真が間延びする危険性をはらんでいます。その上、身体がブツ切りにならないよう、四肢の切る位置を気をつけながらトリミングをしていきました。 ポイント③ 1人抜いても画になること。成人二人の撮影でしたが、ポージングは単体としても成り立つようにポーズをつけていきました。足元から順に上へポーズを固めていきます。動作のきっかけになる関節部分に気を配り、被写体が無理なくポーズがとれ、なおかつ全体の動きが見るものに違和感がないようにとバランスを考えながら決めていきました。 もう一度写真を見てみる。既出の3つのポイントを踏まえただけで、分析を解読する3分前とすでに写真の見方が変わってきてはいないだろうか。 全てのものには理由がある。理由があるから説明が出来る。説明の出来ない写真から卒業したとき、見える世界は変わって来るのではないでしょうか。
【成人写真 写真分析】
2014/6/23
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photo by okamura【成人写真 写真分析】成人のポージングを研究していく中で、よりポージングに集中する為の、写真の構成要素を考えています。まずは衣裳。写真にした際に、ポージングや身体のラインに目がいくようにするたに被写体にはスキニーパンツと、比較的シンプルな服を選びました。シルエットを奇麗に見せるには、ヒールも必要だと判断しました。写真を見れば明確ですが、構図にもこだわって撮影をしています。今回ポージングに集中するために利用したのは、圧縮の構図です。余分なものは排除して、より被写体に目がいくようにしています。 次にポーズをとる際の注意として、ポージングの際には下から順に固めていくことを心がけました。理由は、足元、膝の位置、腰の角度、肩の角度、そして顔といったように、下から順に固めて行くことによって、被写体に無理なくポーズをとらせることができるからです。次に、動きのきっかけになるポイントを決めること。ポイントというのは、関節部分や、写真にしたときに身体の流れを作るきっかけの部分です。肘や、膝などの屈折部分がそうです。ポイントの設定が写真を作るうえで重要な要素になってくるのではないでしょうか。 また、立ちの写真では膝を出来るだけ合わせません。それには理由があります。膝が合わさって、脚が2本揃ってしまうと、写真にした際に、ひとつの重い固まりになってしまい、動きが出づらいからです。あとは、重心をかける部分を明確にすること。そうすることによって身体全体の傾きであったり、動きが決定して来るのです。被写体には、前に傾いてもらったり、腰を横に突き出してもらい、一番自然に見えて、丁度いい場所でストップをかけています。 そして、手の行き場の設置。置き場の無い手は、写真全体をぬるくさせてしまいます。なので、手は必ず、何かを掴むか触れるか、置くようにしています。 このように、普段の撮影では行っていなかった+αの表現を徹底して行っていくことで、よりポージングの完成度は上がって行きます。 この成人写真の基礎を土台として固めておけば、被写体が子どもであっても有効に活用することができます。固定概念に縛られない自由な子どもは、ある程度固めてから動いてもらうと、大人以上に自然且つ、計算と偶然性の両方を含んだ瞬間を私たちカメラマンに見せてくれます。
ハプニングの産物。
2014/6/23
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私は感情が剥き出しになる場面が好きです。感情が表情を作り出し、声となり、人と人との関係を表してくれるものだと思っています。人の中から一番最初に湧き出てくるものが感情です。感情が溢れ出る場面は多々ありますが、その中でもハプニングが起きた際に人は感情を大きく表します。不思議と人はハプニングが起きた際に笑うことが多いです。どういう理由はでそうなるのかはわかりませんが、特にこのハプニングから生まれる笑いが好きです。ハプニングには第三者を楽しく幸せな気持ちにさせる力がある。ここには楽しく幸せな気持ちな感情が生み出す関係性がある。この感情の元は愛情なのだろうか?いつかこの写真がこのご家庭の想いで話になってくれることを願うばかりです。 shonan photo by gomei codi by sanada
タイミング
2014/6/20
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同じ場所で撮り続けていると自分は新しい写真を撮ろうとするけど、いつの間にマンネリ化してしまう可能性がある。写真もそうだしコーディーもそうだと思う。もちろん被写体は毎日来るかわいい子供たち、顔もその子が持っている雰囲気も違う。子供をよく観察していろんな表情、動き、遊び方などを75カットの中に残したいと私は思っている。撮影をするとき同じ場所に座らせて、同じライティングをして撮影をすることもある。でも私が作るのはそこまで。そこからはその子の動きに合わせて写真を撮りたいと思っているし、そうやって撮っている。 青山店にあるキューブ背景をどうやったら活かせるか。いつもの悩みだった。自然光が入ってない場所なのでライティングを組んで撮影するしかない。子供をどこに立たせれば写真が綺麗に撮れるか。キューブの意空間な感じをどうやって活かしたらいいか。この子の動きに合わせて部屋を一緒に動き回ってた。一瞬ファインダの中にいつも気にしていたキューブが入ってきた。天井まであるキューブを移したくて少し下からあおってシャッタを切った。 Aoyama Photo by Serin, Codi by Kajiwara
共に成長していく
2014/6/18
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Photo by YANG Codi by Hara SHONAN一年一回の二時間がどれだけ大切なのか今日は楽しかったとまた会いたいなと思ってた子供がもっと大きくなってはいはいしてた子が走り出して赤ちゃんの時人見知りが酷かったの子が時間が経ってニコニコしながら自分の名前を言ったり3人の家族が四人になって来た時4人の家族が5人になって来た時七五三を撮ってた子が入学の写真を撮りに来たりマタニティを取ってたママさんの赤ちゃんが生まれて次赤ちゃんを見た時すべてすべてが私には感動で本当に感謝する時間でもある。そして成長した子どもや赤ちゃん達をみたがら恥ずかしい大人になるといけないんだなと子供達と共に成長していきます。
『SPACE』
2014/6/15
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Photo by volvo/Coordinaite by shinohara in Shinyokohama 私はカメラマン、コーディネーター2人のベストな関係性を「変化する噛み合わせ」のような関係だと思っています。 私達は撮影によって出来る事が異なりますが、最善を尽くす事は変わりません。しかしもし2人の関係性が変化の無い「噛み合わせ」の関係だとすれば、うまくいっているときはいいけれど何かがあってどちらかが力を発揮しきれない時に「噛み合わせ」が合わなくなります。 撮影者も人であり、被写体も人です。常に同じように成される事はありません。その時々で凸にも凹にも変わっていきます。 今回の撮影は私には出来なくて篠原さんには出来る事がたくさんありました。話し合ったわけではないですが、何かをきっかけにこの撮影に関するお互いの役割が規定されました。 それはいつもとは違う形の噛み合わせでした。私達が組む時のいつもの噛み合わせを想定し実践していれば、きっと撮影全体が噛み合なくなっていたと思います。 前にも書きましたがこの関係性はカメラマンとコーディネーターで分けるものではなく撮影におけるベストを実践する為の状態と言えます。もしカメラマンとコーディネーターで役割を区切ってしまえばベストを尽くしたとしても補えるものが少なくなり不完全燃焼になります。 カメラマンとコーディネーターの関係性は常に議論の対象となりますが 本当の関係性とは「カメラマン5、コーディネーター5の合わせて10」 なのではなく 「2人で10」を作り出す事ができる空間だと思っています。 だからいつも空気も写真も満足してもらえる撮影が提供できるのだと思っています。
凛と
2014/6/14
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Photo By Rolly coodi By Kazumi in Shinmatsudo私が小学生のころ近所のお姉さんにあこがれてすこしだけ背伸びをしたくてこっそり母のヒールをはいた。 その時の高揚感。ちょっとだけいけないことをしているような気持ち。 バランスをとるのが難しくてすぐにころんだけど足をいれる前と後で自分の中の気持ちが少しだけ変わったのをおぼえてる。 『赤いグロスをぬっていい?』『うん』 そんな魔法を撮影前にかけて。 手もとってもきれいな女の子だったから加えたアイテムのバック。やわらかい光のグラデーションが彼女を包む。 表面的なものだけでなく内面の美しさ、高揚感をひきだすコーディネート 私の最近の主題だ。
一歩前
2014/6/6
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差し込む光を美しく写したいのか?、それとも被写体を美しく写したいのか? よくこんなことを考えます。勿論どっちも美しいのが理想なのだと思います。ただこのように問いを投げかけるのは、被写体と素材(光、インテリア、衣装etc)のバランスが、被写体<素材、ではなく、被写体>素材という写真を望んでいるからだと思います。素材はあくまでも素材…、それは被写体を美しく表現する為のもの。三年前の自分のブログにこう書いてありました。---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------光の読み方、美しい構図、被写体との距離、一つ覚えたらもう一つ。頭で覚えたものが体で使えるようになり会得していきます。頭の中にはイメージがあったとしてもそれを外に出すことが最初に必要なことだと思います。私もそうですが写真を撮り始めた時は何が良く何が悪いのか?そのように考えていたしそれについて悩んでいました。カメラマンになるまでに自分が写真を趣味として持ち合わせていたわけでもなく、写真の魅力に憑りつかれていた訳でもありません。私が写真を初めた時はそうでした。 だから特にそうだと思うのですが最初から正解(答)を探すことに必死でした。文法のように決まった言語配列が必ず存在するのだと、数学のように「解」を導くための決まった方程式が存在するのだと。必ずそのような導き方は写真の世界にも存在するしそれを早く完全に覚えようと躍起になっていました。勿論写真の世界にも決まり事のようなものが存在します。しかしながら国語、英語、仏語のようにそれぞれの分野での参考書が存在するものではありません。こと細かく分類されたものに対してこれだという絶対の方法というのが存在しません。ここまでは覚えたけれどもその先は、今ここまで来たけどこの先は…、本来の私の性格のせいかすぐに答を見つけようと必死でした。 このような考え方を持っている私は写真を撮るには不向きだと思ったこともあります。不向きというのか、ある種芸術の分野というのは自分の五感を素直に働かせ表現していくことであり、暗記ではないからです。「何かの本に書いてあったようなこと」、「誰かに言われたこと」は表現できている。ただそれだけでした。 正直それでいいと思っていた時期もあります。「慣れ」がきたのだと思います。多くのことを覚え、多くのことに慣れてきました。「慣れ」の怖い側面はそもそもそのような状態に自分が気づきにくいということです。何事もそうですが写真も同じで自分が撮る写真に慣れてくるとなかなかその先に繋がりません。 私は多くの先輩に写真を教わってきましたが、その一人の方が「写真は急に良くならない」と仰っていました。その時はよく分からなかったのですが今はそれを多々実感しています。その理由の一つに「慣れ」があるのだと思います。限られた環境の中での繰り返しの連続。新しく発見することが日に日に制限されてきます。発見をしないことに慣れていくことになります。そこから脱出する為には何か「特別なこと」を自分で取り入れ発見をしなければいけないと思います。写真を始めた時というのは自分が撮影した写真が良いのか悪いかを常に悩んでいました。今も勿論写真について悩むことはありますが幾分かその悩みからは解放されたような気がします。 今の写真は多くの素材で溢れていると思います。そういった素材が増えるとそれに頼りながら写真を撮ることに慣れてきています。「こうでなければ」、「あれがなければ」写真が良くないという話をする時があります。素材だけで写真が良くなった気がしてしまいます。しかしながら+αの要素を効果的に使用するのと、それに頼るのとはまた別の話です。その線引きは難しいかもしれませんが適切な判断を自分でしていくことがカメラマンには必要だと思います。 ---------------------------------------------------------------------------------------------------------------------------言葉が拙いので分かりにくいですが三年前も同じように考えていたのだと思います。素材はあくまでも素材。素材を重要視しすぎて、被写体の個が潰れるような写真というのは、被写体を無意識的に無視することに繋がります。被写体を美しく表現する為には勿論良い素材が必要です。ただそれだけに集中しすぎて本来の目的を失う可能性というのも私たちには多分にあります。素材だけが写真の中に氾濫すると、どこか不自然な、どこか人工的な香りが漂う写真がつくられていきます。素材>被写体、素材を活かすために被写体が存在している写真に。その判断も結局は相対的ですが、ただどのように判断されるかはさておき、撮影者はなぜその素材を使ったのかという理由は求められることになります。素材を無視すれば整理されない雑多な写真に、素材を重視すれば技術が第一優先された写真に。その配分がどの程度が適切なのかを撮影者である私たちは高い次元で意識することになります。その理由はつくられていない美しさを表現しなければいけないからです。 そう考えると結局はシンプルがいいのだと思います。シンプルであるということは被写体を活かす為の素材の量が適量だということです。素材を加えながら人工的と感じる違和感のある素材を取り除いていくことにポイントが置かれることになります。 「美しく表現する為に良い素材を加える足し算をしたら、その後はより自然に見せる為に引き算をする」。これが自分なりの公式であり、この完成度を高めていくことが今の自分の課題のように思えます。 つくられていない美しさ、これからも追求していきたいと思います。
二人は少女
2014/6/6
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肩に手を回してみて。足をばってんに組んでみて。もっとほっぺを近づけて。そして、笑ってみて。目覚まし時計の針を変えてみて。新しい朝が来ると思うから。
自由の条件
2014/6/4
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No.99 Yokohama Aoba HairMake&Coordinaite by Kaori Sasaki Photo by Volvo 先月のフォトジェニックで、ライフスタジオの撮影を「撮影者を常に能動的にするシステム」としその発展プロセスを強めるためのアプローチのひとつがハーフ成人式の本質であると書きました。 しかし、例えば塾に通ったとしても必ず成績が上がるかどうかはわからないようにどんなに良質なシステムがあったとしてもそれを誰もが活用できるわけではありません。私達がこの自由な撮影スタイルに一種の不自由を感じてしまう理由のひとつに「自ら条件を作る」ことが出来ないことがあげられます。 人は「変化」が起これば何かしらの成長がありますがそれと同時に「順応」を目指します。順応が成されていくと言う事は、マニュアルの無いはずの撮影にマニュアルを作り出してしまう事になります。 それは個人の中だけにある「自分のマニュアル」です。その内容は様々ですが、自分のクセや店舗の文化、よく見る写真や撮りやすい写真などです。決してこれが悪いわけではありませんが、もし自分のマニュアルだけを用いて撮影をしていくのであれば、この能動的システムは機能しなくなります。 つまりこの撮影システムを機能させる為には、私達が「条件」を作りそのプロセスを強めていく事が必要と考えます。そしてそれはまた「変化と順応」の戦いとなり、また新たな「条件」を必要とします。ハーフ成人式も例外ではなく、実践する事で一種の「変化」を起こす事はできましたが、私達はまた次のサイクルに入りハーフ成人式も変化していかなければいけません。そしてそれが何であってどうしていくのかは撮影者自身が条件を作り上げていかなければいけないと思っています。 もしその「変化と順応」のサイクルに「条件」を与え回り続ける事ができたならば、私達は初めて自由と言う事ができ、個性がその過程に表現されていくのではないでしょうか。新しい「条件」をこの写真に込めました。
愛と私
2014/6/2
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越谷店写真人に写真に自分自身に深く入っていきたい・・・ 愛するということとは何か・・・。 愛するとういうものが何で、どういう方法でどのような手段で愛を感じ確認することができるのでしょうか?自分という人間がどういう人間なのかということに最近やっと気がつき始めた今日この頃。本当の愛とはどういうことなのだろうかということを深く考えなければいけないという欲が強くなりながらも、正直方法が分からずに目の前の変化に追いついていくので精一杯な自分もいる。しかし、私達は同じ目標をかかげながら同じ屋根の下で毎日を生きている。今この時期に、この環境で、この仲間達とその目標を本気で追い求めていきたいという気持ちも日に日に増していく。だからこそ、様々な経験を通じて自分を知りながら私たちが追求する価値を実現させていきたい・・・。 一人で居ることに耐えられないということ。自分の孤独に耐えられないから相手を求めようとしてしまう自分がいる。しかし、本当は自分自身と深く向き合い自分の孤独に耐えなければいけない。自分の孤独に耐えられるということは、自分で自分を認めることが出来るというように例える事ができる。孤独を愛するということは自分を愛することができるということである。そして、自分を愛することが出来ない人にどうして他人を愛することができるのだろうか?一見それは他人を愛しているように見えても、実は自分を愛してくれる他人を求めているだけで、その人そのものを愛しているわけでは本当にないかもしれない。愛してくれるなら愛してあげる、なんていう計算が愛であるわけがない。だから、上記の問いにあるように、本当の愛について自分自身に対して問い続けなくてはいけない。常に問いを持ち、その問いに対して考え、自分と対話をしていくのです。ひたすら自分自身と語り合うことです。だから孤独というものは決して空虚なものではなくとても豊かなものであるということをもっと実感していきたいと考えています。そうやって本当の愛とは何かを追求していきたい。まずは、自分に問いかけ自我との対話を日常生活の中から心がけて生きたい。 愛情とは何か・・・。 例えば、私たちが犬やネコを飼っていてペットに対する気持ち、それが愛情の原点である。大切で愛おしくて居てくれればそれだけでいい。少し噛みつかれたり引っかかれたとしてもこの子のすることなら許しちゃうんだというように、ペットの全てを丸ごと受け入れて認めること、これこそが無条件の愛情だ。そう愛情というのは無条件であるものである。「無私の愛」、つまり、私にとってこんな風に得で、こんなふうに損だという計算がいっさい無い愛、相手を丸ごと認めて受け入れることができるのは、そこに「自分」がいないからだ。 では、そこに自分がいないとはどんな状態を指すのか・・・。 「忍耐」とは、自分の意識が忍耐をしなければならないことを創っているのです。本来、人は、忍耐・我慢をすることなく、いつも、そのままで楽しく、心の中になんの曇りも生じさせずに、サラサラと生きていくことが出来るのです。生きる過程で自分の心を偽ったり、頑固な意識が困難な状況を創りだすというようなことが起って、自分を主張するため、また、相手の生き方を認めないために、そこに意識の歪が生じてくるのです。従って、その歪みを上手く調整して表には出さずに我慢をしている状態が忍耐と言えるかもしれません。また、思うように進まない状況が生じて自分を否定する意識が困難を創りだし、忍耐を強いられているように感じている人もいるかもしれません。素直に自分の心を観じて、瞬間、瞬間に起きてくることに誠実に向き合うことをしていれば、忍耐・我慢という辛い状況を体験せずに生きてゆくことが出来るのです。つまり、自分を俯瞰的に見ることで自分のあらゆる意識をその空間から解除し、自分の利益を犠牲にしてでも、他人の利得を優先する利他的な状態を指すのではないでしょうか。では、無私の愛とは・・・。 無私の愛とは、自分を無くして自分以外のものに愛を与えることです。瞬間の出来事で何も考える間もなく行動して、結果、誰かを救済するとか、あるいは、それしか選択の出来ない状況で、決心して、自分の存在を考えることなく他者を尊重し認めるということは「無私の愛」といえるでしょう。しかし、普段の生活においては、まず、自分を大切にしていくことが重要になってきます。誰かの為とか何かの為にという前に、まず、自分自身の為に生きていくのです。なぜならば、自分が充分に満たされて、その状態を心に思い浮かべて静かに観察することが出来たなら、それは自ずと溢れて他の所へと注がれていくはずです。もし、今、愛を充分に観じられないと思う人がいたら、まず、そのままの、今在る自分を好きになっていくことが大切です。自分に評価を付けないで、そのままの自分を認めていくことではないでしょうか。大切なのは、自分を信じることです。「感謝」の心は、マイナスをプラスに一瞬で転じさせることが可能です。人は逆境からも、平穏な暮らしからも、常に何かを学び、成長し続けるようになっているということが本に書かれていました。怒り、悲しみ、辛い環境にあって、その状況を憎んだり怨んだりしても何の解決にも繋がりません。その苦難を渦中にあっても、心を騒がせることなく静かに見ていられたら、それは大変に素晴らしことです。そして尚、そのことに感謝の心で対応が出来たなら、これは全てのマイナス現象をプラス現象へと転じさせることが出来るでしょう。起こるべくして起こってきている状況は、その起きたことに感謝なのです。起きてきたからこそ認識することが出来て、進む方向が見えて来るのです。見えてきたら、後は、ただ素直に誠実に実行するのみです。そうしたら私達はどのような方法でその繋がりを証明していけるのでしょうか?私は、こう考えます。それが「写真」を通じて問い続けることができる場所がライフスタジオの中には存在しているということです。そして、そのような環境下で自由に撮影することができるシステムがあるということ。そしてその写真に対して、喜んでくださる人たちが多く存在しているということ。これこそが、ライフスタジオで働いて観じることのできる「愛」なのではないでしょうか?Photo by Ouchi codi by Katsu in koshigaya
驚き
2014/6/1
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この顔は、シャボン玉を吹いた時の表情です。こんなにかわいい顔をしてくれる何て私は嬉しかった。 子どもは、本当に純粋だ。 私は、初めてシャボン玉を見た時どんな顔をしたのだろう。自分では全く覚えていない。 そんな、純粋な気持ちを思い出したいな。 Mito photo by hina codi by mio
Cheeks of baby
2014/6/1
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柔らかな君のほっぺ パパの手。 ママの手。 ボクの手。
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