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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
かっこいい良い写真とは?
2010/8/31
0
何枚かの写真を持ってきて、こういう写真、かっこいい良い写真を撮って欲しいと言われた。 かっこいい、良い写真とは何だろう? 私の中でのかっこいい写真のイメージは雰囲気あるモノクロ写真でよりかっこいい写真に近づけるのではないかと思っていたが、この日はあえてモノクロではない形で表現したかった。 この写真は蛍光灯を一切消し暗い中、自然光があたる場所テーブルの線の先に彼女を置き、暗い所から明るい所へ光の明暗により置く行きを表現したく、そしてにこにことよく笑う彼女を、あえて笑わない表情で新しい彼女にすぐに目が行くように、存在を光によってより表現、強調したく切った一枚である。 何がかっこいいのか?を常に思いながらの撮影は私にとって試行錯誤の時間であったが、 極度のプレッシャーとの戦いと緊張感のある撮影で、何よりも私を成長させた挑戦であったと思う。 そして最後に、いい写真の定義とははっきりとした答えは私の中でまだ出てはいないが、人に、心に響く事が出来ればそれがいい写真なのではないかと思う。
お父さん
2010/8/31
0
この前 韓国に休暇で行ってきました。 家族と共に楽しい時間を過しました。 ところで老いていくお父さんの姿を見ると胸をしめつけられるような気持ちになりました。 そして一緒にいる時間もますます減っていくようで胸をしめつけられるような気持ちになりました。写真の中の子供の年齢に帰りたい気がしました。 あなたの心と私の心は一緒だと思います。 いつもあなたを愛します。
溢れ出たもの
2010/8/31
1
スタジオにやってきた時から、二人は親密で暖かい空気をまとっていた。 それは周囲の人達をも笑顔にするような、柔らかい愛情の粒のようなもの。 カメラを向けられ少し緊張する彼女に、旦那様はカメラの後ろからニッコリと笑いかけ、手を振っていた…そんな二人を見ながら私たちも自然と微笑んでいました。 この写真はそんな暖かい空気と二人の関係がそのまま表されています。 大きくなったお腹を抱え、母となる喜びから溢れる彼女の笑顔。そんな彼女と新しい生命を見守るように、後ろで微笑む旦那様。 二人の優しい表情は、写真の為の表情ではなく、自然に溢れ出たものなのです。 だからきっと私は、こんなに暖かい気持ちになれるのだろう。 被写体が持つ空気を優しい光とともに表現した一枚だと思います。
自然体。。。
2010/8/31
0
写真において自然体とは、被写体とカメラマンがひとつになる瞬間だと考える。 いつも、もっと自然な写真、より被写体に集中しながら撮影しようという考えを持ち撮影に臨んでいながら、フレームの四角形の中を埋めようとする考えだけになってしまう。 あらゆることを解き放し、からっぽにした時、新しい見方ができるのではないだろうか?
우리가 찍은 사진
2010/8/31
2
"촬영자와 어시스턴트와 아이들이 하나가 된 순간!" 한참 꾸미는거 좋아할 나이의 여자 아이들.. 어시스턴트가 만들어준 코디에 맞춰 원하는 위치에서 어울리는 포즈를 취하게 하고 거기에 반영을 이용한 재미를 더했다. 이 촬영을 하면서 다시 한번 느꼈다. 이 사진은 나만의 사진이 아니라는 걸.. 나의 생각과 어시스턴트의 생각과 아이들의 마음이 모두 모여 만들어진 것이다. 그렇게 하나가 된 순간 느끼는 쾌감은 말로 표현 할 수 없다. 그게 아마도 내가 사진을 계속하는 이유 중 하나가 아닐까?
光を掴む
2010/8/31
0
. . 「子供は親の背中をみて育つ」という言葉があるが、私は子供たちの背中をみて学ばされることがとても多い。 スタジオに入った瞬間、非日常を感じ取り「わぁー!」と好奇心を背中で叫ぶ子もいれば、急に知らない所に来て不安になり、その小さな背中をもっと小さくする子もいる。私は後者よりもっと強い、不安というより警戒心をむき出しにする様な子供だったから、この写真の男の子のような好奇心の塊を初対面の私に率直にぶつけてくれる子と出会うと、圧倒されてしまい、どんどんその子のリズムでシャッターを切る感覚を覚える。 . そんなリズムで彼の目線にたって撮影を進めていくと、いつも見慣れているはずの風景が新鮮な世界に見えて来た。「これは何?なんでここにあるの?」 「あそこにあるあの車には誰がのっているの?」彼の好奇心は尽きることがない。目にしたもの、触るものすべてが新発見であり、驚きである。ならば私は出来る限り、その好奇心にきちんと応え、その彼の世界に深さと奥行きを出すことに力を貸したいと思う。 . 「なんでここで写真撮ってんの?」彼が聞く。 「今ね、すっごい奇麗な光が差してるからだよ」と私が答える。 「なにが奇麗なの?なんで奇麗なの?」彼が聞いて、私はその強すぎる光にピントと露出を合わせるのに必死になって黙ってしまった。 その一瞬の沈黙に飽きてしまった彼がファインダー画面上から消えようとしてるのを察知した私は、「見てごらん!」と外を指差す。 「わぁ」と窓に張り付き、黙って外を見つめる彼の背中から、「奇麗だね」と聞こえた。その光は、本当に奇麗だった。 . . .
光で遊ぶ
2010/8/30
1
. . その日はとても日差しの強い日で、幾何学模様の窓枠の影が鮮やかに印象強く床に伸び伸びと落とされていた。 そしてその影は、白いキューブに座る小さなお姫様とカメラを手にした私により、単なる日常の部品から情景のモチーフへと華麗に転じることになる。 . 「何か」を見つけ、その対象を写真におさめようとファインダーを通して観てみると、景色を構成する物々がモチーフへと変化する瞬間を感じることが出来る。 その中で、幾何学な影と共にピンと伸ばされた彼女の足は、この写真に+αの表情を付けてくれた。 . 私はこの時、光の中で彼女との対話を純粋に楽しんでいた。 話す内容の度に動く、その足が本当に可愛くて可愛くて 目が離せなかったのを覚えている。 私との対話の中で、嬉しそうに足をピンとしたり、 恥ずかしい時は両方の足をクルっと絡めたり。 物々しいカメラの存在を思い出してしまった時には、 緊張と共にその足は下に下げられてしまったり。 その子供らしい一挙一動に、魅了されてしまった。 . . クルクルと変わる彼女の表情を、ひとつも見落すこと無く 拾い上げて焼き付けて、また新たな表情を見てみたい。 「撮影」というよりは、光の中で彼女と遊んでいる そんな感覚だった。 . . .
光の命令
2010/8/30
3
すべてに当たっている光量を考えて撮影しなければならない。 といっても実際は子供は動き回るし、それだけを考えて撮影はできない。 しかし、一切無視はできない重要な要素一つだ。 なので私は被写体の顔に当たっている光を優先的に分析する。 そしてその光に露出を決定してシャッターを切る。 露出の決定は2パターン考える。 顔を明るくするか、暗くするかだけ。 次に決定した露出に、周りの背景はどのように浮き出てくるのかを考える。 被写体の露出に対して、明るくなるのか、暗くなるのか、フラットなのかを。 頭の中でイメージを繰り返して一つの選択を決定し、シャッターを切る。 この写真のイメージは男らしさとかまっすぐな瞳とかそういったものだ。 無邪気な子供とは正反対の大人っぽい感じにしたかった。 それは私の意思ではなく、夏の夕方4時過ぎの強いオレンジ色の光が、そうしろと訴えているようだった。 私は光が訴えていることに気づき、そして光に従うだけだ。
夏の思い出
2010/8/30
2
はるばる札幌から足を運んでくれた彼女。 実は札幌では同業者である写真スタジオのカメラマンをしているそう。 そんな彼女が自分も撮影を体験してみたいという事で 飛行機に乗って恵比寿店へ。 . この本棚の裏側には3色の隠し扉があって 赤、白、ベージュの3色の扉で背景を何色にするかでガラリと印象が変わる。 端正な顔立ちで大きな笑顔が印象的な彼女なので まずは赤の扉をバックにパチリ。 次にベージュに変えてみたらさっきまでの元気いっぱいのイメージから一転。 このヌーディーな雰囲気が彼女の魅力をグッと引き出せたと思う。 . ここ数ヶ月、自分の中でphotogenicにアップする写真の基準というものを見失っていた。 可愛い表情や動き、印象に残る写真というのも撮ってはいるつもりだが それでも何を基準に載せるべきか分からなくなり今でもひたすら模索中だ。 この写真はサムネイル写真を見た時点でただ純粋に好きだと思った1枚。 . 同じカメラマンとして働くキラキラとした彼女を写真に収めながら 難しく考えすぎて悶々としていたが シンプルに好きだなと思える写真を撮っていきたいと思えた1枚だ。
新しさに対する恐れ
2010/8/30
0
私たちは毎日新しい顧客と会う. - 新しいということはいつも私たちを緊張させるがその分刺激を得られる。 またその刺激も時間が経てば日常化される. - それで新しい店鋪で撮影して見た. - 久しぶりに強い緊張感を感じることができた. - そういう意味で緊張感の中で私の存在を確認するのではないか?
楽しそうに見える写真
2010/8/30
0
1. 少しの設定 2. 被写体を楽しませる 3. 瞬間を捉える - “But for those who Love Time is not.”
クローズアップアングル
2010/8/30
0
写真は引き算だと言う. 必要ない要素を減らすのが写真では重要だという話だ. それで私たちは人物写真を撮影しながらクローズアップ写真をたくさん撮っている。. - クローズアップ写真は写真を構えることができる要素が少ない. だから最も被写体に集中しなければならない. - アングルが 1度だけ変わったらまったく違った感じの写真になる場合が多い. それならそれぞれの被写体に存在する美しいアングルはどうやって探せるのか。 - 様々な方法があるだそうが一番先にすべきことはモデルを観察しなければならない. 人それぞれに顔の輪郭も違って顔と体の割合も違う.。 また強調しなければならない部分と隠さなければならない部分が存在する。 それぞれのモデルのこのような特徴を把握したら 被写体を引き立つようにするアングルの選択がしやすくなる。 - この子供は顔が丸くて頬がポッチャリしている。 目がきれいで髪の毛も多い. なので、、、 “うむ………………(考え中…)”このアングルが誕生した…^^
光で踊る
2010/8/30
0
. . いつも「どうして私はこの写真を撮ったのだろう」ということを考える。 毎日積み重ねる撮影はインプットばかりで やはり、こうして文章にアウトプットする時間がカメラマンには必要なのだ。 . この写真の子は、バレリーナの格好をして本当に嬉しそうだった。 来店時のボーイッシュな第一印象とはまた変わり、 あの日、私の目の前で陽の光を浴びながら 自由にクルクルと踊るその子に、私はずっと恋をしていたのかも知れない。 . 自分が女だからということもあるのかもしれないが、 女の子を撮る時の被写体への感情移入は、 男の子を撮るときとは違う種類のものであることを自覚している。 洋服ひとつで、バレリーナにもお姫様にもなれてしまう彼女たちは、 口調や目つき、仕草まで変わってしまう。 そんな女の子ならではの気持ちが少なからず分かるからこそ 一緒にお話をしながら、遊びながら、踊りながら 彼女たちと共に過ごす時間の流れに身を委ねることが 私にとって本当に心地いい。 . . そんな撮影中の自分と、撮った写真を見て改めて対話をしてみる。 自分自身との対話は、インプットであると同時にアウトプットでもある。 それを繰り返すことで、自分が本当に見たいもの、撮りたいもの 自身の求めるべき判断基準に近づくことが出来る。 カメラを構える上で、そういった自分の中での確かな動きを大切にしたい。 . 頭の中をまとめ、普段中々到達しきれていないところまで 考えを巡らし、そして他者へアプローチする。 写真というものは、そんな可能性をも持ち合わせている。 . .
代弁者
2010/8/29
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写真からわかるように、彼はひどく泣いている。 泣いているというよりは「泣き崩れている」という表現が正しいかもしれない。 何かがどうしようもなく嫌で泣き崩れているのだ。 眠いのかもしれないし、 おなかがすいてるのかもしれないし、 カメラが嫌かもしれないし、 インテリアが嫌かもしれないし、 雰囲気が嫌かもしれない。 もちろん何が原因か分かろうとしましたし、機嫌が良くなる様に努力もした。 しかしはっきりいって何が嫌かわからない。 ただはっきりしていることは、彼はここには居たくない、という事。 そして私は写真を通して彼の代弁者になる。 「ここには居たくない」という代弁を。 彼は、頭に鉄のかたまりが入っているかのような重みで、ずしんと床に沈んでいる。 頭から下に落ちる空間は、嫌悪とか絶望とか孤独とかその類いの沈殿物がドロドロと落ちて溜まっている。 そして彼の側にある木でできたおもちゃ。 泣き止んでくれという希望が詰まったおもちゃ。 しかし彼にとっては何も意味も持たないし、何の救いにもならなかった。 自分たちが思っているほど人は単純ではないし、人が何を考えているのかなんて分らない。 本当にすべてを分かり合える人などいるのだろうか。 私はいないと思うが、分かろうとしようとしないのは止めておこうと思う。
白い意図
2010/8/28
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人に、写真に、自分自身にもっと深く入っていきたい・・・。 写真を印象的に見せるため構図は大切なポイントである。 魅力的に撮れた写真が結果的にバランスの良い 構図と感じられるかもしれないが、 それをカメラマンが意図的に撮影したとしたら・・・。 良い写真とはただ熱心に被写体を見ることである。 したがってこれはすべての創造的努力と同じように 一人一人の成長と関連することなので教えることはできない。という話がある。 現状を受け止めながら試行錯誤を繰り返し、 長い月日をかけて培ったものが自分の世界観になるのだろうか。 これから何かをしようとする様子。 タオルの素材と写真を二つに分ける白い線。 透き通る肌のやわらかさ。 無邪気に動きだしたい気持ではなく、 その前の段階のような何とも言えない表情。 しかし瞳の輝きからは明るい未来が想像できる。 目線の先、つまり被写体の「意図」を表現できた今回の一枚。 撮影中に私が何に魅かれどこを写真に収めようと思ったのか強く意識します。 写真に収めるのはその部分が重要でもあります。 必要のないものはいっさい画面に入れないという 思い切りも時には重要なのかもしれません。 素直な気持ちで写真に向き合いたい。 一枚の写真を何度も何度も見返し、 自分の言葉を探しながら完成される四角の中に自分の存在を確認していきたい。
夢
2010/8/27
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撮影に集中しなければならない。 . 撮影に集中するということはどのようなことなのだろうか? . 彼女にレンズを向けると、目を背け顔がこわばっていた。 どうやら私のことが苦手なようだ。 女性のアシスタントが側にいないと撮影が難しい子だった。 私と二人になると心を閉ざしたように、無表情になる。 私は彼女と打ち解けようと、たくさん話をかけたりしたが、うまくはいかなかった。 私はそのような状況の場合、森の中でじっと獲物を待つ猟師になる。 それが一番良いと思ったからだ。 85mmのレンズをつけ、両脇を固め、ブレないようにファインダーを額に押しつけ、できるだけ遠くから狙い、ここだという感じにシャッターを切る。 彼女は、ドレスを着た彼女はお姫様になれた気分でとても嬉しそうだった。 スカートを持ってくるくる回ったり、ジャンプしたり、走り回ったりととにかく嬉しそうだった。 そして床に座って、ドレスについている小物の感触を手で何度も確かめる。 小物に指を指して、一言。 「かわいい」 ここだ! 息を止めぎゅっと体を堅くして、瞬間を切り取る。 彼女が憧れていたお姫様になれたのだと感じた。 . 撮影に集中するというのは、カメラマンがどうのような存在であれば、被写体が持っている真の部分が写せるか考えることだと思う。 すべての子と笑え合えるカメラマンではなく、どのような接し方が一番良いのかを探ることが撮影に集中するということなのではないだろうか。
一歩前の光
2010/8/21
1
人が太陽を直視できないのと同じように、写真においても光の量が多すぎるとやはりそこには眩しさを感じる。写真において適切な光の量を求め映し出すということは、簡単なようで全く簡単ではない。だから面白い・やりがいがあるというカメラマンも多いが、僕は正直、写真は難しい、奥が深いなと感じてしまう。 これまでにも経験の浅さゆえに光の量を間違えてしまい、自分のイメージよりも明るすぎたり、逆に暗すぎたりしてしまい、決定的な瞬間を何度も逃してきた苦い経験が僕にはある。 どの先輩カメラマンも光を勉強する事が写真を勉強することだと必ず言う。自然光の入る部屋では 時間帯やその日の雲行きによって光の量が違うために僕なんかはいつも何度か試しに撮ってみる。だけど100%ピッタリはまるなんてことはない。大丈夫かなという不安も心の隅っこに必ずある。 この部屋は窓もあり窓の外には緑も見える。ある程度の光も入るが、僕はどちらかというと、多少露出がオーバーギリギリの明るい写真を好む人間なので、窓がある部屋でも蛍光灯の光に結構頼る。 だけど最初に伝えたように、人が太陽を直視できないのと同じように、明るければいいってものでもない。明るすぎる写真は結局その部屋にあるものを光の力で歪めてしまう。だから、この日のように天気のいい日は、被写体に直接当たる以外の光は付ける必要もない。付けるのであれば、その光がなぜ必要であるか、その意味をきちんと見出さなければいけない。 だけど僕は自然光と蛍光灯の光、その二つの力で少し明るく歪み、ぼやけた空間をここで敢えて作り出す。明るい写真を好む僕の特性ではなく、彼女の笑顔があまりにも眩しかったから、その眩しさに匹敵するくらいの光を彼女の周りの空間にも演出したかった。そのくらい強い光に包まれていても、彼女がその光の量に負けることはないし、逆光を抑えるために左側からも光を当てていたのでいい具合に中和されたのではないかと思う。 彼女は、「こんな感じで座って、こんな感じに足を椅子に絡めて、こんな感じに手をついて、こんな感じに首を傾けて・・・」という数々の僕のジェスチャーやリクエストに応えてくれた。その彼女に眩しさを感じながら、僕は光の量を計算しシャッターを切る。敢えて明るく。眩しいと感じる一歩前くらいの光を求めて。 そしてこの写真で注目すべきは彼女の持つしなやかな曲線美。人の持つ身体のラインの美しさというものを、わずか5歳の少女からも感じる事が出来る。髪をアップにし、リボンでまとめ、黒のワンピースでぐっと引き締めたことによるコーディネートのバランスも彼女にベストマッチしていたように感じる。 一つ前の「そこに残ったもの」 http://www.lifestudio.jp/community/blog/?p=2514 とは全く違う彼女が生まれた。
そこに残ったもの
2010/8/21
0
かわいらしい少女だと彼女を一目見て思った。彼女はフランス人と日本人のハーフだという。 だけど、被写体がかわいらしいからといってかわいい写真を必ずしも残せるかと言ったら答えはYESではない。写真は結局、被写体とカメラマンとの間に生まれる鏡だ。そのときの声のかけ方や、周りの雰囲気や状況、被写体のコンディションや性格的なもの、それらの幾重にも重なる外的環境や内的環境を合致させなければ、レンズの中にいい風景は見えてこない。 彼女をこの場所に連れてきたのは、そのかわいさを違う角度から表現するためだ。かわいらしいから、敢えてかわいらしさとはかけ離れた場所に連れてきて、敢えて錆びついたトタン板の壁の前に座らせ、敢えて無気力さを出させるような座り方をさせる。明るさや笑顔を一旦排除し、気だるさと無機質さだけをそこに残す。そういう空間作りを演出するもの、カメラマンとアシスタントの重要な役割だと思う。 被写体を最初に見たときのイメージと対照的なイメージを僕は敢えて演出する。そのため、被写体には無表情を装ってもらう。 ひじを突いて座るのは、時として行儀が悪いと思われるかもしれない。見ようによっては「女の子がはしたない」と思われるかもしれない。伸ばした足にも同じ様なことが言える。だけど、行儀良さもここでは少しだけ、敢えて外してしまう。この無気力さが、この場面には適しているのではないかと僕は感じる。無気力さを演出させると同時に、だらしのない脱力感は出ないようにと、その線引きだけには細心の注意を払う。 . この写真を自分なりに解説すると右側の白い柱から徐々に暗さを増していく素材感の違う壁、謎の物体を入れた網の籠、黄金のゴミ箱にエッフェル塔の瓶、画面右側手前にわずかに見える植木鉢の黒い丸み・・・色々な要素が折り混ざっているのに、ここではその全てに均衡が取れたように感じる。 100%とは言わない。人によって見方や感じ方は違うし、完全なる正解などないのだからわからないが、でも、僕がファインダー越しに覗いた世界は、自分が頭の中で巡らせていた形と一致したように感じた。 直線や曲線、丸いもの、四角いもの、三角形のもの、色も形も違い、いろいろな要素が詰まっているにもかかわらず、ごちゃごちゃした印象を受けるよりも先に、その、彼女の無機質さに目が行く。つまらなさを装ってるだけなのに、本当につまらなそうな印象を受けるし、だけど、その無表情さが、やはり彼女の持つ魅力を引き出しているようにも感じる。 本当はとても明るく活発な彼女が見せる、このつまらなさ。フランスのファッション雑誌に掲載されているような、少し大人な、いい意味で気だるい彼女を表現できたのではないかと思う。
家族写真と成長
2010/8/19
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一人の人間の撮影と同様に家族写真の撮影では、人々の存在感と、さらには家族同士の関係性が必要になってくる。 それを表現する手段として、視線やコーディネート、ポーズ、距離感が必要となってくる。 単に全員を密着させて家族という雰囲気を作り出していくことはできるが、時にはそれが逆に不自然さを生んでいることがある。 自然な家族写真とは何だろう… 限られた条件、狭い青山店の中でどこまで表現が可能だろうか? このお子様は、1歳から今回の3歳まで3回私が撮影をしてきた。 ソロの撮影をしていくなかで、6ヶ月の小さかった赤ちゃんがこんなにも成長し、しかもニコニコと笑顔を見せてくれる… さまざまな言葉を話しし、リクエストした仕草をし・・・ 嬉しさと可愛らしさで胸がワクワクする撮影だった。 お姉さんへと成長した彼女を表現するには、セパレートの家族写真が最もな方法だった。 赤ちゃんだった頃は両親に大切に抱かれての家族写真。 そして今は、自ら椅子にすわり、きちんとその場所に居てくれた。 こうやって人は大きくなっていくんだな。 そんな様子を私も一緒に見守っていた。
ありがとう
2010/8/15
1
どれだけの人が、わたし達の写真と出会うか分かりませんが、 わたしは いのち を伝えられるようなカメラマンでありたいと思います。 この笑顔に出会ったとき、 私は今までに感じていたような、赤ちゃんに対するかわいいといった感情や、 喜びとはまた違う、不思議な感覚になりました。 生まれてきてくれて、ありがとう。 心から、そう感じていたのです。 あなたに、出会ったとき。 はじめましてだけど、はじめてではない。 そんな再会にドキドキしていたことを覚えています。 前に出会ったときは、まだまだお母さんのお腹の中でした。 お母さんと、お姉ちゃんと、あなたのことを考えながら、撮影をしていたあの日から、 とうとう、顔を合わせる、その日がきました。 おなかの中にあったいのちが、目の前にある。 はじめて顔を合わせたとき、 何も話さなくても、 こうして微笑んでくれました。 お腹の中で、あなたはわたしの声を聞いていたのでしょうか? そんな風に思えるくらいにあなたの笑顔は輝いていました。 ここで写真を撮り続けていくこと。 誰かの人生と共に生きていくということ。 そこにはわたしの人生も重なってゆくのだと感じています。 いのちに、大きいも、小さいもありません。 ただ、 すべてのいのちに、 平和と喜びが訪れますように。。。 いのちはつながる 大切なことを感じさせてくれた、この笑顔に。 ありがとう。
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