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店舗フォトジェニック集
ライフスタジオで撮影した各店舗のベストフォトを集めました。
憧れ
2010/8/14
2
わたしにとって、彼女は憧れと言える存在だった。 夫婦写真を撮影しに来た彼女の気合いは、撮影前から感じられた。 「一生に一度だから!」 と、その言葉にどれほどの思いが込められていたのかは計り知れないけれど、 ルンルンと無邪気に支度を進める奥様である彼女と、 写真嫌いで落ち着かない様子の旦那様、 今のふたりと、そしてふたりが出会ってから今日までの大切な時間を想像しながら撮影に臨んだ。 手をつないでみたり、みつめてみたり、 どんな時も彼女は恋をしている。 年下であるわたしから見ても、その姿は可愛らしかった。 この女性を、今の彼女の姿を撮りたい、素直にそう感じた。 彼女を崩さず、不自然にだけはならないように指示は最小限に、 視線の先には旦那様にいてもらい、話をしていてもらった。 わたし達が仲介せずとも、彼女独自の切り口で、話が弾む。 そんな夫婦だけの優しい空気の中に、 新しい風がやってくる。 彼女の長い髪が揺れ、 そして彼女はいつものように、髪を押さえる。 その仕草、 わたしはやったことがない。 (髪が短いので…) その姿に、憧れと美しさを感じ、彼女を写した。 写真には可愛らしさとはまたひと味違った、 女性としての凛々しさが表れたように思う。 好きな人へのまなざしと、素直な心、 そして彼女ならではの存在感に、心惹かれた。
指先に宿る愛しさ
2010/8/11
0
今回の写真では、表情だけではなく、自分の示したい表現を具現化するために、手に宿る要素にも重点を置いた。だけど、表情でも指先でもなく、僕がここで本当に残したかったもの、それを写真の中央に配置した。それは形のないもので、言葉にすることも難しいのだけれど、その、目に見えない何かを中央に配置するためには、縦ではなく、カメラを横に構えて、横の構図にした方がより自分の表現を反映できるのではないかと感じた。キャリアの少ない僕が、それでも自分のこれまでの経験や知識を搾り出して導いた、最大限の表現。 . 手元を見つめる伏し目がちなその瞳と、大切な自分のネックレス、それをつまむ、やわらかい曲線を描いた指先、その間にある何もない空間。だけどその空間から垣間見れる静かで安らかな流れ。 . 視線の優しさ、彼女の持つ優しさ。 言葉にするのならそういう言葉になるのだろうか。 . それらを囲むのは、すらっと伸びる腕と、胸元まで流れる黒髪。ベージュのワンピース。黒い背景。彼女に当たる光は左から直角に当たるただの一方的な光。 . どこにも決して華やかな要素はない。 ないのだけれど、地味だとかシンプルだという表現でも表せない何かを感じる。 . あるのは、彼女から放たれる確固たる何か。 静止されたvitalityと表現してもいいのだろうか。 . 何も邪魔するもののないこの空間の中で、彼女だけが息を止めていて、それがとても静かで、だけど彼女の持つ優しい生命力・エネルギーを遠くに感じることもできる。 . 11歳という年齢だからこそできる表現方法だとも思うが、彼女が秘める内から出る美しさは、正面を見据えていなくとも充分過ぎるくらいに感じることができる。
繋いだ手と手、その強さ
2010/8/10
0
楽しくなると人は動く。 体が。 そして、当然のように、心も動く。 . 特に子どもの場合その表現方法は多彩で、動いたり、笑ったり、歌ったり、転げ回ったりする。そういう感情の起伏の波が、個人的に僕はすごく好きだ。そして、そういうのをかわいいなと感じる。だけど、かわいい瞬間を撮る事だけがカメラマンの役割ではないことも学んできた。 . 兄弟写真の撮影のとき、その関係性をどう表現するかで頭を巡らせる。ポージングも年齢によってできることは違ってくるので、試験的にいくつかの事を試し試し行ってみる。うまくいくこともあれば、そうならないときもある。 . この姉弟の場合、まずは背中合わせに立ってもらい、単純にその身長差を表現しようと思っていた。 . 二人が大きくなったときに、 あの頃はさ、オレ、姉貴の肩ぐらいまでしか身長 なかったけど、いつの間にかオレの方がデカくなったよな、といった類の、未来の会話を僕は想像する。 . だけど僕の目の前にいる弟くんは、周りにあったバスの置き物のおもちゃに気がいってしまっていたため、フラフラフラ~とどこかへ行ってしまいそうな予感もした。そこへすかさずアシスタントが、背中を合わせたままお姉ちゃんと手を繋いでみようっか、と声をかけてくれる。 お姉ちゃんと手を繋ぎ、ふーんといった感じで足をブラブラさせる弟くん。 だけど、ブラブラさせていることが楽しそう。 その動きは次第に勢いを増す。今度は、床についたもう片方の足と、お姉ちゃんの背中に重心を移動させて、バランスをとることの方に楽しさを覚えてきた様子が見て取れた。 . お姉ちゃんは弟くんの体重の半分の重さを背中に感じていながらも、写真を撮られることに対して誠実な、凛とした姿で笑顔を向けてくれる。せめてわたしだけはしっかりしなくっちゃという責任感のようなものも感じられたし、女性としてキレイに写りたいというまっすぐな願いも感じられた。 . 弟くんはもはや、おねえちゃんに体重を預けていることも、バスのおもちゃのこともすっかり忘れて、足を上げてバランスと保つことだけに集中していた。それを僕たちも、上手だねー、すごいねーと応援するから、ますますうれしそうな表情をする。 . お姉ちゃんの手を無意識に繋ぎ、ただただ心と体を踊らせて今を楽しんでいるのが伝わってきた。 止まっているのに、すごく楽しそうだった。 . キレイに撮るのではなく、幸せを残す。 . 大人になるにつれ、姉弟で手を繋ぐことも少なくなってくると思うが、シンプルな背景に、シンプルなコーディネートのおかげで、より、支えたり支えられたりする、二人の今の関係性がスマートに、シンプルに示されたのではないか。
遥か遠くおぼろげな記憶
2010/8/9
1
私にもほとんど思いだすことのできない幼い思い出があった。 幸いなことに、母と父が残しておいてくれたアルバムの中の写真により思いだすことができる。 もし写真がなかったら、完全に忘れ去られていた瞬間... この子にも、この瞬間が遠い未来の記憶の一カケラになることだろう。 そんなおぼろげな感じを写真に表してみたかった。 もう少しおぼろげな感じをだすために、テラスの窓ガラスに水をかけ(スプレーでまいた水がちょっとかかりすぎてしまっているようにみえるのが惜しくはあるが) 窓ガラス越しに撮影をしてみた。 この子にこの写真で記憶される思い出。そんな思いでを残すことができて幸せだ。
優しい時間
2010/8/1
0
いい写真を撮る為には、カメラマンとアシスタントのチームワークがちゃんと取れて通じ合ってからこそつながるものだと私は考える。 . 従ってカメラマンとアシスタントの関係性によって撮影は大分異なってくると思う。 . なぜならカメラマンとアシスタントのコミュニケーションがとれていないと、カメラマンがどういう写真をとりたいのか把握できず、カメラを向いていない事に必死になって被写体をカメラにばかり集中させようとしてしまうが為に、その時にしかない瞬間的な仕草や動きを逃してしまう。 . この日は七五三の撮影で微笑ましい兄弟が訪れた。 . とても仲の良い兄弟だった。 そしてもちろん兄弟撮影も希望された。 . 二人の関係性を写真という一枚にどう表現すればいいのか、兄弟を撮る時にはいつも試行錯誤する。 . この一枚は、 帽子を自分でかぶり、いないいないばあと何度も繰り返し遊ぶ妹の姿を隣で微笑ましく眺める優しいお兄ちゃん . そこにしか流れていない微笑ましい様子と優しい時間を表現したく切り取った一枚だ。 . そしてカメラの前で楽しんでいられるそんな環境と空間、安心さというものを、カメラマンとアシスタントが一つになったからこそ提供できたのではないかと思う。 . 撮影においてもっとも大切なカメラマンとアシスタントが一つになる事、今後も阿吽の呼吸でコミュニーケーションがとれるよう努力したい。
冒険と自由
2010/7/31
1
2歳の撮影に入る時、普段の緊張感と違う緊張を感じる。 自我が生まれ、自己主張も始まり、子供の成長過程の中でも難しい時期。 自分の中で撮影雰囲気をイメージする。 そんな心配とは裏腹に、目の前に現れたのはちょっと照れ屋な女の子。 オシャレ大好きで、花柄のお洋服に鏡の前でニッコリ笑顔。 撮影しながらあまりのお利口さんぶりに、私とアシスタントのテンションもあがり、又、撮影者(カメラマン、アシスタント)としての欲が現れた。 今まで、自由が丘店に来てから1ヶ月、一度も挑戦した事のなかった背景を合えて選択してみた。 窓から撮影するのは、背丈的にやはり2歳がベストだと思っていた、が中々実現できなかった。 天井まで広がる空、 冒険というテーマのコーディネイト、 船の旅、 光の方向へ向かって、自由というテーマで撮影してみた。 私が自由が丘に来てから、手探り状態であっという間に過ぎた1か月、そして、自分の中で少し余裕を感じれる様になった2ヶ月目、写真の中の被写体と出会い、この撮影で自由を得た気がする。
輝度
2010/7/31
0
人に、写真に、自分自身にもっと深く入っていきたい・・・。 一枚の写真に明るい部分と暗い部分が混在していることで 画面に変化が生まれる。 明暗の差が大きくなればなるほど コントラストが高くなりメリハリのある はっきりとした印象を与える。 光源のまぶしさを示す量を輝度という。 今回の写真に相応しい題名と出会った。 強い光から少し顔を背けるような顔の角度や目線、手の位置などが 彼女から湧き出たしぐさだという事を確認できた瞬間、 逃したくないという必死な思いが私に命令をした。。。 明暗がなめらかに変化するグラデーションが どこか柔らかい雰囲気を醸し出し、 見る人の視点を暗いところから明るいところへと ゆっくり移動させることが可能になった。 強い自然光をうまく生かすためにモノクロ設定を選択した。 被写体に浴びる光をうまく分散させる為に 子供の動きを予想しながら自分の間合いを考えた。 自然光を活かして撮影する場合には 光と被写体の調和を考えなくてはいけない。 今回は光のポイントが二段階になっているところに注目してみたいと思う。 子供の左頬とおでこにあたる光と 砂場の中央にたまる光の湖のような部分。 そして、被写体の雰囲気と背景のバランスを整えるため このようなトリミングとなった。 一枚の写真を説明していく中で、 自分の限界を示すことが 成長の鍵になるのではないかと思う。 一枚の写真の中に含まれている様々な要素を探していく過程で 自分の存在を確認していきたい。。。
隙間
2010/7/31
0
如何なる時も、何かを通して見ると新鮮味を感じられるようだ。 窓の隙間や穴を通して眺めると、普段の広がった空間で見る時とは全く異なる感じを得られるのも、このような理由にあるようだ。 この写真は、梯子と壁との隙間に被写体を置き、狭い隙間を利用することで、より被写体に集中できるよう撮影したものだ。 いつでもカメラのレンズを通して被写体を見るカメラマンとして、別の何かを通して見るということは、未知の世界を見ることのようだ。
ひとつの仕草
2010/7/31
1
あこがれていた真っ白いドレスに身を包み少し恥ずかしい気持ちもあるけど嬉しい気持ちのほうが大きい彼女の表情。 だが、この写真の大きなポイントは彼女の口を隠す可愛らしい小さな両手にある。 写真において表情をよりいっそう引き立たせる要素のひとつは私は被写体の仕草や動きにあると考えます。 人は成長するとどうしても自分の気持ちや感情を内部へ閉じ込めてしまいがちになる。 そして、いつしか表情や仕草までもがそれにつられて表面に出せなくなることがないでしょうか?彼女のこの愛らしい仕草や表情は今この瞬間にしかない一枚を大きくなって年や経験を重ねた彼女が見てふっと笑顔になれるような一枚だと思います。そんな、後から写真を見て気持ちや表情が温かくなるような一枚を提供していきたいと私は考えます。 スタジオを訪れた人が「嬉しい」と感じられるようなサプライズやその少女や少年の夢を叶えるスタジオ。その瞬間や、その時間の中でしか生まれない表情や仕草を私たちは自然に生み出すことの出来る空間や雰囲気を作り出すことのできるスタジオでありたいと思います。 そして、瞬間やその「ひとつの仕草」を一枚づつ残すことを大切にまた、明日から可愛い笑顔や仕草、その瞬間にしかない「美しさ」や「愛おしさ」を残すお手伝いがしたいと考えるのです。
具現化
2010/7/31
1
プロフィール写真とは、被写体の理想や思考を美しく表現しなければならないと考えます。 そのためにはカメラマンがしなければならないことがあります。 被写体がどんな人物なのかを知るということ。 なんのために写真を撮影するのか。 どのような撮影を望んでいるのか。 この人はどんなキャラクター性を持っているのか。 をコミニュケーションして知っていきます。 そして、被写体の人間性を写真で表現します。 どんな光がいいのか。 どのアングルで撮影したらいいのか。 どこのインテリアを使ったらいいのか。 どのように被写体を動かしていくのか。 彼女は、ピアニストでパンレット用の撮影を希望でした。 話した感じは、もの静かで口数が少なく、清楚な印象を受けました。 カメラを向けても照れる事が無く、彼女は目をそらさずにジッとレンズの奥を見つめます。 私は彼女の本質を分析します。 彼女には、大舞台に一人で立つ孤独と間違えてはいけないというプレッシャーを与えられ続けて得た強い意志を持ち、胸に秘めてるピアニストで生きてくという静かな灯火を感じた。 私はピアニストのイメージ「毅然」と、彼女のイメージ「繊細な情熱」を美しく表現することに努めました。 彼女には暖色系の光を当てて「情熱」のあたたかさを表現します。 光にグッと顔を寄せて画面の中で一番明るさせ、アングルを上から撮影することにより目を強調させ「毅然」を表現します。 肩から指先に美しい動き(ライン)をつけて、細く伸びた腕は「繊細」を表現します。 そして、写真が暗く落ち過ぎないように背後にアクセントとして彼女自身の光・・・青色の光「清楚」を与えたのです。
探し物
2010/7/31
2
ある本の中で、少年が、油を注いだスプーンを片手に持ち、それをこぼさないように宮殿を一周してきなさいと言われた。 ----- 少年は一滴もこぼさずに戻ってきた。 ----- 一周するあいだに、宮殿の中にあった素晴らしい宝石やじゅうたんを見たか?と聞かれたら、油をこぼさないように必死で、それどころではなかったと。 ----- もう一度同じ条件で、宮殿の美しさを見てきなさいと言われた。 ----- そして戻ってきた時には、スプーンの油はどこかでこぼれてなくなってしまっていた。 ----- 大事なのは、宮殿の中の美しさを全て味わい、しかも、スプーンの油のことも忘れないことだ ----- 写真に黄金比というものは存在するし、安定感のあるバランスというのも存在する。 シャッターを切る時にそれを意識し、様々な要素でバランスを計算しなければいけないが、 バランスがいいだけの写真を撮りたいのではないという事。 ----- 同じ景色でも人によって見え方が違っているべきだ。 その自分だけの感覚,スプーンの油を、忘れないように。 ----- 七五三の写真は、特に 着物を着て、きちんと姿勢を取って…誰でも思い浮かぶ固定されたイメージがあるけれども、 それまで「まおちゃん」を撮っていたのに、 着物を着た瞬間から「七五三のしゃしん」を、撮るべきではなかった。 ----- 撮った写真の中に、まおちゃんを、そして私を見つけられるだろうか?
記録としての写真
2010/7/31
0
写真を撮る理由の中に一つは記録としての機能だ。 私たちは写真を見てその当時を回想する。 そしたら正確な回想が可能なようにしようとするなら正確な記録が重要だ。 正確な記録は撮影当時、被写体が現わす特性または、その時の状況をよく現わすということだろう。 上の写真で二人とも可愛い表情であっても楽しい写真になるかもしれないが カメラマンを見てる妹の表情をそのまま残すことで新しくておもしろい写真になった。 (これもまた、撮影者と被写体との共感での一つではないだろうか…^^) こういう写真こそ時間が過ぎた後、 より一層撮影当時を回想しやすくておもしろくないだろうか。
成長と自由
2010/7/31
1
一日一日、時は確実に過ぎ特に子供の成長というものは著しい。生まれてすぐは自分では何も出来ない。自分の体を自由に動かすことも出来ず、ただ泣くこと、おっぱいを飲むこと、寝ることの繰り返しだ。それが半年過ぎると自分の腕を使って動こうとしたり、物を見て感じたり笑ったり、泣いたり…生まれて間もないころよりも確実に出来ることが増えていくのが子供の成長。子供は本当に素直で自由だとよく言われる。でもこれは大人との自由の意味とは明らかに違うが、成長における中での子供の自由という考え方もとっても大切なものだと思う。 子供はこうやって目に見える形ですぐに成長というものを感じるが、大きくなってからの成長というものを考えてみる。大人にも時というものは同じように流れている。日々が成長の瞬間でもあるのは変わらない。それをどう見せていくかが子供との違いではないだろうか。大人の成長とは特に内面を磨いていくことだ。もちろん外的に何かが出来るようになったというのも成長ではあるが、内的に人の気持ちがわかるとか、もっと考え方が深くなっていくというのが大人の成長ではないかと思う。たとえば、自由という単語の捕らえ方にしても明らかに自分が10代の頃とは考え方が違っている。当たり前といわれればそれまでかもしれないが、自由になるのも不自由と考えるのも自分であって束縛も自由の一部になりうることもある。束縛が悪いということではなく、必要なときもあるということ。それを捕らえようとする考え方に成長と関係があるのではないかと思う。 この写真を見ながら、ふっとした瞬間にこの子が顔を下げた瞬間であった。いつも精一杯動いているのも必要なことで、こうやって一瞬休むことも必要なこと。小さな子供は自由なんて考えない。しかし無意識のうちに感じてそれを表に出している。そんな自由な姿の一部でもあると思った。
目には見えない世界
2010/7/31
0
この世界に存在するあらゆる光。 私たちの目は、光があって初めて物の形や色を認識することができます。 しかし、人間の目はそこにある光をありのまま正確に見ているとは限りません。 網膜から入った光は電気的な刺激となり脳へ伝わり、脳の中でより物の形や色を認知しやすいように補正され、像を結ぶのです。 暗い部分は明るく、明るい部分は暗く。 ある意味でとても複雑な処理能力を持った優秀な私たち人間の視覚機能。 しかし、カメラはこのような優秀な補正能力を持っていません。従って、そこに存在する光の量の差をそのまま正確に写し出すのです。 この違いが時として私たちが目にしたこともない、不思議な世界を写し出します。 これもまた、写真の醍醐味のひとつと言えます。 そして、この写真もそんな一枚といえるでしょう。 この瞬間、カメラのレンズとまったく同じ位置からこの光景を肉眼で見たとしても、決してこの写真と同じように見えることはないでしょう。 ここには、「目には見えない世界」が映し出されています。 まるで、彼女が覗いている宝石の中の世界と、この目には見えない世界がリンクしているかのように。
引かれ合う力
2010/7/31
2
生まれたばかりの赤ん坊は、自分自身と外の世界との境界線があいまいで、外界と自己との区別がはっきりしない世界に生きているのだそうです。 自分の意識世界がこの世の全てであり、その中で発生する感情や、わずかに伝わってくる感覚こそが世界で起こる現象の全て。 そんな世界が、ある時を境に徐々に広がっていくのです。 手や肌に触れるものが自分以外の存在であると気づくのと同時に、自分自身の存在にも気がつく。 目にするもの、手に触れるもの、すべてが新しい世界とはいったいどんなものなのでしょう。誰もが経験しているはずなのにだれも知らない世界。 ガラスのひんやりとした冷たさと硬さ、太陽の光の温もりとまぶしさ、草木のしなやかな力強さと儚さ。 子供たちは、それがまるで必然的に引かれ合うかのように手を伸ばし確かめようとします。 しかし、いつしか私たちは手を伸ばすのをやめ、心のなかに見えない壁をつくり、時には引かれ合うことさえ恐れるようになってしまいます。 ほんとうは手に触れて確かめたいのに、それが手に触れた瞬間、もろくも崩れ去ってしまうのではないかという恐れから諦めてしまっているかのように。 「ただ手を伸ばせばいい」 この写真がそんなことを私に教えてくれているような気がします。
瞬間を切り取る
2010/7/30
1
. 毎日は瞬間のつながりではない。毎日は、瞬間を見落としながら出来ている。 そしてカメラマンとはその一瞬に人一倍敏感に気付き、その瞬間を拾い上げ、“永遠に留めるもの=写真”を生み出していく生き物である。 . この家族写真も瞬間に気付いたことで生まれたものであった。 自分の妻と子供を、優しく強く包むように触れる、夫そして父親としての手。加えてそこに降り注がれる光でさえも。子供が居て、その子を愛おしそうに見つめる親が居て・・・そして最後に3人の視線が重なった瞬間を見落とさず収めることで、その関係性を一目で了解することができる写真が出来上がるのである。このように、写真とはカメラマンさえ敏感な目を持ち合わせているならば、実に分かりやすい表現方法であると言えよう。 . 瞬間は、連続されて時間となる。 だから、もしもこの一瞬が連続していたら、この写真も同様に動いた映像となるだろう。同時に、この3人の幸せな表情、写真特有の観るに易しい表現を消し去って。 肉眼ではそんな小さな動きや、微々たる表情の変化を捉えることは難しい。だが、ファインダーを覗くことで、それは顕著に見えて来るものでもある。故に、その幸せそうな一瞬の表情(ここでの表情とは、人間のそれだけでなく光や天候なども含まれる)とは、カメラを構えない限り見えない現実なのだ。 瞬間が連続することによって、細かな現実は消え去ってしまう。きっと世の中には、そんな見えない現実が沢山在るのだろう。 細かく刻まれた瞬間にどこまで気づくかが、カメラマンの技量となってくる。 . 瞬間の持つ力の大きさは計り知れない。一つの動きを見ても、どこの瞬間を捉えたかにより表現はどんどん変わっていく。そしてその捉えた瞬間により左右された現実は、その人の中に写真として永遠に留まる。そうやって、瞬間には非常に深い時間が存在するのだ。深い時間は連続することで、滑らかな動きとなり、事実をゆがめながら私たちの世界を作り上げていく。 . . 切り取るのなら、幸せな時間を。 その一瞬を拾い上げる、鋭敏さを。 そんな才知に長けるカメラマンでありたいと思う。
Close-up
2010/7/30
2
. ―人は、なにを隠しているのだろう― . 私は、被写体に近づく。 なにかにぶつかり、向き合い、探りつつ。 そこにあるたくさんのバリケードは魅力的だ。 人は、大人だって、子供だって、誰かに近付くとき、 誰かに近付かれたとき、何かを急いで隠すのだ。 カメラマンと被写体、人と人、その間に存在する何かは様々なようで、 好奇心、遠慮、ためらい、照れ、恥じらい、恐怖、試練、喜び、怒り、哀しみ、楽しさ、思いやり、、、 そこから、とっておきたいものと、いらないもの。 乗り越えたいものと、引き出したいもの。 そんな駆け引きに似たやりとりをしていたのです。 . --------------------------------------------------------------- . 「人見知り」 ここまで近づくことを許してくれた彼は、 1時間半の撮影で「強く」なってくれました。 彼が、疑問や恐れを感じながらも、 ママパパの楽しそうな雰囲気を信じ、 バリケードを薄くしていってくれたこと。 私は変わりゆく彼を撮りたかったのです。 . ピントが合わなくなるまで近づきたい、抱きしめたい。
ものがたり
2010/7/30
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ものがたり アン、、ドゥ、、トロワ、、パッセ、、 アン、、ドゥ、、トロワ、、パッセ、、 ここはとあるバレエ練習場。 いつもの彼女たちの汗と熱い息で少しジメジメしています。 今、、 この彼女はこのバレエ練習場に来て1週間くらいでしょうか、、 あ!練習場に来ただけじゃなくバレエを始めたのも最近です。 彼女は少しの不安とワクワクした気持ちでバレエシューズを履きました。 そして少し目を閉じて前回覚えたステップを思い出してる時、 このバレエ練習場で出会ったお友達に呼ばれたんです。 “あんず!” ********************************************** 彼女に出会ったのは2回目でした。 見学に来て間もなく753の撮影にまた来てくれました。 少し緊張しつつも照れながら笑う彼女と学校の話や家族の話、友達の話やら 話を聞きながらまた私は想像の世界に、、 彼女が持ってきたバレエ服で、、 最近通い始めたバレエの話で すべてのシナリオは出来上がりました。 *************** そのシナリオの一部です。 少し不安で緊張しながらもなぜかリラックスしている。 周りの余計な光を遮断し、下から入ってくる光と遠目の斜めから当てて 彼女の細くて奇麗な背中と彼女の表情に集中しました。 ポーズだけで角度から手の位置まで細かく指示しながら、、 この表情を引き出すために 何度も何度も下を向かせては 何度も何度も彼女を呼びました。 そして彼女は私に新しい道をまた開いてくれたのです。 ********************************************** 7月は新しい風がたくさん吹かれてました。 あるカメラマンの一言で少し自由になれました。 そしてこの彼女のおかげで私がこれから私の道しるべが見えてきました。 大事なのは、、 なぜ私が写真が好きになったのか。 なぜ私は写真を撮るのか。 狭い円の中で なぜ好きなことで苦しんだりするのか。 原点に戻ります。 すべてはそこにありました。
包容力
2010/7/29
3
この頃撮影をしながら,少しいろいろな包容力が必要なことを感じました。 なぜならばスタジオに来るお客さんや私が撮影する子供の心の門をぱっと開くようにしようとするなら、ひとりひとりに合う適切な表現・判断をしなければならないためだ。 それでこそ私の心の余裕も持ちながら、その子供と一つになって内面の美しさまで見ることができるためだ。 単に日常の反復によって私の習慣のようにシャッター押す私の姿を見るととても残念だ。 そうならないためにスタジオに来るお客さんの個性と特性を把握して、その姿を美しく表現する努力を止めてはいけないという気がした。私の基準と判断が違っているかもしれない可能性も、開いておくべきだという考えになりました。 あなたと一つになるために私の心を常に開いて入れるように努力します。
姉妹
2010/7/29
4
人に、写真に、自分自身にもっと深く入っていきたい・・・。 ひきの写真でも印象に残る姉妹の密着度。 このようなシーンの場合は 遠近法などを使わずに壁面をシンプルに切り取ることで 得た平面的な魅力がポイント。 また、写真の印象が悪くならないように この写真を構成している縦と横の線を 垂直に保つようにトリミングに気をつけた。 また、フットワークを軽くして広い範囲を画面におさめようと努めた。 その際、画面の隅に目障なものが映らないように注意しなくてはならない。 人間の視野は横に広いため、横写真の方がより 自然に目に飛び込みやすいものである。 手前が妹で、後ろが姉である。 姉の片足が上がっていることで、 長方形の白い背景とピンクの縦のラインを 生かす絶妙なバランスを創り上げることができた。 これは、ポージングをある程度導き、 そこからは二人が自然に動けるよう こちらからアクションを起こした。 子供特有の重心移動だろうか? なんとも愛らしい体の揺れだろうか。。。 姉妹の仲の良さを表現できたポージングである。 きれいな四角をつくることは誰でもできる。 結局できることは・・・。 『人の心と体を自然に動かしてあげること』なのである。 カメラマンの実力は被写体を動かす力で決定されるのである。 今後もこの力を養うために。。。 毎日繰り返される日常の中で何か楽しく 意味のあることを計画していく楽しさを学んでいきたい。
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